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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編
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その日も、フェリクスはいつものように雷を雷石に落とす鍛錬をしていた。
惨めで、苦しく、そして悲しい。
ただ救いは、ノエルの配合するポーションの効きが実によかった事、そして鍛錬の成果が出た影響もあり、皮膚が多少気持ちだけではあるが、楽になった事だ。
出口の見えない苦しみに身を投じていたフェリクスにとって、それは希望だ。
「ようやく2個が一杯になるようになりましたな」
ラッカは雷石の表面を触って、穏やかな笑顔を見せ、そしてふらふらと頼りないあしどりでフェリクスの元まで歩いて、腕を広げて肩を抱き、子供にするように、その頭をポンポンと優しく労った。
「・・ありがとうございます」
フェリクスは、ラッカの優しい手の温もりに、泣きそうになる。
フェリクスが皮膚疾患を発病してから、人の肌に触れたのも、触れてもらったのもこれが初めてだ。
己の姿を恥じていたし、この醜い肌で人に触れるのも、そして人に触れられるのも躊躇していた。
この盲目の老魔術師の前であれば、フェリクスは肌の呪いから自由だ。
これまでのフェリクスの人生で、盲目の人間について、考えた事など正直なかった。
そして、疾患を持つものの事を考えたことなども、なかった。
ーただ、一筋の傷もなく、完璧たれー
未来の王として、ただそれだけをひたすらに目指していたフェリクスは、この忌まわしい疾患によって学んだ事があるとすれば、それだ。
完璧な人間からは程遠い、王宮で居場所を無くした盲目の魔術師のこの大きな手が、これほどフェリクスの心を救ってくれるとは。
そして、心地よいラッカの大きな手で頭をぐりぐりと撫でられている中、フェリクスは不思議な事に気がついた。
「あの、ラッカ殿。つかぬ事をお伺いしますが、何か香水をつけておいでで?」
フェリクスは、この香りには覚えがあるのだ。
あの後何度も森に入ってみたが、2度と会えなかった不思議な娘がくれた、あの瓶に入った水の香り。
たった一晩ではあるが、フェリクスに安らかな眠りと、心地よい風呂の時間を与えてくれた、あの香り。
ラッカは不思議そうな顔をして、そして少し考えて、ああ、と何かに気がついた様子だ。
「ああ、この香りですな?これはノエル様の風呂の香りです。昨日はノエル様の宿でついつい飲み過ぎてしまいましてな。風呂まで借りて泊まらせて頂いたのです」
フェリクスが、後ろで控えているノエルの顔を見ると、少し照れたように微笑んだ美丈夫が立っていた。
どうやらこの二人、意外な事にフェリクスが気がつかない内に、かなり仲良くなっていたらしい。
フェリクスの今までの考え方だと、老齢の盲目の魔術師など、輝かしい功績を誇るノエルのような若き美貌の魔術師が自宅にしている宿に呼んで風呂まで入らせるほど仲良くなるなど、思いもつかなかったのだ。
フェリクスは、自分が知らずに持っていた狭く愚かな考え方に気がついて恥いる思いだ。
ラッカはそんな忙しいフェリクスの心などは知らず、楽しそうに言った。
「ノエル様の婚約者は本当に居心地の良い風呂を整えるのがお得意での。迷惑は承知なのですが、ついついわしは足繁く通ってしまうのです。昨日の風呂は花の香りでしたな」
風呂の後に出してくれる飲み物がまた最高でしてな。とワハハと照れたようにラッカは笑った。
いつも厳しい顔でフェリクスを観察し、治癒魔法をかけて、ポーションを差し出すだけしか知らない隣国のノエルという魔術師も、同じく楽しそうに笑ってフェリクスに言った。
「そうですね。フェリクス様。私の婚約者は、人の心と体に合わせて環境を整えるのが実に上手でしてね、ついつい婚約者を自慢したくなって、ラッカ様にはよく宿に来ていただくのです。フェリクス様の家令のメイソン殿も、ここのメイドのオリビアもよく風呂に入りに来てくれますよ」
「はあ?」
フェリクスは、顎が落ちる思いだった。
いつもフェリクスを見ては怯える、医療服で全身を包んだメイドも、(オリビアという名であるのは初めて知った)フェリクスの顔色を伺ってさめざめと泣いてばかりのメイソンも、どうやらフェリクスのいない所では、この高貴な魔術師の宿で、婚約者が整えているいい風呂に入って仲良くしているらしい。
(知らなかった)
知らなかったのは、メイドにも、家令にも、名前があり、人生があり、人格があり、フェリクスの世話をしている時の全てがその人間の人生の全てではない、という事だ。
そして、性別も、年齢も、身分も関係なく、人は和気藹々と共に時間を過ごせるという事実。
フェリクスは次の王として育てられてきた。
フェリクスを囲む全ての人々は、フェリクスを世話して粛々と生きて死ぬだけの人生を送っていると、そう烏滸がましくも無意識に考えていたのである。
己の無意識に持っていた傲慢さに、フェリクスは恥いる。
「昨日はオリビアが恋人と喧嘩して悔しくて眠れないとか言っていたので、私の婚約者のベスが、特別な花の中に溜まった雨水を湯船に入れてオリビアに用意しててくれたんですよ。あの花は心と体のイガイガが取れるとか、そういう効能があるのだとか。おかげで今日はオリビアは機嫌が治って、今はオリビアの恋人がお礼に温室の作業を手伝っていますよ」
「あの風呂に入ったら機嫌も治りますじゃろ」
二人してニコニコと話をしているが、色々と情報が過多で、フェリクスはついていけない。
「温室?作業?」
とりあえずフェリクスの口から出た質問らしき単語に、ノエルは答えた。
「ええ。ベスは私の婚約者で、私の部下で、庭師です。フェリクス様の温室で、フェリクス様のための薬草を栽培しています。ベスは風呂も天才ですが、温室はもっと天才でしてね」
「一度温室に遊びに来てください。きっとベスも喜びます」
惨めで、苦しく、そして悲しい。
ただ救いは、ノエルの配合するポーションの効きが実によかった事、そして鍛錬の成果が出た影響もあり、皮膚が多少気持ちだけではあるが、楽になった事だ。
出口の見えない苦しみに身を投じていたフェリクスにとって、それは希望だ。
「ようやく2個が一杯になるようになりましたな」
ラッカは雷石の表面を触って、穏やかな笑顔を見せ、そしてふらふらと頼りないあしどりでフェリクスの元まで歩いて、腕を広げて肩を抱き、子供にするように、その頭をポンポンと優しく労った。
「・・ありがとうございます」
フェリクスは、ラッカの優しい手の温もりに、泣きそうになる。
フェリクスが皮膚疾患を発病してから、人の肌に触れたのも、触れてもらったのもこれが初めてだ。
己の姿を恥じていたし、この醜い肌で人に触れるのも、そして人に触れられるのも躊躇していた。
この盲目の老魔術師の前であれば、フェリクスは肌の呪いから自由だ。
これまでのフェリクスの人生で、盲目の人間について、考えた事など正直なかった。
そして、疾患を持つものの事を考えたことなども、なかった。
ーただ、一筋の傷もなく、完璧たれー
未来の王として、ただそれだけをひたすらに目指していたフェリクスは、この忌まわしい疾患によって学んだ事があるとすれば、それだ。
完璧な人間からは程遠い、王宮で居場所を無くした盲目の魔術師のこの大きな手が、これほどフェリクスの心を救ってくれるとは。
そして、心地よいラッカの大きな手で頭をぐりぐりと撫でられている中、フェリクスは不思議な事に気がついた。
「あの、ラッカ殿。つかぬ事をお伺いしますが、何か香水をつけておいでで?」
フェリクスは、この香りには覚えがあるのだ。
あの後何度も森に入ってみたが、2度と会えなかった不思議な娘がくれた、あの瓶に入った水の香り。
たった一晩ではあるが、フェリクスに安らかな眠りと、心地よい風呂の時間を与えてくれた、あの香り。
ラッカは不思議そうな顔をして、そして少し考えて、ああ、と何かに気がついた様子だ。
「ああ、この香りですな?これはノエル様の風呂の香りです。昨日はノエル様の宿でついつい飲み過ぎてしまいましてな。風呂まで借りて泊まらせて頂いたのです」
フェリクスが、後ろで控えているノエルの顔を見ると、少し照れたように微笑んだ美丈夫が立っていた。
どうやらこの二人、意外な事にフェリクスが気がつかない内に、かなり仲良くなっていたらしい。
フェリクスの今までの考え方だと、老齢の盲目の魔術師など、輝かしい功績を誇るノエルのような若き美貌の魔術師が自宅にしている宿に呼んで風呂まで入らせるほど仲良くなるなど、思いもつかなかったのだ。
フェリクスは、自分が知らずに持っていた狭く愚かな考え方に気がついて恥いる思いだ。
ラッカはそんな忙しいフェリクスの心などは知らず、楽しそうに言った。
「ノエル様の婚約者は本当に居心地の良い風呂を整えるのがお得意での。迷惑は承知なのですが、ついついわしは足繁く通ってしまうのです。昨日の風呂は花の香りでしたな」
風呂の後に出してくれる飲み物がまた最高でしてな。とワハハと照れたようにラッカは笑った。
いつも厳しい顔でフェリクスを観察し、治癒魔法をかけて、ポーションを差し出すだけしか知らない隣国のノエルという魔術師も、同じく楽しそうに笑ってフェリクスに言った。
「そうですね。フェリクス様。私の婚約者は、人の心と体に合わせて環境を整えるのが実に上手でしてね、ついつい婚約者を自慢したくなって、ラッカ様にはよく宿に来ていただくのです。フェリクス様の家令のメイソン殿も、ここのメイドのオリビアもよく風呂に入りに来てくれますよ」
「はあ?」
フェリクスは、顎が落ちる思いだった。
いつもフェリクスを見ては怯える、医療服で全身を包んだメイドも、(オリビアという名であるのは初めて知った)フェリクスの顔色を伺ってさめざめと泣いてばかりのメイソンも、どうやらフェリクスのいない所では、この高貴な魔術師の宿で、婚約者が整えているいい風呂に入って仲良くしているらしい。
(知らなかった)
知らなかったのは、メイドにも、家令にも、名前があり、人生があり、人格があり、フェリクスの世話をしている時の全てがその人間の人生の全てではない、という事だ。
そして、性別も、年齢も、身分も関係なく、人は和気藹々と共に時間を過ごせるという事実。
フェリクスは次の王として育てられてきた。
フェリクスを囲む全ての人々は、フェリクスを世話して粛々と生きて死ぬだけの人生を送っていると、そう烏滸がましくも無意識に考えていたのである。
己の無意識に持っていた傲慢さに、フェリクスは恥いる。
「昨日はオリビアが恋人と喧嘩して悔しくて眠れないとか言っていたので、私の婚約者のベスが、特別な花の中に溜まった雨水を湯船に入れてオリビアに用意しててくれたんですよ。あの花は心と体のイガイガが取れるとか、そういう効能があるのだとか。おかげで今日はオリビアは機嫌が治って、今はオリビアの恋人がお礼に温室の作業を手伝っていますよ」
「あの風呂に入ったら機嫌も治りますじゃろ」
二人してニコニコと話をしているが、色々と情報が過多で、フェリクスはついていけない。
「温室?作業?」
とりあえずフェリクスの口から出た質問らしき単語に、ノエルは答えた。
「ええ。ベスは私の婚約者で、私の部下で、庭師です。フェリクス様の温室で、フェリクス様のための薬草を栽培しています。ベスは風呂も天才ですが、温室はもっと天才でしてね」
「一度温室に遊びに来てください。きっとベスも喜びます」
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