恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンチノック・スターチスの誤算

16.

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 耳が痛くなる程の静寂だった。
 拓真は力なく顔を擡げる。改めて件のむかさりに描かれた鳴海を見たって、何も答えてくれないことはわかっていた。

 ――止められようと思えば、止められていたのかも、だなんて。

 楽観的になる隙間もない程、鳴海の意志は揺るがない強さを持っていた。それは夜の海みたいに暗く、深淵を想像できないくらい、果てのない愛だ。
 だったらもう、拓真には引き止める資格がない。見本になんかなれやしない。だって、自分が鳴海の立場だったとしても、同じことをしてしまうとわかっているから。
(兄さんに会えるなら、僕だって)
 もう死んでしまった、この世にはいない人。
 住む世界が分かれてしまうことで、消しゴムで擦ったみたいに、この想いも薄れたらいいのに。それができないから苦しい。当たり前のように周りの大人は、前を向くために忘れろと言うけれど。その言葉を耳にする度に、閉じ込めていたかった宝物を台無しにされた気分になった。
(だから、だから僕は)
(鳴海さんに、諦めろなんて絶対に言いたくない)

 相変わらずむすくれた顔で、烏丸が傷も汚れも何ひとつないオープントゥのビジネスシューズをぶらぶらと揺らす。右足で、踵をコン、コンと二回。爪先を擦り付けるようにして一回床を叩く。案外足癖が悪いんだななどとぼんやり思っていたら、忌々しさを欠片も隠さずに智也が口を開いた。
「……おい」
 灰色の絵の具で塗り固めたみたいに重苦しい空気の中、それは不意に落とされた。閻魔様がこの世にいたらこんなふうに話すのかなと思える程に、地響を伴う声だった。
「何ぼけっとしてるんだよ。やることは山積みだろ」
 小太鼓のように頭を叩かれて、烏丸が胡乱げに智也を見遣る。昼寝の最中に叩き起こされた飼い猫にも似た不機嫌さを、欠片も隠さない顔だった。
「この山で何があったのか、正確な史実を手に入れなきゃならない。だが、ネットの情報は、尾ひれが付きすぎてて信用ならない。だったら、誰か一人がここから町へ降りて、図書館で資料を読んだり、聞き込みなりしなきゃならねぇだろ」
「そ、それなら僕が行きます!」
 今明確に何の役割も与えられていない己こその仕事だと、拓真は学級委員に立候補する優等生のような声で挙手をした。眉一つ動かさず、烏丸は少し考えるような顔で足元を見る。
 羅列された選択肢から、ベストアンサーを見極めようとしているような顔だった。
「ひとりで降りても、大丈夫なのか」
「ええと……大丈夫だと思います。そこまで距離はありませんし」
「念のため、式神一匹つけてやるよ」
「匹?」
 絵師が人形にサラサラと絵の具で何かを描きながら言った。式神を数える時の単位としては間違っているんじゃないかと思い聞き直したが、彼からは謹んで訂正も肯定もなかったのでそのままにしておく。理由は、何かを描かれたそれが手品のマジックのように、ポン、と音を立てて変化した瞬間理解した。
 なるほど、この子に対する単位なら、匹と揶揄したくなる気持ちもわからなくはない。
「ご主人様、ひどいです!」
 現れたのは、七宝柄の着物を纏った、四、五歳くらいの男の子だった。丸っとした茶トラ模様のある獣の耳が、ぴょこんと頭から二つのぞいている。前に持って来れば良い抱きまくらになるんじゃないかと思えるほど大きな尻尾は、先端だけくるりと外側に巻かれていた。
 それは、サイズにこそ大きな違いこそあったが、動物園のゲージの中でとてもよく見たことのある生き物だった。
「……リス?」
「式神です! 改めまして、胡桃と申します」
「おい。魔法少女のお供に付けるマスコットキャラクターじゃねェんだ。もっとマシなのはなかったのかよ」
 烏丸が不貞腐れた顔のまま言った。言い得て妙だなとは思ったが、口にはせず拓真は静かに微笑んだ。沈黙は金なり。ここ最近やたらと身に沁みる教訓であった。
 ネイビーのスプリングコートに袖を通し、指定カバンを背負う。行こうか、と拓真が胡桃に優しく声を掛けると、まるでわたがしでももらったかのようにニコッと笑ってくれたので、無意識に口許がゆるんでしまう。
「心配しなくても、こう見えて俺の式神の中じゃ最強だよ」
 首の後ろをかきながら絵師が言った。つまらない冗談を言っている感じはしなかった。
「大丈夫です! いざとなったら、僕がこの子を守りますから」
 拓真はとっさにそう叫び、ぎゅう、とぬいぐるみのような愛らしさのある彼を抱きしめる。瞬間、一気に庇護欲が生まれてしまったが「守るのは僕です!」と暴れるので頬やら顎やらを蹴りつけられる羽目になった。成程、最強の名に恥じない良い蹴りだと拓真は思った。
 行ってきます、と拓真が丁寧に頭を下げると、そのすぐ後ろで、立派な武士の霊がゆらりと現れる。守護霊だなんて生易しい名刺では不釣り合いに思える程、滾る闘志にはエネルギーが満ち満ちていた。周りの人間が過保護であればあるほど、本人がたくましく育つケースもあるのかもしれない。絵師は静かにそう思った。

「ところで、俺はいつまで縛られたままなんだ?」
 軽薄に笑って、烏丸が智也を仰ぎ見る。救助を乞う人質を気取るにしては、ふてぶてしい顔だった。
「縛られてたから、流されるままそうしただけで、何も策略なんかないし周りが勝手に判断するのをを止めることができなかった……って言い訳ができる方が、お前にとって都合が良いんじゃないか?」
 柱に捩じ込んでいた麻縄の先端を引き抜くと、烏丸の体を縛り付けていた縄に撓みができる。コキコキと首を回してから、肩に纏わりついていたその縄を床に払い落とした。
「右手から二番目に立ってるガキをここから追い出せ、なんてわかりにくいサイン送ってきやがって……」
「それに気づけるお前もどうかと思うよ」
 知らず知らず夫婦のように相手の空気を読み合う烏丸と智也とは旧知の仲ではあるが、絵師にとってはできることなら関わりたくないと心から思う友でもあった。本人たちが無意識にそれで良しとしている大きく傾いたパワーバランスを、ギリギリのところで維持しているような二人だ。外野が下手に突付くなどという行為は、危険極まりない命知らずな行為と言える。
「ここにいる方が危ないからな」
 縄ををリールのように腕に巻き付けて、回収しながら烏丸が言った。意図があるようにも、浅はかにも聞こえる言葉だった。
「だから、くるくる頭もむかさりに避難させたのか?」
 烏丸は答えずに、ゆっくりと左肩を回す。固まっていた体のそれぞれが自分のパーツだと、ひとつひとつ確認をしているかのような仕草だった。
「……どこまでのことを想定してたんだ」
 諦めたように、智也が問い掛ける。烏丸はいつも、持っているカードのすべてを見せるような真似はしない。聞いたところでまともに答えてくれないことも、一度や二度じゃなかった。なのでそれは智也にとって、返事なんて端から期待していない投げやりな質問だった。
「どこまでも何も」
 苛立ちを隠さずに、烏丸が答える。
「全部が全部、想定外だよ」
「……は?」
「俺がぼんやり覚悟してたのは、むかさりの儀式を行うにあたり、鳴海あたりが俺もその中に描いてとか駄々を捏ねかねないなってことぐらいだよ。だから、むかさりの絵師は何人かいたが、こいつにしか頼めないと思ったんだ。俺の知ってる限り、生者をむかさりに描いても命を脅かすことなく済ませる術ができるのはお前だけだからな」
 絵師は肩を竦めて、筆先を指で払う。数滴の絵の具が、雨上がりの朝露のようにキラキラ光ってキャンバスに落とされた。
「拓真の依頼を解決したらすぐ恭介に来ていた依頼者のところに行けるように、恭介たちに依頼のあった店の方角から、ちょうど鬼門にあたるところにこのアトリエを造ってもらったんだ」
「造ってもらったって……」
 パンか何かのようにあっさり言う烏丸に、あんぐりと口を開けて智也が鸚鵡返しをする。訂正の横槍は入らなかったので、聞き間違えという可能性が霧散した。
「アトリエをか!? 即席で!? どうやって!?」
「絵に描いた」
 絵師が言った。シンプルな回答だった。
「日本語で話せ!!」
 面倒くさそうに頬をかいてから、絵師がおもむろにパン、と両手で柏手を打つ。キィン、と智也の耳に木霊したその音が落ちつくのを待たずに、眼下に広がっていた小汚いアトリエの床は手品のように消え、足元にひらりと一枚の水墨画が舞い落ちる。
「……」
 床どころじゃない。最初から、建物そのものがここになかった。キャパシティを超えた脳が静止したように、智也は口を半分開けたまま、残された一枚の絵をぼんやりと見遣った。大掛かりなコントを見させられているような気持ちだった。
「術の一種だよ。大体にして烏丸は無茶ぶりが多いんだ。付き合い長けりゃ必然的にいろんなことができるようになる」
「あーあ。ちゃっちゃと二件目も解決して、圭吾と恭介のデートを完膚なきまでにぶっ潰した上で『師匠カッコ良い、大好き♡』って言ってもらった後に、圭吾の目の前で頬チューしてもらうつもりだったのに……」
「お前、あのガキに関してどんどん心が狭くなってないか?」
「元からだろ」
 潔い程私利私欲で動いていた烏丸に、理解できない生物を発見したような顔で智也が吐き捨てたが、表情筋を一ミリも動かさないまま絵師は言った。
 なるほど、確かに今更だったかもしれない。思い返してみても、恭介に関しては、指の切り傷ひとつで迷わず一・一・九にコールする男だ。今が特別だとか、今回が例外だというようなことは何もなかった。
「これからどうするんだ」
 スーツについた砂を雑に払う烏丸に、智也が忌々しい声で聞く。報連相をこまめにしてない彼相手の仕事は、何をどうするつもりなのかを逐一確認する必要があった。
「呪具を探す」
「探すって……てるてる坊主が呪具なんじゃなかったのか?」
「それはだろ」
 アタッシュケースを乱暴に開けながら、烏丸が言った。そういえばこの男は最初から、介在する呪いに関してはいくつもあるかのような言い回しをしていたなと思い出す。
「子供を贄にする悍ましい儀式が行われていたという史実が本当なら、そのことを一番恨む筈の人間が他にいる」
「弟か」
 絵師が短く問い掛けた。烏丸が含みのある視線を投げる。
「……だけなら良いがな。その儀式が祭事として執り行われていたんなら、おそらく一回や二回じゃない」
「おい、まさか……」
 智也が、震える声で口を挟んだ。
「理不尽に殺された子供全員の呪いの根源が、この山のどこかにある筈だ」
 そんな胸糞悪い話があってたまるか。そう笑い飛ばしてやりたかったけれど、喉が熱いもので塞がれて、息も吸えなかった。
 ろくな子供時代を送っていなかったから、智也の頭はとっくにそれを知っていた。現実はいつだって、セメントを無理矢理背負わされたみたいに、重たい絶望がどこかに鳴りを潜めている。智也だって、何度もそれに押しつぶされながらも、どうにか許された道にしがみつき、スレスレを生きてきたのだ。楠師匠に出会わなければ、今この山を覆っている――得体のしれない何かの一部に、なっていたのかもしれない。
「言ったろ。『あるいは山かもな』って」
「あれ、冗談じゃなかったのか……」
 護符を三枚と、呪具を二つ。烏丸は、最初から決められていたみたいに迷うことなく取り出して、ゴツゴツした剥き出しの土の上に置き、跪いた。
「一連の霊障の発端を探るためには、を霊視する必要がある」
 いつだって、無茶苦茶なことを簡単に言うのが烏丸という男だった。けれど、周りの人間を危険に晒して、愉快がるようなねじ曲がった性格ではないと知っている。
 だからこそ、何だかんだ付き合う羽目になるのだ。広げられた護符の枚数に――烏丸の守るつもりだろう対象の数が、表れているのだから。
「霊力がもつと良いな」
 他人事のように絵師が言った。大きな筆でぐるりと三人の周りを丸で囲うように描き、円の繋がった箇所に印を結ぶ。
「恭介の安否が掛かってる案件で、失敗したことはないから大丈夫だよ」
 振り向かずに烏丸が言った。いやこいつマジでそうだったなと、遠い目で智也は過去を振り返る。
「拓真は安全なんだろうな」
「心配しなくても、保険はかけてるよ。俺、あいつ気に入ったし」
 烏丸の最後の確認に、絵師はご機嫌な声で答える。そうか。短く答えた声を聞いて智也は、あらゆる準備が整ったことを知った。
 ゆらり。烏丸が胸元から取り出した一枚の札に手を翳すと、ピンク色の靄が立ち込める。そのまま山の頂へと、まるで意志を持った生き物のように蠢きながら向かっていった。
「解析を始めよう」
 烏丸が言った。
 それは、間違いなく狼煙の意味を持つ一言だった。
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