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踏み出す
しおりを挟む気球の大きな布が広げられると、森の中でもひときわ目立つ存在感を放っていた。しかし、それを見上げる紬たちの顔には苦笑が浮かんでいる。修理は順調に進んでいるように見えたが、いざ浮かせようと試みても、気球はまるでその場に根を下ろしているかのように動かなかった。
「どうやら気流や熱の扱いに、まだ何か足りないみたいですね」とグレンが眉をひそめながら呟く。その言葉に、ラウリィが大きな耳をピクリと動かしながら問いかけた。
「それなら、ここら辺の環境に詳しい人に聞くべきじゃない?例えば、風を読むのが得意な人とか」
紬はその提案にうなずいた。「でも、この辺りにそんな人がいるのかな?」
その時、近くで草を踏む音が聞こえた。一同が振り向くと、そこには見慣れない装束をまとった男女が立っていた。彼らは青緑色の布を身に纏い、頭には鳥の羽を飾った独特のスタイルをしている。彼らの後ろには大きな荷物を載せた馬が控えていた。
「ここで何をしているのですか?」男性の一人が紬たちに向かって声をかけた。その言葉には警戒心が含まれていたが、敵意は感じられなかった。
紬は慌てて事情を説明する。「私たちは旅の途中で気球が壊れてしまって…。修理はできたのですが、どうしても浮かばなくて困っているんです。」
その言葉に、女性の一人がクスリと笑みをこぼした。「この地で風を操る術を知らないのに気球を飛ばそうとしたの?それは無理もないわ。」
紬は目を丸くした。「風を操る術…ですか?」
彼らは風と地形を読む術に長けた、旅する遊牧民の一団だった。風の動き、気温の変化、地形の高低差などを見抜くことで、より安全な道を探す技術を持っているという。
「協力してくれるんですか?」とラウリィが期待を込めて尋ねると、彼らはうなずいた。「ここまで来たのも何かの縁でしょう。あなたたちが風を使いこなせるよう、少しばかり教えてあげます。」
こうして、遊牧民たちの助けを借りながら、紬たちは気球の浮力を取り戻すための新たな試みを始めた。彼らの教えは、気球の修理だけでなく、自然との付き合い方を見つめ直す貴重な時間となっていく。
遊牧民たちの協力は驚くほど実直で、何よりも効果的だった。彼らは紬たちに風を読む基本を教えると同時に、気球を浮かせるための工夫を提案した。たとえば、熱気球の火を調整するだけでなく、気球内の空気が適切に循環するように小さな通気口を設けたり、特定の高度での風の性質を理解するため、実験用の小型気球を飛ばして風向きを測ったりした。
「この辺りでは、夕方に西からの風が穏やかになる。ここで火力を強めれば、上昇気流に乗れるはずだ」と、遊牧民のリーダー格と思われる初老の男性が地図を指差して説明した。彼の名前はカリムといい、旅を通じて得た知識を惜しげもなく共有してくれた。
「だけど…」紬は不安げに気球を見上げた。「この試みが失敗したら?」
カリムは微笑んだ。「風は気まぐれだが、決して敵ではない。我々はただ、それを理解し、利用するだけだ。風はきっと君たちを運ぶだろう。」
その言葉に紬は小さくうなずいた。グレンも近くで気球の修理を進めながら、遊牧民の教えを熱心に聞き取っていた。普段寡黙な彼だったが、この経験を通じて紬と新しい友人たちとの会話を少しずつ増やしているようだった。
準備が整い、試験飛行の日がやってきた。遊牧民たちも見守る中、気球は地面からゆっくりと浮かび上がった。紬たちの胸は高鳴り、歓声があがる。風は穏やかで、遊牧民が予測したとおりに気球を運んでくれた。
「やった!」とラウリィが叫び、小さな拳を突き上げる。紬も安心したように笑顔を浮かべた。
しかし、その歓喜もつかの間だった。気球が進むにつれ、突如風向きが変わり、気球は予想外の方向へ流され始めた。
「これはまずい!」カリムが叫ぶ。遊牧民たちは地上から声を張り上げて指示を送るが、気球の上ではその声が聞こえにくい。紬たちは慌てて火力を調整しようとしたが、風は次第に強さを増し、気球は森の向こう側へと流されていく。
しばらくして、紬たちは木々の間を縫うようにしてなんとか着陸した。幸運にも誰も怪我をせず、持ってきた保存食や道具も無事だったが、彼らは完全に見知らぬ土地に降り立ってしまった。
「ここはどこだろう?」とラウリィが周囲を見渡す。そこは広大な草原が広がる美しい土地で、近くには澄んだ小川が流れていた。遠くにはいくつかの小さな家屋が見え、煙が立ち上っている。
「助けを求めに行こう」と紬が言い、皆でその家屋へ向かうことにした。
家屋の近くにたどり着くと、現地の住民たちが驚いた顔で迎えてくれた。彼らは気球で空を飛ぶ者たちを見たことがなく、紬たちの登場に興味津々だった。中でも若い女性が近づいてきて、「あなたたちは何者ですか?」と尋ねた。
紬は状況を説明し、修理のために手助けを求めることを話した。住民たちは快く協力を申し出、気球の布や道具を集めるために走り回ってくれた。
さらに彼らは、この土地に自生する植物から得られる粘着質の樹脂を使えば、気球の裂けた箇所を補強できると教えてくれた。それは遊牧民から聞いた技術とも異なる、彼ら独自の知恵だった。
気球の修理が完了し、再び飛び立つ時が来た。現地の住民たちは、見送りに集まって手を振った。
「ありがとう!」紬たちはその声に応えて手を振り返し、気球は再び青空へと舞い上がった。
風は今度こそ穏やかで、彼らの行く手を優しく導いた。遠ざかる草原を見下ろしながら、紬は小さく息を吐いた。
「私たち…風や自然に本当に助けられているね」と彼女が呟くと、グレンが隣で頷いた。「そうだな。だからこそ、もっと知り、共に生きるべきなんだろう。」
紬たちは空の旅を再開し、新しい発見と出会いを胸に刻みながら、再び故郷を目指したのだった。
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