89 / 838
一年生の二学期
🚃
しおりを挟む
「大丈夫? 成瀬さん」
間違いない。務の声だ。奈緒が顔を上げる。だが、どこにいるか分からない様子で目を泳がせる。
彼が顔を傾けて、「おはよう」と言った。
ようやく左目の視界に微笑みを捉えることができたのか、奈緒が救われたような安堵の色を示して、息を大きく吸う。
荏原町駅についてドアが開くと、務の背後にいた濃紺のスーツを着た男が足早に電車を降り、逃げるように去って行く。
「――っ」
顔を上げて声を発しようとするも、務はそのまま固まって、そそくさと人並みに消えるその男を見送った。奈緒も眉をしかめてその男を見やる。
ドアが閉まって電車が発車したのち、二人の間に会話はなかった。この子は、受けた行為を反芻するかのように顔を歪めて俯いていたし、務は視線をそらして険しい顔をしていた。
戸越公園駅について、奈緒は人並みから庇われるようにして電車を降りた。救世主のエスコートでホームに設置された緑のベンチに座る。それと同時に上半身を伏して泣き始めた。
「もうやだ、うちに帰る。学校行きたくない」
泣き言をいう奈緒に、務は声をかけることなくしゃがんで見つめるばかりだ。
その後ろを行き交う人並みの間隙を縫うようにして、杏奈が歩み寄って来たが、彼女も黙って見下ろしていた。その視線は、初め奈緒に向けられていたが、しばらくすると務の背中に移った。心なしか色味を失った悲しげな瞳だった。
務が静かに声をかける。
「しばらくここで休んでいこう」
奈緒が首を振る。
ほんの少しの間を置いて、彼が続けた。
「戻るにしても、また満員電車に乗らないといけないから、よした方がいいよ。落ち着くまで僕らもいてあげるから」
「いやだ。もう学校辞める。電車に乗って こんなところまで 来たくない。わ た し やめて く だ さいって言ったのに、身 体障がい者ですって 言ったのに、やめて くれなかった。学こ う でも 毎日いじめられるし、つらい思いして つらい思いするがっこに 行き たく ない。これからだってまいにちやだもん」
何度か説得を試みた務が困った様子で、まくしたてて慨嘆する奈緒から顔を上げる。視線を送られた杏奈は、それに気がついてこの子に歩み寄り、しゃがんで震える手を取って言った。
「ほんとひどいよね、成瀬さんなにも悪くないのに、こんなつらい目に遭いたくないよね」
奈緒は添えられた手を握り返したが、顔をあげない。
ちょっと高めで爽やかな声が、優しく続く。
「学校には行こう。保健室で落ち着くまでお休みすればいいよ。そしたら屋上で一緒にごはん食べようよ。そんな時間までつらいって思わないでくれるでしょ。わたしたち、成瀬さんと一緒に過ごしたいのよ。だって成瀬さんといると楽しいんだもん」
「やだ」奈緒が叫ぶ。「またちかんにあう」
「合わせない」「いやだっ」
間を置かずして務が叫んだ。だが、奈緒も癇癪を起した子供のように叫び返す。
間違いない。務の声だ。奈緒が顔を上げる。だが、どこにいるか分からない様子で目を泳がせる。
彼が顔を傾けて、「おはよう」と言った。
ようやく左目の視界に微笑みを捉えることができたのか、奈緒が救われたような安堵の色を示して、息を大きく吸う。
荏原町駅についてドアが開くと、務の背後にいた濃紺のスーツを着た男が足早に電車を降り、逃げるように去って行く。
「――っ」
顔を上げて声を発しようとするも、務はそのまま固まって、そそくさと人並みに消えるその男を見送った。奈緒も眉をしかめてその男を見やる。
ドアが閉まって電車が発車したのち、二人の間に会話はなかった。この子は、受けた行為を反芻するかのように顔を歪めて俯いていたし、務は視線をそらして険しい顔をしていた。
戸越公園駅について、奈緒は人並みから庇われるようにして電車を降りた。救世主のエスコートでホームに設置された緑のベンチに座る。それと同時に上半身を伏して泣き始めた。
「もうやだ、うちに帰る。学校行きたくない」
泣き言をいう奈緒に、務は声をかけることなくしゃがんで見つめるばかりだ。
その後ろを行き交う人並みの間隙を縫うようにして、杏奈が歩み寄って来たが、彼女も黙って見下ろしていた。その視線は、初め奈緒に向けられていたが、しばらくすると務の背中に移った。心なしか色味を失った悲しげな瞳だった。
務が静かに声をかける。
「しばらくここで休んでいこう」
奈緒が首を振る。
ほんの少しの間を置いて、彼が続けた。
「戻るにしても、また満員電車に乗らないといけないから、よした方がいいよ。落ち着くまで僕らもいてあげるから」
「いやだ。もう学校辞める。電車に乗って こんなところまで 来たくない。わ た し やめて く だ さいって言ったのに、身 体障がい者ですって 言ったのに、やめて くれなかった。学こ う でも 毎日いじめられるし、つらい思いして つらい思いするがっこに 行き たく ない。これからだってまいにちやだもん」
何度か説得を試みた務が困った様子で、まくしたてて慨嘆する奈緒から顔を上げる。視線を送られた杏奈は、それに気がついてこの子に歩み寄り、しゃがんで震える手を取って言った。
「ほんとひどいよね、成瀬さんなにも悪くないのに、こんなつらい目に遭いたくないよね」
奈緒は添えられた手を握り返したが、顔をあげない。
ちょっと高めで爽やかな声が、優しく続く。
「学校には行こう。保健室で落ち着くまでお休みすればいいよ。そしたら屋上で一緒にごはん食べようよ。そんな時間までつらいって思わないでくれるでしょ。わたしたち、成瀬さんと一緒に過ごしたいのよ。だって成瀬さんといると楽しいんだもん」
「やだ」奈緒が叫ぶ。「またちかんにあう」
「合わせない」「いやだっ」
間を置かずして務が叫んだ。だが、奈緒も癇癪を起した子供のように叫び返す。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
彼女に振られた俺の転生先が高校生だった。それはいいけどなんで元カノ達まで居るんだろう。
遊。
青春
主人公、三澄悠太35才。
彼女にフラれ、現実にうんざりしていた彼は、事故にあって転生。
……した先はまるで俺がこうだったら良かったと思っていた世界を絵に書いたような学生時代。
でも何故か俺をフッた筈の元カノ達も居て!?
もう恋愛したくないリベンジ主人公❌そんな主人公がどこか気になる元カノ、他多数のドタバタラブコメディー!
ちょっとずつちょっとずつの更新になります!(主に土日。)
略称はフラれろう(色とりどりのラブコメに精一杯の呪いを添えて、、笑)
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜
遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!
木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
『お兄ちゃんのオタクを卒業させてみせるんだからね❤ ~ブラコン妹と幼馴染オタク姫の果てしなき戦い~』
本能寺から始める常陸之介寛浩
青春
「大好きなはずなのに……! 兄の『推し活』が止まらない!?」
かつて、私は信じていた。
優しくて、頼もしくて、ちょっと恥ずかしがり屋な──
そんな普通のお兄ちゃんを。
でも──
中学卒業の春、
帰ってきた幼馴染みの“オタク姫”に染められて、
私のお兄ちゃんは**「推し活命」**な存在になってしまった!
家では「戦利品だー!」と絶叫し、
年末には「聖戦(コミケ)」に旅立ち、
さらには幼馴染みと「同人誌合宿」まで!?
……ちがう。
こんなの、私の知ってるお兄ちゃんじゃない!
たとえ、世界中がオタクを称えたって、
私は、絶対に──
お兄ちゃんを“元に戻して”みせる!
これは、
ブラコン妹と
中二病オタク姫が、
一人の「兄」をめぐって
全力でぶつかり合う、果てしなき戦いの物語──!
そしていつしか、
誰も予想できなかった
本当の「大好き」のカタチを探す、
壮大な青春ストーリーへと変わっていく──。
怪我でサッカーを辞めた天才は、高校で熱狂的なファンから勧誘責めに遭う
もぐのすけ
青春
神童と言われた天才サッカー少年は中学時代、日本クラブユースサッカー選手権、高円宮杯においてクラブを二連覇させる大活躍を見せた。
将来はプロ確実と言われていた彼だったが中学3年のクラブユース選手権の予選において、選手生命が絶たれる程の大怪我を負ってしまう。
サッカーが出来なくなることで激しく落ち込む彼だったが、幼馴染の手助けを得て立ち上がり、高校生活という新しい未来に向かって歩き出す。
そんな中、高校で中学時代の高坂修斗を知る人達がここぞとばかりに部活や生徒会へ勧誘し始める。
サッカーを辞めても一部の人からは依然として評価の高い彼と、人気な彼の姿にヤキモキする幼馴染、それを取り巻く友人達との刺激的な高校生活が始まる。
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる