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第十章 なくした宝物
12話
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静さんがにこりと笑ってこちらに歩いてくる。
「翠葉ちゃん、こんばんは」
「こんばんは」
「あれ、それは?」と胸元のとんぼ玉を指摘された。
「今、ツカサからもらったんです。お土産って」
「良かったね、よく似合っているよ」
「嬉しい……」
もう一度ツカサに「ありがとう」を伝えると、「どうしたしまして」と伏し目がちに素っ気無い対応をされる。
「で、静さんの用事は?」
ツカサが切り出すと、
「翠葉ちゃん、ちょっと司を借りるね」
静さんとツカサはふたり連れ立ってエレベーターホールの裏側へと行ってしまう。
「内緒話……?」
私は深く考えず、胸元にぶら下がるとんぼ玉が嬉しくて、ずっとそれを触っていた。
精巧なつくりじゃないとか安物とか、そんなことはどうでもいい。ツカサが選んでくれたもの、ということがとても嬉しかったのだ。
つい表情が緩んでしまう。頬をつねってみたり、ペチペチと叩いてみたりしたけれど、結局どれも効果はなかった。
そんなことを何度か繰り返していると、足音が聞こえふたりが戻ってきたことに気づく。
顔を上げると、ツカサの表情が一変していた。
「ツカサ……?」
「翠、悪いんだけど急用ができたから病室までは静さんに送ってもらって」
「え……?」
私の返事は必要ないらしく、ツカサはすぐに踵を返してエレベーターホールへと走っていった。
「翠葉ちゃん、ごめんね」
謝ったのはツカサの数歩あとにやってきた静さん。
「何かあったんですか?」
「いや、大したことじゃないんだ。ただ、迷子の猫がいてね」
と苦笑する。
迷子の猫……?
「その迷い猫を見つけられそうなのが司しかいなくてお願いをしにきたんだ」
「そうなんですね……」
だとしたら、あんな顔をするくらいには大切な猫さんなのだろう。
閉じたエレベーターのドアを見てそう思った。
「ところで、その猫さんは本物の猫さんですか?」
ベンチに座ったまま静さんを見上げると、巨人のように見える。
「んー……一応人間かな」
一応人間……。
「……一応、でいいんですか?」
ちょっとしたツカサの真似。
「そうだなぁ……ちゃんと人間ってことにしておこうかな。でも、男だよ」
静さんはクスクスと笑いながら、私の隣に腰を下ろした。
「先日は驚かせてしまってすまなかったね」
「あ……湊先生とのことですか?」
「そう、栞に黙っていてくれてありがとう」
「いいえ……。でも、どうしてですか? 一番喜びそうなのに」
「だろう?」
静さんは笑みを浮かべる。
「一番喜びそうな人間だからサプライズにしてあるんだ」
よくわからないけど、誰も悲しまないのならそれでいい。
「相馬医師とはうまくやっていけそうかい?」
「あの……相馬先生、とても優しい人でした」
みんなに勘違いされていそうで、ついつい擁護じみた言葉が口をつく。
「あぁ、彼はとても立派な人間だと思うよ」
「え……?」
「由緒正しい家柄で、彼はその名に恥じない人間だろう。決して家柄に胡坐をかくタイプじゃない」
静さんは本当の相馬先生を知っているの……?
「どうして、って顔だね?」
コクリと頷くと、
「湊という人間を取り合うとき、私の中で一番のライバルが彼だった。だから国外へ追放したんだ」
明快なのか曖昧なのか、よくわからない答え。
「さ、病室へ戻ろうか」
立ち上がる静さんの顔には、「それ以上は秘密」と書いてある気がした。
意味はよくわからない。でも、相馬先生が勘違いされてないならそれでいい――
昨夜は静さんが帰ってからもツカサのことが気になって仕方がなかった。
気になったのはツカサの余裕のなさ……。
私が知っているツカサは、インターハイ前やその期間中でも、緊張を表に出すような人ではなく、繕うくらいの余裕は持ち合わせていた。
「動揺、じゃなくて、動転、かな……」
静さんは詳しくは教えてくれなかったけれど、急を要していることはわかったし、それだけで十分だった。
あのあと、病室で圏外の携帯をずっと見ていたけれど、メールが届くわけがないし、電話がかかってくるわけもない。
それでも、私とツカサをつないでいるのは、この携帯ひとつだけのように思えたのだ。
あのツカサがあそこまで余裕をなくすなんて、きっとそのくらいに大切な人なのだろう。
見つかったかな……。早く見つかるといいな。
見つかって、ツカサがほっとできたらいい――
「おーい……おまえ、またここにいたのか?」
「あ、相馬先生……」
午前に受ける治療は受けてしまったので、何もやることがない私は携帯が使える携帯ゾーンへ来ていた。
でも、ここへ来てもやることはとくにない。だから、ついゴロン、とソファに転がっていただけで、具合が悪かったわけでも本気で眠りこけていたわけでもない。
「別にいいけど、寝るなら病室に戻れ」
「あ……えと、横になって藤山を見たらどんなふうに見えるのかな、と思って……」
苦しすぎる言い訳かな……。
先生を見上げると、
「横になって見たところで楽しくもなんともないだろ?」
なんとなく、私が男子だったら蹴りのひとつくらいもらっていた気がする。
「おまえじゃなくて翠葉ですっ。昨日言ったばかりなのに……」
「そうだったか?」
先生は私を見下ろしとぼけて見せる。そのとき、携帯が鳴りだした。
メールっ!?
急いでメールを見ると、静さんからだった。
メールの内容に胸を撫で下ろす。
「猫さん見つかったんだ、良かった……」
すぐに返信メールを送ると、今度は電話が鳴った。
『やぁ、こんにちは』
「静さんっ!?」
『昨夜は司と話していたところを悪かったね』
「いえ、急を要することだったのでしょう?」
何も聞かされてなくてもそのくらいはわかる。
『そうなんだ。二日の間に見つけ出さないといけないタイムリミットつきだったからね』
「見つかって良かったです!」
肺に溜まっていた使用済みの二酸化炭素が全部吐き出せた感じ。
『あとで司から連絡が入ると思うけど、病院側に連絡を入れさせるから、ずっとそこにいる必要はないよ』
「あ……そうですよね」
メールの返信がすぐにできたということは、私が携帯の通じるところにいるということで、それがわかったからこそ電話をかけてきてくれたのだろう。
『身体を冷やさないようにね』
注意を受けて通話が切られた。
「ナンバーツーか?」
「はい。迷い猫さんが見つかったみたいで安心しました」
「はぁ? ……とりあえず、いったん病室に戻って休め」
「そうします」
病室に戻ると、相馬先生はソファに腰掛けた。
「痛みはどうだ?」
「そこまでひどいものではないです」
「……自分の身体を痛めつけるほどの我慢はどうかと思う。が、最悪を知っておくのは悪いことじゃない」
それ――
「To know the worst is good……?」
「くっ、ひでぇ発音」
先生は笑ってから流暢な英語を話した。
「Repeat after me.――To know the worst is good」
日本語を話しているときの柄の悪さなんて欠片ほども感じない。むしろものすごく紳士っぽい響きなのはどうしてだろう。
「Repeat after me」
催促され、すぐに復唱する。と、
「スイハは耳がいいな」
「……耳だけかも」
「なんにせよ、最悪を知ってる人間ってのは案外強いもんだ。スイハ、おまえは弱いだけじゃねぇよ」
意外なことを言われて、まともな反応ひとつできないうちに相馬先生は病室を出ていった。
「私、弱いだけじゃない……?」
耳にこだまする言葉を胸に、ベッドで横になった。
「おい、起きろや」
「ん……」
「待ってた電話じゃねーの? ツカサってやつから」
電話――ツカサ……。
「あっ――」
急に身体を起こしたのがいけなかった。
ここしばらく、こんなミスはしていなかったのに……。
「先生、ごめんなさい……」
「わかってりゃいい」
昼食を食べ終え、そのあと横になっていたのだ。
消化に血液を使っているところ、こんな起き方をしたら眩暈を起こしても仕方がない。そんなことは自分が一番よくわかっていた。
『はい、翠葉ちゃんどうかした?』
頭上のスピーカーから栞さんの声が聞こえてきた。
でも、 私はナースコールなんて押していな――
「俺だ俺。その電話、俺のPHSにつないでやれ」
『はい、わかりました』
栞さんの声が聞こえなくなると、すぐにPHSの着信音が鳴り響いた。
「ほら、これ使っていいから横になれ。血圧が上がってくるまで身体起こすなよ」
支えてくれている手をそのままに、肩を押されベッドへ横にされた。
視界が回復するのにはまだ時間がかかる。その私の手に、硬いものが押し付けられた。たぶん、PHS……。
「もう、話せる。俺はナースセンターにいる」
「先生、ありがとうございますっ」
「だから……電話もうつながってんぞ?」
ケラケラと笑いがなら、きっと呆れた顔をして病室を去っていったのだろう。普段はしない足音がだんだんと遠ざかっていった。
「ツカサ……?」
『翠? ……何、今の会話』
「あ、えと……」
言ったら怒られそうだ。
「なんでもないの」
徐々に視界が回復して、室内が思ったよりも明るすぎてびっくりした。
『翠のなんでもないとか大丈夫って言葉ほど当てにならないものはないって言わなかったか?』
言われたような言われてないような……。
『とりあえず、昨日は悪い。これからそっちに帰るから』
「猫さん見つかったって静さんから連絡あったの」
『それ、犬の間違いだから……』
えっ、犬?
『いや、深く考えなくていいけど』
珍しくツカサが言葉を濁した。
「ツカサ、疲れてると思うから、今日は来ないでね?」
なんとなく、来てしまう気がしたから口にした。
会いたいけど、ツカサが全然休んでいない気がして、そう言わずにはいられなかった。
首にぶら下がるとんぼ玉に左手で触れる。
『なんていうか……とりあえず顔を見て安心したいんだけど。それから、話したいこともある』
「でも、私は今日退院できるわけじゃないし、ここ病院だし、明日もいるし……」
『高速を走ってる三時間は寝ていられる』
「……そういうの、休んだとは言わないと思うよ?」
『俺の身体は翠の身体とは出来が違う』
「それはまた……人が気にしていることをさらっと言うよねっ?」
クスリ、と笑みを漏らす声が聞こえた。
『本当に元気だな』
いつもより声音が柔らかく聞こえる。
「……元気だよ。でも、別に脱走とか企てないし……」
『やってみてもいいんじゃない? たぶん、院内で捕獲されるのがオチだと思うけど』
「もうっ、人が心配してるのに本当にひどいっ」
『夕方過ぎにはなるけど、八時までには行くから』
「だからっ、来なくていいっっっ」
『はいはい。じゃ、またあとで』
そう言うと、一方的に通話が切られた。
「むぅ……」
なんだか納得がいかない……。
「でも、良かった……」
今のツカサはいつものツカサだった――
「翠葉ちゃん、こんばんは」
「こんばんは」
「あれ、それは?」と胸元のとんぼ玉を指摘された。
「今、ツカサからもらったんです。お土産って」
「良かったね、よく似合っているよ」
「嬉しい……」
もう一度ツカサに「ありがとう」を伝えると、「どうしたしまして」と伏し目がちに素っ気無い対応をされる。
「で、静さんの用事は?」
ツカサが切り出すと、
「翠葉ちゃん、ちょっと司を借りるね」
静さんとツカサはふたり連れ立ってエレベーターホールの裏側へと行ってしまう。
「内緒話……?」
私は深く考えず、胸元にぶら下がるとんぼ玉が嬉しくて、ずっとそれを触っていた。
精巧なつくりじゃないとか安物とか、そんなことはどうでもいい。ツカサが選んでくれたもの、ということがとても嬉しかったのだ。
つい表情が緩んでしまう。頬をつねってみたり、ペチペチと叩いてみたりしたけれど、結局どれも効果はなかった。
そんなことを何度か繰り返していると、足音が聞こえふたりが戻ってきたことに気づく。
顔を上げると、ツカサの表情が一変していた。
「ツカサ……?」
「翠、悪いんだけど急用ができたから病室までは静さんに送ってもらって」
「え……?」
私の返事は必要ないらしく、ツカサはすぐに踵を返してエレベーターホールへと走っていった。
「翠葉ちゃん、ごめんね」
謝ったのはツカサの数歩あとにやってきた静さん。
「何かあったんですか?」
「いや、大したことじゃないんだ。ただ、迷子の猫がいてね」
と苦笑する。
迷子の猫……?
「その迷い猫を見つけられそうなのが司しかいなくてお願いをしにきたんだ」
「そうなんですね……」
だとしたら、あんな顔をするくらいには大切な猫さんなのだろう。
閉じたエレベーターのドアを見てそう思った。
「ところで、その猫さんは本物の猫さんですか?」
ベンチに座ったまま静さんを見上げると、巨人のように見える。
「んー……一応人間かな」
一応人間……。
「……一応、でいいんですか?」
ちょっとしたツカサの真似。
「そうだなぁ……ちゃんと人間ってことにしておこうかな。でも、男だよ」
静さんはクスクスと笑いながら、私の隣に腰を下ろした。
「先日は驚かせてしまってすまなかったね」
「あ……湊先生とのことですか?」
「そう、栞に黙っていてくれてありがとう」
「いいえ……。でも、どうしてですか? 一番喜びそうなのに」
「だろう?」
静さんは笑みを浮かべる。
「一番喜びそうな人間だからサプライズにしてあるんだ」
よくわからないけど、誰も悲しまないのならそれでいい。
「相馬医師とはうまくやっていけそうかい?」
「あの……相馬先生、とても優しい人でした」
みんなに勘違いされていそうで、ついつい擁護じみた言葉が口をつく。
「あぁ、彼はとても立派な人間だと思うよ」
「え……?」
「由緒正しい家柄で、彼はその名に恥じない人間だろう。決して家柄に胡坐をかくタイプじゃない」
静さんは本当の相馬先生を知っているの……?
「どうして、って顔だね?」
コクリと頷くと、
「湊という人間を取り合うとき、私の中で一番のライバルが彼だった。だから国外へ追放したんだ」
明快なのか曖昧なのか、よくわからない答え。
「さ、病室へ戻ろうか」
立ち上がる静さんの顔には、「それ以上は秘密」と書いてある気がした。
意味はよくわからない。でも、相馬先生が勘違いされてないならそれでいい――
昨夜は静さんが帰ってからもツカサのことが気になって仕方がなかった。
気になったのはツカサの余裕のなさ……。
私が知っているツカサは、インターハイ前やその期間中でも、緊張を表に出すような人ではなく、繕うくらいの余裕は持ち合わせていた。
「動揺、じゃなくて、動転、かな……」
静さんは詳しくは教えてくれなかったけれど、急を要していることはわかったし、それだけで十分だった。
あのあと、病室で圏外の携帯をずっと見ていたけれど、メールが届くわけがないし、電話がかかってくるわけもない。
それでも、私とツカサをつないでいるのは、この携帯ひとつだけのように思えたのだ。
あのツカサがあそこまで余裕をなくすなんて、きっとそのくらいに大切な人なのだろう。
見つかったかな……。早く見つかるといいな。
見つかって、ツカサがほっとできたらいい――
「おーい……おまえ、またここにいたのか?」
「あ、相馬先生……」
午前に受ける治療は受けてしまったので、何もやることがない私は携帯が使える携帯ゾーンへ来ていた。
でも、ここへ来てもやることはとくにない。だから、ついゴロン、とソファに転がっていただけで、具合が悪かったわけでも本気で眠りこけていたわけでもない。
「別にいいけど、寝るなら病室に戻れ」
「あ……えと、横になって藤山を見たらどんなふうに見えるのかな、と思って……」
苦しすぎる言い訳かな……。
先生を見上げると、
「横になって見たところで楽しくもなんともないだろ?」
なんとなく、私が男子だったら蹴りのひとつくらいもらっていた気がする。
「おまえじゃなくて翠葉ですっ。昨日言ったばかりなのに……」
「そうだったか?」
先生は私を見下ろしとぼけて見せる。そのとき、携帯が鳴りだした。
メールっ!?
急いでメールを見ると、静さんからだった。
メールの内容に胸を撫で下ろす。
「猫さん見つかったんだ、良かった……」
すぐに返信メールを送ると、今度は電話が鳴った。
『やぁ、こんにちは』
「静さんっ!?」
『昨夜は司と話していたところを悪かったね』
「いえ、急を要することだったのでしょう?」
何も聞かされてなくてもそのくらいはわかる。
『そうなんだ。二日の間に見つけ出さないといけないタイムリミットつきだったからね』
「見つかって良かったです!」
肺に溜まっていた使用済みの二酸化炭素が全部吐き出せた感じ。
『あとで司から連絡が入ると思うけど、病院側に連絡を入れさせるから、ずっとそこにいる必要はないよ』
「あ……そうですよね」
メールの返信がすぐにできたということは、私が携帯の通じるところにいるということで、それがわかったからこそ電話をかけてきてくれたのだろう。
『身体を冷やさないようにね』
注意を受けて通話が切られた。
「ナンバーツーか?」
「はい。迷い猫さんが見つかったみたいで安心しました」
「はぁ? ……とりあえず、いったん病室に戻って休め」
「そうします」
病室に戻ると、相馬先生はソファに腰掛けた。
「痛みはどうだ?」
「そこまでひどいものではないです」
「……自分の身体を痛めつけるほどの我慢はどうかと思う。が、最悪を知っておくのは悪いことじゃない」
それ――
「To know the worst is good……?」
「くっ、ひでぇ発音」
先生は笑ってから流暢な英語を話した。
「Repeat after me.――To know the worst is good」
日本語を話しているときの柄の悪さなんて欠片ほども感じない。むしろものすごく紳士っぽい響きなのはどうしてだろう。
「Repeat after me」
催促され、すぐに復唱する。と、
「スイハは耳がいいな」
「……耳だけかも」
「なんにせよ、最悪を知ってる人間ってのは案外強いもんだ。スイハ、おまえは弱いだけじゃねぇよ」
意外なことを言われて、まともな反応ひとつできないうちに相馬先生は病室を出ていった。
「私、弱いだけじゃない……?」
耳にこだまする言葉を胸に、ベッドで横になった。
「おい、起きろや」
「ん……」
「待ってた電話じゃねーの? ツカサってやつから」
電話――ツカサ……。
「あっ――」
急に身体を起こしたのがいけなかった。
ここしばらく、こんなミスはしていなかったのに……。
「先生、ごめんなさい……」
「わかってりゃいい」
昼食を食べ終え、そのあと横になっていたのだ。
消化に血液を使っているところ、こんな起き方をしたら眩暈を起こしても仕方がない。そんなことは自分が一番よくわかっていた。
『はい、翠葉ちゃんどうかした?』
頭上のスピーカーから栞さんの声が聞こえてきた。
でも、 私はナースコールなんて押していな――
「俺だ俺。その電話、俺のPHSにつないでやれ」
『はい、わかりました』
栞さんの声が聞こえなくなると、すぐにPHSの着信音が鳴り響いた。
「ほら、これ使っていいから横になれ。血圧が上がってくるまで身体起こすなよ」
支えてくれている手をそのままに、肩を押されベッドへ横にされた。
視界が回復するのにはまだ時間がかかる。その私の手に、硬いものが押し付けられた。たぶん、PHS……。
「もう、話せる。俺はナースセンターにいる」
「先生、ありがとうございますっ」
「だから……電話もうつながってんぞ?」
ケラケラと笑いがなら、きっと呆れた顔をして病室を去っていったのだろう。普段はしない足音がだんだんと遠ざかっていった。
「ツカサ……?」
『翠? ……何、今の会話』
「あ、えと……」
言ったら怒られそうだ。
「なんでもないの」
徐々に視界が回復して、室内が思ったよりも明るすぎてびっくりした。
『翠のなんでもないとか大丈夫って言葉ほど当てにならないものはないって言わなかったか?』
言われたような言われてないような……。
『とりあえず、昨日は悪い。これからそっちに帰るから』
「猫さん見つかったって静さんから連絡あったの」
『それ、犬の間違いだから……』
えっ、犬?
『いや、深く考えなくていいけど』
珍しくツカサが言葉を濁した。
「ツカサ、疲れてると思うから、今日は来ないでね?」
なんとなく、来てしまう気がしたから口にした。
会いたいけど、ツカサが全然休んでいない気がして、そう言わずにはいられなかった。
首にぶら下がるとんぼ玉に左手で触れる。
『なんていうか……とりあえず顔を見て安心したいんだけど。それから、話したいこともある』
「でも、私は今日退院できるわけじゃないし、ここ病院だし、明日もいるし……」
『高速を走ってる三時間は寝ていられる』
「……そういうの、休んだとは言わないと思うよ?」
『俺の身体は翠の身体とは出来が違う』
「それはまた……人が気にしていることをさらっと言うよねっ?」
クスリ、と笑みを漏らす声が聞こえた。
『本当に元気だな』
いつもより声音が柔らかく聞こえる。
「……元気だよ。でも、別に脱走とか企てないし……」
『やってみてもいいんじゃない? たぶん、院内で捕獲されるのがオチだと思うけど』
「もうっ、人が心配してるのに本当にひどいっ」
『夕方過ぎにはなるけど、八時までには行くから』
「だからっ、来なくていいっっっ」
『はいはい。じゃ、またあとで』
そう言うと、一方的に通話が切られた。
「むぅ……」
なんだか納得がいかない……。
「でも、良かった……」
今のツカサはいつものツカサだった――
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