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第四章 恋する気持ち
19話
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「俺が連れてくって言っちゃったから送るよ」
海斗くんにそう言われ、今一緒にテラスを歩いている。
司先輩と歩いていたときとは周りの様子がまったく異なる。
あちこちから黄色い声が聞こえてくるし、海斗くんはそれらに手を振ったりして応える。司先輩と歩いていたときは声をかける人こそいなかったものの、痛いほどの視線をそこかしこに感じた。きっと声をかけられる人とそうでない人の違いなのだろう。
「何? じっと見て」
「……海斗くんの気配りに感心していたところ。騒がれるのはあまり好きじゃないって言っていたけれど、ちゃんと手を振り返していたり優しいなって……」
「まぁね、だって俺のフェミニストは秋兄仕込みだもん」
……それは極上のフェミニストができあがりそうだ。
「でも、俺には秋兄みたいなスマートさはないし、女子をあそこまでお姫様扱いはしてあげられないけどね」
少しだけ納得。
「だからかな……。海斗くんや佐野くんは意識しないで側にいられるの」
「……それってさ、もし俺や佐野が翠葉を好きだったら致命的な一言じゃね?」
「……え? そう?」
「そうでしょうよ……」
「……でも、そういうふうには見ていないでしょう?」
「ま、そうだけど。でも、今後はわからないだろ?」
「……そういうもの?」
「翠葉さん……。あなたはもう少し猜疑心というものを育てなさい」
猜疑心……。
「ほら、秋兄出てきたよ」
海斗くんが図書棟の入り口を指差す。
「あ……」
視界に秋斗さんが入るだけで鼓動が加速する。
「海斗くん、どうしようっ――」
つい海斗くんの袖を引張ってしまう。すると、
「困ったやつめ」
言いながら、海斗くんは私の目の前に立って視界を遮ってくれた。
「翠葉はさ、なんで秋兄を好きになったの? 少なくとも、見かけだけなら司だったんじゃない?」
「……雰囲気、かな。……優しくて柔らかい空気をその場に作ってくれる人だから……?」
「それはさ、緊張するような空間じゃないだろ?」
海斗くんが何を言おうとしているのかがまだわからない。
「一緒にいる時間がずっとドキドキしているものじゃないよ。少ししたら落ち着く。そしたらそこには翠葉が好きだと思った空気があるんじゃない?」
……そう、なのかな。
「だから、大丈夫! ほら、行くよっ!」
言うと、海斗くんは私の視界をクリアにした。
その先には、穏やかな笑顔の秋斗さんが待っている。
海斗くんの手が背に添えられゆっくりと歩きだす。と、ほんの少し緊張が解けた気がした。
「……海斗くん、ありがとう」
「そうそう、困った顔ばかりしてないで笑ってな」
海斗くんは、「じゃぁな!」と部室棟へとつながる階段を数段飛ばしで下りていった。
「部活、がんばってねっ!」
声をかけると、振り返って「おう!」と答えてくれる。すると背後から、
「海斗と何内緒話してたの?」
秋斗さんに訊かれた。
別に内緒話というわけではないのだけど、
「ふふ、秘密です」
「……ふーん。ちょっと面白くないな」
そうは言うけど、あまり気にはしていないみたいだった。
図書棟に入ると、いつもの生徒会メンバーが揃っていた。でも、美都先輩だけがいない。もしかしたら今日も食堂で投票機の番人をしているのかもしれない。
「翠葉、今日は体調いいの?」
声をかけてくれた荒川先輩は今日は集計組らしく、モニターチェックには加納先輩と里見先輩が入っていた。
「はい。昨日はまともに受け答えもできなくてすみませんでした」
「そんなの気にしないで?」
と今度はカウンター内の里見先輩から声がかかる。けれども、視線はモニターから外さない。集計は二年生メンバーの三人が担当しているらしい。
司先輩の座る窓際まで歩いていき、
「昨日はいっぱい迷惑をかけてすみませんでした」
司先輩はテーブル上から私へ視線を移すと、
「図書棟に送るっていうのは俺から言い出したことだし迷惑だとは思ってない」
「でも、ひとりだったら間違いなく図書棟にはたどり着けなかったと思うので……」
「……今日は?」
「テストが終わるまで薬を飲むのやめることにしたんです。だから大丈夫」
「……それによる影響は?」
「……痛み止めで回避しています」
「……どっちもどっちだな。ま、姉さんが許可出してるなら問題ないんじゃない」
司先輩は湊先生とあまり会話をしないけれど、お医者さんとしての湊先生には全幅の信頼を寄せているのがよくわかる。
司先輩はちら、とカウンターの方を見ると、
「秋兄が待ってる」
「あ……じゃ、行きます」
里見先輩と加納先輩の後ろを通って奥のドアまで行くと、秋斗さんに背を押されて仕事部屋へ入った。
「今のも内緒話?」
「違いますよ。昨日のお礼です。……昨日、帰るときにはちゃんと言えなかったので……」
「そういえばそうだったね。僕は昨日、嬉しい出来事があったからそのほかのことは全部忘れちゃったんだ」
嬉しい出来事……?
「あれ? 僕の勘違いだったかな? 苺みたいだった翠葉ちゃん?」
苺……あ、メール――
それだけで頬が熱くなる。
せっかく少し忘れていられたのに……。
秋斗さんはクスクスと笑いながら、
「それ、僕は喜んでいいんだよね?」
と、顔を覗き込まれた。下を向いて髪で顔を隠すけど、その髪を耳にかけられてしまう。
左頬に手を添えられ、びっくりして顔を上げたら、「かわいいね」と秋斗さんの顔が近づいてきた。そして、ちゅ、と右頬にキスをされる。
びっくりして床にペタンと座り込むと、秋斗さんは私の両肩に手を乗せてくつくつと笑いだした。
「……もう、秋斗さんひどいです。……笑いすぎ」
「だって……本当にかわいすぎるよ」
一向に笑いがおさまる気配はない。
「お願いだから、あまりいじめないでください……。ただでさえ心臓バクバクなのに」
秋斗さんは無理やり笑いを止め、私の肩を引き寄せた。
「ドキドキが伝染するって言ったでしょ? 俺もドキドキしてるんだよ」
秋斗さんの胸が耳に押し当てられ、伝わってくる鼓動に耳を傾けた。けれども、私よりも全然ゆっくりな気がする。
それでも、ドキドキしていることを教えてくれたことが嬉しかった。
理美ちゃんの言うとおりなのかもしれない。秋斗さんはいつでもこうやって教えてくれる。自分の気持ちはここにあるよ、と伝えてくれる。
……私は? ――言う必要がないくらいにバイタルでばれている気がする……。
そのとき、携帯が震えて咄嗟に秋斗さんから離れた。
ディスプレイには湊先生からの着信を知らせる文字。
「はい……」
『あんたどうなってるの? 昨日から頻脈だけど』
「あ……えと、具合が悪いわけではないのですが――」
『確かに、不整脈っていうわけではないみたいなのよね。脈拍が上がると血圧も若干上がるみたいだから問題はないけど……。痛みが出てたりする?』
「先生、違うのっ――本当に、痛みは少しだけで……一段回目の薬で抑えられているし。……強いて言うなら絶賛動揺中デス」
『は?』
携帯から聞こえてきた間抜けすぎる返事になんと答えようか困ってしまう。
『今は秋斗のとこ?』
「そうです」
『じゃぁ、秋斗に動揺させられてるってところかしら? 昨日も一緒にいた時間帯よね?』
うわっ――
言い当てられて、ドドド、と心拍数が一気に上がる。
「あの――えと……」
『くっ、あんたわかりやすすぎ。何、この脈拍』
きっとモニタリングしながら話しているのだろう。
「湊先生の意地悪……」
『こんなのいじめてるうちに入らないわよ。まぁ、いいわ。血圧が八十保てるくらい緊張してるほうが健康的よ?』
「これ、本当に心臓壊れたり破れたりしませんかっ?」
不安に思って真面目に訊くと、携帯の向こう側と同じような笑いが左耳から聞こえた。振り返ると秋斗さんが吹きだすほどに笑っていた。
もうっ、湊先生も秋斗さんもひどいっ。
『大丈夫よ。翠葉の心筋に異常はないから。こんなことくらいじゃ破れないし壊れない。保証してあげる』
「良かったです……」
『用件はそれだけ』
通話が切れてもまだ秋斗さんは笑っていた。目に涙まで浮かべているのだから本当にひどい……。
携帯をローテーブルに置き、上履きを脱いでソファに上がりこむ。そこから秋斗さんを観察していると、陽の光が当たった髪の毛が金色っぽく見えた。
さらさらで柔らかそうな髪の毛。肌の色は白いほう。海斗くんや蒼兄と比べると断然白くて、司先輩と比べるとそこまで白くはない。
顔は彫りが深くて整った顔。「均整が取れた」という言葉がしっくりくる。それは蒼兄にも司先輩にも桃華さんにも言えることで、桃華さんや司先輩、湊先生は純和風といった感じ。蒼兄もどちらかというならば日本人顔。
加納先輩や里見先輩は御伽噺に出てきそうなちょっと現実離れしてるイメージ。
美都先輩はそのまま王子様になれそうで、海斗くんと秋斗さんはどこかエキゾチックな雰囲気。イメージとしてはアラビアンナイトかな?
でも、アラビアンナイトなら、程よく日焼けしている海斗くんのほうがぴったりかも。
「今度は何を考え始めたの?」
秋斗さんに尋ねられる。どうやら笑いはおさまったようだ。
「悔しいから秘密です」
「それは残念。片鱗だけでいいから教えてくれない?」
人懐っこい犬のような笑顔を向けられる。
秋斗さんは笑顔を使い分けているのだろうか。
そう思うくらい、常にその場にぴったりな笑顔を見せる。
「……海斗くんのほうがアラビアンナイトっぽいなって思っただけです」
「くっ、失敗した! それ、全容を知りたくなる欠片だよね?」
秋斗さんは再び笑い出す。
「秋斗さん……笑い茸か何か食べましたか?」
ソファの背もたれに顎を乗せて訊くと、
「食べたとしたら翠葉茸かな」
と、飛び切り甘い笑顔を向けられた。
もう無理っ――
ソファの上で丸くなって外界遮断。
しばらくすると、ハーブティーの香りが漂ってきた。目を瞑ったままなんの香りかを考える。
リンゴっぽい甘い香りだからカモミールティーかな……。
「はい、お詫びのカモミールティー」
身体を起こすとティーカップを差し出された。両手でそれを受け取ると、カモミールの香りがふわりと香る。
「五時に蒼樹が大学を出ることになっているから、僕たちは三十分ずらして五時半に出よう。あと三十分弱、仮眠室で休んでいてもいいし、この部屋の中なら何をしていてもいいよ」
「はい」
「じゃ、僕は少し仕事させてもらうね」
何をしようかな……というよりは、模試の勉強をしなくちゃ。
かばんを開けて思い出す。今朝、海斗くんに渡されたノートを。
まだ目すら通していなかったそのノート二冊をテーブルに並べた。
片方が英語で片方が古典。十年前のノートらしく、ほどよく年季が入っている。
こういう使いこまれたノートが好き……。蒼兄の参考書みたいな感覚。
表紙を開くと、男の人らしい力強い文字が並んでいた。
私は縦書きがとても苦手だ。習字はお世辞にも褒められたものではない。
そんな自分とは比べるまでもなく、バランスの取れたきれいな文字に嫉妬する。
今まで秋斗さんの字を見たことがなかったため、余計に印象的だったのかもしれない。
もう一冊のノートを開くと、今度は芸術的なまでに美しい筆記体が並んでいた。
桃華さんのノートとは少し違う。桃華さんのノートは女性らしいノートで、これは――高校生らしくないノート。
とても大人びた筆跡に見えた。そして、どちらのノートも要点が簡潔にまとめられていて見やすいうえに覚えやすい。
これはノートというよりは絵として頭に入ってしまいそうだ。
脳内スキャンがかけられそうに美しいノートってどうなのかな……。しかも、当時十五歳だった少年が書いたはずのもの。
……そうだよね? たぶん、秋斗さんは名前からすると秋生まれ。ならば、これを書いたのは十六歳になる前。今から十年前は十五歳だったのだ。
すごく当たり前のことなのに、どうしてか想像ができなかった。逆に、十年後の自分を想像してみたけれど、こちらもまったく想像ができない。
……そんなものなのだろうか。
帰ったら蒼兄に高校時代の写真を見せてもらいたいな。一枚くらいは秋斗さんと一緒に写っている写真があると嬉しい。
思い立って蒼兄にメールを送ることにした。
件名 :お願いごと
本文 :蒼兄の高校のアルバムを見たいです。
模試が終わったら見せてね。
すぐにメールが返ってきた。
件名 :Re:お願いごと
本文 :いいよ。
近いうちに出しておく。
見たいのは秋斗先輩だろ?
「……鋭い」
でも……ということは写真があるということなのだろうか? ――楽しみかも……。
「翠葉ちゃん、ひとり百面相?」
急に声をかけられてびっくりした。
「いえ……秋斗さん、このノートありがとうございます。すごく見やすいしわかりやすいです」
「どういたしまして。十年前のものだから今のテストにどの程度対応できるかは不明だけど。でも、司も使ってたし海斗も使ってるみたいだから意外と大丈夫なのかもね」
……それは素晴らしく信頼できるノートなのではないだろうか。
しばらくは問題集や教科書ではなくこのノートを使おう。
残りの時間は古典のノートを眺めて過ごした。
いつもなら嫌々読むのに、まったく苦痛に思わないのだから不思議だ。これも「恋」の賜物なのかな……と自分で考えてバカみたいに自家発熱する。
これさえなければいいのに……。
こっそりと秋斗さんを見ればすぐに気づかれ目が合ってしまう。でも、何も言わず、何も訊かずにこりと笑ってくれる。そんな対応をされては赤くなり、鼓動が速まる。
なのに、その行動を繰り返してしまう自分がいて、本当に救いようがない人間ってこういうことを言うんだろうな、と思った。
海斗くんにそう言われ、今一緒にテラスを歩いている。
司先輩と歩いていたときとは周りの様子がまったく異なる。
あちこちから黄色い声が聞こえてくるし、海斗くんはそれらに手を振ったりして応える。司先輩と歩いていたときは声をかける人こそいなかったものの、痛いほどの視線をそこかしこに感じた。きっと声をかけられる人とそうでない人の違いなのだろう。
「何? じっと見て」
「……海斗くんの気配りに感心していたところ。騒がれるのはあまり好きじゃないって言っていたけれど、ちゃんと手を振り返していたり優しいなって……」
「まぁね、だって俺のフェミニストは秋兄仕込みだもん」
……それは極上のフェミニストができあがりそうだ。
「でも、俺には秋兄みたいなスマートさはないし、女子をあそこまでお姫様扱いはしてあげられないけどね」
少しだけ納得。
「だからかな……。海斗くんや佐野くんは意識しないで側にいられるの」
「……それってさ、もし俺や佐野が翠葉を好きだったら致命的な一言じゃね?」
「……え? そう?」
「そうでしょうよ……」
「……でも、そういうふうには見ていないでしょう?」
「ま、そうだけど。でも、今後はわからないだろ?」
「……そういうもの?」
「翠葉さん……。あなたはもう少し猜疑心というものを育てなさい」
猜疑心……。
「ほら、秋兄出てきたよ」
海斗くんが図書棟の入り口を指差す。
「あ……」
視界に秋斗さんが入るだけで鼓動が加速する。
「海斗くん、どうしようっ――」
つい海斗くんの袖を引張ってしまう。すると、
「困ったやつめ」
言いながら、海斗くんは私の目の前に立って視界を遮ってくれた。
「翠葉はさ、なんで秋兄を好きになったの? 少なくとも、見かけだけなら司だったんじゃない?」
「……雰囲気、かな。……優しくて柔らかい空気をその場に作ってくれる人だから……?」
「それはさ、緊張するような空間じゃないだろ?」
海斗くんが何を言おうとしているのかがまだわからない。
「一緒にいる時間がずっとドキドキしているものじゃないよ。少ししたら落ち着く。そしたらそこには翠葉が好きだと思った空気があるんじゃない?」
……そう、なのかな。
「だから、大丈夫! ほら、行くよっ!」
言うと、海斗くんは私の視界をクリアにした。
その先には、穏やかな笑顔の秋斗さんが待っている。
海斗くんの手が背に添えられゆっくりと歩きだす。と、ほんの少し緊張が解けた気がした。
「……海斗くん、ありがとう」
「そうそう、困った顔ばかりしてないで笑ってな」
海斗くんは、「じゃぁな!」と部室棟へとつながる階段を数段飛ばしで下りていった。
「部活、がんばってねっ!」
声をかけると、振り返って「おう!」と答えてくれる。すると背後から、
「海斗と何内緒話してたの?」
秋斗さんに訊かれた。
別に内緒話というわけではないのだけど、
「ふふ、秘密です」
「……ふーん。ちょっと面白くないな」
そうは言うけど、あまり気にはしていないみたいだった。
図書棟に入ると、いつもの生徒会メンバーが揃っていた。でも、美都先輩だけがいない。もしかしたら今日も食堂で投票機の番人をしているのかもしれない。
「翠葉、今日は体調いいの?」
声をかけてくれた荒川先輩は今日は集計組らしく、モニターチェックには加納先輩と里見先輩が入っていた。
「はい。昨日はまともに受け答えもできなくてすみませんでした」
「そんなの気にしないで?」
と今度はカウンター内の里見先輩から声がかかる。けれども、視線はモニターから外さない。集計は二年生メンバーの三人が担当しているらしい。
司先輩の座る窓際まで歩いていき、
「昨日はいっぱい迷惑をかけてすみませんでした」
司先輩はテーブル上から私へ視線を移すと、
「図書棟に送るっていうのは俺から言い出したことだし迷惑だとは思ってない」
「でも、ひとりだったら間違いなく図書棟にはたどり着けなかったと思うので……」
「……今日は?」
「テストが終わるまで薬を飲むのやめることにしたんです。だから大丈夫」
「……それによる影響は?」
「……痛み止めで回避しています」
「……どっちもどっちだな。ま、姉さんが許可出してるなら問題ないんじゃない」
司先輩は湊先生とあまり会話をしないけれど、お医者さんとしての湊先生には全幅の信頼を寄せているのがよくわかる。
司先輩はちら、とカウンターの方を見ると、
「秋兄が待ってる」
「あ……じゃ、行きます」
里見先輩と加納先輩の後ろを通って奥のドアまで行くと、秋斗さんに背を押されて仕事部屋へ入った。
「今のも内緒話?」
「違いますよ。昨日のお礼です。……昨日、帰るときにはちゃんと言えなかったので……」
「そういえばそうだったね。僕は昨日、嬉しい出来事があったからそのほかのことは全部忘れちゃったんだ」
嬉しい出来事……?
「あれ? 僕の勘違いだったかな? 苺みたいだった翠葉ちゃん?」
苺……あ、メール――
それだけで頬が熱くなる。
せっかく少し忘れていられたのに……。
秋斗さんはクスクスと笑いながら、
「それ、僕は喜んでいいんだよね?」
と、顔を覗き込まれた。下を向いて髪で顔を隠すけど、その髪を耳にかけられてしまう。
左頬に手を添えられ、びっくりして顔を上げたら、「かわいいね」と秋斗さんの顔が近づいてきた。そして、ちゅ、と右頬にキスをされる。
びっくりして床にペタンと座り込むと、秋斗さんは私の両肩に手を乗せてくつくつと笑いだした。
「……もう、秋斗さんひどいです。……笑いすぎ」
「だって……本当にかわいすぎるよ」
一向に笑いがおさまる気配はない。
「お願いだから、あまりいじめないでください……。ただでさえ心臓バクバクなのに」
秋斗さんは無理やり笑いを止め、私の肩を引き寄せた。
「ドキドキが伝染するって言ったでしょ? 俺もドキドキしてるんだよ」
秋斗さんの胸が耳に押し当てられ、伝わってくる鼓動に耳を傾けた。けれども、私よりも全然ゆっくりな気がする。
それでも、ドキドキしていることを教えてくれたことが嬉しかった。
理美ちゃんの言うとおりなのかもしれない。秋斗さんはいつでもこうやって教えてくれる。自分の気持ちはここにあるよ、と伝えてくれる。
……私は? ――言う必要がないくらいにバイタルでばれている気がする……。
そのとき、携帯が震えて咄嗟に秋斗さんから離れた。
ディスプレイには湊先生からの着信を知らせる文字。
「はい……」
『あんたどうなってるの? 昨日から頻脈だけど』
「あ……えと、具合が悪いわけではないのですが――」
『確かに、不整脈っていうわけではないみたいなのよね。脈拍が上がると血圧も若干上がるみたいだから問題はないけど……。痛みが出てたりする?』
「先生、違うのっ――本当に、痛みは少しだけで……一段回目の薬で抑えられているし。……強いて言うなら絶賛動揺中デス」
『は?』
携帯から聞こえてきた間抜けすぎる返事になんと答えようか困ってしまう。
『今は秋斗のとこ?』
「そうです」
『じゃぁ、秋斗に動揺させられてるってところかしら? 昨日も一緒にいた時間帯よね?』
うわっ――
言い当てられて、ドドド、と心拍数が一気に上がる。
「あの――えと……」
『くっ、あんたわかりやすすぎ。何、この脈拍』
きっとモニタリングしながら話しているのだろう。
「湊先生の意地悪……」
『こんなのいじめてるうちに入らないわよ。まぁ、いいわ。血圧が八十保てるくらい緊張してるほうが健康的よ?』
「これ、本当に心臓壊れたり破れたりしませんかっ?」
不安に思って真面目に訊くと、携帯の向こう側と同じような笑いが左耳から聞こえた。振り返ると秋斗さんが吹きだすほどに笑っていた。
もうっ、湊先生も秋斗さんもひどいっ。
『大丈夫よ。翠葉の心筋に異常はないから。こんなことくらいじゃ破れないし壊れない。保証してあげる』
「良かったです……」
『用件はそれだけ』
通話が切れてもまだ秋斗さんは笑っていた。目に涙まで浮かべているのだから本当にひどい……。
携帯をローテーブルに置き、上履きを脱いでソファに上がりこむ。そこから秋斗さんを観察していると、陽の光が当たった髪の毛が金色っぽく見えた。
さらさらで柔らかそうな髪の毛。肌の色は白いほう。海斗くんや蒼兄と比べると断然白くて、司先輩と比べるとそこまで白くはない。
顔は彫りが深くて整った顔。「均整が取れた」という言葉がしっくりくる。それは蒼兄にも司先輩にも桃華さんにも言えることで、桃華さんや司先輩、湊先生は純和風といった感じ。蒼兄もどちらかというならば日本人顔。
加納先輩や里見先輩は御伽噺に出てきそうなちょっと現実離れしてるイメージ。
美都先輩はそのまま王子様になれそうで、海斗くんと秋斗さんはどこかエキゾチックな雰囲気。イメージとしてはアラビアンナイトかな?
でも、アラビアンナイトなら、程よく日焼けしている海斗くんのほうがぴったりかも。
「今度は何を考え始めたの?」
秋斗さんに尋ねられる。どうやら笑いはおさまったようだ。
「悔しいから秘密です」
「それは残念。片鱗だけでいいから教えてくれない?」
人懐っこい犬のような笑顔を向けられる。
秋斗さんは笑顔を使い分けているのだろうか。
そう思うくらい、常にその場にぴったりな笑顔を見せる。
「……海斗くんのほうがアラビアンナイトっぽいなって思っただけです」
「くっ、失敗した! それ、全容を知りたくなる欠片だよね?」
秋斗さんは再び笑い出す。
「秋斗さん……笑い茸か何か食べましたか?」
ソファの背もたれに顎を乗せて訊くと、
「食べたとしたら翠葉茸かな」
と、飛び切り甘い笑顔を向けられた。
もう無理っ――
ソファの上で丸くなって外界遮断。
しばらくすると、ハーブティーの香りが漂ってきた。目を瞑ったままなんの香りかを考える。
リンゴっぽい甘い香りだからカモミールティーかな……。
「はい、お詫びのカモミールティー」
身体を起こすとティーカップを差し出された。両手でそれを受け取ると、カモミールの香りがふわりと香る。
「五時に蒼樹が大学を出ることになっているから、僕たちは三十分ずらして五時半に出よう。あと三十分弱、仮眠室で休んでいてもいいし、この部屋の中なら何をしていてもいいよ」
「はい」
「じゃ、僕は少し仕事させてもらうね」
何をしようかな……というよりは、模試の勉強をしなくちゃ。
かばんを開けて思い出す。今朝、海斗くんに渡されたノートを。
まだ目すら通していなかったそのノート二冊をテーブルに並べた。
片方が英語で片方が古典。十年前のノートらしく、ほどよく年季が入っている。
こういう使いこまれたノートが好き……。蒼兄の参考書みたいな感覚。
表紙を開くと、男の人らしい力強い文字が並んでいた。
私は縦書きがとても苦手だ。習字はお世辞にも褒められたものではない。
そんな自分とは比べるまでもなく、バランスの取れたきれいな文字に嫉妬する。
今まで秋斗さんの字を見たことがなかったため、余計に印象的だったのかもしれない。
もう一冊のノートを開くと、今度は芸術的なまでに美しい筆記体が並んでいた。
桃華さんのノートとは少し違う。桃華さんのノートは女性らしいノートで、これは――高校生らしくないノート。
とても大人びた筆跡に見えた。そして、どちらのノートも要点が簡潔にまとめられていて見やすいうえに覚えやすい。
これはノートというよりは絵として頭に入ってしまいそうだ。
脳内スキャンがかけられそうに美しいノートってどうなのかな……。しかも、当時十五歳だった少年が書いたはずのもの。
……そうだよね? たぶん、秋斗さんは名前からすると秋生まれ。ならば、これを書いたのは十六歳になる前。今から十年前は十五歳だったのだ。
すごく当たり前のことなのに、どうしてか想像ができなかった。逆に、十年後の自分を想像してみたけれど、こちらもまったく想像ができない。
……そんなものなのだろうか。
帰ったら蒼兄に高校時代の写真を見せてもらいたいな。一枚くらいは秋斗さんと一緒に写っている写真があると嬉しい。
思い立って蒼兄にメールを送ることにした。
件名 :お願いごと
本文 :蒼兄の高校のアルバムを見たいです。
模試が終わったら見せてね。
すぐにメールが返ってきた。
件名 :Re:お願いごと
本文 :いいよ。
近いうちに出しておく。
見たいのは秋斗先輩だろ?
「……鋭い」
でも……ということは写真があるということなのだろうか? ――楽しみかも……。
「翠葉ちゃん、ひとり百面相?」
急に声をかけられてびっくりした。
「いえ……秋斗さん、このノートありがとうございます。すごく見やすいしわかりやすいです」
「どういたしまして。十年前のものだから今のテストにどの程度対応できるかは不明だけど。でも、司も使ってたし海斗も使ってるみたいだから意外と大丈夫なのかもね」
……それは素晴らしく信頼できるノートなのではないだろうか。
しばらくは問題集や教科書ではなくこのノートを使おう。
残りの時間は古典のノートを眺めて過ごした。
いつもなら嫌々読むのに、まったく苦痛に思わないのだから不思議だ。これも「恋」の賜物なのかな……と自分で考えてバカみたいに自家発熱する。
これさえなければいいのに……。
こっそりと秋斗さんを見ればすぐに気づかれ目が合ってしまう。でも、何も言わず、何も訊かずにこりと笑ってくれる。そんな対応をされては赤くなり、鼓動が速まる。
なのに、その行動を繰り返してしまう自分がいて、本当に救いようがない人間ってこういうことを言うんだろうな、と思った。
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