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第十三章 紅葉祭
32話(挿絵あり)
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昇降機が上がりきると、会場のざわめきを肌で感じて息を呑む。
今日何度も上がったステージだけど、誰かと一緒なのとひとりではまったく違う。
広いステージがさらに広く思え、途端に心細くなる。
「……ツカサっ」
インカムでツカサを呼ぶと、
『翠?』
「お願いっ、十、数えて欲しい」
『……わかった。……一、二、三、四、五、六、七、八、九、十』
安定した速度と声音に心が落ち着き始める。
『翠』
「……大丈夫。ありがとう」
ツカサの声ならいつだって思い出せる。でも、思い出す声はリアルタイムで聞こえてくる声には敵わない。
私が顔を上げると、それが合図となり下から演奏が聞こえてきた。
あ……ハープの音――
ひとりじゃない……。
ここにいるのが自分ひとりなだけで、この曲の音を奏でる人はステージの下にたくさんいる。
そう思ったら、また少し落ち着いた。
でも、歌い始めたら複雑な心境が復活。
寂しいのかな……。私、寂しいのかな?
ツカサが誰かを好きだと、私、寂しいのかな?
私が――私がツカサを好きだから、寂しいと思うのかな。
あの涼やかな目が、ほかの誰かを見つめるのが嫌なのかな。
それってどんなわがまま? すごく独占欲が強い人みたい……。
近くにいてほしい、側にいてほしい。不安なときには手をつないでほしい……。
でも、それはツカサに彼女ができたらしてもらえないことなのかもしれない。
だって、ツカサは蒼兄のように血がつながっている家族ではないから。
今はこんなに近くにいてくれるけど、それは――全然当たり前のことじゃなかった。
どうしてこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。
……海斗くんは?
海斗くんが飛鳥ちゃんと付き合い始めたら何かが変わるのかな。
少し考えてみたけれど、海斗くんには別段何を思うでもない。なのに、対象がツカサになると、同じようにできる自信がない。
海斗くんや佐野くんの恋、久先輩の恋は応援できる。でも、ツカサの恋は考えようとした時点で応援にはなり得ない感情が入り混じる。
相手がわからないと誰だか気になるし、寂しいと思ったり、悲しいと思ってしまう。ツカサに歌を歌ってもらえる人を羨ましいと思ってしまう。
ツカサは保険屋さんを買って出てくれたけど、ずっとこのままの関係なんてあり得ないんじゃないか、と思ってしまう。
近い未来に終わってしまう、そんな気がする。
蒼兄に桃華さんという彼女ができてもなんとも思わなかった。
ほかの誰に彼女ができても、きっとこんなふうには思わない。
どうしよう――
私、知らず知らずのうちにツカサ依存症になっていたみたい。
これは早いうちに手を打たないと、立て直しのタイミングを失って大変なことになりそうだ。
この感じは「蒼兄離れ」をしようとしたときに似ているかもしれない。
不安で仕方がない。
離れることを考えると、感情のコントロールが難しくなる。
相手を取り巻く環境が変わるだけで、今までどおりには過ごせないことがあるのかもしれない。
今頃気づくなんて――私、バカだ。
ただ側にいたくて、側にいてほしくて……。
でも、好きな人がいるツカサは、きっとその人の側にいることを望むだろう。
だから、言わない……。
どんなに問い詰められても言わないよ。だって、こんなことで困らせたくないもの……。
ステージが下がり始め、会場が見えなくなってから椅子の足元に置いてあったペットボトルに手を伸ばした。
ゴクゴク、と一気に飲んで激しく咽る。
咽たら涙が出た。それはボロボロと零れて止らない。
あんまりな状態に、奈落にいる人たちを驚かせてしまう。
「何、泣いて――」
開口一番はツカサ。
「違……飲んで、咽――」
ゲホゲホ、と咳き込むと、
「ドジ……」
呆れ顔で言われ、背中を軽く叩いたりさすってくれた。
もう、ドジでもなんでもいい。だって、思い当たる節が多すぎて困るくらいだ。
本当は、咽たから泣いたわけではないかもしれない。自然と溢れてきた雫だったかもしれない。
でも、今はそんなことを直視せず、飲み物のせいにしてしまいたい。
「感情移入しちゃった?」
茜先輩の言葉にドキリ、とする。
びっくり過ぎて涙が止まってしまったくらい。
「感情、移入?」
「あれ? 違った? なんだか、歌を聴いていてそんな気がしたの。翠葉ちゃん、誰か特定の人に側にいてほしいのかな、って」
誰か、特定の、人……。
「さ、涙拭いてステージに上がろう!」
茜先輩が笑えばその場の空気がガラリと変わる。
私とツカサ、茜先輩の三人が昇降機に揃うと実行委員から声がかかり、昇降機が上昇を始めた。
ステージへ上がると、茜先輩はにこりと笑ってピアノのもとへと走っていった。
「特定の人」と虚をつかれたまま呆然としていると、
「大丈夫か?」
ツカサに顔を覗き込まれ、顔を背けたいのを我慢して自己分析に努める。
気管に入ってしまったものは出すことができた。でも、今訊かれているこれはそのことを指していない気がする。
「……大丈夫じゃないけど、大丈夫なふりをさせてほしい」
「……なら、笑え。俺の歌い出しの歌詞は知ってるよな? 泣いていた人間が笑ってないと困る」
次の歌は絢香さんとコブクロの「あなたと」。
ツカサの歌詞を思い出したら、その言い分がものすごいこじつけに思え、不意に笑みが漏れた。
「笑えよ……」
「ん、努力する……」
前奏が始まり、ツカサの声が歌声になる。
目を閉じ、その声だけに意識を集中させた。
(翠葉×司 イラスト:涼倉かのこ様)
やっぱり、いいな……。
ツカサに歌を歌ってもらえる人が、こんなふうに想ってもらえる人が羨ましいと思う。
でも今は――今だけは、錯覚してもいいかな。
私のために歌ってくれているって、錯覚してもいい?
今だけでいいから……。
そしたらね、ものすごく幸せな気持ちで歌える気がするの。
ずっとツカサが側にいてくれたら、私は何も恐れずに歩いていける気がするの。
今だけだから、だから、許してね――
フェイク、と呼ばれる歌い方を完全放棄した私たちの代わりに、その部分はフルートやオーボエ、木管楽器の音が響き、間奏の部分は吹奏楽部やヴァイオリンのソロにアレンジされていた。
歌い終えてすぐ、
「何を考えていた?」
「っ!? 私、何かミスしたっ!?」
「そうじゃない――ただ……なんでもない」
「……ツカサらしくないね?」
「翠こそ……」
「私は――私はただ、この歌のとおりならいいのに、ってそう思っただけ。理想だな、って……。ただ、それだけだよ」
嘘じゃない。
明確なことは口にしなかったけど、言葉にしたことに嘘はなかった。
次も私の歌のため、左の昇降機からツカサだけが奈落に降りた。
私はペットボトルを持ち、茜先輩のもとへ行く。
「どうかした?」
茜先輩に訊かれて少し困る。
「……あの、飲み物っ。飲み物飲んでいる間に茜先輩の笑顔が見られたら少し元気もらえるかなと思って」
本当は私が元気をあげなくてはいけないのに、今は欲しいと思ってしまう。
「私の笑顔で元気になれるんだ?」
「はい。今日はすてきなドレスを着ている分、いつもより十割増しくらいの効果がありそうです」
茜先輩ににこり、と極上の笑顔をくれた。
「ありがとうございます」
ペコリ、浅くお辞儀をすると、
「翠葉ちゃん、感情を全部解放してごらん」
かい、ほう……?
「歌にね、全部解放するの。ピアノを弾くときと同じだよ。すっごく楽になるから。この曲で翠葉ちゃんの歌はラストだよね? だから、伝え残しがないように、全部……全部、解放してごらん」
「……そんな表現力は――」
「表現力はね、伝えたい想いがあれば必ず追いついてくれるから。媒介がピアノじゃなくなるだけ。音楽に違いはないんだよ」
芯のある、強い声音で言われた。
茜先輩の言葉を疑っているわけじゃない。けれど、「はい」と答えるだけの気持ちは見当たらず、私は曖昧に笑ってステージ中央へ戻った。
そのときの心境によって、こんなにも歌詞に対する思いが変わるとは思わなかったの。
奥華子さんの「ガーネット」。
私はこの曲を歌うとき、大好きな友達を思い浮かべて歌うことが多かった。
なのに、どうして今は違うのかな。どうしてツカサしか出てこないんだろう――
今日何度も上がったステージだけど、誰かと一緒なのとひとりではまったく違う。
広いステージがさらに広く思え、途端に心細くなる。
「……ツカサっ」
インカムでツカサを呼ぶと、
『翠?』
「お願いっ、十、数えて欲しい」
『……わかった。……一、二、三、四、五、六、七、八、九、十』
安定した速度と声音に心が落ち着き始める。
『翠』
「……大丈夫。ありがとう」
ツカサの声ならいつだって思い出せる。でも、思い出す声はリアルタイムで聞こえてくる声には敵わない。
私が顔を上げると、それが合図となり下から演奏が聞こえてきた。
あ……ハープの音――
ひとりじゃない……。
ここにいるのが自分ひとりなだけで、この曲の音を奏でる人はステージの下にたくさんいる。
そう思ったら、また少し落ち着いた。
でも、歌い始めたら複雑な心境が復活。
寂しいのかな……。私、寂しいのかな?
ツカサが誰かを好きだと、私、寂しいのかな?
私が――私がツカサを好きだから、寂しいと思うのかな。
あの涼やかな目が、ほかの誰かを見つめるのが嫌なのかな。
それってどんなわがまま? すごく独占欲が強い人みたい……。
近くにいてほしい、側にいてほしい。不安なときには手をつないでほしい……。
でも、それはツカサに彼女ができたらしてもらえないことなのかもしれない。
だって、ツカサは蒼兄のように血がつながっている家族ではないから。
今はこんなに近くにいてくれるけど、それは――全然当たり前のことじゃなかった。
どうしてこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。
……海斗くんは?
海斗くんが飛鳥ちゃんと付き合い始めたら何かが変わるのかな。
少し考えてみたけれど、海斗くんには別段何を思うでもない。なのに、対象がツカサになると、同じようにできる自信がない。
海斗くんや佐野くんの恋、久先輩の恋は応援できる。でも、ツカサの恋は考えようとした時点で応援にはなり得ない感情が入り混じる。
相手がわからないと誰だか気になるし、寂しいと思ったり、悲しいと思ってしまう。ツカサに歌を歌ってもらえる人を羨ましいと思ってしまう。
ツカサは保険屋さんを買って出てくれたけど、ずっとこのままの関係なんてあり得ないんじゃないか、と思ってしまう。
近い未来に終わってしまう、そんな気がする。
蒼兄に桃華さんという彼女ができてもなんとも思わなかった。
ほかの誰に彼女ができても、きっとこんなふうには思わない。
どうしよう――
私、知らず知らずのうちにツカサ依存症になっていたみたい。
これは早いうちに手を打たないと、立て直しのタイミングを失って大変なことになりそうだ。
この感じは「蒼兄離れ」をしようとしたときに似ているかもしれない。
不安で仕方がない。
離れることを考えると、感情のコントロールが難しくなる。
相手を取り巻く環境が変わるだけで、今までどおりには過ごせないことがあるのかもしれない。
今頃気づくなんて――私、バカだ。
ただ側にいたくて、側にいてほしくて……。
でも、好きな人がいるツカサは、きっとその人の側にいることを望むだろう。
だから、言わない……。
どんなに問い詰められても言わないよ。だって、こんなことで困らせたくないもの……。
ステージが下がり始め、会場が見えなくなってから椅子の足元に置いてあったペットボトルに手を伸ばした。
ゴクゴク、と一気に飲んで激しく咽る。
咽たら涙が出た。それはボロボロと零れて止らない。
あんまりな状態に、奈落にいる人たちを驚かせてしまう。
「何、泣いて――」
開口一番はツカサ。
「違……飲んで、咽――」
ゲホゲホ、と咳き込むと、
「ドジ……」
呆れ顔で言われ、背中を軽く叩いたりさすってくれた。
もう、ドジでもなんでもいい。だって、思い当たる節が多すぎて困るくらいだ。
本当は、咽たから泣いたわけではないかもしれない。自然と溢れてきた雫だったかもしれない。
でも、今はそんなことを直視せず、飲み物のせいにしてしまいたい。
「感情移入しちゃった?」
茜先輩の言葉にドキリ、とする。
びっくり過ぎて涙が止まってしまったくらい。
「感情、移入?」
「あれ? 違った? なんだか、歌を聴いていてそんな気がしたの。翠葉ちゃん、誰か特定の人に側にいてほしいのかな、って」
誰か、特定の、人……。
「さ、涙拭いてステージに上がろう!」
茜先輩が笑えばその場の空気がガラリと変わる。
私とツカサ、茜先輩の三人が昇降機に揃うと実行委員から声がかかり、昇降機が上昇を始めた。
ステージへ上がると、茜先輩はにこりと笑ってピアノのもとへと走っていった。
「特定の人」と虚をつかれたまま呆然としていると、
「大丈夫か?」
ツカサに顔を覗き込まれ、顔を背けたいのを我慢して自己分析に努める。
気管に入ってしまったものは出すことができた。でも、今訊かれているこれはそのことを指していない気がする。
「……大丈夫じゃないけど、大丈夫なふりをさせてほしい」
「……なら、笑え。俺の歌い出しの歌詞は知ってるよな? 泣いていた人間が笑ってないと困る」
次の歌は絢香さんとコブクロの「あなたと」。
ツカサの歌詞を思い出したら、その言い分がものすごいこじつけに思え、不意に笑みが漏れた。
「笑えよ……」
「ん、努力する……」
前奏が始まり、ツカサの声が歌声になる。
目を閉じ、その声だけに意識を集中させた。
(翠葉×司 イラスト:涼倉かのこ様)
やっぱり、いいな……。
ツカサに歌を歌ってもらえる人が、こんなふうに想ってもらえる人が羨ましいと思う。
でも今は――今だけは、錯覚してもいいかな。
私のために歌ってくれているって、錯覚してもいい?
今だけでいいから……。
そしたらね、ものすごく幸せな気持ちで歌える気がするの。
ずっとツカサが側にいてくれたら、私は何も恐れずに歩いていける気がするの。
今だけだから、だから、許してね――
フェイク、と呼ばれる歌い方を完全放棄した私たちの代わりに、その部分はフルートやオーボエ、木管楽器の音が響き、間奏の部分は吹奏楽部やヴァイオリンのソロにアレンジされていた。
歌い終えてすぐ、
「何を考えていた?」
「っ!? 私、何かミスしたっ!?」
「そうじゃない――ただ……なんでもない」
「……ツカサらしくないね?」
「翠こそ……」
「私は――私はただ、この歌のとおりならいいのに、ってそう思っただけ。理想だな、って……。ただ、それだけだよ」
嘘じゃない。
明確なことは口にしなかったけど、言葉にしたことに嘘はなかった。
次も私の歌のため、左の昇降機からツカサだけが奈落に降りた。
私はペットボトルを持ち、茜先輩のもとへ行く。
「どうかした?」
茜先輩に訊かれて少し困る。
「……あの、飲み物っ。飲み物飲んでいる間に茜先輩の笑顔が見られたら少し元気もらえるかなと思って」
本当は私が元気をあげなくてはいけないのに、今は欲しいと思ってしまう。
「私の笑顔で元気になれるんだ?」
「はい。今日はすてきなドレスを着ている分、いつもより十割増しくらいの効果がありそうです」
茜先輩ににこり、と極上の笑顔をくれた。
「ありがとうございます」
ペコリ、浅くお辞儀をすると、
「翠葉ちゃん、感情を全部解放してごらん」
かい、ほう……?
「歌にね、全部解放するの。ピアノを弾くときと同じだよ。すっごく楽になるから。この曲で翠葉ちゃんの歌はラストだよね? だから、伝え残しがないように、全部……全部、解放してごらん」
「……そんな表現力は――」
「表現力はね、伝えたい想いがあれば必ず追いついてくれるから。媒介がピアノじゃなくなるだけ。音楽に違いはないんだよ」
芯のある、強い声音で言われた。
茜先輩の言葉を疑っているわけじゃない。けれど、「はい」と答えるだけの気持ちは見当たらず、私は曖昧に笑ってステージ中央へ戻った。
そのときの心境によって、こんなにも歌詞に対する思いが変わるとは思わなかったの。
奥華子さんの「ガーネット」。
私はこの曲を歌うとき、大好きな友達を思い浮かべて歌うことが多かった。
なのに、どうして今は違うのかな。どうしてツカサしか出てこないんだろう――
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