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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編
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その頃。
火山灰の灰色の霧におおわれて、火山性の地震で大きく揺れる離宮の温室の中で、ノエルはエズラを迎えていた。
エズラはほとんど呆れて言った。
「それでノエル様。こんな年寄りをわざわざ噴火警報の鳴っている、アビーブの山奥まで緊急に呼び寄せた理由はこれだとおっしゃるのですな」
ノエルは軽く、鼻歌を歌うが如きにエズラに言った。
「ああその通り。俺はいい風呂にはいりたいんだ」
ユージニア女王へのアビーブ王家からの協力依頼、緊急の外国からの要人の招聘許可、国境をまたく転移魔法陣の使用許可、ここ数日で王宮は凄まじい量の書類の申請と処理を終えて、ようやくエズラはこの地にたどり着いたのだ。
もちろんエズラには何も告げていないが、召喚の理由が、良い風呂に入りたいから、という事ではない事は自明だ。
緊急招聘された先は、いつ大噴火がはじまるかとも知れないアビーブ火山の麓の、王家の離宮。
何の為に自分がわざわざ招聘されたのかは分かりかねるが、事態は一刻の猶予も許さないという事は理解できる。
エズラは、ノエルが何かエズラには真の理由を話せない強いわけがある事は悟った。
「・・それで、このワシの水魔法を展開して、ここに源泉を引き込め、と」
「ああ。エズラ老師、見てくれ、この奥に水路の跡があるだろう? 水路にはいくつものアビーブ王家謹製の、見事な魔法陣の痕跡が残されている。この痕跡をたどると、どうやら温泉の泉源は火山の頂きだ。この魔法陣の一つ一つを蘇らせて火山の頂にある源泉の湯を引き込めたら、この温室の中は、それは素晴らしい外温泉になるだろう!」
「ほっほ、簡単に仰せですな。太古のアビーブ王家謹製の水魔法陣をワシに蘇らせよとはなかなか難しい事を。それも今すぐに蘇らせる必要がある理由がおありなのでしょう?」
「・・ああ。すまないエズラ老師。こんな大仕事ができるお人は貴方以外は思いつかなかった。できれば今すぐ」
ノエルは真剣な顔をして、まだ荷物の荷解きも終わっていないエズラの眼を見てそう言った。
エズラはぐるり、と温室の中を見渡した。
(見事だ)
温室の中は火山灰の影響からは自由でいる。
外の農作物や植物には、火山性のガスの影響や、とめどなく降り頻る灰色の火山灰でかなりの打撃を受けている。
深い王家の森は黄色に変色し、庭に咲いていたのであろう花々は枯れている。
昼でも暗く、外は一面不気味な灰色の世界だ。
この温室は、ベスが手がけたものである事は、エズラが温室に足を踏み入れてすぐにわかった。
温室の中には、珍しい火山性の植物や、この地域の固有種である小さな昆虫が温室いっぱいに集められていた。
どの生き物もおそらくまだこの温室の住人となってから、そう年月は経っていないはずだ。
だというのに、この温室の中にいると、まるで太古のから存在する火山のほとりの森の中にいるようだ。
数百年の時を重ねて完全なる命の調和に至った古い森のごとく、この温室のどの生き物も、まるでそこに存在することが完成系であるがのごとく、ピッタリとその場に存在して命を輝かせている。
絶妙な配置の緑は、みな伸び伸びと好きに実をつけ、空に向かって自由に葉を広げている。
高い造りになっている王宮式の温室建築の中でも随分珍しい作りのこの建築を生かして、この温室では背の高い木も植えている。
少し冷たくなった秋の空気に誘われて、木の葉には冷たい雫が集まっている。
葉っぱの先から冷たい雫がぽちゃん、とエズラの額に落ちてきた。
そっと雫の落ちてきた先を見ると、枝に捕まっている赤い足をした蛙を見つけた。
蛙の上を、大きな蛾が我が物顔でバサバサと横切っていく。
ガサガサと、火山性の蘭の後ろから大きな音がする。
憎たらしい顔でこちらを見ているのは、アビーブの固有種である、絶滅危惧種のアビーブ狸だ。
うちゃうちゃと音と立てながら、どうやら温室で栽培している果樹に実っている果物を食べている様子。
ふてぶてしい態度で、エズラと目があったというのに、逃げる様子どころか怯える様子すらもなく、果物を食べながら、じっとこちらを見ている。
(こんな希少種に、こんなところでお目にかかるとは)
そのフンや爪は魔女達の作る薬の材料になるらしく、乱獲による絶滅が危惧されている種類だ。
そばのこんもりとした植物群に目をやると、小さな火山ソテツの子供が、幼稚園のように温室の1ヶ所集められていてとてもかわいい。
よく見ると、小さな花をつけている個体もある。
この大きさの火山ソテツが花を付けるなど聞いたこともない。
エズラが驚いてソテツに与えている土を見ると、松ぼっくりを砕いたものが大量に、丁寧に掛けられてあった。
一つ一つ、松ぼっくりを砕いて与えたのだろう。
ベスの作業している姿が思い出されて、胸がそっと温かくなる。
火山からの降灰が始まる前に、出来るだけ多くの鳥を招き入れたのだろう。高い木の上部には多くの美しい色の鳥たちが鈴なりに身を寄せており、何事もないかのように、小さな木の実を美味そうに啄んでいる。
外に起こっている不穏な空気は、この温室では遠くの世界の出来事のようだ。
改めてエズラはノエルの指し示している、作りかけの温泉を見てみた。
豪奢な白い白粉岩で組まれた大きな岩風呂。
丁寧に魔術で少しずつ掘り出されたらしく、大きな傷もなく、造設された当時のままの姿を保っている。
これほどの質と大きさの白粉岩で囲まれた豪華な岩風呂は、さすがに王族の離宮以外でお目にかかる事は決してないだろう。
岩風呂の周辺には、見た事のない多肉植物が、固く黄色い実をつけて仲良く並んでいた。
「エズラ老師、これは月見の温泉になるらしい。湯舟の作り的に月の方向に向かって体を預けるようにできているそうだ。この温泉に浸かって温室のあの窓を開けると、いい角度から月を眺める事ができるとか」
「ほっほ、王族というものは風流ですな。我々雇われの魔術師のようにあくせくと働いて生きている者にはそんな発想すらできませんで」
エズラは、そっとこの温泉の完成した姿を思い浮かべてみる。
確かにこの湯舟に源泉の湯を張れば、月の美しい姿を眺めながら、月の魔力を含有した源泉の湯で、それは美しく、それは心地よい温泉となるだろう。
「ああ。ここは古いものを掘り出した岩風呂だが、あちらにも幾つか新しいものを作っている。あそこの藤棚の下にも新しい風呂があるんだが、ついでにあちらの方にも新たに湯がまわるようにしてくれると助かる」
「ほう、ヒノキの大風呂とはこれまた風流な。満開の藤の下で花見風呂とはこれは実に風流ですな。ははは、良いでしょう、エズラの名にかけてこの大仕事を引き受けさせていただきましょうぞ」
エズラがその名にかけて、アビーブ王家謹製の古代の水魔法の魔法陣を復活させてくれると約束をしたのだ。
この大陸でエズラほどに見事な水魔法の使い手は存在しない。
そして、古代の魔法陣の知識にかけてはエズラの名に匹敵する人間すらも、この大陸には存在しない。
温泉は時を置かずして、その美しい姿を取り戻すだろう。
(よかった)
ほっとしたノエルは、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
そこで思わず口をすべらせてしまった。
「ああ、本当に助かる。べスのヒノキの風呂は魔術院の皆が気に入っていて、よく館に入りにきているんだけれど、この国ではお目にかからないものだから、ナーランダが是非ここにもヒノキ風呂も作るべきだとみんなに主張して」
「・・・?ノエル様、今ベスの風呂、と言いましたかな? 魔術院のみなが入りに来る?ロドニーやら?ナーランダ様やら?」
しまった、とノエルはバレたという表情を繕う間もなく、賢者・エズラ老師はこの瞬間全てを理解したらしい。
氷のように冷たい視線をノエルに浴びせると、エズラは、
「ノエル様・・・この件ゆめゆめお忘れなきように・・」
そう吐き捨てるように言うと、エズラはその最大の出力で、魔術界では伝説と称されている、水の大魔法を一気に展開した。
火山灰の灰色の霧におおわれて、火山性の地震で大きく揺れる離宮の温室の中で、ノエルはエズラを迎えていた。
エズラはほとんど呆れて言った。
「それでノエル様。こんな年寄りをわざわざ噴火警報の鳴っている、アビーブの山奥まで緊急に呼び寄せた理由はこれだとおっしゃるのですな」
ノエルは軽く、鼻歌を歌うが如きにエズラに言った。
「ああその通り。俺はいい風呂にはいりたいんだ」
ユージニア女王へのアビーブ王家からの協力依頼、緊急の外国からの要人の招聘許可、国境をまたく転移魔法陣の使用許可、ここ数日で王宮は凄まじい量の書類の申請と処理を終えて、ようやくエズラはこの地にたどり着いたのだ。
もちろんエズラには何も告げていないが、召喚の理由が、良い風呂に入りたいから、という事ではない事は自明だ。
緊急招聘された先は、いつ大噴火がはじまるかとも知れないアビーブ火山の麓の、王家の離宮。
何の為に自分がわざわざ招聘されたのかは分かりかねるが、事態は一刻の猶予も許さないという事は理解できる。
エズラは、ノエルが何かエズラには真の理由を話せない強いわけがある事は悟った。
「・・それで、このワシの水魔法を展開して、ここに源泉を引き込め、と」
「ああ。エズラ老師、見てくれ、この奥に水路の跡があるだろう? 水路にはいくつものアビーブ王家謹製の、見事な魔法陣の痕跡が残されている。この痕跡をたどると、どうやら温泉の泉源は火山の頂きだ。この魔法陣の一つ一つを蘇らせて火山の頂にある源泉の湯を引き込めたら、この温室の中は、それは素晴らしい外温泉になるだろう!」
「ほっほ、簡単に仰せですな。太古のアビーブ王家謹製の水魔法陣をワシに蘇らせよとはなかなか難しい事を。それも今すぐに蘇らせる必要がある理由がおありなのでしょう?」
「・・ああ。すまないエズラ老師。こんな大仕事ができるお人は貴方以外は思いつかなかった。できれば今すぐ」
ノエルは真剣な顔をして、まだ荷物の荷解きも終わっていないエズラの眼を見てそう言った。
エズラはぐるり、と温室の中を見渡した。
(見事だ)
温室の中は火山灰の影響からは自由でいる。
外の農作物や植物には、火山性のガスの影響や、とめどなく降り頻る灰色の火山灰でかなりの打撃を受けている。
深い王家の森は黄色に変色し、庭に咲いていたのであろう花々は枯れている。
昼でも暗く、外は一面不気味な灰色の世界だ。
この温室は、ベスが手がけたものである事は、エズラが温室に足を踏み入れてすぐにわかった。
温室の中には、珍しい火山性の植物や、この地域の固有種である小さな昆虫が温室いっぱいに集められていた。
どの生き物もおそらくまだこの温室の住人となってから、そう年月は経っていないはずだ。
だというのに、この温室の中にいると、まるで太古のから存在する火山のほとりの森の中にいるようだ。
数百年の時を重ねて完全なる命の調和に至った古い森のごとく、この温室のどの生き物も、まるでそこに存在することが完成系であるがのごとく、ピッタリとその場に存在して命を輝かせている。
絶妙な配置の緑は、みな伸び伸びと好きに実をつけ、空に向かって自由に葉を広げている。
高い造りになっている王宮式の温室建築の中でも随分珍しい作りのこの建築を生かして、この温室では背の高い木も植えている。
少し冷たくなった秋の空気に誘われて、木の葉には冷たい雫が集まっている。
葉っぱの先から冷たい雫がぽちゃん、とエズラの額に落ちてきた。
そっと雫の落ちてきた先を見ると、枝に捕まっている赤い足をした蛙を見つけた。
蛙の上を、大きな蛾が我が物顔でバサバサと横切っていく。
ガサガサと、火山性の蘭の後ろから大きな音がする。
憎たらしい顔でこちらを見ているのは、アビーブの固有種である、絶滅危惧種のアビーブ狸だ。
うちゃうちゃと音と立てながら、どうやら温室で栽培している果樹に実っている果物を食べている様子。
ふてぶてしい態度で、エズラと目があったというのに、逃げる様子どころか怯える様子すらもなく、果物を食べながら、じっとこちらを見ている。
(こんな希少種に、こんなところでお目にかかるとは)
そのフンや爪は魔女達の作る薬の材料になるらしく、乱獲による絶滅が危惧されている種類だ。
そばのこんもりとした植物群に目をやると、小さな火山ソテツの子供が、幼稚園のように温室の1ヶ所集められていてとてもかわいい。
よく見ると、小さな花をつけている個体もある。
この大きさの火山ソテツが花を付けるなど聞いたこともない。
エズラが驚いてソテツに与えている土を見ると、松ぼっくりを砕いたものが大量に、丁寧に掛けられてあった。
一つ一つ、松ぼっくりを砕いて与えたのだろう。
ベスの作業している姿が思い出されて、胸がそっと温かくなる。
火山からの降灰が始まる前に、出来るだけ多くの鳥を招き入れたのだろう。高い木の上部には多くの美しい色の鳥たちが鈴なりに身を寄せており、何事もないかのように、小さな木の実を美味そうに啄んでいる。
外に起こっている不穏な空気は、この温室では遠くの世界の出来事のようだ。
改めてエズラはノエルの指し示している、作りかけの温泉を見てみた。
豪奢な白い白粉岩で組まれた大きな岩風呂。
丁寧に魔術で少しずつ掘り出されたらしく、大きな傷もなく、造設された当時のままの姿を保っている。
これほどの質と大きさの白粉岩で囲まれた豪華な岩風呂は、さすがに王族の離宮以外でお目にかかる事は決してないだろう。
岩風呂の周辺には、見た事のない多肉植物が、固く黄色い実をつけて仲良く並んでいた。
「エズラ老師、これは月見の温泉になるらしい。湯舟の作り的に月の方向に向かって体を預けるようにできているそうだ。この温泉に浸かって温室のあの窓を開けると、いい角度から月を眺める事ができるとか」
「ほっほ、王族というものは風流ですな。我々雇われの魔術師のようにあくせくと働いて生きている者にはそんな発想すらできませんで」
エズラは、そっとこの温泉の完成した姿を思い浮かべてみる。
確かにこの湯舟に源泉の湯を張れば、月の美しい姿を眺めながら、月の魔力を含有した源泉の湯で、それは美しく、それは心地よい温泉となるだろう。
「ああ。ここは古いものを掘り出した岩風呂だが、あちらにも幾つか新しいものを作っている。あそこの藤棚の下にも新しい風呂があるんだが、ついでにあちらの方にも新たに湯がまわるようにしてくれると助かる」
「ほう、ヒノキの大風呂とはこれまた風流な。満開の藤の下で花見風呂とはこれは実に風流ですな。ははは、良いでしょう、エズラの名にかけてこの大仕事を引き受けさせていただきましょうぞ」
エズラがその名にかけて、アビーブ王家謹製の古代の水魔法の魔法陣を復活させてくれると約束をしたのだ。
この大陸でエズラほどに見事な水魔法の使い手は存在しない。
そして、古代の魔法陣の知識にかけてはエズラの名に匹敵する人間すらも、この大陸には存在しない。
温泉は時を置かずして、その美しい姿を取り戻すだろう。
(よかった)
ほっとしたノエルは、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
そこで思わず口をすべらせてしまった。
「ああ、本当に助かる。べスのヒノキの風呂は魔術院の皆が気に入っていて、よく館に入りにきているんだけれど、この国ではお目にかからないものだから、ナーランダが是非ここにもヒノキ風呂も作るべきだとみんなに主張して」
「・・・?ノエル様、今ベスの風呂、と言いましたかな? 魔術院のみなが入りに来る?ロドニーやら?ナーランダ様やら?」
しまった、とノエルはバレたという表情を繕う間もなく、賢者・エズラ老師はこの瞬間全てを理解したらしい。
氷のように冷たい視線をノエルに浴びせると、エズラは、
「ノエル様・・・この件ゆめゆめお忘れなきように・・」
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