緑の指を持つ娘

Moonshine

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魔術院の温室

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今日は、完成した植物を鑑定に出す日だ。

ナーランダの研究室のドアを緊張しながら叩くと、いつもの美しい微笑みを携えた優美な紫の長髪が迎え出てくれる。

「おいで」

ナーランダの重厚な机の上に置かれた植物に魔術を当てる。
ぽわ、とナーランダの手元が青白く光る。いつもながら美しい鑑定魔術だ。
鑑定魔術を発動すると、周りにその物体の本質とやらが浮き出るらしい。その浮き出た情報を魔力で読み取るらしいのだが、当然魔力のないベスには何も見えない。
この鑑定魔術の最高クラスの使い手が、目の前にいるこの優雅な男であるらしい事は聞いているが、何せ魔力の一つも持たないベスにはその偉大さはいまいちピンとこない。

(でも、綺麗なのよね、鑑定魔術)

よくわからないなりに、ベスはナーランダの鑑定魔術を見ている最中はとても楽しい。
穏やかなこの優美は男が、急に凄みを帯びた表情になる所も、美しい光が発せられて、何か物体が反応している所を見るのも、とても楽しい。

「本当にベスちゃんは、植物と会話できるみたいだね」

そう、顔を上げてナーランダは微笑んだ。
ベスの本日提出期限だった「カビ」の鑑定だ。
鑑定を終えたナーランダは、手元の紙にサラサラと何かを書き込んだ。手元の紙には、「S級」の赤いサインが示されていた。

「よかったー!!」

ベスはホッとして、ソファに体を沈ませた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「おい田舎娘!」

遡ること3日前。いつものように植物の手入れをしていたベスの元に、、急にずかずかと温室にやってきたノエルから、声をかけられた。いつもの通り無礼である。

「何よノエル様。そこに立たれると、日がささないから邪魔なんだけど」

ノエルは何もいわずにカビのついたキノコを手渡して、

「このカビを10倍に増やせ。3日以内だ!」

たったそれだけ不遜にノエルはベスに言って、立ち去って行ったのだ。

(本当にあいつムカつくわ~~~!!)

ベスはあの日、家からほとんど誘拐のように王都に連れてこられて、これからここで仕事しろ、と温室にポイッとノエルに投げ込まれてから、一月も放置されて、顔を合わせなかったのだ。
本当にナーランダのメイドのメグが親切な子だったからよかったものの、メグがいなかったらご飯どころか、どこにいけばお洗濯ができるのかすら、ノエルからは何も教えてもらっていなかった。

仕事も「植物の世話をしろ」といわれたきりで、具体的なことは何も教えてもらっていない。
仕方がないので、なんとか周りにあれやこれやと道具やらのありかを聞き出して、どうにか仕事らしい事を始めていたのだが、やっと一月後ノエルの顔を見たと思ったら、これだ。

(ありがとう、とか調子はどうだ、とか、せめておはよう、くらい言ったっていいわよね)

だがどれだけムカついても失礼でも、難癖つけられてまた牢屋に入れられでもしたらたまったもんじゃないし、この間初めてのお給料を頂いてしまった所だ。
見たこともない数の数字の並んだ給料の明細にひっくり返ったベスは、とりあえず秋祭りまでは、何があってもこの大変失礼で気の利かない男とは喧嘩をすまいと誓ったばかりだ。

村で粉をどれだけ挽いたらこの金額になるのか、乏しいベスの計算力でも途方もない量の粉である事くらいは、理解したのだ。

ノエルの注文を受けたその日から、慌てて寝ずの「カビ」の世話をしたベスは、期限の今日、ナーランダから「合格」の知らせを受けてようやくホッと息をついた。

「ノエル様はいつも本当に無茶ばかりで疲れただろう。私がお茶を淹れてあげよう」

「嬉しい!’ナーランダ様のお茶はとても美味しいです」

無邪気に喜ぶベスにナーランダは少し微笑んで立ち上がると、二人分のお茶を用意し始めた。

ナーランダの研究室は、他の魔術師の実験道具やガラスの道具だらけの研究室とは少し異なり、壁は本で埋め尽くされていて、本が好きなベスにはとても心地の良い空間だ。

南に向いている大きな窓からは、緑の生い茂った庭園が見える。光がたくさん入って美しい。
ナーランダの部屋は、まるで持ち主の温厚で落ち着いた性格を表すようだ。

「まさかこんな素晴らしい質のカビをこの短期間で育ててくれるとは、今回ばかりはノエル様も君に頭が上がらないだろうね」

ナーランダは実に楽しそうにお茶を淹れて、ベスの前に置いた。
紅茶の高い香りが鼻腔をくすぐる。村では絶対にお目にかかる事のない、高級な茶葉だ。

「3日で10倍にしろって、ひと月ぶりに顔を合わせたと思ったら、そんな無茶苦茶をノエル様が言うんですもん。本当に大変でした」

ブツブツとベスは文句をいう。
だがお茶請けにマカロンがお皿にあった事で、全部を忘れた様子。

「あ!ナーランダ様、これがマカロンですよね、エロイース様が言っていました!宝石みたいに綺麗で、食べたら一口分幸せになれるって!」

「ああ、そうだよ。エロイースは甘いものに目がないからね。初めて見るのかい?」

「今度実家に帰ったときに持って帰ってくれるって言ってました!田舎にはマカロンなんかないって言ったら、ものすごくかわいそうな目で見られちゃいました」

初日こそ最悪の印象だったが、エロイースは気性の激しい性格ではあるものの、面倒見は実にいい。
着る物も持たずに家から急にこの温室に連れてこられて放置されていたベスに、あれやこれやと世話を焼いてくれたのは、メイドのメグと、案外このエロイースだった。

エロイースはベスト同じ年だと知ってから、ベスの田舎での生活を聞くにつけてそのシンプルさに衝撃を受けて、色々お下がりをくれるようになったのだ。何せ高位貴族の中でも、女子力の塊のようなエロイースにとって、人生で一度もリボンというものを所持した事のないベスのような存在がこの世に存在するなど、今まで知らなかったらしい。
ちなみに今ベスの履いている布の靴も、エロイースにもらったお下がりだ。
初日に履いていた、ベスの木靴を見てめまいを起こしていたのも今や懐かしい。

ナーランダは優雅に紅茶を飲むと、

「君はあのカビが、誰のために、何のために依頼されたのかは聞かないんだね」

そう、不意に問いかけた。
ベスはふうふうと紅茶を楽しみながら言った。

「ええ。私の仕事は頼まれた商品を卸すことだけです」

「君は興味はないのかい?」

「粉挽の時もそうでした。おじいちゃんがいつも言っていました。お客に必要以上の事を聞くなって。挽いた粉が誰の為に使われるのかなんて、我々の知る必要もないところだって。そんな事を考える暇があれば、粉の声に心を傾けて、良い粉を挽けって。まあ、なんのために必要なのかはちょっと教えてほしいですけど、私は村の学校しか出てないので、きっとノエル様に聞いてもわからないです」

あ、粉を引くときは、ケーキ用かパン用かくらいは教えてもらわないとダメですけどね、えへ、と屈託なく笑った。

「なるほどね。そういう君の詮索しない部分もノエル様は気に入られているのだろうね」

「え?あいつが私を気にいるなんてあるもんですか。きっと温室のノームくらいにしか私の事を扱っていませんよ。そもそも私の名前も呼ばれたことすらないんですよ」

そう言うと、ベスは宝石のようなマカロンを一息に口に放り込んだ。
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