緑の指を持つ娘

Moonshine

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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

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(私は・・眠っていたのか)

ふやふやにふやけた指先を見るに、随分長い間風呂の中で眠っていたらしい。

目覚めは青く清潔な、優しい緑の香りのする少し冷めて冷たくなった湯の中だった。
湯は荒んだフェリクスの肌に優しく、香りは荒廃したフェリクスの心に心地よく、毛穴のひとつひとつから何か悪いものが流れ出ていった気がする。
体から排出されようとして皮膚を破る古い魔力と、血と膿が水の底に流れ落ちてゆき、流れいった全てが、浴槽の底にザラザラと入れられた石の下に沈殿してゆく。湯は透明で実に綺麗なままだ。

メイソンが静かに隣で控えていた。

「殿下。お目覚めですか」

「・・どのくらい眠っていた?」

「さあ。おおよそ1刻ほどかと」

「・・私を起こさなかったのだな」

「なぜ起こしましょう。ベス様によると、湯に浸かると気を失うほど殿下は心と体に毒素という毒素を溜め込んでいたというのです。意識を取り戻すまではそっとして、起きたらこれを飲ませるようにと仰せ使っております」

そう言って、メイソンは冷たく冷えた飲み物を、余った青竹の一部で作った容器に入れて、恭しく差し出した。

パチパチとした、炭酸の水にレモンと、ミントが入っているだけの水の様子だ。

青い竹の瑞々しい香りのするそれを一気に飲み干すと、フェリクスは大きくため息をついた。
パチパチとした炭酸のその水は、青竹の香りに乗って、体の細胞という細胞に行き渡り、体の毛穴から流れていった毒素の代わりに入ってきたような気がする。

冷めた風呂から上がると、フェリクスはメイソンが手渡してくれた、少し荒めのタオルで体を拭いた。
いつもの絹のタオルではない。
オートミールの石鹸で表面を丁寧に洗浄して柔らかくなった肌に、硬めの木綿でできたタオルは、久しぶりに当たる硬めのゴワゴワとした感触が、とても心地よかった。

タオルからの肌への心地よい刺激で、身体中の血行が良くなっている気すらする。

「これも、ベスが用意してくれたのか?」

メイソンは微笑んだ。

「全て、ベス様が」

比喩ではなく、皮膚の疾患が発症してより体を包む全てのものを真綿で包むように生活してきたフェリクスにとって、この清潔なタオルの摩擦による刺激はとても心地よかった。
そして、肌のどの部分からも、黄色い膿も赤い血も、不愉快な黒い水から出る嫌な匂いもしない。
風呂に入って落ち着きを取り戻した肌からは、ただ少し、特徴的な匂いのする薬草の香りが立ち上ったが、その香りは決してフェリクスを惨めな気持ちにするものではなかった。

(私は、回復している)

体にみなぎる力は、疲労から回復している最中に感じる類のエネルギーだ。
身体中に駆け巡る血流も、湧き上がってきているエネルギーも、全力でこの体の持ち主であるフェリクスに告げる。

「毒が、流れた」と。

フェリクスは精一杯その良い血流が巡るように大きく伸びをして、メイソンがどこからか用意してきたのか麻でできた心地の良い湯上がり着に身を包んで、窓のそばに腰掛けた。

(なんと心地の良い)

目を瞑ると、体の奥からみなぎる力が感じられる。

ベスはフェリクスが入浴から上がるのも待たずに、なぜか温室に帰って、何やら作業をしているらしい。
窓の下に見える温室の中に、右に左にちょこまかと動く影が見えている。

(王太子の為にここまで尽力したというのに、目覚めるまで側で控えて褒賞の言葉と品を待つのが普通だろうに)

風呂が心地良すぎて眠りに落ち込んだフェリクスはほったらかして、さっさと温室に引っ込んでしまったべスの不敬に呆れるやら感心するやらだ。

「なあ、メイソン。お前が通っていたサラトガ魔法伯家の風呂は、いつもこれほど心地よいのか」

ポツリとフェリクスはつぶやいた。
メイソンは微笑んで、返した。

「ええ。ベス様は、私の為だけにも、特別な最高の風呂をよく用意してくださいます。ご存じのように私は定期的に心が鬱の暗闇に苛まれる病を患っているのですが、あの方に整えていただいた風呂に入ってから、一度も暗闇は訪れていません。最初に私のために整えてくださった風呂に入った時は、あまりの心地良さに風呂の中で号泣してしまいました」

メイソンがこの年になるまで独身を貫いているのは、前の戦争で家族と婚約者を亡くした後から、定期的に訪れるようになってしまった心の暗闇に耐え続けているからだと知っている。

「・・メイソン。話してくれ」

フェリクスは誰の私生活にも興味など持たない。だが、今日、フェリクスはメイソンの話が聞きたくなった。

メイソンは少し驚いた顔をしたが、微笑みを浮かべて続けた。

「最初にサラトガ魔法伯のお宿に伺ったのは、私の体の筋肉がどうもカチコチに固まっているのを、柔らかくするようなお風呂を入れてくださるとベス様がいうのでね。お言葉に甘えて入ってみたのです。そうすると、驚きました。凝り固まっていた体のコリが魔法のように溶けてきて、体が必死に覆い包んでいた、凝り固まった心が今度は浮かび上がってきたんですよ。驚いたのですが、そのままお風呂の力に任せて心の凝り固まりがあの方のお風呂で溶けてくると、今度は心の真ん中に芯のように巣食っていた、真っ黒な感情が一気に溢れだして、あの日私は風呂の中で号泣してしまいました」

「心に蓋をしていた、家族を失った悲しみや、婚約者の顔や、婚約者の腹にいたという子供の顔、私にも与えられていたかもしれない家族の温もり。全ての古い悲しみという悲しみが、あの瞬間一気に溢れて私は風呂で溺れそうになりました。風呂で涙が枯れるほど泣き尽くすと、今度はすっかりと心の中が空っぽになって、ようやく三十年も前の苦しみも悲しみも受け入れて、やっと手放したような気になったのです。私はあの日にようやく家族も婚約者も、2度と帰ってこないという事実を受け入れることができました。実に三十年もかかりました」

「不思議な事に、あの瞬間から定期的に訪れていた心の闇も、酷かった体のコリも、まだ戻ってきません。べス様にこの話を打ち明けますとね、ああ、あなたの体が一生懸命に心が壊れないように、固くなって守ってくれていたのね。もう大丈夫よ。もう体は固くなる必要がなくなったもの。そう言うのです。きちんと悲しみ終えたら、暗い感情はもう未練がましくあなたを訪れたりしないわ。あなたは本当に悲しかったのね。と。あの方のお言葉通りに、今私の心も体もここ三十年で一番晴れやかで、今はただ、気持ちが良いからという理由でベス様の風呂に通わせていただいているんです」

フェリクスが生まれてから、ずっと王太子の家令として昼夜問わずにずっと付き従ってきたのは、自分の家族を亡くしてしまっていて、私生活を持たないからだとフェリクスは知識として知ってはいた。だが三十年にも及ぶその心の苦しみ、その悲しみの闇の暗さに今初めて触れて、愕然としていた。

ごくたまに、メイソンが心の闇の訪れを理由に休みを取る時があった。
そんな家令に対して、完全無欠の王太子であったフェリクスは、心の鍛錬が足りていないなどという言葉で笑って切り捨てて、メイソンの心を省みる事など一度もなかったはずだ。

フェリクスは己の傲慢さに気がつき、羞恥で嫌な汗が出る。
落ち着きを取り戻したフェリクスの肌は、汗によって平和を乱されることはなかった。

全てを周知の上なのだろう。メイソンは優しく微笑むと、言った。

「あの方は、きっと殿下にも素晴らしいお風呂を整えてくださるだろうと、オリビアもラッカ殿も、皆首を長くして待っていました。素晴らしいお風呂だったでしょう?」

「・・ああ。間違いない。何もかもが流れる素晴らしい風呂だった。ベスに礼を言いたい。呼んでくれるか」

少し涙目になりながら、フェリクスは答えた。フェリクスのそばに控えていなかった不敬については不問にするつもりだ。だが、メイソンは眉を潜ませた。

「・・やめておいた方がいいでしょう。それよりも、明日サラトガ魔法伯がお帰りになりますので、色々と面倒になります。死なない言い訳を考えておいた方がいいです」

「ん?なぜサラトガ魔法伯が帰ってくると厄介なことになる?ベスとなぜ会わない方がいいと言う?」

メイソンは、少し言いずらそうに、だが楽しそうに続けた。

「殿下、あなたはあの方のうら若き婚約者の乙女の前で、生まれたままの姿を惜しみなく披露して風呂に入ったのです。ベス様もオリビアも、乙女です。二人とも殿下の顔を見れなくて温室に今避難しているのですよ」

「ああああ!!!!」

ガタリとフェリクスは椅子から立ち上がり、風呂に入る直前の記憶を思い出す。
そうだ、確かに皆の前で素っ裸になって風呂に入ってしまった!
不敬を不問にするなど、上から何を自分は思っていたのだ!

真っ赤になってブルブルと震えているフェリクスを、メイソンは笑いが堪えきれないという体で、言った。

「私がサラトガ魔法伯であれば、そのお体の中心の輝かしい物を婚約者に見せた殿下に間違いなく決闘を申し込みますね。あの方はベス様を溺愛されておられるから、ああ本当に明日は大変になります」

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