光のもとで2

葉野りるは

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September

約束 Side 司 01話

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 珍しく翠から電話がかかってきたかと思ったら、思いもしないことを告げられた。
『あのね、ひとつ約束をなかったことにしてもいいかな』
 約束ごとなんてそうたくさんあるわけじゃないし、こんなことを言われる内容なんてそれこそ限られている。
 それでも、「どの約束?」と訊かずにはいられなかった。
 翠は間を開けず、
『秋斗さんとふたりきりにならないっていう約束』
「やっぱり」という気持ちと「なんで」という気持ちが競り合う。
 無言でいると、
『同じマンションにいると、やっぱり難しいの。傍から見ておかしいと思われるような行動になっちゃうの』
 もっともらしい理由だったけれど、納得するにはほど遠い理由で……。
『でもね、安心して? 不必要にふたりきりになることはないし、ふたりきりになっても何もないから。抱きしめられたりしない。キスなんてされない。だから、秋斗さんとの間に壁を作るの、なしにしてもいいかな?』
 数日前にうろたえていた翠とは別人のようだった。言葉を繰り出す快活さがすでに違う。
 いったい翠に何があったのか……。
『……ツカサ?』
 受け入れがたい。それでも、もともと理不尽な要求をしているのは自分なわけで……。
「……絶対に抱きしめられたりキスされないって言い切れるなら」
 条件を提示しつつ、強がることしかできなかった。
 そんな俺に、翠は「ありがとう」と言って電話を切った。
「……ちょっと待て。理由も話さず切るなよ――」
 そんな言葉はむなしく部屋に響くのみ。
 これは本人を捕まえて話す必要がある。そう思っていたにもかかわらず、週末までふたりきりで話すことができなかった。
 金曜日の夜に電話をかけると、話したいと思っていたのが自分だけではなかったことに気づく。
 翠もあれだけで終わり、というつもりはなかったらしい。
 結果、当初から出かける予定が入っていた日曜日に話すことが決まった。

 土曜日の夕方、部活から帰ると父さんに声をかけられた。
「日曜日に御園生さんと車で出かけると聞いたが」
「それが何」
「行き先は?」
「白浜海浜公園」
「今から行くぞ」
「はっ!?」
「免許を取ってから運転していないだろう? うちの車にも乗ってない、走ったこともない道を通る。そんな不安要素ばかりでよそのお嬢さんを乗せられるか」
 確かに、免許を取ってからは一度も運転をしていないし、家の車にも乗ってはいない。さらには父さんの言うとおり、初めて自分が運転する道でもある。
 自分の運転が危なっかしいとは思わないし、そこまでの不安もない。それでも、大切な人を助手席に乗せる、ということを考えれば、用心にこしたことはないと思えた。
「ハナのお散歩もかねて、みんなで行きましょう?」
 にこやかな母さんはすでに身支度を終えていた。
 そんなわけで、俺は前日に予行演習なる運転をして日曜日を迎えることになった。


 建物から出てきた翠は俺を視界に認め、嬉しそうな顔をした次の瞬間、歩みが少し鈍った。
 幅三メートルの歩道をゆっくりと横断して、俺の目の前にたどり着いてももじもじとしている始末。
「お疲れ様」と声をかけると、
「迎えに来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
 どこかカチコチとした動きに違和感を覚える。
「とりあえず、助手席にどうぞ」
 ドアを開けて促すと、やっぱりカチコチとした動作でシートに収まった。
 俺が運転席に収まり車を発進させても様子は変わらず。
 緊張しているのが丸わかりなのだが、この場合、緊張するのは俺のほうではないだろうか。
「車、涼先生の?」
 片言の質問に、「そう」と答える。
 翠は隣で浅い呼吸を繰り返し、
「なんだか緊張するねっ?」
「俺の運転が信用ならないってこと?」
「えっ!? そういうことじゃなくてっ――」
 どうしててんぱっているのかがまるで理解できない。
 翠は落ち着かない様子でこう続けた。
「……蒼兄や唯兄が免許を取ったときも助手席に乗っていたのだけど、同年代の人の車に乗るのは初めてで、いつもと違う状況にドキドキするというか……」
「あぁ、そういう意味……。でも、これからはそれが普通になるんじゃない?」
「え?」
「一定の年になれば誰でも免許は取れるし、自分が年をとれば必然的にそういうシーンが増えるだろ」
「……そっか」
「安心していい。そんなに緊張しなくても安全運転を心がけるから。……ただ、何がきれいって言われてもそっちを見ることはできないけど」
 翠は口を噤んだが、ようやく緊張がほぐれたのか、シートに深く背を預けたのが感じられた。
「到着まで一時間かからないくらいだから、少し休んでれば?」
「でも――」
「今日は午前から動いてるだろ。海に着いたら多少なりとも歩くわけだし……」
 こんなに緊張されていたら、嫌でも緊張が伝染する。
 危ない運転をするつもりはないけど、肩に変な力が入るのは避けたかった。
 翠は戸惑ったまま俺の顔を見ている。
 たぶん、申し訳ないとかその手のことを考えているのだろう。
「これから先、ずっと一緒にいるわけだから、今少し休むくらいなんてことはない」
 それこそ、これから何十年も一緒にいるわけだから、そのうちの一時間なんてどうってことはないわけで……。
 ほかにどんな言葉を追加できるか考えていると、
「……じゃ、少しだけ」
 翠はようやくシートを倒した。

 海に着いたのは四時前。
 サイドブレーキを引いたら翠が起きた。もしかしたら眠れはしなかったのかもしれない。それでも翠は車を降りると、「うーん」と大きく伸びをして見せる。
 太陽の光を浴びた翠の肌が、より白くきれいに見えて釘付けになった。
「さすがにまだ暑いね? でも、風が気持ちいい」
 翠は風に髪をなびかせ歩きだす。
 駐車場の前の砂浜に出てみたものの、砂は熱を持っていてその上を歩けそうにはなかった。
「翠、先に海浜公園へ行こう」
「うん!」
 駐車場伝いに海辺を歩き、海浜公園へ入る。けれど、夕方ということもあり、道を引き返してくる家族連れが多かった。中には日陰を選んで犬の散歩をしている人もいる。
 昨日来たときにも園内は見て回ったけれど、植物の説明までは目を通しておらず、それらを見つけるたびに足を止める翠に付き合って読みながら歩みを進めていた。
 小高い丘にある東屋に着くと翠は風景を見渡し、
「暑いけど、気持ちのいい景色だね」
 昨日も見た風景を回し見ては自分も頷く。
 家族と来るのと翠と来るのは何かが違う。明確な「何か」はわからないものの、翠が隣にいることを嬉しいと思う。
 そんなことを考えていると、
「ツカサは何が好き? どういうところへ出かけたら楽しい?」
 突然の質問に意表をつかれた。
 そんなにつまらなさそうに見えたのだろうか。
「別につまらないとは言ってないんだけど……」
 訂正を口にしたつもりだった。しかし、
「でも、楽しくはないのでしょう?」
 ここで、翠が隣にいることが嬉しいと言える性格ではない。言えたところで、
「知らない知識を得る機会は有意義だと思ってる」
 これがせいぜい。
 きっと、どれだけ一緒にいる時間が増えてもこういう自分は変わらないだろう。秋兄のようにストレートな物言いをできるようになるとは思えない。それに翠は付き合ってくれるだろうか。
 翠をちらりとうかがい見ると、
「ツカサが行きたい場所はどんなところ?」
 改めて訊かれたものの、すぐに答えられるものなどひとつしかなかった。
「動物園」
 小さな声で答えると、「動物園?」と尋ね返される。
 恥ずかしくなって顔を背けると、
「動物が好きなの?」
 と、顔を覗き込まれた。
 仕方なしに頷くと、翠は携帯で動物園を検索し始めた。
 そんなことをせずとも、近くの動物園くらい知っている。
「葉山動物園」と場所を示すと、翠は検索の条件を変えアクセス方法を調べていた。
 公共の乗り物に乗るなら藤倉から支倉まで行き、支倉で乗り換えて三駅目。そこからバスに乗ることになる。が、車の免許を取ったのだから車でだって行けるわけで……。
 公共の乗り物を検索しているところを見ると、やはり自分の運転に不安があるのだろうか。
「じゃぁ、次はそこへ行こうね。次はなんのご褒美かな……」
 宙を見る翠に待ったをかける。
「それ――デートに対する翠の認識が知りたいんだけど」
「え……?」
 え、じゃない。え、じゃ……。今の言い方だと、何かご褒美がないとデートができないみたいに聞こえる。
 翠は少し考えてから、
「特別な日。ご褒美、プレゼント、お祝い?」
 最後に疑問符をつけて返事した。
 俺はため息をつき、
「それ、改めて」
「え……?」
「特別な日はいいにしても、ご褒美とプレゼント、お祝いって何? 前にも言ったけど、プレゼントとデートを相殺しなくていいし、特別な何かがなくてもデートくらいするんだけど」
「……本当?」
 きょとんとした顔が俺を見る。
「嘘つくようなことじゃないだろ」
「なんだか嬉しい……」
 そう言って笑った翠が、異様にかわいく見えて恥ずかしくなった。
 恥ずかしさに耐え切れず、俺は視線を逸らすことでその場をやり過ごした。
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