光のもとで1

葉野りるは

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第八章 自己との対峙

12話

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「リィ、二時だよ」
 唯兄がベッドの脇で教科書を持っていた。
「……日本史嫌い」
「あはは、暗記科目が苦手ってあんちゃんが言ってたけどホントなんだ?」
 楽しそうに笑う唯兄を横目にゆっくりと起き上がった。
 ローテーブルにはオスロカプチーノのカップが置かれている。なんのお茶かはわからないけど、きっとハーブティー。
「唯兄もハーブティーが好きなの?」
「俺がこよなく愛するのはインスタントコーヒー。普段ホテルで高級なコーヒーばかり飲んでいるとインスタントコーヒーが恋しくなるのよ」
 なんて、笑いながら応える。
「コレを淹れたのはあんちゃんだよ。ミントティーだって。淹れてからだいぶ時間が経ってる。常温になってるからぐびぐびいけるよ」
 差し出されたカップを両手で受け取り口をつけた。
 口の中にミントの香りが広がって、鼻の奥から目にかけて抜ける感じ。
「目、覚めた……」
 クスリ、と笑うと唯兄がにこりと笑った。
「じゃ、まずは伸びをしてから軽くストレッチ!」
 促されるままに身体を動かしたら、身体全体がすっきりと少し軽くなった気がした。
「さ、やるよ!」
 日本史の教科書の影から顔を覗かせて唯兄はニヤリと笑う。
「お願いします」
 頭を下げると、ローテーブルの上に置かれたものに釘付けになる。それはよく目にするもので、けれども通常はテーブル上ではお目にかかることのないアイテムだ。
「……どうしてインターホンがテーブルにあるの?」
「やっぱ音が鳴るものがあったほうがそれっぽくていいでしょ?」
 言いながら、唯兄はテーブル上にノートパソコンを広げた。
「お仕事しながら?」
「いや、さっき教科書のテスト範囲をスキャンしたんだ。で、パソコンに適当に問題を作らせた。間違えたところは繰り返し出題できるよ」
 満面の笑みで言う唯兄に、
「……そういうソフトか何か?」
「ん? リィが寝てる間にちょこっと遊びで作ったソフトだけど、それが何?」
 ソフトとは、こんな短時間で作れてしまうものなんだろうか……。
「あ、別に時間のかかるような代物じゃないし、難しくもなんともないから気にしないでよ? 秋斗さんにクリアできないゲームを作れって言われるほうがよっぽど過酷」
 それはいったいどんな世界だろう……。湊先生に神の申し子と言われるゆえんはこういうところにあるのかもしれない。

 唯兄の勉強法は少し変わっていた。
 三十分間問題攻めにされると五分間の休憩がある。そのときにお茶とクッキー一本を食べさせられる。それの繰り返し。三十分一クールな感じ。
 集中しすぎると周りが見えなくなることもあるけれど、自分ひとりの世界ではなく現実世界で勉強をしている実感があった。それは問題を出す人がいて、自分が答えるとう方法を取っていたからなのかもしれない。ただ、時間を感じて勉強をするのは久しぶりのことだった。
 三クール目に突入したとき、ポーチが開く音がした。
 インターホンが鳴って、誰だろう、と思う。
「あんちゃんが出るだろうからリィは勉強」
「はい」
 三クール目のクイズが終わるころ、部屋のドアがノックされた。
 顔を覗かせたのは蒼兄。
「出かけるの?」
 訊いてみたものの、時計はまだ四時を回っていない。
「いや、翠葉にお客さん」
 お客、さん……? 今は試験期間だから友達が尋ねてくることはないだろう。
「お客さんって、誰?」
「秋斗先輩だよ。……少し話しがしたいって」
 私も話さなくてはいけないことがある。でも、「話がしたい」という言葉だけで身動きが取れなくなる。
「リィ、嫌なら嫌でいいんだよ?」
 唯兄はそんなふうに声をかけてくれるけど――嫌よりも、「怖い」……。でも、いつまでも避けてはいられない。
「嫌、ではないの。……クッキーのお礼も言わなくちゃいけないから……」
 「だから、会う」の一言が口にはできなかった。
「じゃ、俺と唯はリビングにいるから先輩を呼ぶよ?」
 どこか確認のように問われた声に、私はぎこちなく頷いて了承した。
 窓際に座っていた私は、気づけばデスクの前まで――ドアと対角線を結ぶ場所まで移動していた。
 デスクの足元に置いてあるハープに手を伸ばし引き寄せる。ぎゅっとハープを抱きしめ、自分を叱咤する。
 答えは出ているし、呆れられることも想定済み。今さら何を怖がったところで何が変わるでもない。
 コンコンコン――半ば開いていたドアをノックする音。
 当たり前ながら、フローリングにはふたつの足。黒い靴下の次に見えたのはベージュのチノパン。
 学校での服装と同じ……。
 徐々に視線を上げていくと、白いシャツが目に入り、最後には秋斗さんの顔を視界に認めた。
「久しぶりだね」
 穏やかに笑みを浮かべる秋斗さん。優しい、秋斗さん――
 この人に呆れられてしまうのは、嫌われてしまうのは、つらい……。でも、怖いの。色んなことが怖い――
 ドアを閉めても秋斗さんがドアの前から動くことはなかった。ただ、ドアを背に立っているだけ。
 それなのに、私はどうしてこんなにも緊張しなくてはいけないのだろう。
「あのね、これ以上は近づかないから、そこまで緊張しないでもらえると嬉しい」
 秋斗さんは優しい言葉を悲しそうな表情で口にする。私はコクリと首を縦に振ったけど、どうしても身体中の力を抜くことはできなかった。
「……蒼樹に入ってもらう? 俺はそれでもかまわないよ」
 それは甘えだろうか、失礼なことだろうか、卑怯なことだろうか――
 私が答えを出せずにいると、秋斗さんは「ちょっと待ってね」とドアを開けた。
「蒼樹、悪い。ちょっと来てもらえる?」
 蒼兄の気配がすると、
「だめでした?」
「いや、緊張しすぎててちょっとかわいそうだから」
 そんなやり取りが小さく聞こえた。
 蒼兄がドアから顔を覗かせると、「なるほど」と部屋へ入ってきた。私の隣に座ると肩ごと抱き寄せてくれ、大きな手で左肩を何度もさすってくれる。
「先輩の話を一緒に聞こう?」
 顔を覗き込まれ、コクリと頷く。
 大丈夫、大丈夫、大丈夫――
 何度も自分に言い聞かせる。でも、効果は全然なくて息が苦しくなりそうだった。
 秋斗さんは入ってきたときと同様にドアを閉め、一呼吸おくと話し始めた。
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