黒薔薇の棘、折れる時

こだま。

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黒き薔薇の咲く館

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 王都の北、霧深い森に囲まれたアルデンハイト公爵領。黒曜石の邸は夜の獣のように佇む。主、エドワード・フォン・アルデンハイト。十九歳。漆黒の髪、氷のような紫の瞳。「黒薔薇の悪鬼」の名をほしいままにしていた。朝の執務の間。重厚な扉が開き、執事ガストンが頭を下げる。

「領民の少女を連れて参りました」

 エドワードは椅子に腰掛け、両腕を組みポキリと指を鳴らす。

「借金か?」

「はい。父の負債三百金貨。娘を差し出すとのことです」

 少女は震え、涙を零す。年は十五。粗末な麻のドレスを身に着けている。

「ふん。泣くな。お前は借金の形に売られたのだ」

 エドワードは冷笑した。だが、心の奥で棘が疼く。

――私は、これでいいのか?

 少女はアリスと名乗った。瞳は深い緑。森の精霊のようだ。

「お願いです……母が病で……」

「黙れ」

 彼は立ち上がり、少女の顎を掴む。

「三日後までに金を持て。さもなくば、お前の家は俺のものだ」

 アリスは唇を噛み、頷く。扉が閉まる音が、邸に響いた。夜。エドワードは書斎で古文書をめくる。黒薔薇の紋章が刻まれた表紙。

――「薔薇は棘を持ち、血を啜る」

 父の言葉だ。
 公爵は病床にあり、領地の運営は彼に委ねられている。

「弱者は滅びる。それが法則だ」

 窓の外、霧が渦巻く。少女の涙が脳裏に焼きついて離れない……。翌朝、執事が慌てて報告に来た。

「少女が逃げましたっ!」

 エドワードは眉をひそめる。

「金を踏み倒すつもりか……。追え」

 だが、内心、ほっとしていた。

――何故だ? 私は少女を逃がしたいと思っていたのだろうか……。

 昼下がり。邸の庭園。黒薔薇が咲き乱れる。
エドワードは花を摘み、棘で指を刺す。血がポタポタと滴り落ちた。

「痛いな……」

 その時、背後で声がした。

「アルデンハイト様」

 振り返ると、アリスが立っている。粗末な荷物を抱え、息を切らす。

「お前は……逃げたのでは?」

「戻りました。……お金、持ってきました」

 彼女は小さな袋を差し出す。中身は、銅貨と銀貨。百五十金貨にも満たない。

「足りないな、残りは?」

「働かせてください。お邸で……、何でもしますっ」

 エドワードは笑う。

「面白い。いいだろう」

 アリスは召使いとして雇われた。
 彼女は懸命に働く。朝は厨房、昼は庭、夜は書斎の掃除。
 エドワードは彼女を観察する。

――何故、戻った?

 ある夜。嵐が邸を襲う。雷鳴轟く中、エドワードは書斎で酒を飲む。扉がノックされ、

「旦那様、窓を確認に参りました」

「入れ」

 アリスが入ってくる。窓の鍵を確認する際に、少し空いてしまい、強風と共に雨が吹き込んでいた。彼女は慌てて閉めようとする。

「馬鹿者、濡れるぞ」

 彼は立ち上がり、少女を抱き寄せる。瞬間、アリスの体温が伝わる。震えが止まらない。

「雷が怖いのか?」

「……はい」

 エドワードは、優しく肩を抱きしめる。人にこんなふうに接するのははじめてだった。

――これは、……この感情は……何だ?

 アリスと接していると、今までにはなかった感情に気づく……いや、なかったのではなく、押し込めて見なかったものかもしれない。

――今までは、必要がなかったものだ。


 翌朝。執事が報告に来た。

「エドワード様、少女の母親が死にました。借金はいかがなさいますか?」

 エドワードは黙る。

「……このまま働かせろ、行くあても無いだろう」

 病で起きられなかった少女の母親が死んだ……。ちりと胸に差し込む痛みに似たモノに違和感を覚えながら外に目をやると、眼前の黒薔薇の庭で、アリスが花を手折る。

「旦那様、これ……」

 彼女が差し出すのは、白い薔薇。一輪だけ、この黒き薔薇の庭で奇跡的に咲いた。

「黒の中で、白か……」

 エドワードは黙って受け取った。棘はない。

「希望はありますよ」  

 アリスはそう柔らかく微笑んで言った。

 その夜、エドワードは病床の父の部屋へと向かう。

「父上、領民の借金の……減免を」

 公爵は咳き込み、笑う。

「どうした、お前らしくないな」

「私は……変わるべき時が来たのです」

 黒薔薇の館に、初めて風が吹き込む。アリスの緑の瞳が、闇を照らしているかのように。

――悪鬼の仮面が、剥がれ始める音がした。
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