光のもとで2

葉野りるは

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March

お花見デート Side 司 03話

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 翠がトラベルラグを広げ始めたのを見て、俺も自分が持ってきたものをセッティングすべく、昨日見繕ったポイントへ向かう。
 イーゼルを組み立て持ってきたキャンバスを立てかけると、翠が近くまでやって来ていた。
「絵、描くの?」
「そう。翠の誕生日プレゼント」
 翠はきょとんとした顔をしている。そのすぐあと、思い出したかのように、
「あっ! 風景画っ!?」
「何、忘れてたの……?」
 翠は慌てて顔の前で両手を振った。
「忘れてないよっ!? ただ、描いているところを見られるとは思ってなかったから、ちょっとびっくりしただけ」
「ふーん……でも、描き途中のものは見せないけど」
「えっ!? それはなんだかものすごくお預けを食らってる気分っ」
 俺はそれ以上のお預けを食らって早八ヶ月なんだけど……。それに――
「誕生日まであと二ヶ月だろ? 二ヶ月の我慢」
「むぅ……」
 翠は頬を膨らませむくれたが、すぐに気を取り直し、
「ここで描くってことは、桜を描くの?」
「そうだな、木は桜」
 ただ、桜の花を描くとは限らないけど。
 翠は首を傾げ、
「どういう意味? 風景画なのだから、桜が主役でしょう?」
 当初はその予定だった。けど、
「なんのために翠に白い服を着せてハープまで持ってこさせたと思ってるの?」
「わからないから訊いたのに、教えてくれなかったじゃない……」
 また、ぷーっと頬を膨らませむくれてしまう。今日はいつも以上に表情が豊かだ。
 でも、あそこまで言ってまだわからないのだろうか。
 そうストレートにたずねると、「意地悪」といじけてしまった。
「別にいじめてるつもりはないけど……。絵の中にハープを弾いている翠を入れたくて」
 翠は驚いた顔でベンチの方を振り返りる。しばらくして俺の方を向くと、
「ツカサ、追加のお願い聞いてくれる?」
「だから、描き途中は見せないけど?」
 上目遣いの翠に対抗するように見下ろすと、
「そうじゃなくて……。ハープを弾いてる私のそばに、ツカサにいてほしい……」
 上目遣いプラスその願いごとって、卑怯を通り越して一種凶器だから……。
 そんな願いを無下にできるわけもなく、
「了解。じゃ、あとでふたりで座ってる写真撮って。さすがに自分を描くには写真が必要」
 翠は花が綻んだような笑顔でかわいく頷いた。そして、人懐こい表情で猫みたいに擦り寄っては上目遣いて話しかけてくる。
「ね、描いてる途中の絵は見ないから教えて? 満開の桜の中に私とツカサを描いてくれるの?」
 無邪気に訊いてくる様がかわいくて仕方がない。
 俺は冷静を装い、
「翠は新緑のほうが好きなんじゃないの?」
「え? 桜も新緑もどっちも好きよ?」
 それは初耳……。
 風景画を頼まれたときから新緑しか頭になくて、咲き誇る桜を見てもなお花を描く選択肢は持ち合わせてなかった。
 でも、桜をバックにした翠を見ると、淡いピンクの中に白いワンピースがよく映えて悪くない。
 悪くはないが……。
 新緑の絵を渡そうと思ったのにはほかにも理由があって、その理由ゆえに悩むところではある。
 絵をプレゼントしたら、翠は一生大事にしてくれるだろう。だからこそ、その中にプロポーズの言葉を忍ばせたかった。
 フランスの花言葉で、緑の葉は「私の愛は生きています」。黄色の葉は「一緒になりましょう」。そのふたつを描くことで、これ以上ない贈り物になる――そう思っていただけに、急に考えをシフトすることはできず、
「最終的にどっちにするかは俺に決めさせて」
 翠は了承すると、弾んだ足取りでラグまで戻り、ケースからハープを取り出し調弦を始めた。
 調弦しながら鼻歌でも歌いだしそうな機嫌のよさに思わず笑みが漏れる。そして、調弦が終わるとやたらと陽気な曲が風に乗って聴こえてきた。
 その音を聴きながらセッティングを済ませ、翠を入れた構図を確認する。
「翠、もう少し右に移動して」
「このくらい?」
「もう少し」
「これでいい?」
「あと、顔をがこっちを向くようにして」
 翠が身体の向きを変えたのを確認してOKを出すと、翠は新たに曲を爪弾き始めた。
 翠の髪やナイロン弦が陽の光を受けてキラキラと光って見える。その神々しい様をスマホに収め、下書きに取り掛かった。

 絵を描き始めて一時間ちょっと経つと、腹が空腹を訴えた。時計を見れば十二時を回っている。
 翠はずっとハープを弾いていて、今も楽しそうに俺の知らない曲を奏で続けている。
 そんな翠のもとまで戻り、
「さっきから陽気な曲ばかり」
 翠は演奏をやめて、
「だって嬉しいの! お花見デートもツカサが絵を描いてくれることも、とっても嬉しいのよ?」
 くったくなく笑うそれがかわいくて、思わず緩んだ表情を隠すように俯いた俺は、
「お腹すいた」
 昨夜から楽しみにしていた弁当の催促をする。と、翠は俺の腕時計を確認してから、
「じゃ、お昼にしよう」
 ハープを自分の脇へ置き、ベンチに置かれていた手提げ袋に手を伸ばした。
 目の前で風呂敷が解かれ二段重ねのお重が姿を現す。
 心拍が速まるほどに高揚している俺に気づくことなく、翠は実に淡々と蓋を開けた。
「おにぎりは、薄紫のはゆかりが混ぜてあって、真ん中の列はツカサの好きな梅おかか。右側のは野沢菜が混ぜてあるの。おかずは唐揚げと卵焼きとごぼうとにんじんの金平、ほうれん草の胡麻和え、ミニトマト、きゅうりの酢漬け、ブロッコリーの塩茹で、きのこ類のバター醤油炒め」
 おかずの多さに愕然としていると、
「それから、こっちの保冷バッグに入ってるのはデザート!」
 見せられたのは二層になっている柑橘類のゼリーと果物の苺。
 翠は不安そうな表情で、「好きなのある……?」などと訊いてくる。
「これ、全部翠が作ったの?」
 もしかしたら唯さんや碧さんに手伝ってもらったのかも、と思いながらたずねると、
「うん。そうだけど……嫌いなもの、入ってた?」
「いや、そういう意味じゃなくて――昨日電話したの結構いい時間だったと思うんだけど……」
「あ、材料があったのかっていう話?」
「それもあるけど……」
 俺が何を気にしているのか翠にはわからないらしく、「ん?」ときょとんとした顔で首を傾げる。
「これだけの分量、朝作ったの?」
「えぇと、ゼリーとブロッコリーの塩茹で、金平、きゅうりの酢漬けは夜のうちに作って、あとは全部朝に作ったよ?」
 それだけのものを昨夜のうちに準備したとしても、おにぎりを含める五種は朝作ることになるわけで……。
「ちなみに、今朝何時起き?」
 昨夜寝た時間も相応に遅かったのだから、そこまでの早起きはしていないでほしいと思う。
 けど、俺の気持ちを察することのできない翠は、ひどく快活に「四時起き!」と答えた。
 俺は唸りたい気持ちを抑えて息を吐き出す。と、
「そこ、呆れるところじゃなくて褒めるとこ!」
 そうは言うけど、翠の体調が気になって仕方がない。
 俺の頬をつつく翠の指を捕まえ自分の方へと引き寄せる。
 前のめりになった翠の額に手を伸ばすも、まだ発熱の傾向は見られない。
「疲れてない? 熱が出てきたら早めに教えてほしいんだけど」
 翠は体勢を整え、
「縁起でもないこと言わないでっ! 今日は一日楽しく過ごすの! はい、ウェットティッシュとお箸」
 差し出されたウェットティッシュで手を拭き箸を受け取ると、心からの「いただきます」を口にした。
 まず始めに箸をつけたのは唐揚げ。薄味好きの翠にしては珍しく、しっかりと醤油の味が染み込んだ唐揚げだった。にんにくとしょうがの風味も効いていて、実に弁当にふさわしい味の濃さだ。何よりも口に合う。好みの味付け。
 卵焼きはきれいなレモンイエローに焼きあがっていてほんのりと甘く、しっかりと出汁の味がする。
 ひとつひとつ味わいながら夢中になって食べていると、視線を感じて目線を上げた。すると、翠の手は膝に置かれており、口の中に食べ物が入っているふうではない。
「翠、手と口が止まってる。お腹がいっぱいになるにはまだ早いと思うんだけど」
「え? あっ、うん。食べるっ」
 翠は箸を置くと、慌てておにぎりに手を伸ばした。
 もぐもぐと口を動かす翠に、
「どれもおいしい。翠の味付け、好きだと思う」
 翠は口の中のものをゴックンと飲み下し、
「本当っ!?」
 身を乗り出す勢いで訊いてくる。
 今の、ちゃんと咀嚼してから飲みこんだんだろうな……。
 そんなことを気にしながら、
「嘘つくようなことじゃないし」
「そうなんだけど……。作ってる最中、ずっと不安だったから……」
 と苦笑を見せる。
「不安に思う必要はないと思うんだけど」
「どうして?」
「去年の夏休みに何度か一緒に昼食作ったけど、そこで大きな味覚の違いはなかっただろ? だから、次からは不安に思う必要はない。でも――」
「ん?」
「早起きしすぎ……。もっとおかずの数少なくていいし、果肉入りの二層ゼリーなんて手の込んだデザート作ってこなくていいよ。弁当作るだけで疲れてたら本末転倒。次からは外食にしよう」
 翠は慌てた様子で、
「えっ!? じゃ、作るもの減らすからっ――」
 だから、作らせて。そんな顔で懇願してくる。
 翠がそこまで必死になるのが理解できなくて、
「そこ、必死になるところ?」
「なるよ! だって、色んなところに連れて行ってくれるのでしょう? それなら、私も何かしたいもの」
 あぁ、そういう意味か……。
「それ、全部その日に集約する必要はないと思うんだけど……」
「……どういうこと?」
「外出するときは外で食べる。もしくはコンシェルジュに弁当を頼めばいい。で、マンションで会う日はうちで料理を作る。それでいいと思う」
「……そっか」
 いつものことながら、翠はあっさりと納得した。
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