67 / 1,060
外伝 01(一年前の三月のお話)
三月二十六日 Side 蒼樹 01話
しおりを挟む
一年前の三月二十六日、その日は最高気温が二十五度まで上がった異例の日だった。
三月半ばには例年よりも暖かい日が続いていて、桜の開花時期も早まるだろうと言われていた。
俺は、翠葉の入学式まで桜がもつといい――そのくらいにしか思っていなかった。
土曜日の講義は午前の二時間で終わる。
そのあとは、いつもと同じように高校時代の先輩のもとへ行くことになっていた。
院に進むとは言え、そろそろ就職のことも考えないと……。
そんなことを考えながら、大学と同じ敷地内にある高校へと足を向ける。
藤宮秋斗先輩――俺の二個上の先輩は藤宮警備の跡取りで、今は高校の一室に職場を確保している。
一年は本社に勤務していたものの、気づいたときには高校に居ついていた。
「蒼樹、社会人ってすごく面倒くさいよ。本社になんていたら媚び諂ってくる人間多すぎて、まとまった作業時間の確保もできやしない。こっちは部屋に篭って仕事したいのにさ、手を変え品を変えの勢いで人間が出たり入ったりするんだからたまらない。みんな仕事ないの? って訊きたくなるくらい。面倒くさすぎて出てきちゃったよ。システム開発のほか、高等部のセキュリティ管理って役職を兼任する形でね。ここはいいよー。こんなにのびのびと仕事できるんだったらもっと早くに出てくるんだった」
嘘偽りなく秋斗先輩の言葉。
その面倒な部分もこなしてこそ社会人と言うのではなかろうか、とは思うものの、通常業務以外の仕事を抱えてでも出てきたかったのだろう、と納得することにした。
十分ほど歩くと高校の敷地内にある図書棟にたどり着く。
図書室への入り口はカードキー。中に入るとカウンター奥にあるドア脇のインターホンを押す。
『はい』
「蒼樹です」
カチリ、とすぐにロックが解除された。
中はとても殺風景である。
適当に見繕ってきたんだろうな、と思われる本棚と、会議室から持ってきた間に合わせの細長いテーブルが三つ。
それらに対しアンバランスな椅子が三つある。どうやら、椅子だけはいいものを入れたらしい。
「頼まれていた資料、持ってきました」
「助かる」
秋斗先輩はディスプレイから視線を上げ大きく伸びをした。
「コーヒー、淹れましょうか?」
「あー……頼む」
眉間を手で押さえているところを見ると、根詰めて仕事をしていたのだろう。
先輩はハーフと見間違えるほどに顔の彫りが深く、整った顔をしている。この、人目を引く容姿の持ち主は、女性関係に節操がない。
高校のときは知らなかったけど、自分が大学に入ってより親しくなってからそういう部分を垣間見るようになった。
実際に街中で見かけたことはないけれど、携帯の使い分けをしている時点で自分と価値観が異なるのだと察した。
いつだったか訊いたことがある。「好きな人、というわけではなく遊びなのか」と。すると、
「特定の相手を作るつもりがないだけ。そいうのをわかってくれる相手なら誰でもいいかな? そういう関係を互いが楽しめれば」
「いや、それって……」
「あぁ、そうか。こういうのを遊びって言うのか」
悪びれるでもなくそう答えた秋斗先輩とは、以来恋愛観の話はしていない。
自分が潔癖な人間であれば毛嫌いするタイプなのかもしれない。でも、俺は自分が関与しない部分と割り切って付き合える性質で、とくだん自分の価値観を相手に求めることも相手を否定することもなかった。
先輩の前にコーヒーを差し出すと、何か思い出したように口を開いた。
「今日さ、俺の従姉弟が来るんだ」
脈絡のない話にどう答えようか考えていると、
「ひとりは今年高校一年になる。司っていって、それなりに頭のいいやつ。たぶん、俺のもとでバイトすることになると思うよ」
「じゃ、俺も会うことがありそうですね」
「うん。だから今日会っていかない?」
「は?」
「もうそろそろ来ると思うんだけど……」
秋斗先輩は腕時計を見ながら話を続ける。
「もうひとりは女医。俺の四つ上なんだけど、この人も頭がいいっていうか、抜群に切れ味がいい。つい先日、あっさり病院辞めちゃってさ、今年度からここの校医になるみたい。太陽が沈んだら仕事は終わりにするものだ、とか正論のように口にする人」
それはそれは……。
「ふたりとも面白いから会っていきなよ。十二時には来るって言ってたから――」
先輩の言葉半ばでインターホンが鳴った。
ロックを解除すると、
「いらっしゃい」
先輩はにこやかにふたりを迎える。
「蒼樹、紹介する。この人が女医の湊ちゃん。で、こっちのそっくりさんが司。湊ちゃん、彼は御園生蒼樹。俺の二個下の後輩。生徒会つながりなんだけど、今は仕事の資料を見つけてきてくれる貴重な人材」
「ふーん……。藤宮湊よ、よろしく」
女の人にしては大きな手を差し出された。翠葉の手とはずいぶん違う。身長も一七〇はあるだろう。
「御園生蒼樹です」
握手に応えると、相応の力をこめられしっかりと握手を交わした。
「藤宮司です。……秋兄、この人パシリにしてたりしないよね?」
な……!?
「さぁ、それはどうだろう?」
「御園生さん、嫌なら嫌ではっきり断らないと際限なく押し付けられますよ」
「……心配、してくれてるのかな?」
苦笑を返すと、
「事実を述べたまでです」
はぁ、そうですか……。
「どうかな……。ここには興味本位で通ってきてるようなものだし、確かに資料集めは頼まれるけど、俺も先輩から教わるものは多いから、そんなに負担に思ったことはないよ」
「そうですか」
……今年高校一年っていったら翠葉と同い年だろ?
それにしてはしっかりしすぎていないだろうか……。
司くんはお姉さんの湊さんとよく似た顔立ちで、かなり整ったきれいな顔をしている。
身長も髪の長さもほぼ同じ。メガネは司くんがフレームなしで、湊さんが赤いセルフレームという差のみ。
遠目ならば双子と見間違えるかもしれない。
従兄弟とはいえ、秋斗先輩とは全然似ていなかった。
顔どころか、放つ雰囲気すら異質だ。
すごく神経質そうな出で立ちだが、物言いははっきりすぎるくらい。
「司くん、しっかりしてるね。うちの妹と同い年なんだけど、全然感じが違う」
「……妹?」
「翡翠の翠に、葉っぱの葉で翠葉っていうんだ。臆病な子だけどいい子だよ。いつか友達になってあげてよ」
この言葉に対して次のような言葉が返されると誰が想像しただろう。
「……藤宮の名に集らない人間なら考えておきます」
ふとしたら、開いた口が塞がらなくなりそうだった。
しかし、そこにはやはり大企業の御曹司ならではのしがらみがあるのかもしれないと思い直す。
「たぶん、翠葉はそういうのに興味は示さないと思う。何せ、ピアノとハープ、カメラが趣味っていう子だから」
次の瞬間、湊さんが笑いだした。
「ピアノにハープってすごいわね!? そこらのお嬢様よりお嬢様らしい習い事じゃない」
「え……うち一般家庭ですけど」
それに、この高校にはお茶やお琴、いけばななどを嗜む女子は大勢いる。それからしてみたら、許容範囲内ではないだろうか。
「ピアノはわかるけど、ハープって普通じゃないでしょ?」
秋斗先輩に言われて、そういうものなのか、と疑問に思う。
「あぁ、もしかして大きなグランドハープ想像してます? 違いますよ? 翠葉がやってるのはアイリッシュハープっていって、オケで見るような大きなハープじゃなくて、高さが一五〇センチくらいのフロアハープです」
補足程度に話してみたけど、あまり効果はなかったようだ。
「それ、容姿が伴わないとつらい楽器じゃない?」
楽器に容姿云々関係するのだろうか、と思いつつ、ちょっと自慢をしたくなる。
「いやそれが……うちの妹めちゃくちゃかわいんですよ。それはもう天使か妖精のように」
割と真面目に、自信ありげに説明したつもり。
実際、兄の俺が言うのもなんだが、翠葉は本当にかわいい。それはもう、今から将来が楽しみなくらいに。
次はどんな形容で翠葉を自慢しようか、と思っていると、
「出た出た……。蒼樹は妹ちゃん大好きだからね。司、そのうち嫌でも色々聞かされるよ」
「それにしても……」
湊さんが部屋の中を見回し、呆れたようにため息をついた。
「相変わらず何もない部屋ねぇ……。少しくらい手を入れればいいのに」
言いながら、椅子に座りピザを出し始めた。
「んー……そのうちやるよ。あっ、そうだ! 蒼樹のデザイン起用してあげるよ?」
思いついたことをそのまま振られた気分。
この人のこういう言葉は冗談なのか本気なのかがわからなくて困る。と、
「御園生さん、始めにデザイン料を決めてから取り掛かったほうがいいですよ」
司くんからのありがたいご指摘を頂戴した。
一癖ある姉弟だな、と思いながらその場の会話を聞いていた。
姉弟間にはほとんど会話がない。否、どちらかと言うと、湊さんからはかまいたくて仕方がないという空気を感じるものの、司くんがそれを一切拒否しているというか……。
この姉弟もかなり年の差があるようだけど、うちとは全く違う姉弟関係に新鮮なものを感じた。
よそ様の兄妹事情はあまり知らないけれど、普通はこういうものなんだろうか。
うちは申し訳ないくらい兄妹仲がいいため、こういう会話のない感じが不思議に思える。
さらには従兄妹という対象がいないため、実に興味深いものを見ている気分だった。
そこに、普段はめったに聞かない着信音が流れた。
一瞬戸惑う。
母、碧の着信音だ。しかも、電話――
母さんは電話と言うものをかけてこない。たいていならメールに一言二言容赦ない用件を電波に乗せて飛ばしてくる。
「電話なんてなんか緊急事態でもない限りかけないわよー」
そう言っていたのはいつのことだったか……。
とにかく嫌な予感がしていた。
「出ないの?」
秋斗先輩に声をかけられ我に返る。
「いえ、出ます」
「女だったりして?」
湊さんがからかいの一言を口にした。
「母です」
沸き起こる嫌な感触を振り払って携帯に出ると、
『蒼樹っ!? 病院へ行ってっ。翠葉が心不全で運ばれたのっ。私たちも今病院に向かっているのだけど、渋滞にはまっちゃって動けないの。お願いっ、蒼樹、先に病院へ行ってっ』
母の、すごく切羽詰った声が耳に響く。
こんな声、聞いたことがない。
心不全って……? 心臓が止まったっていうこと?
『蒼樹っ、しっかりなさいっ』
「……わ、わかった。すぐに行くっ」
何を考える余裕もなかった。とにかく、早く病院へ行かなくては――
はじかれるように席を立ち、ドアに向かおうとしたら思い切り腕を掴まれた。
「蒼樹っ、待てっ。おまえ、顔が真っ青だ。どうしたっ!?」
「病院に行きますっ」
「その前に少し落ち着けっ」
このとき、病院へ行くことしか頭になくて、周りなんてほとんど見えてなかったと思う。
そんな俺を引き止めてくれたのは秋斗先輩と司くんだった。
身体に抵抗を感じた次の瞬間、パンッ――
頭を殴られたのかと思うくらいの衝撃が頬に走った。
目の前に険しい顔をした湊さんが立っていた。
あぁ……あの大きな手で叩かれたのだろう。
前方から肩を押さえていたのが司くんで、後ろから腰に腕を回して引き止めていたのが秋斗先輩だった。
「何があったっ!?」
秋斗先輩は、「吐け」と言わんばかりに訊いてくる。
「妹が……意識不明で運ばれた――」
どうして心不全と言わなかったのかわからない。ただ、受け入れたくなかっただけなのかもしれない。
「搬送先は?」
湊さんに訊かれ、
「藤宮病院」
秋斗先輩は俺から手を話すとすぐに立ち上がり、ジャケットと車のキーを手にした。
「車出すから乗っていけ。うちの私有地を抜ければ五分とかからない。表通りのバスより早い」
「すみません……」
「ほら、行くぞ」
秋斗先輩に促されるように部屋を出たあとは、ひたすら先輩の背中を追って走った。
車ならたった数分という距離なのに、もう何十分も乗っている気がした。
震えが止まらず、自分の身体を抱きしめるようにして両腕を掴む。
俺がもっと早く家に帰っていたら、こんなことにはならかったのか……?
「蒼樹、着いた。突き当りを右に突っ走れ。左手に救急外来の受付がある」
俺はお礼も言わずに車を降りて走った。
翠葉の顔を見たくて。無事な姿を見たくて――
三月半ばには例年よりも暖かい日が続いていて、桜の開花時期も早まるだろうと言われていた。
俺は、翠葉の入学式まで桜がもつといい――そのくらいにしか思っていなかった。
土曜日の講義は午前の二時間で終わる。
そのあとは、いつもと同じように高校時代の先輩のもとへ行くことになっていた。
院に進むとは言え、そろそろ就職のことも考えないと……。
そんなことを考えながら、大学と同じ敷地内にある高校へと足を向ける。
藤宮秋斗先輩――俺の二個上の先輩は藤宮警備の跡取りで、今は高校の一室に職場を確保している。
一年は本社に勤務していたものの、気づいたときには高校に居ついていた。
「蒼樹、社会人ってすごく面倒くさいよ。本社になんていたら媚び諂ってくる人間多すぎて、まとまった作業時間の確保もできやしない。こっちは部屋に篭って仕事したいのにさ、手を変え品を変えの勢いで人間が出たり入ったりするんだからたまらない。みんな仕事ないの? って訊きたくなるくらい。面倒くさすぎて出てきちゃったよ。システム開発のほか、高等部のセキュリティ管理って役職を兼任する形でね。ここはいいよー。こんなにのびのびと仕事できるんだったらもっと早くに出てくるんだった」
嘘偽りなく秋斗先輩の言葉。
その面倒な部分もこなしてこそ社会人と言うのではなかろうか、とは思うものの、通常業務以外の仕事を抱えてでも出てきたかったのだろう、と納得することにした。
十分ほど歩くと高校の敷地内にある図書棟にたどり着く。
図書室への入り口はカードキー。中に入るとカウンター奥にあるドア脇のインターホンを押す。
『はい』
「蒼樹です」
カチリ、とすぐにロックが解除された。
中はとても殺風景である。
適当に見繕ってきたんだろうな、と思われる本棚と、会議室から持ってきた間に合わせの細長いテーブルが三つ。
それらに対しアンバランスな椅子が三つある。どうやら、椅子だけはいいものを入れたらしい。
「頼まれていた資料、持ってきました」
「助かる」
秋斗先輩はディスプレイから視線を上げ大きく伸びをした。
「コーヒー、淹れましょうか?」
「あー……頼む」
眉間を手で押さえているところを見ると、根詰めて仕事をしていたのだろう。
先輩はハーフと見間違えるほどに顔の彫りが深く、整った顔をしている。この、人目を引く容姿の持ち主は、女性関係に節操がない。
高校のときは知らなかったけど、自分が大学に入ってより親しくなってからそういう部分を垣間見るようになった。
実際に街中で見かけたことはないけれど、携帯の使い分けをしている時点で自分と価値観が異なるのだと察した。
いつだったか訊いたことがある。「好きな人、というわけではなく遊びなのか」と。すると、
「特定の相手を作るつもりがないだけ。そいうのをわかってくれる相手なら誰でもいいかな? そういう関係を互いが楽しめれば」
「いや、それって……」
「あぁ、そうか。こういうのを遊びって言うのか」
悪びれるでもなくそう答えた秋斗先輩とは、以来恋愛観の話はしていない。
自分が潔癖な人間であれば毛嫌いするタイプなのかもしれない。でも、俺は自分が関与しない部分と割り切って付き合える性質で、とくだん自分の価値観を相手に求めることも相手を否定することもなかった。
先輩の前にコーヒーを差し出すと、何か思い出したように口を開いた。
「今日さ、俺の従姉弟が来るんだ」
脈絡のない話にどう答えようか考えていると、
「ひとりは今年高校一年になる。司っていって、それなりに頭のいいやつ。たぶん、俺のもとでバイトすることになると思うよ」
「じゃ、俺も会うことがありそうですね」
「うん。だから今日会っていかない?」
「は?」
「もうそろそろ来ると思うんだけど……」
秋斗先輩は腕時計を見ながら話を続ける。
「もうひとりは女医。俺の四つ上なんだけど、この人も頭がいいっていうか、抜群に切れ味がいい。つい先日、あっさり病院辞めちゃってさ、今年度からここの校医になるみたい。太陽が沈んだら仕事は終わりにするものだ、とか正論のように口にする人」
それはそれは……。
「ふたりとも面白いから会っていきなよ。十二時には来るって言ってたから――」
先輩の言葉半ばでインターホンが鳴った。
ロックを解除すると、
「いらっしゃい」
先輩はにこやかにふたりを迎える。
「蒼樹、紹介する。この人が女医の湊ちゃん。で、こっちのそっくりさんが司。湊ちゃん、彼は御園生蒼樹。俺の二個下の後輩。生徒会つながりなんだけど、今は仕事の資料を見つけてきてくれる貴重な人材」
「ふーん……。藤宮湊よ、よろしく」
女の人にしては大きな手を差し出された。翠葉の手とはずいぶん違う。身長も一七〇はあるだろう。
「御園生蒼樹です」
握手に応えると、相応の力をこめられしっかりと握手を交わした。
「藤宮司です。……秋兄、この人パシリにしてたりしないよね?」
な……!?
「さぁ、それはどうだろう?」
「御園生さん、嫌なら嫌ではっきり断らないと際限なく押し付けられますよ」
「……心配、してくれてるのかな?」
苦笑を返すと、
「事実を述べたまでです」
はぁ、そうですか……。
「どうかな……。ここには興味本位で通ってきてるようなものだし、確かに資料集めは頼まれるけど、俺も先輩から教わるものは多いから、そんなに負担に思ったことはないよ」
「そうですか」
……今年高校一年っていったら翠葉と同い年だろ?
それにしてはしっかりしすぎていないだろうか……。
司くんはお姉さんの湊さんとよく似た顔立ちで、かなり整ったきれいな顔をしている。
身長も髪の長さもほぼ同じ。メガネは司くんがフレームなしで、湊さんが赤いセルフレームという差のみ。
遠目ならば双子と見間違えるかもしれない。
従兄弟とはいえ、秋斗先輩とは全然似ていなかった。
顔どころか、放つ雰囲気すら異質だ。
すごく神経質そうな出で立ちだが、物言いははっきりすぎるくらい。
「司くん、しっかりしてるね。うちの妹と同い年なんだけど、全然感じが違う」
「……妹?」
「翡翠の翠に、葉っぱの葉で翠葉っていうんだ。臆病な子だけどいい子だよ。いつか友達になってあげてよ」
この言葉に対して次のような言葉が返されると誰が想像しただろう。
「……藤宮の名に集らない人間なら考えておきます」
ふとしたら、開いた口が塞がらなくなりそうだった。
しかし、そこにはやはり大企業の御曹司ならではのしがらみがあるのかもしれないと思い直す。
「たぶん、翠葉はそういうのに興味は示さないと思う。何せ、ピアノとハープ、カメラが趣味っていう子だから」
次の瞬間、湊さんが笑いだした。
「ピアノにハープってすごいわね!? そこらのお嬢様よりお嬢様らしい習い事じゃない」
「え……うち一般家庭ですけど」
それに、この高校にはお茶やお琴、いけばななどを嗜む女子は大勢いる。それからしてみたら、許容範囲内ではないだろうか。
「ピアノはわかるけど、ハープって普通じゃないでしょ?」
秋斗先輩に言われて、そういうものなのか、と疑問に思う。
「あぁ、もしかして大きなグランドハープ想像してます? 違いますよ? 翠葉がやってるのはアイリッシュハープっていって、オケで見るような大きなハープじゃなくて、高さが一五〇センチくらいのフロアハープです」
補足程度に話してみたけど、あまり効果はなかったようだ。
「それ、容姿が伴わないとつらい楽器じゃない?」
楽器に容姿云々関係するのだろうか、と思いつつ、ちょっと自慢をしたくなる。
「いやそれが……うちの妹めちゃくちゃかわいんですよ。それはもう天使か妖精のように」
割と真面目に、自信ありげに説明したつもり。
実際、兄の俺が言うのもなんだが、翠葉は本当にかわいい。それはもう、今から将来が楽しみなくらいに。
次はどんな形容で翠葉を自慢しようか、と思っていると、
「出た出た……。蒼樹は妹ちゃん大好きだからね。司、そのうち嫌でも色々聞かされるよ」
「それにしても……」
湊さんが部屋の中を見回し、呆れたようにため息をついた。
「相変わらず何もない部屋ねぇ……。少しくらい手を入れればいいのに」
言いながら、椅子に座りピザを出し始めた。
「んー……そのうちやるよ。あっ、そうだ! 蒼樹のデザイン起用してあげるよ?」
思いついたことをそのまま振られた気分。
この人のこういう言葉は冗談なのか本気なのかがわからなくて困る。と、
「御園生さん、始めにデザイン料を決めてから取り掛かったほうがいいですよ」
司くんからのありがたいご指摘を頂戴した。
一癖ある姉弟だな、と思いながらその場の会話を聞いていた。
姉弟間にはほとんど会話がない。否、どちらかと言うと、湊さんからはかまいたくて仕方がないという空気を感じるものの、司くんがそれを一切拒否しているというか……。
この姉弟もかなり年の差があるようだけど、うちとは全く違う姉弟関係に新鮮なものを感じた。
よそ様の兄妹事情はあまり知らないけれど、普通はこういうものなんだろうか。
うちは申し訳ないくらい兄妹仲がいいため、こういう会話のない感じが不思議に思える。
さらには従兄妹という対象がいないため、実に興味深いものを見ている気分だった。
そこに、普段はめったに聞かない着信音が流れた。
一瞬戸惑う。
母、碧の着信音だ。しかも、電話――
母さんは電話と言うものをかけてこない。たいていならメールに一言二言容赦ない用件を電波に乗せて飛ばしてくる。
「電話なんてなんか緊急事態でもない限りかけないわよー」
そう言っていたのはいつのことだったか……。
とにかく嫌な予感がしていた。
「出ないの?」
秋斗先輩に声をかけられ我に返る。
「いえ、出ます」
「女だったりして?」
湊さんがからかいの一言を口にした。
「母です」
沸き起こる嫌な感触を振り払って携帯に出ると、
『蒼樹っ!? 病院へ行ってっ。翠葉が心不全で運ばれたのっ。私たちも今病院に向かっているのだけど、渋滞にはまっちゃって動けないの。お願いっ、蒼樹、先に病院へ行ってっ』
母の、すごく切羽詰った声が耳に響く。
こんな声、聞いたことがない。
心不全って……? 心臓が止まったっていうこと?
『蒼樹っ、しっかりなさいっ』
「……わ、わかった。すぐに行くっ」
何を考える余裕もなかった。とにかく、早く病院へ行かなくては――
はじかれるように席を立ち、ドアに向かおうとしたら思い切り腕を掴まれた。
「蒼樹っ、待てっ。おまえ、顔が真っ青だ。どうしたっ!?」
「病院に行きますっ」
「その前に少し落ち着けっ」
このとき、病院へ行くことしか頭になくて、周りなんてほとんど見えてなかったと思う。
そんな俺を引き止めてくれたのは秋斗先輩と司くんだった。
身体に抵抗を感じた次の瞬間、パンッ――
頭を殴られたのかと思うくらいの衝撃が頬に走った。
目の前に険しい顔をした湊さんが立っていた。
あぁ……あの大きな手で叩かれたのだろう。
前方から肩を押さえていたのが司くんで、後ろから腰に腕を回して引き止めていたのが秋斗先輩だった。
「何があったっ!?」
秋斗先輩は、「吐け」と言わんばかりに訊いてくる。
「妹が……意識不明で運ばれた――」
どうして心不全と言わなかったのかわからない。ただ、受け入れたくなかっただけなのかもしれない。
「搬送先は?」
湊さんに訊かれ、
「藤宮病院」
秋斗先輩は俺から手を話すとすぐに立ち上がり、ジャケットと車のキーを手にした。
「車出すから乗っていけ。うちの私有地を抜ければ五分とかからない。表通りのバスより早い」
「すみません……」
「ほら、行くぞ」
秋斗先輩に促されるように部屋を出たあとは、ひたすら先輩の背中を追って走った。
車ならたった数分という距離なのに、もう何十分も乗っている気がした。
震えが止まらず、自分の身体を抱きしめるようにして両腕を掴む。
俺がもっと早く家に帰っていたら、こんなことにはならかったのか……?
「蒼樹、着いた。突き当りを右に突っ走れ。左手に救急外来の受付がある」
俺はお礼も言わずに車を降りて走った。
翠葉の顔を見たくて。無事な姿を見たくて――
22
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される
けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」
「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」
「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」
県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。
頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。
その名も『古羊姉妹』
本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。
――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。
そして『その日』は突然やってきた。
ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。
助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。
何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった!
――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。
そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ!
意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。
士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。
こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。
が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。
彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。
※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。
イラスト担当:さんさん
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である
そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。
なんと、彼女は学園のマドンナだった……!
こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。
彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。
そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。
そして助けられた少女もまた……。
二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
※中盤から甘々にご注意を。
※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?
宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。
栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。
その彼女に脅された。
「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」
今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。
でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる!
しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ??
訳が分からない……。それ、俺困るの?
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる