光のもとで2

葉野りるは

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March

害虫認定→害虫駆除 Side 司 01話

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 六時二十分前に家を出てエレベーターに乗り込むと、エレベーターは九階で停まり、翠が乗り込んできた。
 三月も二十日を過ぎればだいぶ暖かくなり、桜前線がどのあたり、というニュースをよく耳にするようになる。
 翠の装いもめっきり春らしくなり、今日は色味の優しい桜色のワンピースを着ていた。
 ゲストルームから出るとはいえ、マンション敷地内なのだから、そんなにめかしこんでこなくてもいいものを――と思うこれは、たぶん嫉妬に組するものだろう。
 ただ単に、俺以外の男の前で、かわいい格好をしてほしくないという、とても自分勝手な感情。
 前々から自覚はしていたが、厄介なことに、翠に関してはとことん独占欲が強いらしい。
「今日は何時ごろマンションに来たの?」
 翠は俺の顔を見上げるようにして訊いてくる。
「昼過ぎ」
「えっ? じゃ、お夕飯は?」
「コンシェルジュにオーダーしたから問題ない」
「そうだったのね……」
 言ってくれれば自宅に呼んだのに――そんな顔。
 もっとも、呼ばれて唯さんの顔を見る羽目にならなくて良かったと思っているけれど。
「翠は? 軽く食べる時間あったの?」
「うん。今日は幸倉組が仕事で帰宅してなくて、唯兄が煮込みうどん作ってくれてた」
 ますますもって呼ばれなくてよかったと思う。それに――
「それ、秋兄も一緒?」
「え? うん。一緒だったよ」
 やっぱり呼ばれなくてよかった……。
 そう思う傍ら、
「何か言われた?」
 翠は少し考えてから、
「えぇと……『報告することはない?』って訊かれて、ツカサと正式に婚約したことと、六年後に入籍することを伝えたの。でも、ほかの人から聞いて知ってたみたいだった」
「俺が言った。っていうか……卒業式の日、じーさんに報告する場に秋兄もいたから」
 あの日は三ヶ月ぶりに内々の親族が集まり、その連中の前で卒業と婚約の報告をした。
 両親とじーさん以外の親族は皆一様に驚いていたけれど、秋兄だけが複雑そうな顔をしていた。
 その場で何を言われることはなかったが、秋兄は会食が終わるとすぐに席を立ち、戻ってくることはなかった。
 秋兄の団体行動嫌いは周知されていることから誰も気にも留めなかったけど、俺は少しだけ気になっていた。
「ほかは? 翠の報告を聞いておとなしくしてる人間でもないだろ?」
 俺に何を言ってこずとも、翠には言っている可能性はある。
 そう思ってたずねると、
「あ、えと……六年後に入籍っていうことは、六年間は猶予があるんだ、って言われた」
 あぁ、実に秋兄らしい言い分だ。
「でも、結婚しても自分が諦めるかどうかは別問題だし、世の中には離婚っていうすばらしい手続きも存在するからとか言われてしまいました」
 そうきたか……。
 我が従兄ながら実にえげつない。
「で? 翠はなんて答えたわけ?」
「えぇと……開き直った秋斗さんを見ていたら、言い寄られるたびに神経すり減らしているのがなんだか馬鹿らしくなってきちゃって、『私も開きなおっていいですか?』ってたずねたの」
 目には目を、歯には歯を的な対応がなんとも言えない。けれど、翠がここに思い至るまでにはそれなりに時間がかかったわけで……。
 そうは思っても、これを言われた秋兄の心境を考えると笑いを堪えるのは結構大変で、翠の話の腰を折らないよう、必死に笑いを噛み殺していた。
「そしたら、笑いながらいいよって言われた。だからね、これからは秋斗さんに何を言われても気にするのはやめようかなって思ってる」
 妙にすっきりとした顔で宣言する翠が微笑ましく思えて、俺は心のままに「いいんじゃない?」と答えた。

 渡り廊下を渡ってミュージックルームの前まで来ると、すでに配置についていた藤守武明と武政がドアの前に立っていた。
 軽く頭を下げる彼らに、
「お疲れ様です」
 翠は慣れた様子で頭を下げてドアを開ける。
 ドアを閉めると翠の後ろ姿に向かって声をかけた。
「いつも声かけてるの?」
 翠は肩越しに振り返り、
「うん。それがどうかした?」
 どうかしたって――
「こっちの都合で警護つけてるんだから、そんな気にしなくていいのに」
 翠は一瞬にしてむっとした顔になる。そして、
「それはいや。藤宮の都合で警護についてもらってるとしても、私のために働いてくれてるのなら、挨拶くらいはしたいもの」
 これは絶対引かない、というときの翠の姿勢。
 だから、俺は軽く流すことにした。
「で? なんのスコアを渡すって?」
 意図的に違う話題を振ると、
「あ、これ」
 ソファにかばんを置いた翠はクリアファイルに入れられた五線譜を取り出した。
 その一枚目には、右肩上がりの字で曲名が書かれていた。
「桜の下で逢いましょう……?」
「うん。あっ、ほら、私が生徒会に就任するとき、ベーゼンドルファーを外で弾かせてもらったでしょう? そのときに弾いた曲のひとつ」
「どれ?」
「えぇと……聴くのが早いよね? ピアノとハープ、どっちがいい?」
 これ、ピアノスコアじゃないのか……?
 疑問に思いながら、
「どっちでも弾けるの?」
「うん!」
「じゃ、ハープで……」
 そう言うと、翠はすぐにハープへ向かって歩き出した。
 翠が本格的に練習を開始してから、ピアノへ向かう姿もハープに向かう姿も見てきた。
 翠が奏でる音はどちらも心地よく耳に響くが、ハープを抱えている姿がなんかツボで、うっかりハープを選択してしまった。
 さて、いったいどの曲を弾いてくれるのか――
 楽しみな反面、あのとき聞いた悲しみの旋律でないことを願う。と、爪弾かれた音は和を感じる曲で、あの日あのステージで、桜の葉のさざめきとうまいこと調和した曲だった。
 翠の演奏が終わり拍手を送ると、翠は「ありがとう」と嬉しそうににこりと笑んだ。
「あの曲、そんな名前がついてたんだな」
「そうなの」
 翠がソファまで戻ってくると、トレイを持った高崎さんもやってきた。
「司様、コーヒーです」
「ありがとうございます」
「翠葉ちゃんの分は休憩し時間に持ってくるけど、今日もカモミールティーでいいの? デカフェの茶葉でロイヤルミルクティー作ろうか? ハチミツ入れてちょっと甘くしたやつ」
 翠はパッと目を輝かせ、
「わぁっ! じゃ、それでお願いします!」
「了解!」
 高崎さんはすぐに部屋を出て、翠は教本を持ってピアノに向かった。
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