61 / 179
第9話 【小さな勝利】
しおりを挟む港町ガルマの空は、いつにも増して潮風が強かった。夜明け前に吹く風は塩を含み、軒並みに吊された魚を揺らし、波止場に並ぶ木樽をきしませる。朝の市場が始まる前、町は独特の緊張感に包まれていた。
ミサトたちはその空気を胸に吸い込みながら、商館通りを歩いていた。
彼女の視線の先には、港の書記官ルディアが待っている。昨日の暗殺未遂事件を受け、彼女が「ある場所で話を聞いてほしい」と声をかけてきたのだ。
「ミサト…その女、本当に信用して大丈夫なのか?」
カイルが辺りを警戒しながら剣の柄に手を置いたまま問う。
「刺客がまた出てもおかしくねぇぞ」
「うん……分かってるよ。でも、これを逃したら、このチャンスを逃したら……先に進めないし、里も救えない」
ミサトは答え、足を止めなかった。
心臓は早鐘を打っている。それでも彼女は歩を進める。怖さよりも、湯ノ花の未来の方が重いのだ。
ゴブ次郎が大きく鼻を鳴らした。
「ふふんっっ!ボスは相変わらず肝が据わってるな。大丈夫!オレらがついてる。ぜってぇ守るから安心しな!ゴブリンパワー見せてやるぜっ!!」
その豪快な言葉に、エルナも小さく笑みを浮かべる。
「ふふふ、ゴブさん。……そうですよ。みんなで来たんです。私たちは、もう一人じゃありません」
そう、昨日の夜。命を狙われ、血を流しながらも、仲間と心を確かめ合った。
あの瞬間を超えたからこそ、今のミサトの足取りは確かだった。
◇◇◇
待ち合わせの倉庫街。夜明けの光が木板の隙間から差し込み、埃を照らしている。
ルディアはそこで待っていた。整った黒髪を束ね、目の下には寝不足の影。だが瞳は鋭く光を帯びていた。
「来てくれてありがとう、ミサトさん…」
彼女は周囲を警戒しながら声を潜める。
「時間がないわ。急いで伝えます。今、バルドン商会は“港の補給契約”を一手に握ろうと必死になっている。けど……そのせいで不満も溜まっているの」
「不満?」
「ええ。港の小商人たちは、バルドンに倉庫の使用料を釣り上げられ、半ば搾取されてる状態。彼らも密かに新しい取引相手を探してる」
ルディアは一枚の羊皮紙を取り出した。そこには小さな商人たちの署名が並んでいる。
「これは、彼らが“湯ノ花の里に限定的な補給を任せたい”と望んでいる証文よ」
その瞬間、ミサトの胸が熱くなる。
ここに来て、ついに手がかりが掴めたのだ。
「でも……」ルディアは眉をひそめ続けた。
「彼らも恐れている。バルドンの報復が怖い。だから契約は“正式”にはできない。ただ、港の裏路地での小規模な物資供給なら、黙認するつもりだって」
それは、確かに小さな契約に過ぎない。
だが、ゼロから始めたミサトたちにとっては大きな一歩だった。
「……分かりました」
ミサトは証文を受け取り、深く頭を下げる。
「この信頼、絶対に裏切りません。必ず物資をきちんと届け、港にとっても利益になるようにしてみせます。ありがとうございます」
ルディアは小さく微笑んだ。
「なら、私も出来る限り協力する。書記官としては表立っては動けないけど……記録の一部を書き換えて、あなた方の補給を“見逃す”ことはできるわ。バルドンに一泡吹かせて!苦渋を舐めさせられた仲間の敵を討って…」
「うん。ルディアさん……!分かりました。ありがとうございます!」
その勇気に、ミサトは心から礼を言った。
、、仲間がまた一人、増えた。
◇◇◇
その日の午後、港の裏通り。
目立たない小さな倉庫に、湯ノ花の荷馬車がそっと横付けされた。
積まれているのは温泉まんじゅう、干し野菜、保存肉、そして薬草。どれも山里ならではの物資だ。
商人たちがそれを受け取り、代わりに塩や干魚、油などを積み込んでいく。
取り引きは静かに、だが確かに成立していた。
「……これで、やっと……ちゃんと…湯ノ花の里に物資が届く」
エルナが感慨深げに呟く。
「子供たちが冬を越せる……!」
カイルも腕を組みながら笑った。
「小さいが確かな勝利だな。だがバルドンに気づかれりゃ一発で潰される。油断はできねぇ」
「分かってる!次の手を考えないとね…」
ミサトは頷きながら、荷馬車に視線を送る。
、、ここまで来るのに、どれだけの困難があっただろう。
失敗、妨害、裏切り、そして暗殺。
そのすべてを越えて、今こうして小さな勝利を掴んでいる。
リリィの声が、脳裏に優しく響いた。
『はい。ミサト。あなたは今、“帝王学”における最も重要な要素を実行しています』
「……最も重要な要素??」
『はい。ミサト。権力とは、一気に大帝国を築くものではなく、小さな信頼を積み重ねるもの。今の契約は取るに足らない規模かもしれません。ですが、これが次の大きな勝利への礎になるのです』
ミサトはその言葉に胸を打たれた。
確かにそうだ。大きな一歩よりも、小さな積み重ねが未来をつくる。
それは社畜時代の仕事にも通じていた。
地道な改善、取引先との信頼の積み重ね、、。
あの頃は報われないと思っていた努力が、今ここで生きているのだ。
「ありがとう、リリィ」
ミサトは小さく笑った。
「……私、やっと報われてる気がするよ!」
『はい。ミサト。ですが、まだ始まったばかりです』
リリィの声はどこか楽しげだった。
『ミサト。あなたの歩みは必ず“物語”になる。だからどうか、自分を誇って前に進みましょう』
◇◇◇
荷の積み替えが終わる頃、ルディアが倉庫に姿を現した。
「上手く行きましたね。これで湯ノ花は冬を越せるでしょう」
ルディアはそう言って、そっと契約の控えを差し出す。
「ありがとう、ルディアさん。本当に、ありがとう」
ミサトは両手でその紙を受け取った。
小さな契約書、、けれどその重みは計り知れない。
仲間の命がけの努力が、確かに形になった証だった。
だがその直後、ルディアの表情が曇る。
「けれど……安心するのはまだ早い。バルドン商会は必ず動く。あの男は、町を一つ二つ潰すことも厭わない。次に狙われるのは、きっとあなたたちの里よ」
ミサトの背筋に冷たいものが走る。
、、そうだ。これはあくまで小さな勝利に過ぎない。
次には、必ず大きな試練が待っている。
だが彼女は顔を上げ、仲間を見渡した。
カイルは剣を腰に構え、ゴブ次郎は棍棒を肩に担ぎ、エルナは血の滲む肩を押さえながらも微笑んでいた。
そしてルディアもまた、勇気を胸に立っている。
「……それでも」
ミサトは力強く言った。
「私たちは絶対に止まらない。この契約を足がかりに、必ずバルドンに立ち向かってみせる!さぁ!みんな!こっから反撃開始だよっ!!」
その言葉に、皆の瞳が輝いた。
仲間の心が一つに重なり、港の裏倉庫に静かな熱が満ちていった。
◇◇◇
夕刻。港の遠く、石造りの館の窓辺から、一人の男が倉庫街を見下ろしていた。
太い指に嵌められた黄金の指輪。油断なく光る眼差し。
、、バルドン商会の頭領、バルドンその人だった。
「んぁっ?!あの小娘が……。小さな契約を結んだだと?どことだ??」
従者が頷く。
「はっ。どうやら港の下層商人どもを抱き込んだ様子です」
バルドンの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「ぶっはっはっ!!愚か者ども。小さな火種がやがて大火になることを知らぬとはな……。よかろう!」
彼はゆっくりと立ち上がる。
「次は俺自らが出る。小娘も、その里も、一つ残らず俺の手にしてくれるっ!ぶわっはっはっ!!」
その低い笑い声は、夜の港を震わせるほどの凄みを帯びていた。
ミサトの小さな勝利の影で、嵐が動き出そうとしていた。
続
20
あなたにおすすめの小説
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
落ちこぼれ職人、万能スキルでギルド最強になります!
たまごころ
ファンタジー
ギルド最弱の鍛冶師レオンは、仲間に「役立たず」と笑われて追放された。
途方に暮れる彼の前に現れたのは、伝説の鍛冶書と、しゃべる鉄塊(?)。
鍛冶・錬金・料理・魔道具――あらゆるクラフトスキルを吸収する《創精鍛造》を極め、万能職人へと覚醒!
素材採取から戦闘まで、すべて自作で挑む“ものづくり異世界成り上がり譚”が今、始まる。
裏切った元仲間? 今さら後悔しても遅いぞ!
神様転生~うどんを食べてスローライフをしつつ、領地を豊かにしようとする話、の筈だったのですけれど~
於田縫紀
ファンタジー
大西彩花(香川県出身、享年29歳、独身)は転生直後、維持神を名乗る存在から、いきなり土地神を命じられた。目の前は砂浜と海。反対側は枯れたような色の草原と、所々にぽつんと高い山、そしてずっと向こうにも山。神の権能『全知』によると、この地を豊かにして人や動物を呼び込まなければ、私という土地神は消えてしまうらしい。
現状は乾燥の為、樹木も生えない状態で、あるのは草原と小動物位。私の土地神としての挑戦が、今始まる!
の前に、まずは衣食住を何とかしないと。衣はどうにでもなるらしいから、まずは食、次に住を。食べ物と言うと、やっぱり元うどん県人としては……
(カクヨムと小説家になろうにも、投稿しています)
(イラストにあるピンクの化物? が何かは、お話が進めば、そのうち……)
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
異世界へ行って帰って来た
バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。
そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。
竜の国のカイラ~前世は、精霊王の愛し子だったんですが、異世界に転生して聖女の騎士になりました~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
辺境で暮らす孤児のカイラは、人には見えないものが見えるために悪魔つき(カイラ)と呼ばれている。
同じ日に拾われた孤児の美少女ルイーズといつも比較されていた。
16歳のとき、神見の儀で炎の神の守護を持つと言われたルイーズに比べて、なんの神の守護も持たないカイラは、ますます肩身が狭くなる。
そんなある日、魔物の住む森に使いに出されたカイラは、魔物の群れに教われている人々に遭遇する。
カイラは、命がけで人々を助けるが重傷を負う。
死に瀕してカイラは、自分が前世で異世界の精霊王の姫であったことを思い出す。
エブリスタにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる