愛するということ

緒方宗谷

文字の大きさ
37 / 192
11.交通事故 

2.事故の日

しおりを挟む
 高知に引っ越して2年近くが経過したある日、陸は友達と自転車で走り回って遊んでいた。彼には全く記憶が無いのだが、この日、陸は買ってもらったばかりのローラースケートで遊んでいた。
 幾つかの公園や空き地を回って、休憩する度にローラースケートを履いて走り回る。次第に面倒くさくなった陸は、ローラースケートを脱ぐのをやめて、履いたまま自転車をこぐようになった。
 だが、前後のローラーの間にある空間がペダルの幅に合わない。もう少し差があれば、土踏まずでペダルをこげるのだが、中途半端にペダルに引っかかる。引っかかったままであればよいのだが、ローラーが回ってしまって上手くこぐことが出来ない。
 十字路の角で自転車を降りた陸は、仕方なくローラースケートを脱いで、後輪の横についた折りたためる四角い荷台に入れた。十字路の向こうで待っている友達のもとに向かおうと自転車に跨った時、悲劇は起こった。
 スマホの操作に気を取られていた運転手は、十字路で一時停車をしなかったばかりか、微かにハンドル操作を誤り、白線の内側にいた陸を撥ね飛ばしてしまった。一車線道路だったのであまり速度は出ていないが、全くブレーキを踏まなかった。
 陸は民家のブロック塀に全身を打ち付け、そのまま昏睡してしまった。後で陸が友達に聞いた話では、鼻血を流しながら胃の内容物を吐き出していたらしい。気がついた時には病室のベッドの上にいた。
 陸が目を覚ました、という知らせを受けた母親の奈々子は病室に駆け入ってきて、力強く我が子を抱きしめて、「よかった、よかった」と小さく繰り返した。
 この人は誰だろう。陸は、そんな問すら浮かばない。自分が誰かすら分からなかった。
 記憶喪失前はどんな自分であったのかなんて、考えることは無かった。日本語はちゃんと話せるし、道具などの使い方、食べ物や動物の名称も分かる。正確には、初めは分からなかったのかもしれない。実際のところは知らない。もしかしたら、気が付かない内に、会話の中で自然と知識を吸収していったのかもしれない。
 無いのは人との思い出だけだ。それ以外で記憶喪失の弊害は感じられない。だが、つらい後遺症に悩まされた。1日に何度も目眩が起こって、嘔吐感に襲われる。そして、視界の端が黒い霧に覆われていく。視野はドットの様に崩れて闇に飲みこまれ、しまいには真っ暗になる。気持ち悪るなって立っていられないこともあった。急に眠くなったり、夜眠れなくなったり、寝ると十数時間起きないことも日常茶飯事。集中力が欠如して、何も手につかなくなることがあるかと思えば、思考停止して何も考えなくなり、気がつくと何時間も過ぎている時もある。
 医者の話では、脳波が乱れているので薬を飲まなければならないらしい。脳波の乱れを緩和するのか、症状を緩和するのか、脳を治すのかは分からないまま飲んだ。正直、薬を飲んで効果を実感できたことは無い。
 毎年1回、大きな病院に脳波検査を受けに行く。横になって寝るだけの簡単なものだ。それが16歳まで続いた。16歳の夏休み前の検査で、脳波の乱れは無くなった、と診断されて、薬の服用は終了する。でも症状は時々出た。
 そして、17歳の夏、陸はようやく完治したことを実感した。何がどう変わったということは無い。ただただ気持ちが良かった。とても清々しい朝だった。

    
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

王妃は涙を流さない〜ただあなたを守りたかっただけでした〜

矢野りと
恋愛
理不尽な理由を掲げて大国に攻め入った母国は、数カ月後には敗戦国となった。 王政を廃するか、それとも王妃を人質として差し出すかと大国は選択を迫ってくる。 『…本当にすまない、ジュンリヤ』 『謝らないで、覚悟はできています』 敗戦後、王位を継いだばかりの夫には私を守るだけの力はなかった。 ――たった三年間の別れ…。 三年後に帰国した私を待っていたのは国王である夫の変わらない眼差し。……とその隣で微笑む側妃だった。 『王妃様、シャンナアンナと申します』 もう私の居場所はなくなっていた…。 ※設定はゆるいです。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

某国王家の結婚事情

小夏 礼
恋愛
ある国の王家三代の結婚にまつわるお話。 侯爵令嬢のエヴァリーナは幼い頃に王太子の婚約者に決まった。 王太子との仲は悪くなく、何も問題ないと思っていた。 しかし、ある日王太子から信じられない言葉を聞くことになる……。

幸せな番が微笑みながら願うこと

矢野りと
恋愛
偉大な竜王に待望の番が見つかったのは10年前のこと。 まだ幼かった番は王宮で真綿に包まれるように大切にされ、成人になる16歳の時に竜王と婚姻を結ぶことが決まっていた。幸せな未来は確定されていたはずだった…。 だが獣人の要素が薄い番の扱いを周りは間違えてしまう。…それは大切に想うがあまりのすれ違いだった。 竜王の番の心は少しづつ追いつめられ蝕まれていく。 ※設定はゆるいです。

処理中です...