光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
338 / 1,060
第八章 自己との対峙

03話

しおりを挟む
 期末考査前ということもあり、部活動は全面休止。今日から午前授業が始まり、帰りは海斗くんと司先輩と一緒に帰ることになった。
 大勢の人が下校する中、三人並んで坂道を登る。
 雨は降っていないものの、じめっとした空気の中、私はまるで酸欠の魚のようだ。
 息が上がって少し苦しい……。
「翠葉、かばん持ってやるから」
 海斗くんは私の答えを待つ前にかばんを取り上げた。
「翠、手……」
 二歩くらい前を歩く先輩が手を差し伸べてくれる。
「さすがに引っ張ってもらわなくても大丈夫です」
 そうは言ったけど、「いいから」と強引に手を取られた。次の瞬間、いつかのように車のクラクションが鳴らされる。歩道に寄せられた車は見たことのない車だけど、運転手は知っている人だった。
「蔵元さん……?」
 助手席の窓が開き、
「どうぞお乗りください」
「ラッキー」
 すばやく車に乗り込んだ海斗くんに引っ張り込まれるようにして車に乗った。司先輩は助手席。
 車の中は涼しく、馴染みのない香りがした。少し苦みを感じる匂い。
 もしかしたら、蔵元さんはタバコを吸う人なのかもしれない。
 そんなことを考えているうちにマンションのロータリーに着き、そこで車を降りた。
 エントランスを通ると、
「おかえりなさいませ」とコンシェルジュに出迎えられる。
 これにもだいぶ慣れたけれど、未だにコンシェルジュが何人いるのはかわからないし、顔と名前が一致している人は少ない。
 エレベーターに乗ると、
「俺ら、着替えてからゲストルームに行くから」
 海斗くんの言葉に頷き、私はひとり先に九階で降りた。
 栞さんがいない今、このドアの内側から出迎えてくれるのは唯兄しかいない。
 ドアを開け「ただいま」と声を発すると、キッチンから唯兄が出てきた。
 だし汁のいい香りがする。
「おかえり……って顔色悪いなぁ……」
「ん、でも大丈夫。着替えて手洗いうがい済ませたら、ご飯の用意手伝うね」
 それだけ伝えて、玄関脇の自分の部屋に入った。
 唯兄の作るお昼ご飯は麺類が多い。夕飯も麺類が多いものの、夕飯に関してはイタリアンでパスタ。逆に、昼食は和食のお蕎麦かおうどん。
 唯兄の作るご飯はびっくりするくらい美味しくて、しかも意外と栄養バランスが良かったりする。意外すぎて蒼兄と顔を見合わせるばかりだ。
 司先輩は隠し味に何を使っているのかを当てるのが日課になっているし、湊先生も驚くほどの腕前だった。
 唯兄は、「家庭の域を出ませんよ」なんて言うけれど、それは謙遜だと思う。

 制服は着替えたけれど、身体がだるい。だるいというよりは眠い……。
 手洗いうがいをすませてキッチンへ行くと、
「リィは座ってな」
 キッチンに入って早々追い出された。でも、今キッチンに入ったところで足手まといにしかならない気もして、その言葉に甘えることにする。
 私の定位置。ラグに座ってテーブルに身体を倒す。と、頬にテーブルのひんやり感が伝わる。
 玄関から音が聞こえると、海斗くんと司先輩が入ってきた。司先輩はキッチンに直行で、海斗くんは真っ直ぐリビングへやってくる。
「やっぱ具合悪いの?」
「うーんと……眠いの」
 テーブルから海斗くんの顔を見上げながら答える。と、
「翠、丼置くからどいて」
 司先輩に言われて身体を起こす。
「今日はきのこと豚肉の味噌汁風煮込みうどん!」
 美味しそうだけど眠い……。
「リィ、ちょっとでいいから食べて薬飲んで寝ちゃいな。二、三時間もしたら起こしてあげるから」
「……うん」
「だめだな。翠葉、もう頭回ってないっぽい」
「……このまま寝かせたらどうですか?」
 海斗くんと司先輩の言葉に、「それはだめ」と唯兄が言いきった。
「湊さんから薬は定時に飲ませるように言われてるから」
「うん。食べて飲んで寝る」
 うとうとしながらお味噌汁をすすり、おうどんを何本か食べた。  きし麺好き……。なめこもしいたけもしめじもまいたけも美味しい。
「リィ、そこまででいいよ。スープ自体はまだ残ってるから、あとでおなかがすいたら麺だけ茹でればいいし。ほら、薬」
 目の前にお水と薬を出されて、それを飲んだら身体が浮いた。
 いや、何かおかしい……。普通、身体は浮かない……。
 何が起っているのかと顔を上げると、司先輩の顔が近くにあった。
「部屋まで運ばせろ。このまま歩かせたら壁に激突するだろ」
「あ……」
 抱っこされていた。自分で歩くと言いたいけど眠い……。
 ベッドに下ろされると、 「ここのリビングで勉強してるから、起きたら勉強に加わるもひとりで勉強するもご自由に」
「……うん」
 瞼が重くてあまりはっきりと見えないのだけど、司先輩がものすごく優しい顔をした気がした。
 優しい顔をしている先輩と何かを話したくて、「明日は晴れるかな」と訊いたら、「そうだといいな」という返事があり、部屋のドアが閉まる音がした。

 唯兄に起こされると、寝てから三時間も経っていた。
「一度起こしにきたんだけど、ぐっすり寝てて起きなかった」
「ごめん。でも、ありがとう。なんとなく頭がすっきりした気がする」
 寝ようと思えば何時間でも眠れそうな気はしたけれど、さっきよりは頭がはっきりとしていて、今なら少しは試験勉強ができる気がした。
「俺は夕方まで十階で仕事してるから」
 唯兄は部屋を出ると、そのまま玄関を出ていった。
 そういえば、最近は唯兄があまり死にそうな顔をして仕事をしていない。
 忙しい時期は終わったのだろうか。でも、秋斗さんがマンションに帰ってきたという話は聞かないし、唯兄がいつホテルに戻るという話も聞かない。
「……私の、せい?」
 頭をよぎったのは自分という存在。
 誰かから、首の擦過傷の話を聞いたとか……?
 口止めをしたのは海斗くんだけで、司先輩にも湊先生にも楓先生にも美波さんにも、誰にも言わないでほしいとはお願いしなかった。だから、誰かが話していてもおかしくなくて、でも、言わないでくれると思っている自分もいて――
 普通ではないことは何? 本来あるべき姿は何?
 マンションにいるはずの人は秋斗さんと栞さんで、いないはずなのは私と蒼兄と唯兄。
 それが意味するものは何――?

 コンコンコンコン――
「翠、起きてるって聞いたけど……?」
 ドア口に司先輩が立っていた。
「つ、かさ、先輩……」
「まだ寝ぼけてる?」
 少し呆れたような声でベッドに近づいてきた。
「何考えてた?」
「え?」
「……ろくでもないこと考えてただろ」
 ろくでもないこと……。
「あぁ、違った。俺にはろくでもないことでも、翠にとっては大切なこと、だったか?」
 先輩はベッド脇に膝をつくと、私の目に手をかざし、
「十秒だ」
「え……?」
「十秒数えたら起きて勉強」
 そう言って、低く落ち着いた声でゆっくりと数を数え始めた。
 その声を聞いていると、ざわざわとした心が静かになっていく。まるで魔法のよう。一から十までの単なる数字なのに、何かの呪文のように思えた。
「……八、九、十――」
 瞼の向こうが明るくなる。
「ハーブティー淹れて待ってる。最初に数学でもやって頭の回転率上げろ」
 部屋を出て行く先輩の背中をじっと見る。
 決して体格がいいわけじゃない。ぱっと見なら華奢に見えるくらい細身だ。でも、頼りになる背中だった。
 それを認めるということは、自分が周りに甘えているということ――
 今の自分は周りに支えてくれる人がいるからここにいることができる。だとしたら、私は本当は自分の足では立ってなどいないのではないだろうか。
 自分だけの力だったら、本当はどこに立っているのだろう……。
 耳に残る司先輩の声でもう一度十秒を数える。それでリセットできる気がした。
 けれども、それは気がしただけ。
 本当は少し横に置いておいて、今は勉強、とただ考えるのを少し先送りにしたに過ぎなかった。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...