猫のモモタ

緒方宗谷

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モモタとママと虹の架け橋

第百四十一話 朝の空気を引き裂いた声

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 ある朝、美しい猫が、いつものように坊やたちの毛づくろいをしている時に、人間たちがやってきました。ゴミの回収が行われる時間でしたから、初めはゴミを集めて回る人たちが来たのか、と美しい猫は思いましたが、どうも雰囲気が違います。

 外から人間たちの話し声が聞こえてきました。3人いるようです。

 若い声が言いました。

 「あ、いたいたあそこ、ほら」

 「いたね。結構奥だな」高い声が言います。

 「こっち見てる。親猫がこっち見てる」曇った声が聞こえました。

 美しい猫は何が起こっているのか分からず、とても怯えた様子で身構えました。「こっち見てる。こっち見てるぞ」と繰り返し言う曇った声の男を、美しい猫は睨みました。

 不意に砂利が擦れる音がした瞬間、視界に網目がかぶります。美しい猫は暴れました。この猫が一人の男を睨んでする隙に、高い声の男が長い棒のついた網を伸ばして捕まえたのです。

 「やめて! 放して!」美しい猫は叫びました。

 「ママー、ママー」

 騒ぎで目を覚ました子供たちが鳴きだします。

 「だめよこっちに来ちゃ! 速く逃げて」

 ですが、子供たちは逃げません。お家の奥から出てきてママを追います。黒猫坊やの後ろをついてきた白猫坊やの足が、曇った声の男に掴まれました。

 「ああっ助けてっ! 助けてママぁ」白猫坊やが叫びます。

 「坊や! 坊や! やめて放して! 坊やを放して!」ママは必死に抵抗しました。

 「イテッ、イテテッ」高い声の男が叫びました。

 いくら猫が小さいとはいっても、その爪は鋭く牙もあります。高い塀にも飛び乗れる脚力がありましたから、必死に暴れる美しい猫を抑えるのは容易ではありません。気を抜けば、網から逃げられてしまいます。

 何とか半身を網の外に出した美しい猫は、曇り声の男に飛びかかろうとしますが、高い声の男に腰を掴まれて飛び出せません。そうこうするうちに、白猫坊やはゲージに入れられてしまいました。美しい猫はそれでもあきらめずに唸り声を上げながら、何とか身をよじって高い声の男を引っ掻きます。

 若い男が、もう一本あった網を車から出して、壁の隙間を覗き込みます。

 「ママー、ママー」黒猫坊やの声がママを呼びます。

 「早く逃げなさい! もっと奥に」美しい猫が必死の声をあげました。

 白猫坊やが捕まったことで更に怯え出した黒猫坊やは、狼狽えながらも隙間の奥の方を向きました。それでもママを恋しがる様子で後ろを振り喘ります。

 その瞬間、黒猫坊やの上に網が降ってきました。

 「ああっ助けてママー」

 網に捕えられた黒猫坊やが、床下から外に引きずり出されてきました。

 「坊やっ」美しい猫が、黒猫坊やに叫びかけます。

 「ママー助けてー」

 「ママー」白猫坊やも泣き叫びました。

 美しい猫は、「フー、フニャァッッ」と唸って身をよじり、何度も何度も声の高い男を引っ掻きます。なんとか男の手から逃れた美しい猫は、お家の隙間に走ります。一番下の茶トラ坊やを救う気なのでしょう。

 ですが、隙間に入ると同時に、曇り声の男が放った網に覆われてまた外に引きずられていきます。必死に抵抗しましたが、人間の力に敵うはずがありません。

 「坊やー坊やー」美しい猫が叫びます。
 「ママー!」

 柱の乗った土台の裏から、茶トラ坊やの声が聞こえます。

 「出てきちゃダメよ、坊や」美しい猫が叫びました。

 その声が理解できなくて、土台の裏から大きな瞳の小さな顔が覗きます。

 「坊やー! 坊や―!」

 眩しいお外に引きずり出された美しい猫は、もう二度と茶トラ坊やに会えなくなるのではないか、という絶望に心が引き裂かれてしまいそうです。

 それは現実のものになりました。どんなに望み願っても、この日以来今日まで、美しい猫は茶トラ坊やの姿を見ることは叶いませんでした。

 突然のお別れをしなければならなかった日のことを思い出す美しい猫の脳裏に、自分を押さえつけた男の曇った声が響います。

 「まだ一匹子猫がいるはずだぞ」

 「いるいる。鳴き声が聞こえる」若い声の男が言います。捕まえた黒猫をゲージの中に入れて、もう一度壁の隙間を覗き込みました。手前の方の壁は地面までありましたが、奥の方は、柱があって、床下になっています。

 「見えないな。声は聞こえるけど」

 高い声の男が若い声の男の隣にかがみます。

 「あの柱の裏辺じゃないかな」

 「網伸ばしてみますか?」

 「ああ、それ以外に方法ないだろ」

 高い声の男にそう言われた若い男は、おもむろに網を伸ばします。無造作に網を振るって竿を少し引いてみました。「捕まらない」そう言って、また竿を振るいます。「あの柱が邪魔なんだな。あれのせいで回り込めない」

 何とか親猫をゲージに閉じ込めた曇った声の男は、しばらくその様子を見ていましたが、見かねた様子で言いました。

 「あとでにしよう。あと何軒か回らないといけないし。今は警戒して出てこないだろ」

 「そうだな」と高い声の男が答えて、運転席に乗り込みます。そして他の二人を車に乗せると、車を発進させました。

 荷台にあるゲージに入れられた美しい猫は、別のゲージに閉じ込められた子供たちを呼びました。聞こえてくる坊やの声は、黒猫坊やと白猫坊やの二匹でした。ですが、他にもいくつかのゲージがあって、数匹の猫が捕えられているようでした。

 「みんなそこにいるの?」美しい猫が問いかけます。「無事なのね」

 「うん」黒猫坊やが答えます。「でも赤ちゃんがいない。僕たち二匹だけだよ」

 美しい猫は嘆きました。

 「ああ、坊や・・・。あの子はまだ一匹でごはんが捕れないのよ。一匹残されてしまうなんて・・・」

 白猫坊やが、震える怯えた声で嘆いて言いました。

 「僕たちどうなるの?」黒猫坊やが、不安に駆られた弱々しい声で言いました。

 「大丈夫よ。安心しなさい」美しい猫は答えます。

 「僕たち殺されるの?」そう言った後、黒猫坊やが恐怖のあまり吐しゃする音が聞こえました。

 美しい猫にも分かりません。ですが、坊やたちを励まし続けました。

 「大丈夫。大丈夫だから怖がらないで。ちょっとお引越しするだけだから。そう・・・。わたしたち飼い猫になるのよ」

 「飼い猫ってなーに?」坊やたちが首を傾げます。

 「人間に可愛がってもらっている猫のことよ。人間のお家に住んで、ごはんをもらえるの。とても楽しい生活よ。わたしたち野良ネコとあまり変わらないわ。家猫とか飼い猫って呼ばれて首輪をつけられるだけ」

 「怖くない?」白猫坊やが訊きます。

 「怖くないわ。もしかしたら首輪に鈴がついていて、ネズミを捕まえられなくなってしまうかもしれないけれど」

 しばらくしてようやく落ち着いてきた黒猫坊やが、「やだなー」と言いました。「だって僕、お兄ちゃんになったら、ネズミといっぱい追いかけっこしたいもん」

 「食べたり、お友達になったり」白猫坊やが続けます。

 美しい猫の耳には、坊やたちの苦しい息遣いが聞こえます。恐怖で引きちぎられてしまいそうな胸の痛みに必死に耐えている苦しみも伝わってきます。

 そこに、だみ声猫の声が割って入ってきました。

 「殺されるさ。前に掴まったやつは殺されたからね」

 「嘘言わないでちょうだい」美しい猫が言葉を制します。

 坊やたちがまた泣きだしました。

 美しい猫は、必死に二匹を励まし続けました。

 「大丈夫よ、大丈夫。新しいお家についたら、ママのおっぱいをあげましょうね。それから、あの子も探しに戻ってあげましょう。そして、新しいご主人様のもとで幸せに暮らすのよ」

 その声は、とても不安に満ちて震えていました。


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