光のもとで2

葉野りるは

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September

約束 Side 翠葉 01話

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 ――「秋兄とふたりきりにはならないで。秋兄を冷たくあしらうことができないのは仕方ないとしても、これだけは守ってほしい。秋兄の手癖の悪さはよく知っているし、翠の無防備っぷりも理解してる。だからこそ気をつけてほしい。うっかり抱きしめられたり、うっかりキスされたり、そういうのはなしにして。……もし、そういうことがあったら隠さず白状して」。

 そう言われたのは八月三十日。つい昨日のこと。
 まるで、「触れられないで」と懇願されている気がした。
 ツカサのお願いならなんでも聞きたいし、ツカサとの約束はきちんと守りたい。でも、それが思ったよりも難しいことだと気づくまでにそう時間はかからなかった。
 二学期が始まる前日、つまり今晩から秋斗さんが加わる夕飯が再開されたからだ。
 秋斗さんはテスト前テスト中にかかわらず、土日以外の日は毎日のように夕飯を食べに来る。さらには、「お邪魔します」や「こんにちは」――にこりと笑って挨拶をされる際には手が伸びてくることも少なくはない。
「ふたりきりで会わないで」の部分は守れても、秋斗さんの手から逃れるのは至難の業だろう。
 それに、おもむろによけてしまうと、避けているように思われてしまいそうで少し怖い。
 人に避けられるのはひどく傷つくことだ。かつて自分がされたことがあるだけに、人にはしたくないと思ってしまう。では、どうしたら普通に接することができるのか――
「翠葉ちゃん?」
「っきやぁっ――」
 目の前に秋斗さんの手が伸びてきて驚く。
「な、なんでしょう……?」
「なんでしょうじゃないわよ? 食事中に何ぼーっとしているの? ご飯が冷めちゃうからって秋斗くんが声をかけてくれたのよ?」
 お母さんに言われてなるほど、と思う。
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて……」
「リィ、ご飯を食べるときは?」
「ご飯を作ってくれた人に感謝して食べる」
「よくできました。なら今は、考え事は置いといてご飯を食べるべきだよね?」
 唯兄に諭され、改めてお母さんと栞さんに謝った。

 食後のお茶はみんなとはいただかず、ひとり自室へ戻って飲むことにした。
 夏休みの宿題を見返しながらも、頭の容量を占めるのはツカサとの約束。
 家族も一緒にご飯を食べる分にはかまわないと思うけれど、
「マンションの通路やエレベーターでばったり会っちゃったらどうしよう……」
「誰と?」
 その声に心臓が止まりそうになる。
 視線を上げると、ドア口には秋斗さんが立っていた。
「あの……えと、なんのことでしょう?」
「翠葉ちゃん、顔引きつってるよ? 通路やエレベーターで、誰とばったり会ったら困るのかな?」
 ニコニコと笑っている秋斗さんはごまかされてはくれなさそうだ。
 もう、この際すべて話してしまったほうがいいのだろうか。
 逡巡していると、ドア口に立っていた秋斗さんが部屋へ足を踏み入れた。
 今の今までは、かろうじて一室にふたりきり、という状況ではなかった。けれども、秋斗さんがこの部屋に入ってしまったらアウトではないだろうか。
「秋斗さん、ストップっっっ」
「ん?」
「だめです。部屋に入らないでください」
 秋斗さんは不思議そうな顔をしてドア口に留まる。
「もしかして、ばったり会ったら困るのって俺?」
 私はさも情けない顔をしていることだろう。眉尻が下がって困惑顔になっているのが自分でもわかる。
「それ、どうして? 今までは普通に接してくれてたよね?」
 確かにそうだ。今までなら普通に挨拶をして、会うたびに甘い一言をかけられ、時には好きと言われてわたわたしていた。「困る」は「困る」でも、今抱える「困る」とは少し状況が異なる。
「ふ~ん……司に何か言われたってところかな?」
「っ……」
「翠葉ちゃんは隠し事ができないね」
 秋斗さんはまるで気にするふうではなくクスクスと笑う。
「司に、俺とはふたりきりにならないように言われた、かな?」
 何も言えないでいると、
「それを翠葉ちゃんが申し訳なく思うことはないよ。事実、俺が司でも同じように釘を刺していたかもしれないし。でも、そっか……じゃ、どうしようかな」
「何が、ですか……?」
「今週、雅が一時帰国するんだ。時間が合えば翠葉ちゃんと会いたいって言ってたんだけど」
 雅さんっ!?
「会いたいですっ」
「それ、俺が送迎するつもりだったんだよね。唯も蒼樹も仕事入ってて動けるのが俺だけだったから」
 送迎、イコール車にふたりきり――それは完全にアウトだ。
「あの、場所を教えていただけたらひとりで行きます」
「そう? 場所はプレジデントホテル」
 プレジデントホテル……。どうしてウィステリアホテルじゃないの~……。
 プレジデントホテルとは、ウィステリアホテルと並ぶ高級ホテルだ。もちろん、ウィステリアホテルと同様、高校生の自分がひとりで行くには敷居が高すぎる場所。
 よりによってなぜ――
「雅は藤宮とは一線を置いているからね、そういう意味でも系列ホテルにも泊まらない徹底振りなんだ」
「そう、なんですね……」
 でも、お会いできるならお会いしたい……。
「あの、日時を教えていただけたらひとりで行きます」
 覚悟を決めて口にすると、秋斗さんはくつくつと笑いだした。
「冗談だよ」
「え?」
「雅がプレジデントに泊まるのは本当だけど、問題があるなら雅をこっちに連れてくる。翠葉ちゃんがかまわないならここで会うも良し。そこらへんは雅と決めるといい」
 ほっとしていると、
「ね、司になんて言われたの?」
 実ににこやかな表情で、興味津々に訊かれる。
 これは言ってもいいのかな……。
 少し不安に思いながら、伝えることで秋斗さんがその行動を回避してくれることを望みつつ、
「秋斗さんとふたりきりになることと、抱きしめられたり、キスをされること。それだけはやめて、って……」
「そっか……。じゃ、翠葉ちゃんに避けられないように気をつけないとね」
 と、まるでなんてことないように口にする。
「あの……どうしてでしょう」
「何が?」
「どうして、そんなに――」
 最後まで言えずに視線を落とし言葉を濁すと、
「翠葉ちゃんにこだわるのか? 好きなのか?」
 秋斗さんは躊躇せずにその言葉を口にする。
「どうしてかな……。司を好きだって言われても諦められないし、好きって気持ちが薄らぐ気配もない。もしかしたら、初恋だからこだわってるっていうのもあるのかもしれないけど、こればかりは明確な答えをあげられなくてごめんね」
「……あの、どうしたら諦めてもらえるんでしょう?」
「さぁ、それは俺にもわからないなぁ……。何せ、人を好きになったのは初めてだし、何かを諦めるなんてことはしたことがないからね」
 秋斗さんはいつだってこんな調子で、ごく自然に「好き」であることを伝えてくれる。
 そのたびに困惑するのは、私がツカサを好きだとわかったうえで好意を寄せてくれているから。
 鎌田くんとは友達のままでこれからも仲良くしてね、という話になったのに対し、秋斗さんとはそういう話の流れにはならない。いつだってにこにこと笑って、時には真剣な目で「好きだよ」と言われてしまう。
 考えてみれば、飛鳥ちゃんも佐野くんに同じようなことを言われ、同じような境遇にいた。そのときは――
 そのときに飛鳥ちゃんに助言した自分の言葉を思い出して泣きたくなる。
 そのままでいいんじゃないかな、なんて言ったけれど、そのままってなんて厄介な状況なのだろう……。
「他人事」とはよく言ったものだ。
 なんとなく、私が何度「ごめんなさい」と断わろうが、秋斗さんは変わらない気がするのだ。それでも、「好き」と言われるたびに、何度も何度も「ごめんなさい」を伝えるべきなのだろうか。
 そうだ――佐野くんはそう何度も飛鳥ちゃんに「好き」とは言っていなかった気がする。……でも、態度を見れば歴然としていて――
 飛鳥ちゃん、とんでもない助言をしてごめんなさい……。
 あれこれ考えていると、
「翠葉ちゃんが『迷惑』だって言うなら身を引く。そう言ったら、君はどうする?」
「っ……」
 究極の選択を突きつけられた気分だ。
「迷惑」なんて言葉は使いたくない。でも、その言葉を使えば諦めてもらえるのかもしれなくて……。
 テーブルに置いたマグカップに視線を固定して考えをめぐらせるも、口から出てくるのはわずかな二酸化炭素の集合体のみ。
「あの……ツカサが嫌がることはしたくありません。ツカサが悲しむこともしたくありません。でも、秋斗さんに『迷惑』という言葉を使いたくもありません」
 ものすごく負けた気分だ。
 いいとこ取りしかしたくない、と言っている自分が一番現実味がない。
 やはり、もう一度「ごめんなさい」と伝えるべきなのだろうか。「ごめんなさい」のあとに、「迷惑です」と付け加えなくてはいけないのだろうか。
 ツカサは「冷たくあしらえないのならそれでいい」と言ってくれたけれど、本当のところはどうだったのかな……。完全に拒むことを望んでいたのだろうか。
 いっそのこと、口にしてそう望まれたほうがよかったかもしれない。
 気持ち的にいっぱいいっぱいで言葉に詰まっていたら、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
 笑っているのはほかの誰でもない秋斗さん。
「だからさ、言ったでしょう? 覚悟して、って。振られても諦めるつもりはないよ、って」
 確かに言われた。そして、間違いなくその状況だ。
 人に好きになられるということは、こんなにも大変なことなのだろうか。
「そうだな……とりあえず、ふたりきりになる状況は俺が避ければいいことだし、俺が触れることで翠葉ちゃんが怒られるのもかわいそうだし、逆上した司に翠葉ちゃんがキス攻めにされるのは俺が面白くないから、しばらくは俺から距離をキープするよ。ご心配なく」
 まるで先日キス攻めにされたのを見ていたかのような言葉に、私は背筋をブルブルと震わせた。
「あれ? 図星?」
「…………」
「でも、キスで済んでるのならまだいいのかな?」
 秋斗さんはよくわからないことを口にして、「じゃ、勉強がんばってね」とゲストルームをあとにした。
 その場の私には、「惨敗」の二文字が残された――
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