緑の指を持つ娘

Moonshine

文字の大きさ
74 / 130
緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

11

しおりを挟む
「・・信じられん」

翌日目覚めたフェリクスは、己の身に起こっている事が、信じられなかった。
朝、自分の体が柔らかな花の香りに包まれて、とても安らかな、平和な気持ちで目が覚めたのだ。

(こんな穏やかな朝は、思い出せない)

いつも熱を持ってジュクジュクとした肌が、今朝は静かに小康を保っている。

朝はいつも肌の症状がひどい時間帯だ。
朝目覚めると、美しい絹でできたフェリクスの寝具は、いつも血と膿と、抜けた髪の毛と皮膚で酷い状態になっている。目覚めた瞬間から不愉快で、惨めな思いであるというのに、今日はまるで、フェリクスの身に何もなかったかのように寝具は清潔なままで、フェリクスの心は、まるで静かな気持ちなのだ。

(自分の体から良い香りがするなんて)

乾いた患部からは、甘い花の香りがする。

フェリクスの視界に、いつも使用している肌の豪薬が映った。
貴重な薬草を利用した、大変薬効の高い豪薬。
この薬は非常に嫌な匂いがする。毎朝身体中に塗り込んで、ようやく少しだけ皮膚の状態が回復するのだ。

フェリクスの美しい両目から、思わずポロリと涙がこぼれた。
この数年、醜く臭い自分が受け入れられなくて、フェリクスの自尊心は傷尽き果てていたのだ。

娘のくれた瓶の中身の効能は薄いらしく、日が高くなってゆくにつれ、ジリジリと皮膚が熱を持ち出しフェリクスは急いで豪薬を肌に塗り込んだ。部屋中にきつい豪薬の匂いが立ち込めて、フェリクスの眉間に皺が寄った。

フェリクスの日常が、戻ってきたのだ。

だが、フェリクスは惨めな気持ちに陥らずに、あの甘美な夜をじっと思い出していた。

痒みもなく、痛みもなく、ただ良い花の香りに包まれた静かな夜。
たった一晩の安らかな眠り。たった少しの間の、穏やかな時間。

(あの娘は森の精霊か何かなのだろう。俺の身を憐れんで、森の恵を与えてくれたに違いない)

フェリクスは決めた。

(あの妖精に、もう一度会いたい)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一方その頃。

「あー、ベス、今日のお風呂も最高だ。生き返るよ。今日は一体湯船に何を入れたんだ?」

くしゃくしゃのベスの大好きな笑顔で、ノエルはとても嬉しそうだ。
宿の風呂場も、ベスの集めてきた多種多様な植物でいっぱいだ。

ほとんど熱帯の奥地のごとくになってしまった緑の風呂場は案外にも実に居心地良い。
森の中で風呂に入っているような錯覚に陥るのだ。
大きな葉や細かい葉、爽やかな緑の香りが広がって、植物もベスが厳選して、熱い湿気を好むものばかり入れているものだから、ノエルの入浴をお風呂の植物たちが楽しみに待っているような気さえする。
実に居心地の良い風呂場だ。

しかも、毎日の体調や気分に合わせて、香りの良い花を浮かべたり、実を浮かべたりしてくれるのだ。
体の毛穴という毛穴から、何か悪いものが排出されて、とても良い何かが入り込んでくれるような気分になり、最高である。

「今日はね!パルマの花弁に溜まった雨水を集めてきたものを入れたんです。ほら、昨日少しだけ雨が降っていたでしょう?森の中にパルマが咲いているのを見つけたから、集めに行ったところで亀に出会ったんです」

「ノエル様はちょっとお仕事でイライラしていたから、心が落ち着くものを集めてきたんです」

ベスはそう言って、ふわりと笑った。

(まいったな)

ノエルは良い香りのお風呂で溶けながら、頭をガリガリ掻いてしまう。

フェリクス王太子の病状は、思っていたよりも深刻なのだ。
長い医師団との討論の末、治療には、王太子としての体面があるので手術を受けさせないという方向で決定した。

肉体と精神が、フェリクスの強大な魔力を御する事ができるようになれば、手術は必要ではないが、それまでフェリクスは、現在の皮膚疾患と、将来的には内臓疾患のリスクを持つことになる。

ノエルは手術を強く主張したのだが、この国の価値観は美に重きを置く。

体に傷のあるようなものが王座につくなど、王位に着いた後に万が一にでも傷が発覚した時に大変なスキャンダルになるというのだ。

価値観は文化によりけりである事から、ノエルは医師団の意見を優先させたのだが、王太子があの量の魔力を手術の助けなしに御すには、長く根気強い治療と鍛錬が必要となり、痛みも苦しみも伴う。

その上に、体を巡る古い魔力の浄化問題。

ノエルの精神が昂っていたことは、かわいい婚約者にはすっかりお見通しだった様子だ。

ノエルはチャプン、と体を湯船にひたす。
目に優しい緑の植物で満たされた壁に囲まれて、甘いパルマの香りで満たされた風呂は、湯の質まで肌に優しく、心のイガイガが全て、流れいくような気がする。

(最高・・・だ)

ノエルは、大袈裟に自分の事を世界一の果報者だと喧伝して、貴族社会で失笑を飼っているが、ベスとベスの作るこの空間を知っている魔術院の連中に言わせれば、ノエルは罰当たりなほど果報者なのだ。

「ああ、ベス、今日も本当に最高の風呂だ。ところでこの湯船の湯には明日も入っていいのか?」

これだけの素晴らしい湯を、一度使っただけで流してしまうのは、実に惜しいとノエルが思ったほど今日の湯は心と体に心地よいのだ。

パルマの花弁は大きくない。
パルマに溜まった雨の滴を集めてくるのは、実に大変だったろうと、ノエルはベスの優しい心にも溶けてしまいそうだ。

ベスはノエルが心も体も溶けてだらしない顔になっている湯船まで、今度はとても酸っぱい飲み物を持ってきてくれた。
酸っぱくて赤いこの実は、ピクルスに利用するこの村のどこにでも生えている一般的な小さな果実だ。
ベスはピクルスを作った後のこの果物の汁を宿のおかみさんから貰い受けて、砂糖を加えて風呂上がりに飲んでいる。

「うわ、酸っぱい!かー!この飲み物も最高だな。本当に、ベスと婚約できた俺は、なんという果報者だ」

優しい風呂でノエルの溶け切った心と体に、レモンとは違った種類の背骨に響くほど酸っぱい飲み物は、心と身体中の不純物が搾り出されるようで、実に気持ちいい。

機嫌の良いノエルは濡れた手をベスに伸ばして、口づけする。
なんなら一緒にお風呂に入って欲しいのだが、そこは何をどう言っても入ってくれないので、ノエルは色々手を変え品を変えてこのウブな婚約者を籠絡している最中だ。

ノエルの作戦をよく知っているベスは、真っ赤になりながらもパシっとノエルの手を叩いて、言った。

「ダメです。折角の心と体の汚れが全部流れたのに、また明日もこのお湯に入ったら流れた汚れが戻って同じことになっちゃいます。明日は明日のお風呂を作りますので、楽しみにしててくださいね」

しおりを挟む
感想 174

あなたにおすすめの小説

冷酷侯爵と政略結婚したら、実家がざまぁされました

鍛高譚
恋愛
「この結婚は、家のため。ただの政略結婚よ」 そう言い聞かせ、愛のない結婚を受け入れた公爵令嬢リゼット。 しかし、挙式後すぐに父が「婚約破棄しろ」と命じてきた!? だが、夫であるアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵は冷たく言い放つ。 「彼女を渡すつもりはない」 冷酷無慈悲と噂される侯爵が、なぜかリゼットを溺愛し始める!? 毎日甘やかされ、守られ、気づけば逃げ場なし! さらに、父の不正が明るみに出て、公爵家は失墜―― リゼットを道具として利用しようとした者たちに、ざまぁの鉄槌が下される! 政略結婚から始まる、甘々溺愛ラブストーリー! 「愛なんてないはずなのに……どうしてこんなに大切にされるの?」

『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾
恋愛
「愛しているのは彼女だ」 王太子ロネスにそう告げられ、婚約を破棄された侯爵令嬢エルゼリア・クローヴェル。 感情をぶつけることも、復讐を誓うこともなく、 彼女はただ――王宮を去った。 しかしその直後から、王国は静かに崩れ始める。 外交は滞り、判断は遅れ、市場は揺れ、 かつて「問題なく回っていた」はずの政務が、次々と行き詰まっていった。 一方、エルゼリアは帝国で新たな立場を得ていた。 帝国宰相ハインリヒ・ヴォルフの隣で、 彼女は再び“判断する側”として歩み始める。 やがて明らかになるのは、 王国が失ったのは「婚約者」ではなく、 判断を引き継ぐ仕組みそのものだったという事実。 謝罪も、復縁も、感情的なざまあもない。 それでも―― 選ばれ、認められ、引き継がれていくのは、誰なのか。 これは、 捨てられた令嬢が声を荒げることなく、 世界のほうが彼女を必要としてしまった物語。

キズモノ転生令嬢は趣味を活かして幸せともふもふを手に入れる

藤 ゆみ子
恋愛
セレーナ・カーソンは前世、心臓が弱く手術と入退院を繰り返していた。 将来は好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたい。そんな夢を持っていたが、胸元に大きな手術痕のある自分には無理だと諦めていた。 入院中、暇潰しのために始めた刺繍が唯一の楽しみだったが、その後十八歳で亡くなってしまう。 セレーナが八歳で前世の記憶を思い出したのは、前世と同じように胸元に大きな傷ができたときだった。 家族から虐げられ、キズモノになり、全てを諦めかけていたが、十八歳を過ぎた時家を出ることを決意する。 得意な裁縫を活かし、仕事をみつけるが、そこは秘密を抱えたもふもふたちの住みかだった。

【完】瓶底メガネの聖女様

らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。 傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。 実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。 そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。

【完結】令嬢憧れの騎士様に結婚を申し込まれました。でも利害一致の契約です。

稲垣桜
恋愛
「君と取引がしたい」 兄の上司である公爵家の嫡男が、私の前に座って開口一番そう告げた。 「取引……ですか?」 「ああ、私と結婚してほしい」 私の耳がおかしくなったのか、それとも幻聴だろうか…… ああ、そうだ。揶揄われているんだ。きっとそうだわ。  * * * * * * * * * * * *  青薔薇の騎士として有名なマクシミリアンから契約結婚を申し込まれた伯爵家令嬢のリディア。 最低限の役目をこなすことで自由な時間を得たリディアは、契約通り自由な生活を謳歌する。 リディアはマクシミリアンが契約結婚を申し出た理由を知っても気にしないと言い、逆にそれがマクシミリアンにとって棘のように胸に刺さり続け、ある夜会に参加してから二人の関係は変わっていく。 ※ゆる〜い設定です。 ※完結保証。 ※エブリスタでは現代テーマの作品を公開してます。興味がある方は覗いてみてください。

成功条件は、まさかの婚約破棄!?

たぬきち25番
恋愛
「アリエッタ、あなたとの婚約を破棄する……」 王太子のアルベルト殿下は、そう告げた。 王妃教育に懸命に取り組んでいたアリエッタだったが、 それを聞いた彼女は……? ※他サイト様にも公開始めました!

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

婚約破棄された伯爵令嬢ですが、国の経済を掌握しました

鍛高譚
恋愛
「経済を握る者こそ、世界を動かす――」 前世、日本の証券会社で働いていた**瑞穂紗羅(みずほ さら)**は、異世界に転生し、サラ・レティシア伯爵令嬢として生まれ変わった。 貴族社会のしがらみや婚姻政策に巻き込まれながらも、彼女はひそかに動き始める。 「まずは資金を確保しなくちゃね」 異世界の為替市場(FX)を利用し、通貨の価値変動を読み、巨額の富を得るサラ。 次に狙うは株式投資――貴族の商会やギルドに出資し、国の経済に食い込んでいく。 気づけば彼女は、両替所ネットワークと金融システムを構築し、王国の経済を裏から支配する影の実力者となっていた。 そんな中、彼女に公爵令息との婚約話が舞い込む。 しかし、公爵令息は「格下の伯爵令嬢なんて興味がない」と、一方的に婚約破棄。 それを知った公爵は激怒する―― 「お前は何も分かっていない……! あの女は、この国の経済を支配する者だぞ! 世界すら掌握しかねないのだ!」 サラの金融帝国の成長は止まらない。 貴族たちは彼女にひれ伏し、国王は頼り、王太子は取り込もうとし、帝国は彼女の影響力に戦慄する。 果たしてサラは、異世界経済の頂点に立ち、さらなる世界の覇権を握るのか――?

処理中です...