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スピンオフ『厨房の見習いは夢を見る』
第四章:黒衣の味見人
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その日、厨房に現れたのは、見慣れぬ“黒衣の男”だった。
ぴしりと糊の効いた黒いローブ。
銀の留め具で閉じた前襟、肩から胸元にかけては細かな刺繍が施されている。
長身で細身、整った顔立ち。だがどこか無表情で冷たい。
「ここが……“あの料理長”がいるという厨房か」
アイリスが受付から顔を出して、やや警戒したように尋ねた。
「ご用件は……?」
「王都からの依頼で来た。名はカイル。宮廷直属の味見人だ」
「味見人……?」
「正式には《王室調理監察官補佐》。王都の料理大会の前哨視察として、この町の“腕の立つ料理人”を見てまわっている」
厨房の奥で話を聞いていたトムの心臓が跳ねた。
(腕の立つ……って、まさか栄作さんのこと!?)
だが、今日はその栄作が不在だった。
タイミングの悪さに、思わず鍋の蓋を強く閉じてしまう。
カイルは静かに厨房へと歩を進めた。
まるで貴族のような優雅な所作で、調理台の上のパンくずを一つ、指で拾い上げた。
「……火入れは適切。だが塩の当たりが弱いな。ここに常備してあるのは岩塩か?」
「っ……!」
トムが思わず声を漏らす。
(触っただけでそこまで分かるの!?)
「見習いか。君が、この厨房の責任者か?」
「い、いえ、違います! 僕はただの見習いで、今日はたまたま……」
「では、代役として君の料理を一品、試させてもらおう」
「え……?」
「時間は無い。10分以内に出せるものを」
カイルの目は、まるで冷たい鏡のようだった。
そこに映る自分が、どんな顔をしているのか分からない。
だが――逃げたくない。
あの日、栄作に言われた。
「厨房は、味で語れ」
深呼吸。
トムは冷蔵庫の中から、すでに下ごしらえしていた材料を取り出した。
(……今日は、豆と野菜のスープが少し残ってる。そこに、バターとハーブを加えて……)
鍋の中で、乳白色のスープが再び命を吹き返す。
魔力の波がじわりと鍋を包み、味の構成を繊細に研ぎ澄ます。
(この人に、“温かさ”を届けたい)
10分。ぴったり。
白磁の器に注がれたスープを、カイルの前に置く。
「お待たせしました。――どうぞ」
カイルは無言でスプーンをとり、ひと口。
沈黙。
長い、長い数秒。
トムの胸が締めつけられるように苦しい。
やがて、カイルはそっとスプーンを置いた。
「……予想外だ」
「え?」
「洗練されているわけではない。香りも、食感も、どこか素朴だ。だが……」
彼は静かに、器を見つめた。
「“温かい”」
「っ……!」
「心を込めて作られた料理だ。食べる者に“おかえり”と言ってくるような味。王都の厨房では決して味わえない感覚だな」
カイルは席を立ち、扉の前で一言だけ残した。
「君の名は?」
「……トムです。厨房見習いの、トム」
「覚えておこう。“トム”。次に来るときは、君の“進化”を味わいに来る」
そして、彼は背を向けて静かに去っていった。
* * *
夕方。
栄作が帰ってきた頃、厨房ではトムがひとりノートをつけていた。
「おかえりなさい、栄作さん。えっと、今日――」
「聞いたよ。王都から“味見人”が来たそうだな」
「はい……」
「どうだった?」
「……怖かったけど。でも、“温かい”って言ってもらえました」
「そうか」
栄作は笑った。
「君の料理は、それがいちばんの“武器”なんだよ」
ぴしりと糊の効いた黒いローブ。
銀の留め具で閉じた前襟、肩から胸元にかけては細かな刺繍が施されている。
長身で細身、整った顔立ち。だがどこか無表情で冷たい。
「ここが……“あの料理長”がいるという厨房か」
アイリスが受付から顔を出して、やや警戒したように尋ねた。
「ご用件は……?」
「王都からの依頼で来た。名はカイル。宮廷直属の味見人だ」
「味見人……?」
「正式には《王室調理監察官補佐》。王都の料理大会の前哨視察として、この町の“腕の立つ料理人”を見てまわっている」
厨房の奥で話を聞いていたトムの心臓が跳ねた。
(腕の立つ……って、まさか栄作さんのこと!?)
だが、今日はその栄作が不在だった。
タイミングの悪さに、思わず鍋の蓋を強く閉じてしまう。
カイルは静かに厨房へと歩を進めた。
まるで貴族のような優雅な所作で、調理台の上のパンくずを一つ、指で拾い上げた。
「……火入れは適切。だが塩の当たりが弱いな。ここに常備してあるのは岩塩か?」
「っ……!」
トムが思わず声を漏らす。
(触っただけでそこまで分かるの!?)
「見習いか。君が、この厨房の責任者か?」
「い、いえ、違います! 僕はただの見習いで、今日はたまたま……」
「では、代役として君の料理を一品、試させてもらおう」
「え……?」
「時間は無い。10分以内に出せるものを」
カイルの目は、まるで冷たい鏡のようだった。
そこに映る自分が、どんな顔をしているのか分からない。
だが――逃げたくない。
あの日、栄作に言われた。
「厨房は、味で語れ」
深呼吸。
トムは冷蔵庫の中から、すでに下ごしらえしていた材料を取り出した。
(……今日は、豆と野菜のスープが少し残ってる。そこに、バターとハーブを加えて……)
鍋の中で、乳白色のスープが再び命を吹き返す。
魔力の波がじわりと鍋を包み、味の構成を繊細に研ぎ澄ます。
(この人に、“温かさ”を届けたい)
10分。ぴったり。
白磁の器に注がれたスープを、カイルの前に置く。
「お待たせしました。――どうぞ」
カイルは無言でスプーンをとり、ひと口。
沈黙。
長い、長い数秒。
トムの胸が締めつけられるように苦しい。
やがて、カイルはそっとスプーンを置いた。
「……予想外だ」
「え?」
「洗練されているわけではない。香りも、食感も、どこか素朴だ。だが……」
彼は静かに、器を見つめた。
「“温かい”」
「っ……!」
「心を込めて作られた料理だ。食べる者に“おかえり”と言ってくるような味。王都の厨房では決して味わえない感覚だな」
カイルは席を立ち、扉の前で一言だけ残した。
「君の名は?」
「……トムです。厨房見習いの、トム」
「覚えておこう。“トム”。次に来るときは、君の“進化”を味わいに来る」
そして、彼は背を向けて静かに去っていった。
* * *
夕方。
栄作が帰ってきた頃、厨房ではトムがひとりノートをつけていた。
「おかえりなさい、栄作さん。えっと、今日――」
「聞いたよ。王都から“味見人”が来たそうだな」
「はい……」
「どうだった?」
「……怖かったけど。でも、“温かい”って言ってもらえました」
「そうか」
栄作は笑った。
「君の料理は、それがいちばんの“武器”なんだよ」
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