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October
紫苑祭二日目 Side 司 09話
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手洗いうがいを済ませてリビングで翠を待っていると、
「翠葉ちゃんの足、そんなに悪いの?」
栞さんが心配そうな面持ちで訊いてきた。
「俺は階段から落ちたところを目撃したわけじゃないし、怪我自体も直接見てるわけじゃない。ただ、湿布を貼って鎮痛剤を飲んでいる割には腫れがひどい気がする」
「そうか。ま、診てみないとにはわかんねーな」
会話が途切れたところで零樹さんに、
「高校最後の紫苑祭はどうだった? 楽しかった?」
実ににこやかに、期待に満ちた目で尋ねられた。
しかし、とくに「楽しい」という感情は抱かなかったし、かといってそのまま答えるのはどうなのか――
これが自分の身内であれば、何を考えることなく「別に」と答えるところだが……。
返答に困窮していると、身内連中が笑いだした。
「零樹さん、司に楽しかったかどうかを訊いて『楽しかった』なんて返事が聞けた日には、雹が降ってきてもおかしくないですよ」
秋兄の言葉に栞さんや昇さん、兄さんまで笑いながら頷く。
「へ? そうなの? じゃ、司くんはどんなときなら楽しいと感じるのかな?」
変なところに関心を持たれて複雑な気分……。
どんなときなら楽しいか、なんて考えてもそうそう出てくるものではない。
どんなときが楽しいかどんなときが楽しいかどんなときが楽しいか――
医学書を読んで知らない知識を得ると満足感や充足感は得られるけど……。
「俺が司の口から『楽しかった』って聞いたのは、二年くらい前に作ったゲームをクリアした直後だったかな? 『どうだった?』って訊いたら、ちょっと作りこみが甘かったところを指摘されて、そのあと『でも、楽しかった』ってぼそっと口にして」
そんなことよく覚えてるな……。その無駄な記憶力はもっと生産性のあることに生かせと言いたい。
このままいじられ続けるのは勘弁願いたいわけだけど、どうしたらこの話を終わりにできるのか――
「お待たせしました」
背後から、控えめな翠の声が割り込んだ。
反射的に振り返って面食らう。
翠はショートパンツにパーカという軽装。
さっきは上半身で今度は下半身。頼むからいい加減にしてくれ……。
普段は露出の多い服など着ないし、学校でミニスカートを履かされたときだって激しく抵抗をしていたくせに、なんでショートパンツ――
そこまで考えて、翠にとってここがホームグラウンドであることに気づく。
うっかり赤面してしまった顔をどうすることもできずに身体の向きを変えると、秋兄と目が合った。
「未熟者」と言わんばかりに笑みを深める仕草が最悪。
いくらここがホームグラウンドでも秋兄や身内以外の人間もいるのだから、そのあたり翠は考慮すべきだと思う。しかし、この場に秋兄がいることがすでに「普通」になっているのだとしたら、秋兄はこんな格好を日ごろから見ているのかもしれないわけで――
うろたえる俺を気にも留めず、兄さんに促された翠はソファへと腰を下ろした。
「テーピングと湿布剥がすぞ?」
昇さんの言葉に翠は身を硬くして小さく頷く。
昇さんは足を正面にして、
「楓、洗面器に水」
「了解」
おそらく、湿布を剥がす衝撃を軽減するために濡らすのだろう。
不思議そうとも不安そうとも取れる表情をしている翠には、栞さんがその旨の説明をしていた。
栞さんの説明が終わるなり、
「翠葉ちゃん、これ、かなり痛いだろ?」
昇さんが唸りながら尋ねると、
「えぇと……怪我した直後にロキソニンを飲んだんです。だから、そこまでひどい痛みではなかったんですけど、さすがに時間切れでしょうか……。少し前からズキズキしてます。でも、耐えられるか耐えられないかと訊かれたら耐えられないほどではな――」
言葉半ばで翠はデコピンを食らう羽目になる。
なんていうか、そこ、我慢するところじゃないし……。
「翠葉ちゃんの痛みに対する耐性はわかっちゃいるが、こういうのは我慢していいことなんてひとつもない。ちゃんと処置しないと長引くし熱が出ることだって――」
翠は空々しく視線を逸らす。
そんなわかりやすい動作をするバカがあるか……。
ため息と同時、
「翠、自己申告を勧めるけど?」
上目遣いの翠と視線が合い、翠は残念そうな表情で携帯のディスプレイを表示させ、昇さんへ差し出した。
「なんだ、もう発熱してんのか。しかも、ロキソニンを飲んだのが何時だって?」
「ワルツ競技の十五分前だったので、五時前です」
「で、今が七時四十分、と。翠葉ちゃんは効き始めるのも早いけど半減期も早いからな……こんなもんか」
「ごめんなさい……」
「いやいや、謝られてもな……。ところで、ワルツ競技の前って、翠葉ちゃんワルツの代表って言ってなかったか?」
「言ってました……」
翠はまたしても顔を背ける。
「ははぁ……できる限りの処置をして出た口だな?」
「ごめんなさいぃぃぃ……」
平身低頭の姿勢を取るが、ソファに座る翠の正面に膝を着いている昇さんのほうがどうしたって低いわけで、なんとも意味のない動作だ。
昇さんはここぞとばかりに翠の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。そこへ兄さんが洗面器を持ってきたところで診察を再開した。
「昇……これ、骨までいってないわよね?」
「ま、歩けてんだからいっててもヒビくらいじゃね? 実際のところは剥がしてみねえことにはなんともな」
そんな会話に翠はびくびくしている。
これだけの怪我を隠していたのだから、このくらいの仕打ちは受けてしかるべき。
ゆっくりと湿布が剥がされ肌が見えると、足の脛全体が真紫に変色していた。
腫れている、というのもあるが、おそらくは強く擦ったのだろう。かなりひどい内出血の状態だった。
「こりゃまた派手にやらかしたな。何がどうしたらこんなになんだか……」
一同呆気に取られているところ、
「翠に嫉妬した女子に階段から突き落とされてこうなった」
事情を含め簡潔に話すと、
「そりゃまたえらい目にあったな……。ま、予告なく突き落とされたらこうもなるか。ちょっと触るぞ」
昇さんが言いながら手を近づけると、同じような要領で翠の足が逃げた。しかし、その動作にすら痛みが走るのか、翠は顔をしかめる。
「翠、少しの間我慢しろ」
むしろ、我慢とはこういう場でするものなんだが……。
居たたまれない翠を横目に見つつ、
「昇さん、とっとと診てやってください」
「はいよ」
昇さんは必要最低限しか足に触れず、診察を終わらせた。
「明日病院行ってレントゲンな」
「えっ?」
翠は気づいていないが、翠の反応にみんなが驚いたくらいだ。
ここまでひどい怪我なら素人でもレントゲンを撮ったほうがいいことくらい察する。
病院慣れしてるくせに意外と疎い。
そんな翠を昇さんが宥めると、翠は肩を落として従う旨「はい」を口にした。
「病院に連絡入れておくから救急センターの方へ行きな。そしたらすぐレントゲンに回してもらえるようにお願いしておく」
「ありがとうございます……」
肩を落とした翠を取り残して話だけは先へ進む。
兄さんが鎮痛剤の選択の件を話題にあげれば、翠の胃腸は父さんの管轄だから、などという話になり、昇さんはすかさず父さんへ連絡を入れていた。
リビングの片隅に佇む碧さんと零樹さんは心配の面持ちで翠の足を見ている。その斜め前にいる御園生さんと唯さんも変わらない風体だ。
やっぱり謝るべき、だよな……。
御園生家が集まる方へ身体を向け、
「すみませんでした」
頭を下げると、
「ツカサ……?」
翠がソファ越しに振り返る。
「今回のことは自分に要因があります」
「そんなっ、ツカサが謝ることじゃないって話したでしょうっ!?」
「それでも、間接的に絡んでいることに変わりはない」
再度、碧さんたちへ向けて頭を下げる。と、
「事の経緯は川岸先生から聞いているわ。でも、私たちも翠葉と同じ意見よ。司くんが悪いとは思わない。それに、翠葉はあなたに関わることを、藤宮に関わることを選んだの。だからといって何に巻き込まれても仕方がない、と言うつもりはないけれど、嫉妬や反感を買うことから逃れられないのは事実よ。でも、どんな感情を抱かれたとしても、今回のような怪我を防ぐことはできるはず」
防げる……?
こんな、一個人の感情から引き起こされた事態をどうしたら――
碧さんはさもそれが簡単のことのように話を続ける。
「そうでしょう? 翠葉も司くんも、今回のことで思うところがあるのなら、今後に生かしなさい。同じことを繰り返さないように、同じ後悔をしないように。ふたりで話し合うもよし。人に相談するもよし。肝心なのは、このままでいないこと」
安易に聞き流すことのできない言葉たち。
気づけば俺は、呼吸することも忘れて碧さんの言葉に耳を傾けていた。
ひたすらに、「回避方法」に考えをめぐらせていると、
「考えてみて? 事前に防ぐことができれば翠葉は傷つかずに済むし、罰を受ける人も生まれないのよ」
碧さんはにこりと笑い、「ご飯にしましょう」とその場の空気を一掃した。
未だ答えにたどり着けない俺をよそに、翠は昇さんの手当てを受けている。
足に新しい湿布薬を貼られ、
「今日は風呂に入んのはやめとけ。汗をかいたならタオルで拭くだけにしときな。明日以降も腫れが落ち着くまではシャワーな。見たところ足首は問題ないみたいだから、安静にしてるならテーピングまではしなくてもいい。そのほうが剥がすときも楽だしな。こんなもんか?」
昇さんが顔を上げると同時、
「なんだ、右手もやったのか?」
翠には少し大きいパーカで隠れていた手首を取られ、翠は歯切れ悪く答える。
「……はい。でも、そんなに痛くはなくて、ペットボトルのふたを開けるときに痛みが走ったくらい。捻る動作がだめみたいです」
テーピングを剥がしてみると、確かに手首は腫れてはいなかった。昇さんは手や指、手首の稼動範囲を確認しながら、
「見たところ腫れちゃいないが……これか?」
手首を軽く捻ると、
「それっ、痛いです……」
「筋を痛めたんだな。湿布貼ってしばらくは負荷をかけないようにな。それで治る。テーピングの仕方は今のでいいから、あとで司に教えてもらえ」
「ピアノの練習は……?」
「来週の半ばにもう一度診てやるから、それまではやめとけ」
「はい。……昇さん、あとね……」
翠の申し出に却下を申し出る。
たぶん、間違いなく明日の藤山の件だろう。
病院へ行ってレントゲンを撮って来いと言われているのに何を考えているんだか……。
翠が何を尋ねようとしていたのか知らない昇さんは、
「おいおい、俺に訊こうとしてんのになんでおまえが却下すんだよ」
無謀なことだから。
視線のみで答えたものの、昇さんには伝わらなかったらしい。
「なんだ?」
でれでれと甘い顔で昇さんが翠へ向き直ると、翠は俺の様子をうかがいながら、
「明日、ツカサと藤山に紅葉を見に行く約束をしていたんです。それもやっぱりだめ……です?」
当たり前だ。
脳内で即答したと同時、
「いや、別にかまわねぇよ」
はっっっ!?
「司、おまえ何却下してんだよ」
「だって、こんなに腫れてて外を出歩くとかバカのすることだし、昇さんだって安静にって――」
「言ったけど、藤山だろ? そんなんどうにでもなんだろーが」
「どうにでもってっ――」
俺と昇さんの割り入ってきたのは秋兄。
「司、少し落ち着いて考えな。藤山って、光朗道へ行くんだろ? それなら、車椅子を借りていけば問題ない。翠葉ちゃんが歩かなければいいんだから、それなら可能だろ?」
秋兄の言うことはもっともだった。
そっか、車椅子を使えば……。
こんな簡単なことすら思いつかなかった自分が情けない。
「まあまあ、ふたりともそのくらいにしてやって。司も疲れてるんだよ。翠葉ちゃんが怪我したってわかってからテンパってたっぽいし」
兄さんのこれはフォローなのかなんなのか……。
実際にはテンパっていたわけではない。でも、冷静さを欠いていたには違いなく、俺は何を言い返すこともできなかった。
もしかしたら、碧さんが言わんとしていたことは本当に簡単なことなのかもしれない。
少し休んで、改めて考えよう。翠が二度と傷つかずに済むように――
「翠葉ちゃんの足、そんなに悪いの?」
栞さんが心配そうな面持ちで訊いてきた。
「俺は階段から落ちたところを目撃したわけじゃないし、怪我自体も直接見てるわけじゃない。ただ、湿布を貼って鎮痛剤を飲んでいる割には腫れがひどい気がする」
「そうか。ま、診てみないとにはわかんねーな」
会話が途切れたところで零樹さんに、
「高校最後の紫苑祭はどうだった? 楽しかった?」
実ににこやかに、期待に満ちた目で尋ねられた。
しかし、とくに「楽しい」という感情は抱かなかったし、かといってそのまま答えるのはどうなのか――
これが自分の身内であれば、何を考えることなく「別に」と答えるところだが……。
返答に困窮していると、身内連中が笑いだした。
「零樹さん、司に楽しかったかどうかを訊いて『楽しかった』なんて返事が聞けた日には、雹が降ってきてもおかしくないですよ」
秋兄の言葉に栞さんや昇さん、兄さんまで笑いながら頷く。
「へ? そうなの? じゃ、司くんはどんなときなら楽しいと感じるのかな?」
変なところに関心を持たれて複雑な気分……。
どんなときなら楽しいか、なんて考えてもそうそう出てくるものではない。
どんなときが楽しいかどんなときが楽しいかどんなときが楽しいか――
医学書を読んで知らない知識を得ると満足感や充足感は得られるけど……。
「俺が司の口から『楽しかった』って聞いたのは、二年くらい前に作ったゲームをクリアした直後だったかな? 『どうだった?』って訊いたら、ちょっと作りこみが甘かったところを指摘されて、そのあと『でも、楽しかった』ってぼそっと口にして」
そんなことよく覚えてるな……。その無駄な記憶力はもっと生産性のあることに生かせと言いたい。
このままいじられ続けるのは勘弁願いたいわけだけど、どうしたらこの話を終わりにできるのか――
「お待たせしました」
背後から、控えめな翠の声が割り込んだ。
反射的に振り返って面食らう。
翠はショートパンツにパーカという軽装。
さっきは上半身で今度は下半身。頼むからいい加減にしてくれ……。
普段は露出の多い服など着ないし、学校でミニスカートを履かされたときだって激しく抵抗をしていたくせに、なんでショートパンツ――
そこまで考えて、翠にとってここがホームグラウンドであることに気づく。
うっかり赤面してしまった顔をどうすることもできずに身体の向きを変えると、秋兄と目が合った。
「未熟者」と言わんばかりに笑みを深める仕草が最悪。
いくらここがホームグラウンドでも秋兄や身内以外の人間もいるのだから、そのあたり翠は考慮すべきだと思う。しかし、この場に秋兄がいることがすでに「普通」になっているのだとしたら、秋兄はこんな格好を日ごろから見ているのかもしれないわけで――
うろたえる俺を気にも留めず、兄さんに促された翠はソファへと腰を下ろした。
「テーピングと湿布剥がすぞ?」
昇さんの言葉に翠は身を硬くして小さく頷く。
昇さんは足を正面にして、
「楓、洗面器に水」
「了解」
おそらく、湿布を剥がす衝撃を軽減するために濡らすのだろう。
不思議そうとも不安そうとも取れる表情をしている翠には、栞さんがその旨の説明をしていた。
栞さんの説明が終わるなり、
「翠葉ちゃん、これ、かなり痛いだろ?」
昇さんが唸りながら尋ねると、
「えぇと……怪我した直後にロキソニンを飲んだんです。だから、そこまでひどい痛みではなかったんですけど、さすがに時間切れでしょうか……。少し前からズキズキしてます。でも、耐えられるか耐えられないかと訊かれたら耐えられないほどではな――」
言葉半ばで翠はデコピンを食らう羽目になる。
なんていうか、そこ、我慢するところじゃないし……。
「翠葉ちゃんの痛みに対する耐性はわかっちゃいるが、こういうのは我慢していいことなんてひとつもない。ちゃんと処置しないと長引くし熱が出ることだって――」
翠は空々しく視線を逸らす。
そんなわかりやすい動作をするバカがあるか……。
ため息と同時、
「翠、自己申告を勧めるけど?」
上目遣いの翠と視線が合い、翠は残念そうな表情で携帯のディスプレイを表示させ、昇さんへ差し出した。
「なんだ、もう発熱してんのか。しかも、ロキソニンを飲んだのが何時だって?」
「ワルツ競技の十五分前だったので、五時前です」
「で、今が七時四十分、と。翠葉ちゃんは効き始めるのも早いけど半減期も早いからな……こんなもんか」
「ごめんなさい……」
「いやいや、謝られてもな……。ところで、ワルツ競技の前って、翠葉ちゃんワルツの代表って言ってなかったか?」
「言ってました……」
翠はまたしても顔を背ける。
「ははぁ……できる限りの処置をして出た口だな?」
「ごめんなさいぃぃぃ……」
平身低頭の姿勢を取るが、ソファに座る翠の正面に膝を着いている昇さんのほうがどうしたって低いわけで、なんとも意味のない動作だ。
昇さんはここぞとばかりに翠の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。そこへ兄さんが洗面器を持ってきたところで診察を再開した。
「昇……これ、骨までいってないわよね?」
「ま、歩けてんだからいっててもヒビくらいじゃね? 実際のところは剥がしてみねえことにはなんともな」
そんな会話に翠はびくびくしている。
これだけの怪我を隠していたのだから、このくらいの仕打ちは受けてしかるべき。
ゆっくりと湿布が剥がされ肌が見えると、足の脛全体が真紫に変色していた。
腫れている、というのもあるが、おそらくは強く擦ったのだろう。かなりひどい内出血の状態だった。
「こりゃまた派手にやらかしたな。何がどうしたらこんなになんだか……」
一同呆気に取られているところ、
「翠に嫉妬した女子に階段から突き落とされてこうなった」
事情を含め簡潔に話すと、
「そりゃまたえらい目にあったな……。ま、予告なく突き落とされたらこうもなるか。ちょっと触るぞ」
昇さんが言いながら手を近づけると、同じような要領で翠の足が逃げた。しかし、その動作にすら痛みが走るのか、翠は顔をしかめる。
「翠、少しの間我慢しろ」
むしろ、我慢とはこういう場でするものなんだが……。
居たたまれない翠を横目に見つつ、
「昇さん、とっとと診てやってください」
「はいよ」
昇さんは必要最低限しか足に触れず、診察を終わらせた。
「明日病院行ってレントゲンな」
「えっ?」
翠は気づいていないが、翠の反応にみんなが驚いたくらいだ。
ここまでひどい怪我なら素人でもレントゲンを撮ったほうがいいことくらい察する。
病院慣れしてるくせに意外と疎い。
そんな翠を昇さんが宥めると、翠は肩を落として従う旨「はい」を口にした。
「病院に連絡入れておくから救急センターの方へ行きな。そしたらすぐレントゲンに回してもらえるようにお願いしておく」
「ありがとうございます……」
肩を落とした翠を取り残して話だけは先へ進む。
兄さんが鎮痛剤の選択の件を話題にあげれば、翠の胃腸は父さんの管轄だから、などという話になり、昇さんはすかさず父さんへ連絡を入れていた。
リビングの片隅に佇む碧さんと零樹さんは心配の面持ちで翠の足を見ている。その斜め前にいる御園生さんと唯さんも変わらない風体だ。
やっぱり謝るべき、だよな……。
御園生家が集まる方へ身体を向け、
「すみませんでした」
頭を下げると、
「ツカサ……?」
翠がソファ越しに振り返る。
「今回のことは自分に要因があります」
「そんなっ、ツカサが謝ることじゃないって話したでしょうっ!?」
「それでも、間接的に絡んでいることに変わりはない」
再度、碧さんたちへ向けて頭を下げる。と、
「事の経緯は川岸先生から聞いているわ。でも、私たちも翠葉と同じ意見よ。司くんが悪いとは思わない。それに、翠葉はあなたに関わることを、藤宮に関わることを選んだの。だからといって何に巻き込まれても仕方がない、と言うつもりはないけれど、嫉妬や反感を買うことから逃れられないのは事実よ。でも、どんな感情を抱かれたとしても、今回のような怪我を防ぐことはできるはず」
防げる……?
こんな、一個人の感情から引き起こされた事態をどうしたら――
碧さんはさもそれが簡単のことのように話を続ける。
「そうでしょう? 翠葉も司くんも、今回のことで思うところがあるのなら、今後に生かしなさい。同じことを繰り返さないように、同じ後悔をしないように。ふたりで話し合うもよし。人に相談するもよし。肝心なのは、このままでいないこと」
安易に聞き流すことのできない言葉たち。
気づけば俺は、呼吸することも忘れて碧さんの言葉に耳を傾けていた。
ひたすらに、「回避方法」に考えをめぐらせていると、
「考えてみて? 事前に防ぐことができれば翠葉は傷つかずに済むし、罰を受ける人も生まれないのよ」
碧さんはにこりと笑い、「ご飯にしましょう」とその場の空気を一掃した。
未だ答えにたどり着けない俺をよそに、翠は昇さんの手当てを受けている。
足に新しい湿布薬を貼られ、
「今日は風呂に入んのはやめとけ。汗をかいたならタオルで拭くだけにしときな。明日以降も腫れが落ち着くまではシャワーな。見たところ足首は問題ないみたいだから、安静にしてるならテーピングまではしなくてもいい。そのほうが剥がすときも楽だしな。こんなもんか?」
昇さんが顔を上げると同時、
「なんだ、右手もやったのか?」
翠には少し大きいパーカで隠れていた手首を取られ、翠は歯切れ悪く答える。
「……はい。でも、そんなに痛くはなくて、ペットボトルのふたを開けるときに痛みが走ったくらい。捻る動作がだめみたいです」
テーピングを剥がしてみると、確かに手首は腫れてはいなかった。昇さんは手や指、手首の稼動範囲を確認しながら、
「見たところ腫れちゃいないが……これか?」
手首を軽く捻ると、
「それっ、痛いです……」
「筋を痛めたんだな。湿布貼ってしばらくは負荷をかけないようにな。それで治る。テーピングの仕方は今のでいいから、あとで司に教えてもらえ」
「ピアノの練習は……?」
「来週の半ばにもう一度診てやるから、それまではやめとけ」
「はい。……昇さん、あとね……」
翠の申し出に却下を申し出る。
たぶん、間違いなく明日の藤山の件だろう。
病院へ行ってレントゲンを撮って来いと言われているのに何を考えているんだか……。
翠が何を尋ねようとしていたのか知らない昇さんは、
「おいおい、俺に訊こうとしてんのになんでおまえが却下すんだよ」
無謀なことだから。
視線のみで答えたものの、昇さんには伝わらなかったらしい。
「なんだ?」
でれでれと甘い顔で昇さんが翠へ向き直ると、翠は俺の様子をうかがいながら、
「明日、ツカサと藤山に紅葉を見に行く約束をしていたんです。それもやっぱりだめ……です?」
当たり前だ。
脳内で即答したと同時、
「いや、別にかまわねぇよ」
はっっっ!?
「司、おまえ何却下してんだよ」
「だって、こんなに腫れてて外を出歩くとかバカのすることだし、昇さんだって安静にって――」
「言ったけど、藤山だろ? そんなんどうにでもなんだろーが」
「どうにでもってっ――」
俺と昇さんの割り入ってきたのは秋兄。
「司、少し落ち着いて考えな。藤山って、光朗道へ行くんだろ? それなら、車椅子を借りていけば問題ない。翠葉ちゃんが歩かなければいいんだから、それなら可能だろ?」
秋兄の言うことはもっともだった。
そっか、車椅子を使えば……。
こんな簡単なことすら思いつかなかった自分が情けない。
「まあまあ、ふたりともそのくらいにしてやって。司も疲れてるんだよ。翠葉ちゃんが怪我したってわかってからテンパってたっぽいし」
兄さんのこれはフォローなのかなんなのか……。
実際にはテンパっていたわけではない。でも、冷静さを欠いていたには違いなく、俺は何を言い返すこともできなかった。
もしかしたら、碧さんが言わんとしていたことは本当に簡単なことなのかもしれない。
少し休んで、改めて考えよう。翠が二度と傷つかずに済むように――
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