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November
初めてのライブハウス Side 翠葉 02話
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五時になって地下のライブハウスへ移動すると、フロアが三段に分かれていた。
一番低いフロアにステージがあり、その前には椅子が三列に渡って並べられている。
二段目にはローテーブルとソファが置かれたゆったりとした空間になっており、三段目には立ち見できるよう、手すりやスタンドテーブルが設置され、その奥にはバーカウンターが設けられていた。
私がもらったチケットは「ワンドリンク付」と書かれていて、どうやらバーカウンターでソフトドリンクがもらえるらしい。
「ソファが置いてあるフロアはリザーブ席なので、僕らが観覧するのはステージ前か立見席ですね。まだ席も空いてますし、今日はステージ前の観覧席に座りましょう」
バーカウンターへ行きリンゴジュースをもらうと、それは先生に持っていただいて一階席へと移動する。
その途中、
「あのっ、ピアニストの仙波弓弦さんですよね?」
ふたり組みの女性に声をかけられた。
「はい、そうですが」
「サインいただけませんかっ!?」
先生はジュースを持った両手を少し持ち上げ、
「今、両手がふさがっているので少しお待ちいただけますか?」
「「はいっ!」」
先生は私を席まで案内すると、すぐに彼女たちのもとへ戻った。
しばらくして戻ってきた先生に、
「有名人ですね?」
「うーん……そんなこともないんですけどね、場所柄でしょうか」
「場所柄、ですか……?」
「えぇ。僕もここでよく演奏させてもらってましたから」
そんな話を聞けば、改めてピアニストであることを実感する。
「今度、先生の演奏を聴きに行きたいです」
「おや、嬉しいですね。これからのシーズンはホテルでのディナーコンサートばかりですが、年明けに支倉ホールでリサイタルがあります。帰りにそのフライヤーをお渡ししますね」
「ありがとうございます」
人の気配を感じ、背後を振り返る。と、私たちが座るフロアとリザーブ席はすべて埋まっていた。そして、三段目の立見席も手すり際にはずらりと人が並んでいる。
見た感じ、満員御礼。
ライブハウスの入り口で渡されたフライヤーに目を通すと、倉敷くんと「Seasons」のほかにふたりの奏者が演奏するようだ。
「トップバッターの向坂瞬は芸大四年のヴァイオリニスト。コンクールを総なめにしていて顔もいいからファンも多い。二番手の関城奏は売り出し中のジャズシンガー。アメリカ帰りのシンガーで、音楽センスに目を瞠るものがあります。三番手が『Seasons』。彼らはまだ大学一年生だけど、高校のときから音楽活動してますからね。ファンも多いし、どこぞの音楽事務所が見に来ることもあります。現在、うちの事務所が契約へ向けて話をつめている最中です。そして、トリが慧くん。彼は引く手は数多なのに、まだどこの音楽事務所とも契約はしていません。願わくば、うちと契約して欲しいんですけどねぇ……」
その説明に、すごい人たちにチケットをいただいたことを認識する。
「そういえば…芸大祭で倉敷くんがオケと協演してましたけど、一年生でもそんな機会があるんですね?」
「あぁ、あれはイレギュラーです」
「え……?」
「あのオケの奏者は学内オーディションで決まるんですが、オケの奏者もソリストも、たいていは三年生か四年生に決まるのが通例です。でも、慧くんは実力でもぎとっちゃったんですよね」
言いながら先生は笑うけど、私は驚きに声を失っていた。
倉敷くんはそんなにすごい人だったのか、と……。
そんなすごい人に、「悪いと思っているのなら何か弾いて」などと、安易に演奏を要求してしまった自分はなんて恐れ多いことをしてしまったのか……。
今になって、変な汗をかきそうだ。
黙り込んでしまった私を見た先生はクスクスと笑いながら、
「御園生さん、どんなにすごい奏者であっても、御園生さんとそう年の変わらない大学生ですよ」
そんなふうにフォローしてくれた。
ライブが始まると、私はひたすらに驚いていた。
まず、奏者との距離が近いこと。
最前列の私たちから奏者までは二メートルほど。
こんな近くで演奏を聴くのは初めてだった。
生の音がダイレクトに鼓膜に届き、振動が肌に伝うと同時、ブワと鳥肌が立つ。
芸大祭のコンサートでも同様のことを感じたけれど、それとは比べものにならない。
もっと近く――息遣いすら聞こえてくる距離。
ホールより狭い会場では、観客の熱すら身近に感じ、「ライブハウス」という言葉がいかにぴったりなものか、と思い知る。
「歌」というジャンルを生で聴くのは紅葉祭以来。
でも、当たり前ながら、高校生とプロでは全然違う。
茜先輩のそれともまったく違う歌声に、形容する言葉も見つけられないほど魅了された。
あっという間に「Seasons」の番になり、ステージに出てきたメンバーは私に気づくとにこりと笑顔を見せてくれた。
オーケストラで演奏される弦楽器しか聴いたことのなかった私には、四重奏という演奏がとても新鮮なものに思えた。
四人が奏で出すハーモニーにうっとりしながら、ただひとり、チェロの艶めかしい音に惹きつけられる。
なんというか、飛びぬけて色気のある音なのだ。
そして、先のヴァイオリニストとはまったく違った音色を奏でる第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンは爽やかな風を運んでくる。
それらを調和するのは穏やかに奏でられるヴィオラ。まるでひだまりのような音色。
それぞれに個性があるのに互いを邪魔せず引き立てる。
合奏ってすごい……。
あっという間にトリの倉敷くん。
倉敷くんがステージに出てくると、会場のそこかしこから声がかかった。
それらに対し、倉敷くんは慣れた調子でMCを始める。
近況報告から曲の紹介、さらには次のライブ予定などテンポ良く話すと、マイクの電源を落としピアノの前に座った。
倉敷くんはピアノ鍵盤を前に目を瞑る。
「ピアノさんにこんにちは」――
きっと普段の練習のときもレッスンでも、コンクールでもライブでもこの儀式をしないことはないのだろう。
その姿に心が和む。
一週間前のコンサートでは、とてもダイナミックな演奏を聴かせてくれた。そして応接室では、聴いているこちらが楽しくなるような、わくわくしてくるような演奏を聴かせてくれた。
そして今日の演奏を聴いて思う。
呑み込まれそう、と――
私、倉敷くんのピアノ好きだな……。
表現とか技術とかそういうことではなくて、音が好きだ。
間宮さんの演奏は、技術や表現力に惹かれた。倉敷くんの技術や表現力にも憧れる。けれど、もっと根本的なところ――「音」が好き。
芯があってぶれない音。
心に真っ直ぐ飛び込んでくる音に心が囚われる。
こんな音、どうしたら奏でられるのか。
そんなことを考えているうちに四曲すべてが終わってしまった。
一番低いフロアにステージがあり、その前には椅子が三列に渡って並べられている。
二段目にはローテーブルとソファが置かれたゆったりとした空間になっており、三段目には立ち見できるよう、手すりやスタンドテーブルが設置され、その奥にはバーカウンターが設けられていた。
私がもらったチケットは「ワンドリンク付」と書かれていて、どうやらバーカウンターでソフトドリンクがもらえるらしい。
「ソファが置いてあるフロアはリザーブ席なので、僕らが観覧するのはステージ前か立見席ですね。まだ席も空いてますし、今日はステージ前の観覧席に座りましょう」
バーカウンターへ行きリンゴジュースをもらうと、それは先生に持っていただいて一階席へと移動する。
その途中、
「あのっ、ピアニストの仙波弓弦さんですよね?」
ふたり組みの女性に声をかけられた。
「はい、そうですが」
「サインいただけませんかっ!?」
先生はジュースを持った両手を少し持ち上げ、
「今、両手がふさがっているので少しお待ちいただけますか?」
「「はいっ!」」
先生は私を席まで案内すると、すぐに彼女たちのもとへ戻った。
しばらくして戻ってきた先生に、
「有名人ですね?」
「うーん……そんなこともないんですけどね、場所柄でしょうか」
「場所柄、ですか……?」
「えぇ。僕もここでよく演奏させてもらってましたから」
そんな話を聞けば、改めてピアニストであることを実感する。
「今度、先生の演奏を聴きに行きたいです」
「おや、嬉しいですね。これからのシーズンはホテルでのディナーコンサートばかりですが、年明けに支倉ホールでリサイタルがあります。帰りにそのフライヤーをお渡ししますね」
「ありがとうございます」
人の気配を感じ、背後を振り返る。と、私たちが座るフロアとリザーブ席はすべて埋まっていた。そして、三段目の立見席も手すり際にはずらりと人が並んでいる。
見た感じ、満員御礼。
ライブハウスの入り口で渡されたフライヤーに目を通すと、倉敷くんと「Seasons」のほかにふたりの奏者が演奏するようだ。
「トップバッターの向坂瞬は芸大四年のヴァイオリニスト。コンクールを総なめにしていて顔もいいからファンも多い。二番手の関城奏は売り出し中のジャズシンガー。アメリカ帰りのシンガーで、音楽センスに目を瞠るものがあります。三番手が『Seasons』。彼らはまだ大学一年生だけど、高校のときから音楽活動してますからね。ファンも多いし、どこぞの音楽事務所が見に来ることもあります。現在、うちの事務所が契約へ向けて話をつめている最中です。そして、トリが慧くん。彼は引く手は数多なのに、まだどこの音楽事務所とも契約はしていません。願わくば、うちと契約して欲しいんですけどねぇ……」
その説明に、すごい人たちにチケットをいただいたことを認識する。
「そういえば…芸大祭で倉敷くんがオケと協演してましたけど、一年生でもそんな機会があるんですね?」
「あぁ、あれはイレギュラーです」
「え……?」
「あのオケの奏者は学内オーディションで決まるんですが、オケの奏者もソリストも、たいていは三年生か四年生に決まるのが通例です。でも、慧くんは実力でもぎとっちゃったんですよね」
言いながら先生は笑うけど、私は驚きに声を失っていた。
倉敷くんはそんなにすごい人だったのか、と……。
そんなすごい人に、「悪いと思っているのなら何か弾いて」などと、安易に演奏を要求してしまった自分はなんて恐れ多いことをしてしまったのか……。
今になって、変な汗をかきそうだ。
黙り込んでしまった私を見た先生はクスクスと笑いながら、
「御園生さん、どんなにすごい奏者であっても、御園生さんとそう年の変わらない大学生ですよ」
そんなふうにフォローしてくれた。
ライブが始まると、私はひたすらに驚いていた。
まず、奏者との距離が近いこと。
最前列の私たちから奏者までは二メートルほど。
こんな近くで演奏を聴くのは初めてだった。
生の音がダイレクトに鼓膜に届き、振動が肌に伝うと同時、ブワと鳥肌が立つ。
芸大祭のコンサートでも同様のことを感じたけれど、それとは比べものにならない。
もっと近く――息遣いすら聞こえてくる距離。
ホールより狭い会場では、観客の熱すら身近に感じ、「ライブハウス」という言葉がいかにぴったりなものか、と思い知る。
「歌」というジャンルを生で聴くのは紅葉祭以来。
でも、当たり前ながら、高校生とプロでは全然違う。
茜先輩のそれともまったく違う歌声に、形容する言葉も見つけられないほど魅了された。
あっという間に「Seasons」の番になり、ステージに出てきたメンバーは私に気づくとにこりと笑顔を見せてくれた。
オーケストラで演奏される弦楽器しか聴いたことのなかった私には、四重奏という演奏がとても新鮮なものに思えた。
四人が奏で出すハーモニーにうっとりしながら、ただひとり、チェロの艶めかしい音に惹きつけられる。
なんというか、飛びぬけて色気のある音なのだ。
そして、先のヴァイオリニストとはまったく違った音色を奏でる第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンは爽やかな風を運んでくる。
それらを調和するのは穏やかに奏でられるヴィオラ。まるでひだまりのような音色。
それぞれに個性があるのに互いを邪魔せず引き立てる。
合奏ってすごい……。
あっという間にトリの倉敷くん。
倉敷くんがステージに出てくると、会場のそこかしこから声がかかった。
それらに対し、倉敷くんは慣れた調子でMCを始める。
近況報告から曲の紹介、さらには次のライブ予定などテンポ良く話すと、マイクの電源を落としピアノの前に座った。
倉敷くんはピアノ鍵盤を前に目を瞑る。
「ピアノさんにこんにちは」――
きっと普段の練習のときもレッスンでも、コンクールでもライブでもこの儀式をしないことはないのだろう。
その姿に心が和む。
一週間前のコンサートでは、とてもダイナミックな演奏を聴かせてくれた。そして応接室では、聴いているこちらが楽しくなるような、わくわくしてくるような演奏を聴かせてくれた。
そして今日の演奏を聴いて思う。
呑み込まれそう、と――
私、倉敷くんのピアノ好きだな……。
表現とか技術とかそういうことではなくて、音が好きだ。
間宮さんの演奏は、技術や表現力に惹かれた。倉敷くんの技術や表現力にも憧れる。けれど、もっと根本的なところ――「音」が好き。
芯があってぶれない音。
心に真っ直ぐ飛び込んでくる音に心が囚われる。
こんな音、どうしたら奏でられるのか。
そんなことを考えているうちに四曲すべてが終わってしまった。
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