光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
479 / 1,060
第十章 なくした宝物

34話

しおりを挟む
 携帯に届いていたメールは佐野くんとお父さん、それから秋斗さんだった。
 佐野くんからはマッサージを受けるときに寄ってもいいか、というお尋ねメールで、お父さんからは月末には帰れるかもしれない、という内容。
 秋斗さんからのメールにはこちらを気遣う内容が連なっていた。


件名 :大丈夫かな
本文 :話を聞いて負担になっていないといいんだけど……。
   思い出してほしくないと言ったら嘘になる。
   でも、今までの記憶があってもなくても、
   今からの関係にはなんの支障もない。
   君はそのままでいいから。
   あまり考え込まないでほしい。
   考えるあまりに会えなくなるのなら、何も考えてほしくはない。

   翠葉ちゃんに会いたい。
   寝てる君でもいい。
   ただ、君に会いたい。


 何を返したらいいのだろう……。
 メールを読んでいるときもツカサはベッドサイドにいた。
 次の操作もせずに固まっていると、
「秋兄から?」
 なんでわかるのかな……。
「……そう」
「返事して。今すぐして」
 命令口調ではないのに、命令されている気分。
「その人、翠に放っておかれると仕事しなくなりそうだから」
「まさか……」
「前科あり。それで若槻さんがかなり酷使されたはずだけど?」
 何か……何か返信しなくちゃ――
「どうせ、会いたいって内容じゃないの?」
 内容まで当てられてびっくりした。
「粗方そんな感じ、かな?」
 そのほかに嬉しいことが書いてあった。
 そのままでの私でいいと、記憶があってもなくても変わらないと……。
 少し困るのは、秋斗さんが私に持っている感情が恋愛感情だから。
 私にはよくわからない。思い出せないというよりも、その感情がよくわからない……。
 私は初恋をしたそうだけど、その記憶が私にはなく、どんな感情なのかもよくわからないから。
 だから、少し困る……。
「メール打ったら俺が送信してくるけど?」
「……なんて返信したらいいのか悩んでる」
「会いたいって言われたならいいか悪いかのどっちかだろ?」
 そう言われると、とても簡単なことに思えた。
「じゃ、少し待ってもらえる?」
 ツカサは何も言わずに本を広げた。


件名 :ありがとうございます
本文 :記憶はまだ戻りません。
   この先戻るのかもわかりません。
   でも、ひとつだけわかったことがあります。
   ツカサと話をしていたら大切だと思いました。
   一緒にいて楽に呼吸ができました。
   たぶん、秋斗さんとも会ってお話をしていたら、
   そういう気持ちを感じることができるのだと思います。
   だから、私に時間をください。
   秋斗さんと会ってお話をして、
   また大切な人と思えるまで時間をください。
   きっと、また大切な人だと感じることができるはずだから……。

   今は薬の副作用がひどくて身体を起こすことができません。
   それでも良ければいらしてください。


 十三日以降、ツカサは毎日のように来てくれた。
 来てくれたところで、私は話もできないくらい吐き気に見舞われていたのだけど、そんなときは話しかけるでもなく、ただ私の視界に入る場所で本を読んでいた。
 それが続くと、空気みたいな存在になりつつあった。
 途中で蒼兄や唯兄、お母さんが来れば病室を出ていったり、一緒に雑談をしていたり。
 ツカサの口数は少ないものの、少しずつ家族に慣れ始めているのが見て取れた。
 十五日には麻酔科の先生、久住高良くずみたから先生が挨拶にいらしてくださった。
 手術と診察の過密スケジュールをこなしている先生と紹介されたものの、殺伐とした感じは見受けられず、朗らかに笑う先生だった。
「去年までは神経ブロックや硬膜外ブロックをしていたと聞きました。今年は違う治療法ですね」
「神経ブロックはもうやりたくないです……」
「そうですよねぇ……。神経の中枢に打つ注射は痛いですからね。やらないに越したことはありません」
 そんな話をしながら治療が始まる。
 その場には昇さんと相馬先生、楓先生もいて、なんだかとても恥ずかしかった。
 治療のときは、広範囲に注射を打つ都合上、ほとんど下着のような格好になる。でも、ここにいる人はみんなお医者様で、みんな私の治療をしたことがあるのだから、今さらと言われたら今さらだ。
 それでも恥ずかしいことに変わりはなく、しかし恥ずかしいと言えないのが治療時間で……。
「翠葉ちゃん、バスタオルをかけて治療場所を少しずつずらしていくからね」
 楓先生が大きなバスタオルを二枚用意してくれていた。
「……ありがとうございます」
「うん、やっぱり恥ずかしいよね。年頃だもんね」
 こういうところが楓先生だな、と思う。
 いつも私の目線を……患者の目線で物事を考えてくれる。
 そんな楓先生を見て、昇さんが「いい医者になったな」と口にした。
「神崎先生、まだまだひよっ子ですよ。とっとと指導医クラスまで上がってきてほしいものです」
 楓先生をひよっ子扱いするのは久住先生。
 私から見たら楓先生は立派に大人の分類だけど、先生たちの中に混ざると子ども扱いされていて、なんだか変な気分。
 私が久住先生の治療を受けている間、楓先生と昇さんがスケジュールの確認をしていた。
 その話からわかったことといえば、この治療を毎日受けるためにはひとりの医師だけでは無理だということ。
 久住先生は外来に出ていない日はほぼ毎日のように手術スタッフに名を連ねているらしく、また、外科に下りた昇さんも連日手術の予定が入っていたのだ。
 そんなふたりは自由になる時間がとても少ない。
 そこへ自分の治療時間をねじ込んでいるかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「楓先生、ここでその話をするのはどうでしょう?」
 治療をしていた久住先生が振り返り声をかける。と、楓先生がはっとした顔で私を見た。
「御園生……翠葉ちゃん、でしたね。すみません、ここでする話ではありませんでした。でも、あなたがそんな顔をする必要はありません」
 久住先生はベッドに横になる私に視線を合わせるためしゃがみこむ。
「翠葉ちゃんのお仕事は、治療を受けて元気になることです。医者のことを気遣う必要も、申し訳ないと思う必要もありません」
「……はい」
 どうしてか涙が零れる。
「おやおや、泣かせてしまいました。どうしましょう」
 久住先生は少しうろたえ、その背後から現れた楓先生が優しく頭を撫でてくれた。
「きっと、久住先生の言葉が嬉しかったんでしょう。……ね?」
 それに頷くと、
「あれだけ病院をたらいまわしにされ、ここまでの痛みを我慢してきたんだ。無理はねぇな」
 相馬先生の言葉のあとは昇さんが口を開いた。
「俺たちも早く楽にしてあげたいんだよ」
 ここの先生たちは優しい……。痛みを理解してくれる。
 誰も私のせいだなんて言わないし、精神的におかしいとも言わない。
 それだけでこんなに救われるとは思いもしなかった。
 紫先生も藤原さんも、湊先生もみんな大好き。
 今、私にはいったい何人の先生がついてくれているのだろう。たくさんの先生がついてくれているのだから、私は早く元気にならなくちゃいけない。
 そう思ったとき、
「気負うなよ?」
 すかさず相馬先生に釘を刺された。
「今年の学会には私も出席する予定です。翠葉ちゃん、一緒にがんばりましょう」
 久住先生の言葉に、「はい」と答えた。
 先生たちは患者だけにがんばらせない。先生たちだけががんばらない。
 一緒にがんばろう、と言ってくれる。それが、とても嬉しかった。


 八月の終わり、佐野くんがお見舞いに来てくれた。
「調子はどう?」
「副作用もだいぶ抜けてきたし、少しずつご飯も食べられるようになったよ」
 二週間きっちりで副作用は治まった。
 それからは普通にご飯も食べられるようになり、高カロリー輸液も外された。
 左手の点滴はまだついたままだけど、脱水症状が完全に抜けてないから、退院まで続けると湊先生に言われていた。
「記憶は……?」
 佐野くんは訊きづらそうに口にする。
「まだ思い出せないの。でも、たぶん大丈夫……」
「え?」
「記憶がない部分の話は全部聞いたの。……ショックを受けることは受けたんだけど、話を聞いていても、自分の話には思えなかった……」
「悪い……話すのがつらかったら言わなくていいから」
 佐野くんはそう言ってくれたけど、
「違うよ。……つらいことはつらいけど、でも違う。記憶はなくても、今から関係を築くことはできるんだよね?」
「……御園生?」
「あのね、ツカサと話をしていてわかったの。記憶がなくても私はツカサが大切だと思う。だから、また話をしたり一緒にいる時間があれば大切だとか好きだとか、そういう気持ちは私の中に芽生えるんじゃないかな、って……。それまで時間をくださいって秋斗さんにもお願いをしたの」
 佐野くんはものすごく驚いた顔をしていた。
「佐野くん……?」
「あぁ、ごめん……。なんか、御園生が変わったっていうか、強くなった気がして驚いた」
「……そう?」
「うん。人の影に隠れて怯えてる感じがないっていうか……」
 その言葉に私は苦笑する。
「私、本当にどうしようもない子だったんだね」
「……なんていうか、御園生は真っ白だなぁって思ってた。白ってさ、ほかの色に染まる色だけど、そんな白じゃなくてさ、もっともっと強力に強い白なんだ。どんなに上から色を重ねても白に負けちゃう感じ。そんなふうに思ってた。それは変わらなくて、さらに強力な白になった感じ」
「少し独特なたとえ話だね? 自分のことをそんなに強い色だと思うことはできないけれど、でも、白って色はとても影響力のある色だと思う」
「うん」
 私と佐野くんは顔を見合わせて笑った。
「でさ、気になるんだけど……。その、大切とか好きとかって……どの辺の意味が適用されんのかな?」
 どの辺の意味……?
「恋愛ってこと? それとも友達として?」
 どこかビクビクとしながら訊いてくる佐野くんを不思議に思う。
「……種類?」
「うん、そんな感じ」
「……種類は――考えてなかったな」
 正直に答えると、佐野くんは脱力した。
「そっか……。でも、それでいいのかもしれない。気づくときには気づくだろうし。……で? CDは聴いたの?」
 あ――
「わかった、聴いてないわけね? でも、頼むから二学期までには聴いてくれ」
「ごめん、ね……?」
「いや、大変だったのは知ってるし。……っていうか、宿題終わった?」
 え――?
「……宿題ってなんの話だろう」
「お嬢さん、そちらもお忘れでしたか……。二学期始まるまであと一週間切ってるぜ?」
「どうしようっ!?」
「どうしようも何も、がんばるしかないだろぉ……。あぁ、ちょっといい気味。俺全部終わってるんだよね。そしてこれから海に行く予定! じゃ、がんばれよっ!」
 佐野くんは足取り軽やかに病室を出ていった。
 私の宿題宿題……。
 クローゼットの中からそれらしきもの見つける。
 古典と英語の冊子が二冊。
 その後、絶望感たっぷりでその二冊に取り組む羽目になったのは言うまでもない。
 佐野くん、できればもう少し早くに教えてほしかったです――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...