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October
紫苑祭一日目 Side 司 02話
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翠の様子が一変したのは受験の話になってから。
でも、受験がいつなのか、と尋ねたときはいつもの翠だったと思う。
なら、翠の表情が曇ったのはどのタイミングなのか――
「受験が終わっている」ということを知ってから……?
たかが受験が終わっているだけでどうしてこんな状況に陥るのか、俺にはさっぱり理解ができない。
「だって、私、知らなかった」って何……?
言ってないのだから知るわけがない。
その言葉が持つ意味やニュアンスを考えるなら、「どうして教えてくれなかったの?」と変換できるけれど、それこそ意味不明だ。
なぜ教える必要がある……?
教えたところで受験するのは俺だし、翠が知って得することもできることもないと思うけど。
完全に手詰まりで、俺はひたすら翠の後ろ姿を見て歩いていた。
坂を上っているというのに翠の頭は上を向いていない。それどころか、不自然なくらい俯いていた。
それだけ地面を見て歩いていれば躓くことはないだろうけれど、俯くことで圧迫される神経が悪さをしないだろうか。
そんなことが心配になる域。
ところが、坂を上りきる手前で首の角度が変わった。つまり、頭を上げた。
「……考え、まとまった?」
急に声をかけたからだろうか。
翠は不自然なほど肩を揺らして驚いた。
反応はあったものの振り向きはしない。
負けず嫌いの翠のことだから、泣き顔を見られたくないとかその手の反発心があるのかもしれない。
それでも、顔を見ずに話すつもりは毛頭なかった。
隣に並び名前を呼ぶと、
「……自己分析完了、です」
翠は小さく呟いた。
けれど、その先に言葉は続かない。
分析は終わったのに話すつもりはないのだろうか。
そんなの、認められるわけがない。
「分析できたなら説明してほしいんだけど」
「うん……」
翠は不安そうな表情で俺を見ると、
「その前に訊いてもいい?」
何を……?
「ツカサにとって受験って、何……?」
……は? 「受験って何」って、何……?
「受験は受験でしかないだろ」
大学に入るために必要なもので、高校三年時に通るべき通過点。
それ以上でもそれ以下でもない。
「そういうことじゃなくて……」
翠が何を言いたいのか、何を知りたがっているのかがわからない。
まだ言いたいことや自分の考えがまとまっていないのだろうか。
だから、こんなにも要領を得ない質問をしてくるのか。
それなら紙に書き出す環境を用意したほうが――
「なんてことのない予定のひとつ? それともイベントや行事クラスの大きな出来事?」
は……?
「……翠が何を知りたがっているのかわからないけど、受験なんて通過点のひとつにすぎない。それが何?」
翠は唇をきつく引き締めてから、
「私にとっては大きな予定なの。一大事なの。何と同じくらいかというならば、ツカサのインターハイやピアノのコンクールと同じくらいに大きな予定」
すべての言葉のあとに小さな「つ」が表示されそうな、翠にしては珍しくも語気を荒げた口調だった。
さらには、「どうしてわかってくれないの!?」と言っているかのような表情だ。
「そうは言っても翠が試合に出るわけじゃないし受験するわけでもないだろ?」
疑問を投げかけた途端、翠の表情が悲しそうなそれへと変化する。そして、今まで合っていた視線をおもむろに外された。
少し顔を背けられ、表情を読むこともできなくなる。が、その数秒後、顔の向きを直した翠に真正面から見上げられた。
「そうだね、ツカサの言うとおりだと思う。私が試合に出るわけじゃないし受験をするわけでもない。でもね、大切な人が直面するから知っておきたいっていう想いもあるんだよ」
俺の言うとおりと言ってはいるが、まったく肯定された気がしない。
それどころか、最後に諭された気がするんだけど……。そもそも、
「翠が泣いた理由ってそれ?」
「……そう。でも、もう少し細分化してるかな」
それ、できるだけ詳しく教えてほしい。
何をどうしても、この件に関しては翠の考えを理解できそうにない。
「この際だから全部言ってほしいんだけど」
すると、翠はひとつずつ話し出した。
「受験クラスの大きな予定は教えてもらえると思ってた。でも、教えてもらうどころか終わっていたし、合格していることすら知らなかった。教えてもらえたところで私ができるのは『がんばってね』とか『おめでとう』とか、ありきたりな言葉をかけることくらいだけど、何もできなくても知っていたかったの。そう思っていたところに『言う必要あった?』ってツカサに言われて悲しくなっただけ」
何もできなくても知っていたかった……?
涙の理由は「悲しかった」から……?
これをどうやって理解しろというのか――
頭痛を覚えそうになったそのとき、
「こういうのを価値観の差、っていうんだろうね。……価値観に差がある場合、相手が話している内容を理解できたとしても気持ちまでは理解することはできないから――だから、どれだけ詳しく話しても、どれだけたとえ話を並べても、平行線な会話にしかならないと思う」
「価値観の差」という言葉にも衝撃を受けたけど、それ以上に「平行線な会話にしかならないと思う」という断定口調の言葉に痛みを覚えた。
一気にバサリと切り捨てられたような、そんな衝撃。
「分かり合うことは無理」と諦められたような、そんな感覚。
確かに、翠の言うことを理解できないと思ったし、何を言っているんだとも思った。でも、わかりたいと思う気持ちはあるし、歩み寄る意思はあるわけで、それらをすべて薙ぎ払われたような、拒絶されたような気がした。
隣を歩く翠の歩調に変化があって、マンションのエントランスを歩いていることに気づく。
今翠が何を考えたのかは想像に易い。
おそらく、気まずい雰囲気のままエレベーターという個室にふたりきりになることを躊躇しているのだろう。
でも、こんな状態で別れることだけは受け入れられない。
結果、俺は翠の手を掴んでエレベーターに乗り込んだ。
条件反射で九階のボタンを押してしまったが、エレベーターが九階に着くのなんてあっという間だ。その間に問題を解決できるとは思えない。
でも、時間が時間だから十階でゆっくり話すというわけにもいかない。
試行錯誤しているうちにエレベーターは九階に着いてしまうし、開いたドアは一定時間を過ぎて閉まってしまった。
「ツカサ……?」
なんにせよ、このままエレベーターに乗っているのは良策じゃない。
「……価値観の差は理解したつもり。でも、理解したところで受験は終わっているし、今からフォローになりえるものってないの?」
また、突き放すような言葉が返されるだろうか。
緊張を身にまとい翠の言葉を待っていると、
「お話しがしたい……。たくさん、お話しがしたい。話す内容はなんでもいいのだけど、できたらツカサのことが知りたい」
俺の、こと……?
ゆっくりと翠を振り返り、
「たとえば?」
「…………」
すぐに思いつくものがないのか、翠は再び口を噤んだ。
でも、さっきよりはいい。糸口さえあればなんとかできる気がする。
翠の手を引いてエレベーターを降り腕時計を確認すると――七時四十三分。
「八時まで時間もらえる?」
翠はコクリと頷き、唯さんに連絡を入れる旨を口にした。
翠はメールを送り終えると言葉を探すように視線を彷徨わせ、ゆっくりと口を開いた。
「受験、いつ終わったの……?」
「AO入試だったから試験って試験はとくになかった」
それ以上のことを訊かれるとは思っていなかった俺に反し、翠は受験の詳細を聞きたがる。
順を追って答えていく俺を翠は真剣な目で見つめ、ひとつひとつの回答に丁寧すぎるほど慎重に相槌を打つ。さらには志望動機や自己ピーアールの詳細を知りたがり、話せば言葉少なに感心して見せた。
「九月半ばに最後の面接があって、十月の頭には合格通知が届いた」
「学力試験は……?」
「通常、AO入試であってもセンター試験を受ける必要があるらしいけど、俺の場合は指定校推薦枠の基準をクリアしているから成績面を問題視されることはなかった」
「インターハイもあったのに、面接が三回なんて大変だったね」
「別に……医者になるための一過程にすぎない。ほかに訊きたいことは?」
本当にこんな話をするだけでいいのか、という思いで翠を見ると、
「明日、なんの競技に出るの?」
努めて冷静に――そんな感じの声に表情。
「それも知りたかったこと?」
尋ねると、翠は苦笑を浮かべた。
「今日優太先輩と話していて、知らないことにびっくりしたの。どうして知らないのかな、ってものすごくびっくりした」
なるほど……。
確かに知っていてもなんらおかしいことではない内容だけど――
「ふたつあるうちのひとつは教えられる。けど、もうひとつは教えられない」
「……どうして?」
「うちの組しか知らないことだから」
翠は少し間をおいてから、
「ひとつは合気道?」
「そう」
「もうひとつはワルツ……?」
これで誘導尋問しているつもりなのだろうか。
俺を見上げてくる翠をまじまじと見つつ、
「さぁ、どうかな」
「……だって、ワルツは姫と王子の恒例行事なのでしょう?」
珍しく食い下がるな……。
「それが恒例になっているだけであって、そうしなくてはいけないというルールはない」
俺の言葉に翠は声をあげて驚いた。
「そもそも、どうして翠以外の人間と踊らないといけない?」
割と真面目に口にしたつもりだったが、翠は口を噤んで肩を竦める。
「……あぁ、そうだった。翠は俺以外の男と踊るんだったな」
若干の抑揚をつけて話せば翠はさらに身を縮こめた。
そこでふと時計に目をやると、あと三分で八時というタイミング。
「ほかには?」
「……あの、訊きたいことじゃないのだけど」
どこか言いづらそうな声音だが、ついさっき泣かせたことを踏まえれば、何を言われても聞き届けるのが筋というもの。
「何?」
「明日、応援に立つことがあったら――写真……撮ってもいい?」
今日の応援合戦で優勝した組が、朝一番に全校生徒へ応援を送ることになっている。
おそらくそのことを言っているのだろう。
でも、なんで写真……?
理由を尋ねようとしたら、
「……今日の応援合戦、とても格好良くて……写真、欲しいなって……」
言いづらそうにしていたのは、そんなことを言おうものなら俺が交換条件を出すと思っているから……?
実際、いつもの俺なら間髪容れずに交換条件を提示しただろう。けど今日は――
「それで帳消しにできる?」
「え……?」
「今日泣かせたの……。それで帳消しにできるならかまわない」
翠は何度か瞬きを繰り返し、
「いいの……? 本当にいいの……?」
「……帳消しになるならかまわない」
「なるっ! なるよっ! 帳消しになるっ!」
一気に花が咲いたような満面の笑みに、感激具合に面食らう。
俺は照れ隠しに「喜びすぎ」と翠の頭に手を置いたけど、その手を両手で掴んでまで喜ぶ翠がかわいくて少し困った。
無邪気に喜びすぎだろ……。
「受験」なんて些細な予定まで知りたいと泣いた翠の気持ちを理解するのは難しい。でも、なんてことのない自分の話をしただけなのに、真剣な目で話を聞いている翠は愛おしく思えた。
――「知りたい」か……。
もしかしたら、「受験」や「スケジュール」「結果」なんてあまり関係ないのかもしれない。
ただ、「相手のことを知りたい」。それだけなのかも……。
翠が何を考えているのか、何を思っているのか、どうして泣いたのか。そういうのを知りたいと思うこととさして変わらず、「好きな人のことだから知りたい」という単純な欲求だったのかも。
そんなことがわかったところで、翠が俺の何を知りたがっているのかをすべて把握することはできないだろう。だとしたら、今回みたいなすれ違いがまた生じるかもしれない。
そのたびに翠のことを泣かせるのかと思えば少しは精進したいわけだけど、それでも傷つけて泣かせてしまうことがあったなら、今日みたいにひとつひとつ解決していきたい。
……願わくば、翠が同じように思ってくれると嬉しい――
でも、受験がいつなのか、と尋ねたときはいつもの翠だったと思う。
なら、翠の表情が曇ったのはどのタイミングなのか――
「受験が終わっている」ということを知ってから……?
たかが受験が終わっているだけでどうしてこんな状況に陥るのか、俺にはさっぱり理解ができない。
「だって、私、知らなかった」って何……?
言ってないのだから知るわけがない。
その言葉が持つ意味やニュアンスを考えるなら、「どうして教えてくれなかったの?」と変換できるけれど、それこそ意味不明だ。
なぜ教える必要がある……?
教えたところで受験するのは俺だし、翠が知って得することもできることもないと思うけど。
完全に手詰まりで、俺はひたすら翠の後ろ姿を見て歩いていた。
坂を上っているというのに翠の頭は上を向いていない。それどころか、不自然なくらい俯いていた。
それだけ地面を見て歩いていれば躓くことはないだろうけれど、俯くことで圧迫される神経が悪さをしないだろうか。
そんなことが心配になる域。
ところが、坂を上りきる手前で首の角度が変わった。つまり、頭を上げた。
「……考え、まとまった?」
急に声をかけたからだろうか。
翠は不自然なほど肩を揺らして驚いた。
反応はあったものの振り向きはしない。
負けず嫌いの翠のことだから、泣き顔を見られたくないとかその手の反発心があるのかもしれない。
それでも、顔を見ずに話すつもりは毛頭なかった。
隣に並び名前を呼ぶと、
「……自己分析完了、です」
翠は小さく呟いた。
けれど、その先に言葉は続かない。
分析は終わったのに話すつもりはないのだろうか。
そんなの、認められるわけがない。
「分析できたなら説明してほしいんだけど」
「うん……」
翠は不安そうな表情で俺を見ると、
「その前に訊いてもいい?」
何を……?
「ツカサにとって受験って、何……?」
……は? 「受験って何」って、何……?
「受験は受験でしかないだろ」
大学に入るために必要なもので、高校三年時に通るべき通過点。
それ以上でもそれ以下でもない。
「そういうことじゃなくて……」
翠が何を言いたいのか、何を知りたがっているのかがわからない。
まだ言いたいことや自分の考えがまとまっていないのだろうか。
だから、こんなにも要領を得ない質問をしてくるのか。
それなら紙に書き出す環境を用意したほうが――
「なんてことのない予定のひとつ? それともイベントや行事クラスの大きな出来事?」
は……?
「……翠が何を知りたがっているのかわからないけど、受験なんて通過点のひとつにすぎない。それが何?」
翠は唇をきつく引き締めてから、
「私にとっては大きな予定なの。一大事なの。何と同じくらいかというならば、ツカサのインターハイやピアノのコンクールと同じくらいに大きな予定」
すべての言葉のあとに小さな「つ」が表示されそうな、翠にしては珍しくも語気を荒げた口調だった。
さらには、「どうしてわかってくれないの!?」と言っているかのような表情だ。
「そうは言っても翠が試合に出るわけじゃないし受験するわけでもないだろ?」
疑問を投げかけた途端、翠の表情が悲しそうなそれへと変化する。そして、今まで合っていた視線をおもむろに外された。
少し顔を背けられ、表情を読むこともできなくなる。が、その数秒後、顔の向きを直した翠に真正面から見上げられた。
「そうだね、ツカサの言うとおりだと思う。私が試合に出るわけじゃないし受験をするわけでもない。でもね、大切な人が直面するから知っておきたいっていう想いもあるんだよ」
俺の言うとおりと言ってはいるが、まったく肯定された気がしない。
それどころか、最後に諭された気がするんだけど……。そもそも、
「翠が泣いた理由ってそれ?」
「……そう。でも、もう少し細分化してるかな」
それ、できるだけ詳しく教えてほしい。
何をどうしても、この件に関しては翠の考えを理解できそうにない。
「この際だから全部言ってほしいんだけど」
すると、翠はひとつずつ話し出した。
「受験クラスの大きな予定は教えてもらえると思ってた。でも、教えてもらうどころか終わっていたし、合格していることすら知らなかった。教えてもらえたところで私ができるのは『がんばってね』とか『おめでとう』とか、ありきたりな言葉をかけることくらいだけど、何もできなくても知っていたかったの。そう思っていたところに『言う必要あった?』ってツカサに言われて悲しくなっただけ」
何もできなくても知っていたかった……?
涙の理由は「悲しかった」から……?
これをどうやって理解しろというのか――
頭痛を覚えそうになったそのとき、
「こういうのを価値観の差、っていうんだろうね。……価値観に差がある場合、相手が話している内容を理解できたとしても気持ちまでは理解することはできないから――だから、どれだけ詳しく話しても、どれだけたとえ話を並べても、平行線な会話にしかならないと思う」
「価値観の差」という言葉にも衝撃を受けたけど、それ以上に「平行線な会話にしかならないと思う」という断定口調の言葉に痛みを覚えた。
一気にバサリと切り捨てられたような、そんな衝撃。
「分かり合うことは無理」と諦められたような、そんな感覚。
確かに、翠の言うことを理解できないと思ったし、何を言っているんだとも思った。でも、わかりたいと思う気持ちはあるし、歩み寄る意思はあるわけで、それらをすべて薙ぎ払われたような、拒絶されたような気がした。
隣を歩く翠の歩調に変化があって、マンションのエントランスを歩いていることに気づく。
今翠が何を考えたのかは想像に易い。
おそらく、気まずい雰囲気のままエレベーターという個室にふたりきりになることを躊躇しているのだろう。
でも、こんな状態で別れることだけは受け入れられない。
結果、俺は翠の手を掴んでエレベーターに乗り込んだ。
条件反射で九階のボタンを押してしまったが、エレベーターが九階に着くのなんてあっという間だ。その間に問題を解決できるとは思えない。
でも、時間が時間だから十階でゆっくり話すというわけにもいかない。
試行錯誤しているうちにエレベーターは九階に着いてしまうし、開いたドアは一定時間を過ぎて閉まってしまった。
「ツカサ……?」
なんにせよ、このままエレベーターに乗っているのは良策じゃない。
「……価値観の差は理解したつもり。でも、理解したところで受験は終わっているし、今からフォローになりえるものってないの?」
また、突き放すような言葉が返されるだろうか。
緊張を身にまとい翠の言葉を待っていると、
「お話しがしたい……。たくさん、お話しがしたい。話す内容はなんでもいいのだけど、できたらツカサのことが知りたい」
俺の、こと……?
ゆっくりと翠を振り返り、
「たとえば?」
「…………」
すぐに思いつくものがないのか、翠は再び口を噤んだ。
でも、さっきよりはいい。糸口さえあればなんとかできる気がする。
翠の手を引いてエレベーターを降り腕時計を確認すると――七時四十三分。
「八時まで時間もらえる?」
翠はコクリと頷き、唯さんに連絡を入れる旨を口にした。
翠はメールを送り終えると言葉を探すように視線を彷徨わせ、ゆっくりと口を開いた。
「受験、いつ終わったの……?」
「AO入試だったから試験って試験はとくになかった」
それ以上のことを訊かれるとは思っていなかった俺に反し、翠は受験の詳細を聞きたがる。
順を追って答えていく俺を翠は真剣な目で見つめ、ひとつひとつの回答に丁寧すぎるほど慎重に相槌を打つ。さらには志望動機や自己ピーアールの詳細を知りたがり、話せば言葉少なに感心して見せた。
「九月半ばに最後の面接があって、十月の頭には合格通知が届いた」
「学力試験は……?」
「通常、AO入試であってもセンター試験を受ける必要があるらしいけど、俺の場合は指定校推薦枠の基準をクリアしているから成績面を問題視されることはなかった」
「インターハイもあったのに、面接が三回なんて大変だったね」
「別に……医者になるための一過程にすぎない。ほかに訊きたいことは?」
本当にこんな話をするだけでいいのか、という思いで翠を見ると、
「明日、なんの競技に出るの?」
努めて冷静に――そんな感じの声に表情。
「それも知りたかったこと?」
尋ねると、翠は苦笑を浮かべた。
「今日優太先輩と話していて、知らないことにびっくりしたの。どうして知らないのかな、ってものすごくびっくりした」
なるほど……。
確かに知っていてもなんらおかしいことではない内容だけど――
「ふたつあるうちのひとつは教えられる。けど、もうひとつは教えられない」
「……どうして?」
「うちの組しか知らないことだから」
翠は少し間をおいてから、
「ひとつは合気道?」
「そう」
「もうひとつはワルツ……?」
これで誘導尋問しているつもりなのだろうか。
俺を見上げてくる翠をまじまじと見つつ、
「さぁ、どうかな」
「……だって、ワルツは姫と王子の恒例行事なのでしょう?」
珍しく食い下がるな……。
「それが恒例になっているだけであって、そうしなくてはいけないというルールはない」
俺の言葉に翠は声をあげて驚いた。
「そもそも、どうして翠以外の人間と踊らないといけない?」
割と真面目に口にしたつもりだったが、翠は口を噤んで肩を竦める。
「……あぁ、そうだった。翠は俺以外の男と踊るんだったな」
若干の抑揚をつけて話せば翠はさらに身を縮こめた。
そこでふと時計に目をやると、あと三分で八時というタイミング。
「ほかには?」
「……あの、訊きたいことじゃないのだけど」
どこか言いづらそうな声音だが、ついさっき泣かせたことを踏まえれば、何を言われても聞き届けるのが筋というもの。
「何?」
「明日、応援に立つことがあったら――写真……撮ってもいい?」
今日の応援合戦で優勝した組が、朝一番に全校生徒へ応援を送ることになっている。
おそらくそのことを言っているのだろう。
でも、なんで写真……?
理由を尋ねようとしたら、
「……今日の応援合戦、とても格好良くて……写真、欲しいなって……」
言いづらそうにしていたのは、そんなことを言おうものなら俺が交換条件を出すと思っているから……?
実際、いつもの俺なら間髪容れずに交換条件を提示しただろう。けど今日は――
「それで帳消しにできる?」
「え……?」
「今日泣かせたの……。それで帳消しにできるならかまわない」
翠は何度か瞬きを繰り返し、
「いいの……? 本当にいいの……?」
「……帳消しになるならかまわない」
「なるっ! なるよっ! 帳消しになるっ!」
一気に花が咲いたような満面の笑みに、感激具合に面食らう。
俺は照れ隠しに「喜びすぎ」と翠の頭に手を置いたけど、その手を両手で掴んでまで喜ぶ翠がかわいくて少し困った。
無邪気に喜びすぎだろ……。
「受験」なんて些細な予定まで知りたいと泣いた翠の気持ちを理解するのは難しい。でも、なんてことのない自分の話をしただけなのに、真剣な目で話を聞いている翠は愛おしく思えた。
――「知りたい」か……。
もしかしたら、「受験」や「スケジュール」「結果」なんてあまり関係ないのかもしれない。
ただ、「相手のことを知りたい」。それだけなのかも……。
翠が何を考えているのか、何を思っているのか、どうして泣いたのか。そういうのを知りたいと思うこととさして変わらず、「好きな人のことだから知りたい」という単純な欲求だったのかも。
そんなことがわかったところで、翠が俺の何を知りたがっているのかをすべて把握することはできないだろう。だとしたら、今回みたいなすれ違いがまた生じるかもしれない。
そのたびに翠のことを泣かせるのかと思えば少しは精進したいわけだけど、それでも傷つけて泣かせてしまうことがあったなら、今日みたいにひとつひとつ解決していきたい。
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