光のもとで2

葉野りるは

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November

芸大祭 Side 翠葉 04話

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 結局、私は大学内にあるという仙波楽器へ連行され、柊ちゃんはひとりで学祭を回ることになってしまった。
 一緒に見て回るの、楽しみにしてたんだけどな……。
 でも、車椅子の私が一緒ではたくさんのものは見て回れなかったかもしれない。そこからすると、ひとりで回ることにも利点があるように思えるけれど、私が柊ちゃんだったらどう思っただろう……。
 さっきは柊ちゃんと一緒だったから、周りに溢れる音や光景を楽しむことができた。でも、ひとりきりだったら……?
 心細くなってお祭りを楽しむことはできなかったかもしれない。
 そもそも、ひとりだったら学祭に来ていたかすら怪しい。
 柊ちゃんは大丈夫だろうか……。
 ひとりにさせてしまった罪悪感をひしひしと感じていると、
「柊ちゃんなら大丈夫ですよ。あの子はどんなところでも、どんな状況でも楽しめる子だし、聖くんと合流しようと思えばできます」
「でも、聖くんは女の子と一緒でしたよ?」
「御園生さんは柊ちゃんがそんなことを気にすると思うんですか?」
「えぇと……気にしないんですか?」
「だって、柊ちゃんですよ?」
 そうは言われても、柊ちゃんとだってまだ数え切れるほどしか会ったことがないのだ。そこまで詳しく知りはしない。
「さ、あそこが仙波楽器倉敷芸術大学出張所です」
「え……?」
 先生が指し示したのは、林の手前に建つ白さが際立つ建物。
 横に長い三階建てのそれは、近代アートを彷彿とさせるデザインだ。一見してカフェのように見えなくもない。
 棟の中にあるんじゃないの……?
 教室の一室を事務所のように使っていると思い込んでいた私は驚かずにいられない。
 入り口を入って右側は、明らかにショップのつくりだった。
 木製の本棚やラックが配置され、楽譜や五線譜、楽器の消耗品が所狭しと並んでいる。そして、その隣には十分な広さが確保された工房。
 今もふたりの職人さんが、ガラス張りの室内で楽器の修理をしている。
「ショップと工房……?」
「ま、そんなところですね。スコアの取り寄せもできますし、楽器の修理も受け付けます。二階には楽器も置いていますよ」
 言いながら、先生はレジの人に声をかけた。
「第一応接室を使いたいのですが、空いていますか?」
「はい、空いています。今日は第三応接室にしか使用予定はございません」
 先生は女の人が手にしていたスケジュール表を覗き込むと、納得した様子で「行きましょうか」と車椅子を押し始めた。

 工房奥のエレベーターへ向かうと、人通りの少ないそこには木の香りが停滞していた。
「新築の匂い……。まだ、新しいですよね?」
「十月にオープンしたばかりです。もともとは音楽学部一号館の一階にスペースをいただいていたんですが、色々と手狭でして、大学側と協議した結果、画材店とうちの店をひとつの建物に入れようとういう話にまとまりました。ですので、この建物の半分は七倉堂という画材店です」
 三階に着きひとつの部屋へ入ると、そこには見覚えのある家具たちがレイアウトされていた。
 ……このセンターテーブルは螺鈿細工を施した特注品だし、ソファに張られている布は、数年前に黄叔父さんがイギリスで買い付けてきたヴィンテージもの……。
 おばあちゃんがとても気に入って、余り布でクラッチバッグを作ったと見せてくれたからよく覚えている。
 確か、生地の都合で二点しか作れないソファだったはずだけど、それが二点ともここにあるなんて――
 窓際に置かれているデスクや壁際に置かれたキャビネット。どれを見ても馴染みある家具ばかり。
 ここに置かれている家具はすべて、城井アンティークの品ではないだろうか。
 お得意様なのかな……。
 そんなことを考えつつ、応接室には似つかわしくないものへと視線が移る。
 どうして応接室にグランドピアノがあるんだろう……。
 不思議に思っていると、
「あぁ、ピアノですか?」
「あ、はい……」
「ここには僕も来ることが多いので、いつでも弾けるように置かせてもらっているんです。ちゃんと防音設備も整ってますよ」
 なるほど納得。さすがは御曹司。
「さて、飲み物のお好みは? コーヒー、紅茶、緑茶とご用意できます。来客用なので、そこそこ美味しい銘柄ぞろいですよ」
 カフェの店員さんのような笑顔で尋ねられて、ちょっと困る。
 こういうとき、人は「遠慮される」予想はしても、「断わられる」予測はあまりしていない。だから、控えめに断わったところで二度目の「いかがですか?」がやってくる。
 何がだめとかこれがだめとか、あまり人に話したいことではないけれど、今後何度も接する人が相手なら、一度は通らなくてはならない道でもある。
 あぁ、何を考えるでもなく「紅茶でお願いします」と言えたらいいのに……。もしくは、ある日突然体質が変わって、カフェインが摂れるようになったりしないかな……。
 私はそんなことを考えながら、お断わりの文章を組み立てる。
「私、ミネラルウォーターもお茶も持ってきているので大丈夫です。実は、カフェインと胃の相性が悪くて……」
 控えめに笑みを添えると、先生は申し訳なさそうな顔をした。
「それは想定していませんでした。次からはノンカフェインのものも用意させなくては……」
 愛想笑いで受け流すと、
「それでは、僕の分だけオーダーさせていただいてよろしいですか?」
「もちろんです」
 先生はデスクに置かれた電話に手を伸ばし、
「すみませんがコーヒーをひとつお願いします。僕の分なので、インスタントでかまいません」
 私が飲まないのならインスタントでかまわないと言う先生に、「ビジネス=経費削減」などという方程式が頭に浮かんだ。
 そして、静かな室内に響いた先生の声に、私たち以外に誰もいないことを実感する。
 先生とはレッスンで五回会ったことがあるだけで、打ち解けた感は非常に乏しい。
 そもそも、レッスンに必要な会話以外をしたことがない。
 何を話したらいいんだろう……。
 レッスン時間でもないのにピアノの話をしてもいいのかわからないし……。
 緊張を感知した途端に呼吸が浅くなる。
 深く息を吸い込むことを心がけながら、バッグからミネラルウォーターとピルケースを取り出すと、見慣れた錠剤を前に落ち着くどころか少しの不安が浮上した。
 たぶん大丈夫……。
 微熱なんてよくあることだし、もし熱が上がるなら先に帰らせてもらえばいい。目的のコンサートは終わったのだから問題はないはず。
 それに、動けなくなったとしても秋斗さんたちが大学に――まだ、いる……? 市場調査ってどのくらい時間がかかるもの……?
 念のために唯兄に連絡を入れておいたほうがいい……?
 それとも、連絡を入れるならツカサだろうか。
「御園生さん、薬飲みましたか?」
「えっ? あっ、わっ――」
 先生の声に驚いた私は、ピルケースをひっくり返し床に落としてしまった。
 拾おうとして携帯を落としかばんを落とし、慌てて立ち上がろうとした際に利き足を踏み出して、膝から崩れ落ちる。
 物が散らばる絨毯に膝をつき、駆けつけてくれた先生に支えられたところですべての勢いが殺がれた。
「すみませんっ――」
「足はっ!?」
「痛いです……」
「でしょうねぇ……」
 でも、このまま支えられているわけにはいかないし、何よりこの距離感に耐えられそうにない。
 立たなくちゃ。立たなく――……あ、れ? 立つ……?
 立つのってどうするんだっけ……。どこに、何に力を入れたら立ち上がれるんだっけ……?
 パニックに陥っていると、掴まれた腕に力をこめられた。
「御園生さん、いったん落ち着きましょう」
「えっ? あっ……」
「まずは無理のない体勢で腰を下ろして」
 言われたとおり、ペタンと絨毯に座り込む。と、重心が定まり気持ちも落ち着いた。
「ピアノを弾いているときは割と落ち着いているのに、日常におけるアクシデントには弱いんですね」
「すみません……」
「謝る必要はありませんが、もう少し冷静に対処できるようになったほうが、受験時にも有利ですよ」
「はい……」
「じゃ、まずは薬を拾って、車椅子ではなくソファにかけてはいかがですか?」
「はい」
 先生は近くに落ちていた携帯に手を伸ばし、
「液晶、割れなくて良かったですね」
 と、テーブルの上に置いてくれた。
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