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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編
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今日ベスが整えたのはオリビアの母・ミリアの神経痛の為の風呂だ。
「ベスのお風呂は最高なのよ!」
娘がメイドとして勤めている、王族の離宮に客がやってきた事は、知っていた。
狭い村の事だ。幼馴染が経営している村一番の宿に逗留している事は、すぐに伝わった。
客は大変な美貌の隣国の伯爵と、その婚約者の地味な娘の二人だけだと聞いていた。
この村は湯治の村だから、ときどきお忍びの貴人が旅行に訪れる事がある。
特に気にはしていなかった。
あの屋敷に娘がメイドとして勤めるようになって数年が経つ。
オリビアは洗浄魔法が使えるので、メイドとして貴人の家で重宝されるのだ。
離宮のお屋敷の仕事は給料はいいが、屋敷の主がいつも機嫌が悪く、とても恐ろしい見かけをしていると娘は怯えていた。
だがミリアの神経痛がひどくなって、あまり掃除婦の仕事ができなくなった家族を支えるために、オリビアは我慢して離宮に勤めているのだ。ミリアの下の子供はまだ小さいのだ。
いつかひどい職場を辞めさせてやらないと、とミリアは心を痛めていたが、神経痛がひどくなって思うように動けない己の体に苛立ちを覚えていた。
離宮の客人の娘はオリビアと同じくらいの歳の娘らしく、仕事から帰ってきた娘から、ベスという名をよく聞くようになってきた。
ベスという名のその娘とオリビアはどうやら気が合った様子で、時々ベスという娘の逗留先である宿にオリビアは招かれて、信じられない事に、お風呂に入れてもらっているというのだ。
「お貴族様の宿で、風呂に入らせてもらうなんてあんたはどういう了見してるの?」
世間一般では不敬に当たる。
貴族に不敬を働いた平民は、どんな罰をうけても文句は言えないのだ。
昔王都勤めだったミリアは、世間知らずの娘をそう叱ったが、どうやらこの客人の娘は平民らしく、逗留が長期になった事で友人を欲しがっていた所で、婚約者の伯爵もオリビアの訪れを歓迎してくれているそうなのだ。
それからオリビアによると、そのベスという娘は、とても気のよい娘らしい。
風呂を整えるのが天才的にうまく、オリビアだけでなく、離宮の家令のメイソンや、他にも離宮の客である盲目の魔術師から、みんな風呂をもらいに二人の宿に遊びに来ているのだそうだ。
どんな風呂かと聞いてみても、最高だ、何もかもが流れる、入ってみないとわからない。
そうオリビアは若い娘にありがちな下手な説明で、ミリアの要領を得なかったが、ともかく最高の風呂らしい。
ミリアは気にも留めていなかった。
そんなある日だ。
「ママも是非お風呂に入りに来てって言ってたから、今日行くわよ!」
家に帰るなり、神経痛で痛む体を横たえていたミリアを立たせて、大きな笑顔のオリビアはぐいぐいと背中を押してきた。
いつも屋敷の主の顔色を怯えながら勤めていた娘は、ここの所笑顔が多くなり、それから口数も多くなっていた。
ベスのお風呂が最高だからね、そう笑顔で言うようになっていた娘だ。
「ちょっとオリビア!私は関係ない人でしょ、流石に図々しすぎるわよ!」
母の訴えに聞く耳を持たない娘に引きずられるように訪ねた宿の部屋では、地味な娘が迎え入れてくれた。
「オリビアのお母様ね。こんにちわ。お風呂できてますよ」
恐縮するミリアを迎えてくれたベスという地味な娘はそれだけ言うと、大きなタオルを渡してくれた。
そして、
「ママ、今日はベスがママのためのお風呂を作ってくれたのよ。さっさと入ってみて」
大きな笑顔でニコニコとする二人の若い娘に、戸惑いながらもミリアは贅沢な風呂場に追い立てられるように入っていった。
(へえ・・本当に、言ってた通りかもね。すごくいいわ)
ミリアはこの宿の風呂はよく知っている。
神経痛がひどくなる前は、繁忙期にはミリアも掃除婦として雇われる事があったのだ。
だが、ここはミリアの知っている風呂であるはずなのに、まるで居心地が違うのだ。
風呂場の壁には、ミリアも慣れ親しんだ森の植物が、実にバランスよく配置されている。
どこにでもある、ミリアにとって珍しくもない植物のはずなのだ、その一つ一つがとても大切そうに、そして気持ちよさそうに、ちょうどいい場所に、ちょうどいい量が配置されているのだ。
まるで宝物のような扱いを受けている植物達はよく世話が行き届いている様子で、とても生き生きしている。
蒸気を好む植物ばかりで、風呂に入りに来たミリアを歓迎してくれているような気持ちになる。
(まるで森の中にいるような気持ちになるわね)
そして、贅沢な湯船からは、非常に心地の良い緑の香りが立ち上っていた。
(なんの香りかしら)
湯船には、並々とアビーブ温泉の新しい湯が入っていた。
この湯治の村の事、ミリアも新しい湯に入ることも珍しくはない。
だが、いつも家族の最後の湯で、真新しい湯など久しぶりだ。そして清潔な新しい湯の満ちた湯船には、布に包まれた何かが浮かんでいた。
ベスが森で集めてきた苔と、菖蒲を綺麗な布に包んだものらしい。
何の変哲もないそれらからは、湯に馴染んでとても良い香りがした。
緑の香りに誘われてミリアは、そっと湯船に足を滑らせて、恐る恐る全身を湯船に浸してみた。
大きな湯船に全身を任せ、体の力を抜いてみた。
緑の苔と、土の香りが菖蒲の緑の葉の香りと相まって、実に心地よい。
大きく深呼吸をして、足をゆっくり伸ばしてみる。
苔と菖蒲の優しい成分が溶け込んだ湯は、滑らかで、ミリアの老いて疲れ切った体にとても優しい湯触りだった。
心地よい湯と蒸気が、心と体に染み渡る気がした。
(私、自分の心と体を本気で労ってあげたのは、いつだったかしら)
深く安堵のため息をつく。すると、心と体の奥で凝り固まっていた疲れが表に出て、流れてくる。
いつも家族が第一。
家事に育児に仕事に、目の回る忙しく、疲れる毎日。
自分の体の事などいつも後回しだ。まして心など。
出稼ぎに出ている夫は、年に数回しか帰ってこない。
家、子供を守るのは、自分。
神経痛が痛み出して、体が思うように動かなくなった時に真っ先に感じたのは、悲しみだった。
家の役立たずになってしまった自分への失望の、悲しみだ。
この手が、足が痛まなければ、もっと家族のために洗濯ができたのに。
もっと私が働けたら、娘を夫のいる都会に出してあげられたのに。
下の子に、お菓子を焼いてやれたのに。
もちろんミリアの家にも風呂はある。
家族を清潔に保つために、毎日入れる風呂だ。
だが、家事に仕事に追われるミリアが、ゆっくりと自分の心と体のために風呂を入れた事など、もう覚えていない。
湯から立ち上る香りは、本当に良い香りだ。
(私のために、整えてくださった風呂だと、オリビアは言っていたわ)
ミリアはようやく、オリビアが母の心と体を案じていたことに気がついた。
いつの間にか大きくなった娘は、優しい心で、優しい友人に恵まれていた様子だ。
そして隣国のお客様である優しいベスという友人は、見知らぬオリビアの母である自分のために、素晴らしい風呂を整えてくれた。
自分のために整えられた、ベスの風呂の湯船に体を浸してミリアは少し泣いてしまった。
長年痛んだ心も、体も、静かに風呂の中で癒されていく。そんな気がしたのだ。
痛みが蒸発して行くような、その蒸発した場所に菖蒲と苔のしっとりとした、何か良いものが入り込んでくるような、痛みで悲しくなった心の奥を、丁寧にほぐしてくれるような。そんな風呂だったのだ。
(もう少し、私は私を労ってもいいのかもしれない)
上の息子は来年で成人する。
オリビアも、辛そうに勤めていたお屋敷で、立派に勤めて素晴らしい友人を作るまで、成長した。
(明日から、また頑張ろう)
ミリアは、溢れる涙をそのままに、ざぶんと湯船に潜ってみた。
湯の中で見えた気泡に乗って、心の奥の憂いが解けていった気がした。
「ベスのお風呂は最高なのよ!」
娘がメイドとして勤めている、王族の離宮に客がやってきた事は、知っていた。
狭い村の事だ。幼馴染が経営している村一番の宿に逗留している事は、すぐに伝わった。
客は大変な美貌の隣国の伯爵と、その婚約者の地味な娘の二人だけだと聞いていた。
この村は湯治の村だから、ときどきお忍びの貴人が旅行に訪れる事がある。
特に気にはしていなかった。
あの屋敷に娘がメイドとして勤めるようになって数年が経つ。
オリビアは洗浄魔法が使えるので、メイドとして貴人の家で重宝されるのだ。
離宮のお屋敷の仕事は給料はいいが、屋敷の主がいつも機嫌が悪く、とても恐ろしい見かけをしていると娘は怯えていた。
だがミリアの神経痛がひどくなって、あまり掃除婦の仕事ができなくなった家族を支えるために、オリビアは我慢して離宮に勤めているのだ。ミリアの下の子供はまだ小さいのだ。
いつかひどい職場を辞めさせてやらないと、とミリアは心を痛めていたが、神経痛がひどくなって思うように動けない己の体に苛立ちを覚えていた。
離宮の客人の娘はオリビアと同じくらいの歳の娘らしく、仕事から帰ってきた娘から、ベスという名をよく聞くようになってきた。
ベスという名のその娘とオリビアはどうやら気が合った様子で、時々ベスという娘の逗留先である宿にオリビアは招かれて、信じられない事に、お風呂に入れてもらっているというのだ。
「お貴族様の宿で、風呂に入らせてもらうなんてあんたはどういう了見してるの?」
世間一般では不敬に当たる。
貴族に不敬を働いた平民は、どんな罰をうけても文句は言えないのだ。
昔王都勤めだったミリアは、世間知らずの娘をそう叱ったが、どうやらこの客人の娘は平民らしく、逗留が長期になった事で友人を欲しがっていた所で、婚約者の伯爵もオリビアの訪れを歓迎してくれているそうなのだ。
それからオリビアによると、そのベスという娘は、とても気のよい娘らしい。
風呂を整えるのが天才的にうまく、オリビアだけでなく、離宮の家令のメイソンや、他にも離宮の客である盲目の魔術師から、みんな風呂をもらいに二人の宿に遊びに来ているのだそうだ。
どんな風呂かと聞いてみても、最高だ、何もかもが流れる、入ってみないとわからない。
そうオリビアは若い娘にありがちな下手な説明で、ミリアの要領を得なかったが、ともかく最高の風呂らしい。
ミリアは気にも留めていなかった。
そんなある日だ。
「ママも是非お風呂に入りに来てって言ってたから、今日行くわよ!」
家に帰るなり、神経痛で痛む体を横たえていたミリアを立たせて、大きな笑顔のオリビアはぐいぐいと背中を押してきた。
いつも屋敷の主の顔色を怯えながら勤めていた娘は、ここの所笑顔が多くなり、それから口数も多くなっていた。
ベスのお風呂が最高だからね、そう笑顔で言うようになっていた娘だ。
「ちょっとオリビア!私は関係ない人でしょ、流石に図々しすぎるわよ!」
母の訴えに聞く耳を持たない娘に引きずられるように訪ねた宿の部屋では、地味な娘が迎え入れてくれた。
「オリビアのお母様ね。こんにちわ。お風呂できてますよ」
恐縮するミリアを迎えてくれたベスという地味な娘はそれだけ言うと、大きなタオルを渡してくれた。
そして、
「ママ、今日はベスがママのためのお風呂を作ってくれたのよ。さっさと入ってみて」
大きな笑顔でニコニコとする二人の若い娘に、戸惑いながらもミリアは贅沢な風呂場に追い立てられるように入っていった。
(へえ・・本当に、言ってた通りかもね。すごくいいわ)
ミリアはこの宿の風呂はよく知っている。
神経痛がひどくなる前は、繁忙期にはミリアも掃除婦として雇われる事があったのだ。
だが、ここはミリアの知っている風呂であるはずなのに、まるで居心地が違うのだ。
風呂場の壁には、ミリアも慣れ親しんだ森の植物が、実にバランスよく配置されている。
どこにでもある、ミリアにとって珍しくもない植物のはずなのだ、その一つ一つがとても大切そうに、そして気持ちよさそうに、ちょうどいい場所に、ちょうどいい量が配置されているのだ。
まるで宝物のような扱いを受けている植物達はよく世話が行き届いている様子で、とても生き生きしている。
蒸気を好む植物ばかりで、風呂に入りに来たミリアを歓迎してくれているような気持ちになる。
(まるで森の中にいるような気持ちになるわね)
そして、贅沢な湯船からは、非常に心地の良い緑の香りが立ち上っていた。
(なんの香りかしら)
湯船には、並々とアビーブ温泉の新しい湯が入っていた。
この湯治の村の事、ミリアも新しい湯に入ることも珍しくはない。
だが、いつも家族の最後の湯で、真新しい湯など久しぶりだ。そして清潔な新しい湯の満ちた湯船には、布に包まれた何かが浮かんでいた。
ベスが森で集めてきた苔と、菖蒲を綺麗な布に包んだものらしい。
何の変哲もないそれらからは、湯に馴染んでとても良い香りがした。
緑の香りに誘われてミリアは、そっと湯船に足を滑らせて、恐る恐る全身を湯船に浸してみた。
大きな湯船に全身を任せ、体の力を抜いてみた。
緑の苔と、土の香りが菖蒲の緑の葉の香りと相まって、実に心地よい。
大きく深呼吸をして、足をゆっくり伸ばしてみる。
苔と菖蒲の優しい成分が溶け込んだ湯は、滑らかで、ミリアの老いて疲れ切った体にとても優しい湯触りだった。
心地よい湯と蒸気が、心と体に染み渡る気がした。
(私、自分の心と体を本気で労ってあげたのは、いつだったかしら)
深く安堵のため息をつく。すると、心と体の奥で凝り固まっていた疲れが表に出て、流れてくる。
いつも家族が第一。
家事に育児に仕事に、目の回る忙しく、疲れる毎日。
自分の体の事などいつも後回しだ。まして心など。
出稼ぎに出ている夫は、年に数回しか帰ってこない。
家、子供を守るのは、自分。
神経痛が痛み出して、体が思うように動かなくなった時に真っ先に感じたのは、悲しみだった。
家の役立たずになってしまった自分への失望の、悲しみだ。
この手が、足が痛まなければ、もっと家族のために洗濯ができたのに。
もっと私が働けたら、娘を夫のいる都会に出してあげられたのに。
下の子に、お菓子を焼いてやれたのに。
もちろんミリアの家にも風呂はある。
家族を清潔に保つために、毎日入れる風呂だ。
だが、家事に仕事に追われるミリアが、ゆっくりと自分の心と体のために風呂を入れた事など、もう覚えていない。
湯から立ち上る香りは、本当に良い香りだ。
(私のために、整えてくださった風呂だと、オリビアは言っていたわ)
ミリアはようやく、オリビアが母の心と体を案じていたことに気がついた。
いつの間にか大きくなった娘は、優しい心で、優しい友人に恵まれていた様子だ。
そして隣国のお客様である優しいベスという友人は、見知らぬオリビアの母である自分のために、素晴らしい風呂を整えてくれた。
自分のために整えられた、ベスの風呂の湯船に体を浸してミリアは少し泣いてしまった。
長年痛んだ心も、体も、静かに風呂の中で癒されていく。そんな気がしたのだ。
痛みが蒸発して行くような、その蒸発した場所に菖蒲と苔のしっとりとした、何か良いものが入り込んでくるような、痛みで悲しくなった心の奥を、丁寧にほぐしてくれるような。そんな風呂だったのだ。
(もう少し、私は私を労ってもいいのかもしれない)
上の息子は来年で成人する。
オリビアも、辛そうに勤めていたお屋敷で、立派に勤めて素晴らしい友人を作るまで、成長した。
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