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「雪解けのひととき」
しおりを挟む春の足音が近づいていた。村の周囲を囲む雪が、ようやく溶け始め、裸足で踏みしめる土の感触が心地よい季節がやってきた。雪解けの水が小川を作り、あちらこちらで草花が顔を出し、森の中には新しい息吹が満ちていた。
紬は村の外れの小道を歩いていた。小道は雪が溶けたばかりで、湿った土が足元にくっつくが、それでも歩くたびに心地よい音が響く。春の空気はまだ少し冷たく、白い息がふわりと舞い上がるが、時折吹く風はほんのりと暖かい。
「紬、こっちだ。」
振り返ると、グレンが少し離れた場所から手を振っている。彼もまた、暖かいジャケットを羽織り、手には木の棒を持ちながらゆっくりと歩いていた。普段は無愛想で不器用なところが目立つグレンだが、この季節になると何だか少し柔らかい表情が増えるような気がする。
「うん、わかった。」
紬は足元を気にしながら歩みを進める。まだ解け切っていない雪が所々に残っているが、それが逆に春の訪れを感じさせてくれる。グレンが歩みを早めて、紬の隣に並ぶ。
「ここは本当にきれいだよな。」
紬がふっと立ち止まり、目の前に広がる景色を見渡す。雪解け水で湿った森の中、まだ残雪の中で小さな花が顔を出している。そこにかかる光は柔らかく、雪の白さに春の日差しが温かさを与えている。
「うん、初めて見たときは驚いたけど…」
紬は小さく笑って言った。「まさか、本当に異世界に来るなんて思わなかった。でも、こうやって自然を感じるたびに、少しずつこの世界に馴染んでいってる気がする。」
グレンは少し黙ってから、肩をすくめる。
「お前、すぐに馴染んじゃうよな。俺はあまりこういうの得意じゃないけど、お前みたいに楽しめるやつがいると、案外心地よく感じるんだ。」
紬は驚いたようにグレンの顔を見上げる。
「グレン…?」
グレンはその視線を避けるように前を向いたまま歩き続け、少しだけ顔が赤くなったように見える。
「なんでもない。お前が楽しいって思ってくれるなら、それでいいんだ。」
紬は何かが言いたかったが、言葉を飲み込んだ。今までの自分を振り返ると、こんなふうに心を開けたのはグレンだけだった。あの初対面のときから、少しずつではあったけれど、彼と過ごす時間が増えて、気づけば自然に頼りにするようになっていた。
その時、ふと風が強くなり、木々の間からは花の香りが漂ってきた。紬はその香りを深く吸い込む。
「この香り…春の花だ。」
「そうだな。」グレンもその香りに頷きながら言った。「俺も…少しは春の香りを楽しめるようになった。」
紬は笑った。その笑顔に、グレンも少しだけ安心したような表情を浮かべる。
「今日は何をしようか?」と、紬がグレンに聞くと、グレンは少し考え込んでから答えた。
「少しだけ…こっちに来てからずっと気になってた場所があるんだ。」
「気になる場所?」
「うん。実は、村からちょっと離れたところに、小さな池があるんだ。その近くに、誰も知らない花が咲いているって聞いたことがあって。」
紬は興味津々に聞いた。
「それ、どんな花?」
グレンは少し照れくさいように答える。
「名前はわからないけど、どうしても一度見てみたくてさ。」
「行こう!」と、紬は元気よく答えた。
そして、二人は静かな森の中を歩きながら、知られざる花を探しに向かうのだった。
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