恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンアームド・エンジェルの失言

9.

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 ぼやけた視界が、ピントを合わせるように部屋全体を象った。開いたばかりの瞼より、思うように動かない唇。かさついた喉は鈍く痛み、唾を飲み込むたび、得体の知れない固形物を無理に嚥下しているような引っ掛かりを覚える。拓真が無意識に首へ手を伸ばすのと、その声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「君には知る権利がある」
 明るいストライプシャツに、弔事を思わせるブラックスーツ。華やかな髪色に反するかのように、一重の双眸はストイックで禁欲的だ。薄れゆく意識の中、彼が放った某かが兄を捕らえたことを思い出す。それは拓真の、浅はかな企みが潰えたことを物語っていた。
「本来であれば、依頼を受けた恭介が果たすべき現状の説明責任を、俺が代役する無礼を許してもらえるかな」
「無礼だなんて、そんな……」
 頭を下げるべきは自分だった。少なくとも拓真を含め何名かの身を守るために体を張ってくれたこの大人が、恭しく頭を垂れるのを見ていることはできずに体を起こす。
 瞬間、拓真を襲った僅かな目眩と、少しの絶望。
 おそらく、最初から叶わない夢だった。
「権利があるということは、等しく責任を持つということだ――水無月さん」
 憐憫にも似た痛々しい眼差しで、金髪の青年が静かに拓真へ問い掛けた。
「君の依頼したかったことは本当に、だったのか?」
「……私、は」
 禁忌と知りながら、その妄想に身を委ねるのは居心地が良かった。拓真は、その身が守護霊に守られる幸福より、たとえ死と隣り合わせでも、悪霊と共に過ごす日々が恋しくてたまらなかった。
「私はただ、兄に会いたかったんです」
 澄んだ声が、低い天井に響いて消える。それは拓真の思い描いた幻想より儚く、頼りない声だった。
「最近とみに、不運に見舞われるようになったのは本当でした……兄がいなくなってしまってからの私は、より一層あらゆることを悲観的に捉え、怖じ気づき、ただただ負の感情に呑まれていました。もしかしたらそのことも、原因のひとつだったのかもしれません」
 自己分析のような、或いは刑事ドラマで犯人を推測する時に似た、他人事のような結論だった。
「ただ兄に、ひとめ会いたかったのです……」
 まるで自白するかのように、拓真はそう呟いた。
「そんな時に、恭介さんの噂を聞きました。お祓い業を営んでいて、霊の依頼に長けているのだと……この方に頼めばもしかしたら、かもしれないと思ったんです」
 恋しさは恐ろしいスピードで募り、最早最善も最悪も判断できなくなっていた。拓真が兄を想う度、悪霊との距離はどんどん近づいていく。その命が危機に脅かされる度、兄が近づいているのだと嬉しくてならなかった。
「それでも僕を守ろうとする力が強すぎて、僕はずっと、傍に居てくれた兄の姿はおろか、声もろくに聞き取れなかった。だから守護霊さえ兄に成り代われば……これから先もずっと、一緒に居られると思ったんです」
「人が死んだら、土に還る」
 烏丸は、相槌さえ返さず事実を口にした。
「その後は然るべき場所へ行き、然るべき報いを受けて、新たな世界へと進むための礎を築くんだ……それこそ、何十年も掛けてね」
 静かに目を閉じて、拓真は小さく肩を揺らした。
「君は、愛しき兄の進むべき道を取り上げて、自分の寂しさを埋めるためだけの人形を作ろうとしたんだよ。一度死んだ者が、そのような役割を得て再び君の隣に立つためには、必要な歳月があった。君は踏むべき手順や段階を何一つ踏襲させることを許さないまま、その形へ無理に嵌めようとした。だからお兄さんは悪霊になったんだ……君の罪だよ」
 少しの甘えさえ許さぬ厳しさをもって、烏丸が淡々と説諭した。
「守護霊を元に戻し、お兄さんを浄霊する。そのためには、君の許可が必要だ。水無月和真の救済を、始めてもいいか?」
「お願いします……兄を……」
 掠れそうな声にどうにか力を込めて、拓真は哀訴する。
「どうか兄を……助けてください」
 震える声はそれでも、自身の幸せより、兄の弔いを強く願っていた。
「オッケー、わかったよ! 恭ちゃんもお兄ちゃんも助けてあげるから待ってて!」
「何で君が先に返事をするんだ……」
 有り余る腕力でもって襖を容赦なくスライドさせながら、その腕力とはおおよそ不釣り合いの可憐な美少年が飛び込んできた。
「後は圭吾もいるし! 俺にできないことは何やかや圭吾に助けてもらえば、きっと元の守護霊さんを連れて来られるからね!」
〝何だそのざっくりした計画は〟
「……君たちは、僕の愛弟子を殺す気か?」
 パタパタと不安そうに尻尾を揺らしつつ愚痴を溢す犬神の隣で、揶揄にしてはやや重すぎる烏丸の問い掛けに圭吾が先に口を開いた。
「先輩に、傷ひとつつけるつもりはありませんよ……白虎!」
〝はい、マスター〟
 翕然とした部屋の空気を僅かに歪め、白い毛並みを纏った動物霊が姿を現した。改めて初めましてだね虎ちゃん! と動物園の人気者にでも話し掛けるかの如く、鳴海がのんびりした声で挨拶をしている。
「これから土屋先輩の魂の救出と、依頼人の警護を行う。僕の指示に従ってくれ」
〝畏まりました〟
 毛並みつやつや! と頭を両手で撫で回されるのに身を任せながら、虎霊は生真面目な声で主人に答えた。
「……信じていいんだな?」
「はい」
 念を押した烏丸ではなく、はっきりと犬神を視線で捕らえて圭吾は答えた。犬神は、その瞳を見ていられなくて目を伏せる。
 以前のように彼を、闇雲に信じることが容易いとはもう思えなかった。

「あまりこういうのは得意ではないんだけどね」
 前置きで一言断ってから、烏丸は放り投げたままだったアタッシュケースに手を伸ばした。学生の圭吾でも知っている有名ブランドのロゴをシンプルに飾ったそのケースは、記憶している限り放り投げるような扱いをして良い値段ではなかったが、自身のことを恭介の師だと嘯いたその大人は、何の頓着もない顔でケースの留め具を外している。
 思えば、初めから掴みどころのない男だった。恭介のピンチに颯爽と現れた瞬間でさえ、すべて計算ずくで整えて来たようにも見えたし、たまたま立ち寄っただけにも見える。
 しかつめらしい顔でケースのキーをいじっているその姿は、仕立ての良いスーツ姿も手伝ってどこからどう見ても若干羽目を外した外資系ビジネスマンだったが、空港でよく見かけるサラリーマンによく似たなりでケースから取り出したのは、パスポートでも書類でもなく小さな札のお守りだった。材質は木片で、表面には墨で書かれた文字が見える。内ポケットのチャックから無造作に取り出したそのアイテムは、真新しいようでいて、妙な古めかしさも感じられた。
「役割分担をしよう。これから君たちには、依頼人の元守護霊を追って霊門に向かってもらいたい。これはお守り代わりに持っていってくれ」
 人差し指と親指で挟むようにして、二枚の木片を目の前に掲げられた。おそらく「君たち」のメンバーに組まれているのだろう鳴海と圭吾は、顔を見合わせた後、くじ引きのように交互にその板を受けとる。
 握り込んでしまえば見えなくなるような頼りないは、見た目の割にずしりと掌に載る重さがあった。
「役割を外された霊を含め、行き場の確定しないこの世の霊たちは、浄化されれば全て霊門へ向かうんだ。そこを潜ってしまえば最後、元に戻ることはできないが……」
「霊門で待ち構えて説得をするんですね」
 烏丸の言葉尻を受け取って、圭吾が心得たように呟いた。
「任せて! 一瞬しか見てなかったけど守護霊? だった人の顔とオーラは色ごと覚えたから、会えばすぐにわかると思う!」
 クイズ番組の最終ステージで決勝にあがれたかのようなはしゃいだ声で、鳴海が高らかに宣言した。心強くはあったがあまりにすごいことをさらりと口にするその温度差に、犬神はぶるりと尻尾を震わせる。
〝本当に、全部の霊が視えるんだな……〟
「そうだよ。ときどき頭痛くなっちゃうくらい、視える」
 気だるげに目を伏せて、鳴海が意味深に笑った。
 ふいに、修学旅行にあまり乗り気ではなかったらしい鳴海の話を思い出す。成る程ありとあらゆる霊が視えるのであれば、歴史ある旅館やホテルに嬉々として泊まることができなかったのも頷ける。気軽に相談できるような話題でもないため、友達が一緒だったところで何の気休めにもならなかっただろう。
 そんな裏事情をぼんやりと想像しながら、整った横顔を眺める。全ては犬神の推測でしかなかったし、今考えなければならないことは他にある。逸れかけた思考を無理に意識の外へと押しやり、犬神はしっかりと前を見据えた。
〝しかし……守護霊交代の儀を行った本人ではない我々が、説得しに行ったところで容易く了承していただけるとは思えんのだが……〟
〝だから、仲介役にこいつがいるンだろ?〟
 白虎の指摘は至極尤もだったが、些事だとでも言わんばかりに犬神は鼻先で商人の男前を指す。
〝はぁ!? 聞いてねーよ!〟
 ご指名を受けると思っていなかったらしい守護霊代理になるはずだった霊が、聞いている周りが可哀想に思えるくらいの貧相な声で叫んだ。
〝今言っただろ〟
〝そういう問題じゃねーんだよ!〟
〝うるせェな。もともとおめェが身に余るっつって守護霊の座に就かなかったのがそもそもの原因だろ。てめェの尻拭いくらいてめェでしな〟
〝お、横暴……〟
 さめざめと涙を流すかのように魂の端を揺らして、荷が重い役を突如任されたその男は小さく呻いた。
「ワンちゃん、その子も連れてゆくの?」
〝その子ってお前なぁ……〟
 歴代の子孫の血縁から守護霊代役として華々しく選ばれた霊を指差して言うにはやや可愛らしい代名詞で、鳴海が朗らかに問い掛けた。
 上下にびっしりと生え揃っている綺麗な睫毛が縁取る目でじっと見つめられては、男色でなくとも妙な気を起こす輩はいるだろう。生前それなりに遊郭で遊び歩いた商家の三男坊の自分でさえ、よくわからない居心地の悪さを覚え、どうにも落ち着かない気分だ。
「一緒に行くなら、君の名前を知りたいな」
〝えっと……〟
 こんなに柔らかく名前を聞かれたのは、生きていた頃は勿論死後にも経験のないことで、思わず尻ごんでしまう。聞かれるままに答えてもいいのだろうかいやそもそも曲がりなりにも霊である自分がこの世に存在するものとして周りの人間に容易く関わろうとするのはあまり良くないのでは等々軟派な見てくれの割に存外生真面目に様々なことを憂慮している男の横で、犬神が真顔でアドバイスした。
〝諦めろ。そうなったら多分そいつ名前教えてもらうまで一切引き下がんねーぞ〟
「もー、ワンちゃん! そんな脅すような言い方しないでよ~」
 心外とばかりにぷくりと頬を膨らませながら、それでもその場を梃子でも動かない鳴海にアドバイスの的確さをしみじみと噛み締めた商人の男は、少女と粉うなよやかな美少年相手に、自分でも正体のわからない謎のオーラに気圧されながら思わず小さな声で答えてしまった。
〝い……一之進〟
「じゃあ、いち君だね!」
〝……〟
〝……〟
「……」
 天使のような笑顔でそのように断言されてしまっては、一之進はいち君になるより他なかった。
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