光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
234 / 1,060
第六章 葛藤

21話

しおりを挟む
「翠葉ちゃんっ!?」
 男の人の声……?
 目を開けようとしたらすごく眩しくて、今一度目を閉じる。でも、顔に影ができたことを察して目を開けた。
「倒れていたわけじゃないっ!?」
 私の顔を覗き込んでいるのは秋斗さんだった。
 私は秋斗さんを見て絶句する。
「翠葉ちゃん……?」
「……あの……あの……どうして白衣じゃないんでしょうか」
 やっと出てきたのはそんな言葉だった。
「え? あ、服装?」
 急に降って湧いた秋斗さんはダーク系のスーツを身に纏っていたのだ。
「今日は朝から重役との会議でね、昨夜蔵元にうるさくスーツ出勤を言い渡されてたんだ。着替えてきても良かったんだけど、思っていたよりも遅くなっちゃったからそのまま来た」
 どうやっても視界から秋斗さんを追い出すことができなくて、両手で顔を覆う。
「……翠葉ちゃん、そんなに見たくないでしょうか――」
「……見たくないです。白衣の秋斗さんを希望しますっ」
 顔を覆っているというのに、鮮明に秋斗さんのスーツ姿が脳裏に浮かび上がる。
 チャコールグレーに細いストライプが入ったスーツ。似たようなスーツを蒼兄も持っている。
 白地に青いステッチがポイントになるシャツに、濃紺のネクタイ。レジメンタル柄がシャープさを引き立てる。
 夏らしい爽やかな印象だった。
 どうしよう――心臓が壊れちゃう。
 クスクスと笑う声が聞こえてきて、
「お姫様が床に転がってるのはいかがなものかと思うんだよね。せめてソファの上にしてもらえない?」
 抱き上げられて、
「白衣がいいです、って言ったのに……」
「じゃぁ、どうしてそんなに真っ赤なの?」
「……秋斗さん」
「なんでしょう?」
「私、今、逃げ場がないので――お願いだからいじめないでくださいっ」
 秋斗さんは私をソファに下ろすと、
「そんなに困る?」
 コクコクと頷く私の傍らで、秋斗さんは自分のスーツ姿を眺める。
「しょうがないな……。確かに上着は着てると暑いし……」
 と、ジャケットを脱いでソファの背に掛けた。
 そしたらスラックスにワイシャツ姿になって、少しだけましになった。
「これならいい?」
 秋斗さんはネクタイを緩めながら訊いてくる。
 私はその仕草にすらドキドキする。
 答えられない私を秋斗さんは困った顔で笑い、胡坐をかいてラグに座った。
「部屋にいなかったからびっくりした。リビングを見渡してもいないし」
「……空が、見たくて……」
 ソファに横になってしまうと、向かいにあるソファの背もたれで空が半分は見えなくなってしまうのだ。
「空?」
 秋斗さんは窓を振り返り、空を見る。
「あっちのお部屋じゃ曇りガラスで見えなかったから……」
「そっか。幸倉では翠葉ちゃんの部屋は南向きだもんね」
 家でもベッドに寝たままでは空は見えない。それは同じ。でも、ベッドに横になったままでも芝生や地面に植わる花は見ることができた。
「蒼樹が帰ってきたらここのソファの位置を変えてあげるよ。そしたら床に転がらなくてもいいでしょう?」
「……でも、ここのソファ重いんじゃ……」
「うん、だから蒼樹が帰ってきたらね」
 と、クスリと笑われる。
「さ、お昼に何か食べなくちゃね。栞ちゃんからメールが届いて、グレープフルーツのゼリーを食べさせてって言われたけれど、食べられそう?」
「はい」
「じゃ、ちょっと待っててね」
 秋斗さんワイシャツの袖をまくってキッチンへと入っていった。
 どうしよう……ただ袖をまくっているだけなのに、それだけでドキドキしてしまう。
 さっきからずっと心臓がバクバク鳴っていて苦しいくらい。
 自分で心拍数をコントロールできたらいいのに。
 ……とりあえずは深呼吸、かな。
 深く息を吸って最後まで吐く。四回目をしようと息を吸ったとき、
「なんで深呼吸?」
 声が背もたれ側からかけられ、びっくりして叫んでしまう。
 そんな私を見て、秋斗さんは穏やかに笑った。
「なかなか降参しないよね?」
「……降参、ですか?」
「こんなに俺のことを意識しているのに、どうして流されてくれないかな?」
「っ……」
「気持ちに流されてしまえば、そんなに困った顔ばかりしなくて済むのに」
 上から顔を覗き込まれて顔が熱くなる。
 なんて答えたらいいのかわからない。
「くっ、眉がハの字型」
 恥ずかしくて眉を押さえた。
 一緒にいられたらそれだけで嬉しいはずなのに、声を聞けたら、お話しができたらそれだけで嬉しいはずなのに。なのに、困るんだもの……。
「……泣いちゃうくらいならさ、俺のところにくればいいのに」
「……まだ泣いてないですっ」
「でも、目からは零れそうだよ」
「っそれは……」
「……困らせたいわけじゃないんだけどな。身体、起こせる? 無理そうならそのまま横になってて」
 と、秋斗さんはこちら側に回ってきた。
 なんとなくわかってはいる。それでも、ゆっくりと身体を起こしてみる。
 ゆっくりゆっくり、手をソファについて身体を支えるようにして――
 ほんの少し頭の位置が心臓よりも上になるだけで血の気が引く。目の前は真っ暗だ。
 無理――
「無理はしないほうがいいよ」
 と、身体を支えていた手を取られ横にされた。次の拍子に涙が零れる。
 洗ってもらったばかりの髪の毛で顔を隠すと、その髪を耳にかけられハンカチで涙を拭かれた。
「そんなふうに泣かなくていいから」
 泣くことを我慢できない自分も情けなければ、身体を起こすこともできない自分も情けない。
 情けなくて悔しくて、涙が溢れてくる。
 薬のせいで仕方がないことはわかっている。それでも、短時間ですら身体を起こすことができない自分がどうしても情けなく思えた。
「ほら、泣いたらその分水分摂らなくちゃ」
 栞さんが作り置きしてくれているハーブティーにはご丁寧にもストローが付いていた。
 一口二口飲むと、口の中がミントの清涼感でいっぱいになり、ちょっとした気付薬みたいな作用があるようで、吐き気がすっと引くのがわかった。
「少し待ってて」
 秋斗さんが見えなくなると、少しして洗面所のドアを開ける音がした。
 そして、戻ってきたときには手に濡れタオルを持っていた。
「顔を拭いたらリセットできそうでしょ?」
 優しく笑ってタオルを差し出される。
 ……優しすぎる。そんなに優しくされると困るのに……。
「あれ? どうしてまた困った顔?」
 もう、どんな顔も見られたくなくて、タオルを顔に付けたまま答える。
「秋斗さんが優しいから困る」
「俺が優しいと困る?」
「嬉しいけど困ります」
「じゃ、もう少し困ってもらおうかな」
 意地悪な笑みに身をかまえる。と、
「これ、食べてね」
 秋斗さんはゼリーが入ったグラスを手に取り、右手にはスプーンを持っていた。
「これ、食べてもらわないことには俺が栞ちゃんに怒られるんだ」
 怒られる、と言いながらも嬉しそうだから性質が悪い。
 これだけは嫌だったのに……。
「翠葉さん、眉間にしわが寄ってますが……」
 だって、恥ずかしい……。
「ショックだなぁ……。昨日は若槻にスープ飲ませてもらったのに俺はだめ?」
「だめというか……恥ずかしいから嫌なだけですっ」
 目を合わせることはできなくて、ずっと緩められたネクタイを見ていた。
「でも、苦行だと思ってがんばってください」
 と、口元にスプーンが寄せられる。
 それに対しては条件反射で口が開く。
 口に、甘酸っぱくて冷たいゼリーがつるんと入った。
「食べられそう?」
 訊かれてコクリと頷いた。
「良かった。今日はアンダンテでプリンを買ってきたから、それもあとで食べようね」
 そしてまた次の一口が運ばれてくる。
 そんなふうにして、二十分近くかけてゼリーを食べさせてもらった。
「はい、完食。薬を持ってくるね」
 立ち上がる秋斗さんのスラックスを控え目に引っ張る。
「どうかした?」
「あの……食べさせてくれてありがとうございます」
「……どういたしまして。昨日、若槻にこの役取られたからね。今日は翠葉ちゃんを独り占めさせてもらうよ」
 その言葉に再度赤面した。
 すると、ポンポン、と頭を軽く叩かれる。
 秋斗さんが視界から外れると、
「どんな君でも好きだって言ったでしょ?」
 優しい声だけが降ってくる。
 無理だ……。
 湊先生、秋斗さんは空気に思えないです。そこにいるだけで意識しちゃう。心臓が駆け足しっぱなしで疲れる。
 海斗くん、これはいつまで続くのかな? 私、落ち着くころには疲弊している気がするの。
 それが「恋」なのかな――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...