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最終章 恋のあとさき
67話
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深呼吸を挟みながらボタンを押す。そうするたびに携帯ディスプレイの照明が消えてしまう。そんなことを繰り返していた。たかが十一桁の番号と通話ボタンを押すだけの作業が、今の私にはひどく困難な作業だった。
「佐野くん……お願いがあるの」
『……さすがに俺が電話するのは無理だけど?』
冗談なのか本気なのかわからない言葉に肩の力が少し抜け、指先の感覚が和らいだ気がした。
「そこまでずるはしない。あのね、数を……十、数えてもらえる? できれば一定の速さで」
今日はツカサの声では無理だと思った。だから違う声色の佐野くんにお願いした。
「カウントダウンみたいだな」
「あ、ごめん。違うの」
そうか、と思った。普通ならカウントダウンで十から数えるものなのだと。
「あのね、逆なの。一から数えてもらえる?」
佐野くんは不思議そうな顔をしたけれど、快く承諾してくれた。
佐野くんの、高すぎず低すぎずの声が耳の奥に響く。その声に集中するように目を瞑った。
「十」という声が聞こえたらボタンを押す。それだけ――
「――八……九……十」
人差し指に圧力を感じながら目を開けた。ボタンを、押せた。
携帯を耳に当てなくても、コール音は部屋に響く。
コール音が鳴るたびに緊張が極限まで高まった。けれど、コール音が途絶えることはなく、あの柔らかな声が聞こえてくることもなかった。
「出て、もらえない……」
『もう九時だけど……仕事かな?』
「仕事かもしれない。けど、この番号、仕事用の携帯なの……」
『じゃ、持ってさえいれば着信には気づくよな……。少し待ってみよう。折り返し電話があるかもしれないし』
佐野くんはそう言ってくれるけれど、そんな電話などない気がした。祈るような気持ちで電話を待つのではなく、絶望に近い気持ちで電話が来ないと予想していた。
「……JAL七〇〇八便六時五十分発」
『え?』
「秋斗さんの乗る飛行機。ツカサが言ったの……。空港に行ったら会えるかも……」
『……御園生、空港まではかなりの道のりだよ。電車三回乗り換えるか、二回乗り換えでリムジンバス。そもそも、まだ入院中だろ?』
「でもっ……」
『周りに心配かける行動はしちゃだめだ。それに、無理して入院が伸びたらどうするんだよ。それこそ今までのがんばりが水の泡になる。だから、それだけは賛成できない』
「でもっ、明後日には退院が決まっているもの」
『……それでもだめ。御園生さ、おまえわかってないよ。全然わかってない。御園生が入院して手術したって聞いたとき、俺や簾条がどれだけ心配したか。どれだけ生きた心地しなかったか――クラスメイトには入院してるとしか話してないけど、それでもあいつら……すっごい心配してる。蒼樹さんたち家族は俺らなんかの比にならないほど心配したはずだ。そんな人たちにこのうえどんな心配をかけるつもり? もっと周りをよく見ろよ』
「じゃぁっ、どうしたらいいのっ!?」
『こういうときにこそ、蒼樹さんや唯さんを頼るべきなんじゃないの? 一番心配かけちゃいけない人たちだろ?』
言われていることが正しいということはわかるのに、どうしても頷けなかった。どうして頷けないのか、自分ではよくわからなかった。
そう伝えると、
『俺に電話してきた時点でなんとなく気づいてた。御園生はさ、自分でどうにかしたいんじゃない? 家族の手を借りないで。だから俺に電話してきたんじゃない?』
佐野くんに電話をすることはあまり深くは考えていなかった。ただ、頭に浮かんだのが佐野くんだったのだ。蒼兄や唯兄は思い浮かびもしなかった。
それこそが、家族の手を借りたくないということの表れだったのだろうか。
『人の力を借りるのは悪いことじゃないよ。考えようによっては、使えるものはなんでも使えばいいと思う』
「え……?」
『普通に考えてみ? 御園生が今知りたいことは秋斗先生がどこにいるか、どうやったら秋斗先生に会えるか、でしょ? それって唯さんならわかりそうなものだし、仮に空港へ行かなきゃ会えないなら、移動手段が必要になる。明後日退院できるとはいえ、やっぱり空港までの道のりは、今の御園生にはきついと思う』
佐野くんはどうしてこんなにも理路整然と話をまとめられるのだろう。
そんなことに感心しつつ、私はまとめてもらったことを頭の中で反芻していた。
『御園生はどうしなくちゃいけないかの答えは出したんだ。あとはそれを実行するだけ。そのための助力をしてもらっても、根底で人を頼ったことにはならないと思う。俺に電話してきた時点で秋斗先生に連絡を取りたいっていう気持ちは固まってたじゃん。何もかも人に丸投げしてるわけじゃない。俺はそう思うよ』
私は佐野くんに励まされ、後押しをされ、ようやく蒼兄たちに連絡することを決心できた。
「蒼兄と唯兄に相談してみる……」
『うん、健闘を祈る』
「経過はメールで連絡するね。あ……でも、もう夜遅いから……明日の朝のほうがいいね」
『いや、何時でもいいよ。寝るときはサイレントモードにしちゃうから』
「ありがとう……。佐野くん、本当にありがとう」
『うん。次会うときは学校だな』
「うん。やっとみんなに会える」
『じゃ、学校で』
佐野くんとの通信を切り携帯を手に取る。
何から話そう……。
秋斗さんと携帯で連絡がつかなくなったこと。それから、ツカサに言われたこと――ここまではできるだけ簡潔に話そう。
そうしなければ、私はまた涙が止まらなくなって話を前へ進められなくなる。
まずは秋斗さんと連絡を取る方法を訊く。秋斗さんの居場所を訊く。できることなら秋斗さんに会う方法を知りたい。秋斗さんに会えたなら、私の正直な気持ちを話そう。
今までだって正直な気持ちを、本当の気持ちを話してきたつもりだった。でも、次は自分を守るための言葉は使わない。人を傷つける覚悟を持とう。これ以上、大切な人を傷つけないために――
「……でも私、入院中の身なのよね」
佐野くんに言われるまで自由に動ける気がしていたのだから恐ろしい。何がどうしてそう思えたのか。
明後日に退院が決まっているとはいえ、外に出るとなれば外出許可が必要になる。
「先生たちに許可をもらわなくちゃいけない。そのためにはどうしたらいいだろう……」
ふと頭を過ぎる。玉紀先生の性教育が。
――「あからさまに反発するのではなく、相手の理解を得られるような話し方をしてみなさい」。
それが自己プレゼン能力――
私が単独で行動することは許してもらえないだろう。ならば、唯兄か蒼兄に力を借りよう。保護者になり得る人が一緒なら、許可が下りやすいかもしれない。だとしたら――やっぱり蒼兄と唯兄に話をして説得するところから始めなくてはいけない。
そこまで考えて、唯兄の携帯番号を呼び出した。
『あれ? リィ、どうした? そろそろ就寝時間っしょ?』
「うん。あのね、唯兄にお話聞いてほしい」
『うん、いいよ』
「でもね、蒼兄と一緒に聞いてもらいたい』
『了解。じゃ、チャット立ち上げて待ってて。俺、あんちゃん呼んでくるから』
そこまで話すと一度通話を切った。すると、数分で唯兄のアカウントからコンタクトが入った。
『で? 話って何?』
いつものように唯兄が進行役を買って出てくれる。
「うん、あのね……秋斗さんと二十一日から連絡が取れないの。本当はすぐ唯兄に訊けばよかったんだけど、私、怖くて訊けなくて……今日、ツカサに言われた。私が動かなかったのが悪いって。明日、秋斗さんが海外に行っちゃうって」
『そっか。司っちが言ったか』
『翠葉、悪い。俺たちは知っててその話には触れないでいた。秋斗先輩から口止めされてたんだ』
「え……?」
『もし翠葉が訊いてきたなら答えていい。でも、俺たちから話すのはNGって言われてた』
そうだったんだ……。
「それでなんだけどね……。私が知っている秋斗さんの電話番号は解約されてしまっているから、ツカサが仕事用の回線を教えてくれたのだけど、電話しても出てもらえないの。唯兄、秋斗さんは今も仕事中かな?」
『いや、明日は出発時間が早いから空港近くのホテルに移動してる。さっき、仕事の件でこっちに連絡あったし』
ということは、やっぱり私の電話には出てもらえないのだ……。
心臓が痛かった。何か問題があって痛いのか、ショックを受けて痛いのか、よくわからない。
『リィ?』
『翠葉?』
「な、んでも、ない……。ちょっとお水飲んでくる。待ってて」
私は席を外して簡易キッチンへ向かった。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスの半分まで注ぐ。それを少しずつ胃に流し込んだけれど、痛みや苦しさが治まることはなかった。
我慢できない痛みではない……。
今はがんばり時――もう、がんばり時もがんばり方も間違えたくない。
タオルで少しきつめに唇を拭い、摩擦を生じさせる。そうして作られた赤みなど、時間が経てば消えてしまうだろう。
そうとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
パソコン前へ戻り「もう大丈夫」と伝えたけれど、見逃してはもらえなかった。
『顔色悪いけど……』
蒼兄の言葉に苦笑を返し、ごまかすように言葉を繰り出す。
「お水飲んだら治まった。それに、顔色だって悪くもなるよ。もうずっと秋斗さんと連絡がつかないんだもの」
これ以上は体調のことを訊かれたくなくて、すぐに続きを話し始める。変に言葉が途切れないよう、細心の注意を払って。
「ふたりにお願いがあるの。私、どうしても秋斗さんと話がしたい」
『……具体的に、リィは俺たちに何をしてほしいの?』
唯兄に訊かれ、私は息をす、と吸い込んだ。
「秋斗さんのいるところへ連れて行ってほしい。電話に出ないのが秋斗さんの意思なら、私が秋斗さんに会いに行く。会って、捕まえて、話を聞いてもらう」
ふたりは顔を見合わせて黙り込んでしまった。
『……リィはまだ入院中でしょ』
「だから、力を貸してほしいの」
ここが九階なら、抜け出す策をひとりでも練れたかもしれない。でも、ここは要塞とも言えるような十階なのだ。
外に出るにはセキュリティをパスしなくてはいけないし、何より、セキュリティ前にある待機室には警備員が常駐している。止められこそすれ、通してもらえるとは思わない。
非常口ならナースセンターの前を通らずに出ることは可能だけど、私が居なくなったら警護についてくれている人たちや先生たちに心配と迷惑をかける。
佐野くんが言ってくれた忠告を聞くなら、それらすべてをパスしなくてはいけない。その要には唯兄と蒼兄がいると思った。
「私が急にここからいなくなったら先生や警護の人たちに心配と迷惑をかけることになる。だから、ここから出るならきちんと話をしていかなくちゃいけない。何も言わずに出たりしない。手順は踏むよ。外出許可を申請する。でも、それには保護者の承諾も必要になる」
『……色々考えてから電話してきたわけか。……ということは、翠葉が俺たちに求めるものは、最終的な保護者である両親の説得ってところかな?』
「そう……だめ、かな?」
筋道立てて考えたつもりだし、話したつもり。でも、私の身体においては過保護すぎる兄ふたりの承諾を簡単に得られるとは思っていない。ほかに何を話したら味方になってもらえるだろう……。
頭フル回転で考えていた。すると、
『リィ、上出来。いいよ、俺はリィの味方。碧さんと零樹さんの説得引き受ける。あんちゃんは?』
唯兄が隣を向くと、
『俺も。ただし、空港までは俺と唯が連れて行く。ひとりで行こうとはするなよ?』
「……本当は自分の足で行きたかったの。電車を乗り継いで、バスに乗って。そうやって自分の足で行きたかったの」
『リィ、ごめん。それだけは呑めない』
「うん、佐野くんにも反対された」
ここで初めて佐野くんの名前を出すと、ふたりは「え?」という顔をした。
だから、唯兄に電話する前に、佐野くんに相談したことを話した。
『軽くショック……』
唯兄がだれんとうな垂れる。
『唯……それは軽くって域を超えてる形状……』
苦笑しながら蒼兄が、
『でも、気持ちはわかるよ。俺だって、翠葉が俺じゃなくて唯に相談もちかけたときはショックだったし。俺よりも先に唯に連絡したこととか相当ショックだったし』
『ああああ……そうか、こういう気持ちだったんだ?』
ふたりはショックな気持ちを分かち合っているようだった。
「あの……話、もとに戻してもいいかな?」
おずおずと申し出ると、
『OK』
まだうな垂れ気味の唯兄が手サインつきで答えてくれた。
『確か、明日の六時五十分発だったよな』
「うん」
『秋斗先輩の性格なら、一時間前には空港に入ってるな……。ホテルで捕まえるのが一番確実だけど――』
『あんちゃん、大丈夫。秋斗さん、搭乗までは空港のVIPルームで過ごすことになってるから。そこに行けば問題ない』
『そこって簡単に入れるのか?』
『俺がいればなんとかなるんじゃん? っていうか、そこはなんとかしますとも。まずはさ、心配症の両親の説得じゃない?』
『そうだな……でも――』
蒼兄はこちらに視線を戻した。
『父さんたちの説得も翠葉がしてごらん。俺たちもフォローはするけど、まずは自分で話してごらん』
「……うん」
『じゃ、碧さんと零樹さん連れてくる』
言うと、唯兄が席を外した。
『翠葉……がんばってるな』
「……今まで、見当違いながんばり方してきたから……。気づくの遅かったけど……でも、やっと気づけたの」
『俺は、翠葉ならいつかちゃんと気づけるって信じてた』
「え……?」
『……俺の、自慢の妹だから』
にこりと笑う蒼兄を見たら、じわりと涙が目に滲んだ。
お母さんたちの説得はあっさりと終わってしまった。
『先生たちがいいと仰るならいいわ。でも、蒼樹と唯の送迎は絶対よ? 無理はしないこと。具合が悪いと思ったなら引き返すこと。秋斗くんとの話がすんだら寄り道せずに帰ってくること。もしそれで入院が長引くことになっても泣き言を言わないこと』
それがお父さんとお母さんに出された条件だった。
あとは先生たちの説得――
「佐野くん……お願いがあるの」
『……さすがに俺が電話するのは無理だけど?』
冗談なのか本気なのかわからない言葉に肩の力が少し抜け、指先の感覚が和らいだ気がした。
「そこまでずるはしない。あのね、数を……十、数えてもらえる? できれば一定の速さで」
今日はツカサの声では無理だと思った。だから違う声色の佐野くんにお願いした。
「カウントダウンみたいだな」
「あ、ごめん。違うの」
そうか、と思った。普通ならカウントダウンで十から数えるものなのだと。
「あのね、逆なの。一から数えてもらえる?」
佐野くんは不思議そうな顔をしたけれど、快く承諾してくれた。
佐野くんの、高すぎず低すぎずの声が耳の奥に響く。その声に集中するように目を瞑った。
「十」という声が聞こえたらボタンを押す。それだけ――
「――八……九……十」
人差し指に圧力を感じながら目を開けた。ボタンを、押せた。
携帯を耳に当てなくても、コール音は部屋に響く。
コール音が鳴るたびに緊張が極限まで高まった。けれど、コール音が途絶えることはなく、あの柔らかな声が聞こえてくることもなかった。
「出て、もらえない……」
『もう九時だけど……仕事かな?』
「仕事かもしれない。けど、この番号、仕事用の携帯なの……」
『じゃ、持ってさえいれば着信には気づくよな……。少し待ってみよう。折り返し電話があるかもしれないし』
佐野くんはそう言ってくれるけれど、そんな電話などない気がした。祈るような気持ちで電話を待つのではなく、絶望に近い気持ちで電話が来ないと予想していた。
「……JAL七〇〇八便六時五十分発」
『え?』
「秋斗さんの乗る飛行機。ツカサが言ったの……。空港に行ったら会えるかも……」
『……御園生、空港まではかなりの道のりだよ。電車三回乗り換えるか、二回乗り換えでリムジンバス。そもそも、まだ入院中だろ?』
「でもっ……」
『周りに心配かける行動はしちゃだめだ。それに、無理して入院が伸びたらどうするんだよ。それこそ今までのがんばりが水の泡になる。だから、それだけは賛成できない』
「でもっ、明後日には退院が決まっているもの」
『……それでもだめ。御園生さ、おまえわかってないよ。全然わかってない。御園生が入院して手術したって聞いたとき、俺や簾条がどれだけ心配したか。どれだけ生きた心地しなかったか――クラスメイトには入院してるとしか話してないけど、それでもあいつら……すっごい心配してる。蒼樹さんたち家族は俺らなんかの比にならないほど心配したはずだ。そんな人たちにこのうえどんな心配をかけるつもり? もっと周りをよく見ろよ』
「じゃぁっ、どうしたらいいのっ!?」
『こういうときにこそ、蒼樹さんや唯さんを頼るべきなんじゃないの? 一番心配かけちゃいけない人たちだろ?』
言われていることが正しいということはわかるのに、どうしても頷けなかった。どうして頷けないのか、自分ではよくわからなかった。
そう伝えると、
『俺に電話してきた時点でなんとなく気づいてた。御園生はさ、自分でどうにかしたいんじゃない? 家族の手を借りないで。だから俺に電話してきたんじゃない?』
佐野くんに電話をすることはあまり深くは考えていなかった。ただ、頭に浮かんだのが佐野くんだったのだ。蒼兄や唯兄は思い浮かびもしなかった。
それこそが、家族の手を借りたくないということの表れだったのだろうか。
『人の力を借りるのは悪いことじゃないよ。考えようによっては、使えるものはなんでも使えばいいと思う』
「え……?」
『普通に考えてみ? 御園生が今知りたいことは秋斗先生がどこにいるか、どうやったら秋斗先生に会えるか、でしょ? それって唯さんならわかりそうなものだし、仮に空港へ行かなきゃ会えないなら、移動手段が必要になる。明後日退院できるとはいえ、やっぱり空港までの道のりは、今の御園生にはきついと思う』
佐野くんはどうしてこんなにも理路整然と話をまとめられるのだろう。
そんなことに感心しつつ、私はまとめてもらったことを頭の中で反芻していた。
『御園生はどうしなくちゃいけないかの答えは出したんだ。あとはそれを実行するだけ。そのための助力をしてもらっても、根底で人を頼ったことにはならないと思う。俺に電話してきた時点で秋斗先生に連絡を取りたいっていう気持ちは固まってたじゃん。何もかも人に丸投げしてるわけじゃない。俺はそう思うよ』
私は佐野くんに励まされ、後押しをされ、ようやく蒼兄たちに連絡することを決心できた。
「蒼兄と唯兄に相談してみる……」
『うん、健闘を祈る』
「経過はメールで連絡するね。あ……でも、もう夜遅いから……明日の朝のほうがいいね」
『いや、何時でもいいよ。寝るときはサイレントモードにしちゃうから』
「ありがとう……。佐野くん、本当にありがとう」
『うん。次会うときは学校だな』
「うん。やっとみんなに会える」
『じゃ、学校で』
佐野くんとの通信を切り携帯を手に取る。
何から話そう……。
秋斗さんと携帯で連絡がつかなくなったこと。それから、ツカサに言われたこと――ここまではできるだけ簡潔に話そう。
そうしなければ、私はまた涙が止まらなくなって話を前へ進められなくなる。
まずは秋斗さんと連絡を取る方法を訊く。秋斗さんの居場所を訊く。できることなら秋斗さんに会う方法を知りたい。秋斗さんに会えたなら、私の正直な気持ちを話そう。
今までだって正直な気持ちを、本当の気持ちを話してきたつもりだった。でも、次は自分を守るための言葉は使わない。人を傷つける覚悟を持とう。これ以上、大切な人を傷つけないために――
「……でも私、入院中の身なのよね」
佐野くんに言われるまで自由に動ける気がしていたのだから恐ろしい。何がどうしてそう思えたのか。
明後日に退院が決まっているとはいえ、外に出るとなれば外出許可が必要になる。
「先生たちに許可をもらわなくちゃいけない。そのためにはどうしたらいいだろう……」
ふと頭を過ぎる。玉紀先生の性教育が。
――「あからさまに反発するのではなく、相手の理解を得られるような話し方をしてみなさい」。
それが自己プレゼン能力――
私が単独で行動することは許してもらえないだろう。ならば、唯兄か蒼兄に力を借りよう。保護者になり得る人が一緒なら、許可が下りやすいかもしれない。だとしたら――やっぱり蒼兄と唯兄に話をして説得するところから始めなくてはいけない。
そこまで考えて、唯兄の携帯番号を呼び出した。
『あれ? リィ、どうした? そろそろ就寝時間っしょ?』
「うん。あのね、唯兄にお話聞いてほしい」
『うん、いいよ』
「でもね、蒼兄と一緒に聞いてもらいたい』
『了解。じゃ、チャット立ち上げて待ってて。俺、あんちゃん呼んでくるから』
そこまで話すと一度通話を切った。すると、数分で唯兄のアカウントからコンタクトが入った。
『で? 話って何?』
いつものように唯兄が進行役を買って出てくれる。
「うん、あのね……秋斗さんと二十一日から連絡が取れないの。本当はすぐ唯兄に訊けばよかったんだけど、私、怖くて訊けなくて……今日、ツカサに言われた。私が動かなかったのが悪いって。明日、秋斗さんが海外に行っちゃうって」
『そっか。司っちが言ったか』
『翠葉、悪い。俺たちは知っててその話には触れないでいた。秋斗先輩から口止めされてたんだ』
「え……?」
『もし翠葉が訊いてきたなら答えていい。でも、俺たちから話すのはNGって言われてた』
そうだったんだ……。
「それでなんだけどね……。私が知っている秋斗さんの電話番号は解約されてしまっているから、ツカサが仕事用の回線を教えてくれたのだけど、電話しても出てもらえないの。唯兄、秋斗さんは今も仕事中かな?」
『いや、明日は出発時間が早いから空港近くのホテルに移動してる。さっき、仕事の件でこっちに連絡あったし』
ということは、やっぱり私の電話には出てもらえないのだ……。
心臓が痛かった。何か問題があって痛いのか、ショックを受けて痛いのか、よくわからない。
『リィ?』
『翠葉?』
「な、んでも、ない……。ちょっとお水飲んでくる。待ってて」
私は席を外して簡易キッチンへ向かった。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスの半分まで注ぐ。それを少しずつ胃に流し込んだけれど、痛みや苦しさが治まることはなかった。
我慢できない痛みではない……。
今はがんばり時――もう、がんばり時もがんばり方も間違えたくない。
タオルで少しきつめに唇を拭い、摩擦を生じさせる。そうして作られた赤みなど、時間が経てば消えてしまうだろう。
そうとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
パソコン前へ戻り「もう大丈夫」と伝えたけれど、見逃してはもらえなかった。
『顔色悪いけど……』
蒼兄の言葉に苦笑を返し、ごまかすように言葉を繰り出す。
「お水飲んだら治まった。それに、顔色だって悪くもなるよ。もうずっと秋斗さんと連絡がつかないんだもの」
これ以上は体調のことを訊かれたくなくて、すぐに続きを話し始める。変に言葉が途切れないよう、細心の注意を払って。
「ふたりにお願いがあるの。私、どうしても秋斗さんと話がしたい」
『……具体的に、リィは俺たちに何をしてほしいの?』
唯兄に訊かれ、私は息をす、と吸い込んだ。
「秋斗さんのいるところへ連れて行ってほしい。電話に出ないのが秋斗さんの意思なら、私が秋斗さんに会いに行く。会って、捕まえて、話を聞いてもらう」
ふたりは顔を見合わせて黙り込んでしまった。
『……リィはまだ入院中でしょ』
「だから、力を貸してほしいの」
ここが九階なら、抜け出す策をひとりでも練れたかもしれない。でも、ここは要塞とも言えるような十階なのだ。
外に出るにはセキュリティをパスしなくてはいけないし、何より、セキュリティ前にある待機室には警備員が常駐している。止められこそすれ、通してもらえるとは思わない。
非常口ならナースセンターの前を通らずに出ることは可能だけど、私が居なくなったら警護についてくれている人たちや先生たちに心配と迷惑をかける。
佐野くんが言ってくれた忠告を聞くなら、それらすべてをパスしなくてはいけない。その要には唯兄と蒼兄がいると思った。
「私が急にここからいなくなったら先生や警護の人たちに心配と迷惑をかけることになる。だから、ここから出るならきちんと話をしていかなくちゃいけない。何も言わずに出たりしない。手順は踏むよ。外出許可を申請する。でも、それには保護者の承諾も必要になる」
『……色々考えてから電話してきたわけか。……ということは、翠葉が俺たちに求めるものは、最終的な保護者である両親の説得ってところかな?』
「そう……だめ、かな?」
筋道立てて考えたつもりだし、話したつもり。でも、私の身体においては過保護すぎる兄ふたりの承諾を簡単に得られるとは思っていない。ほかに何を話したら味方になってもらえるだろう……。
頭フル回転で考えていた。すると、
『リィ、上出来。いいよ、俺はリィの味方。碧さんと零樹さんの説得引き受ける。あんちゃんは?』
唯兄が隣を向くと、
『俺も。ただし、空港までは俺と唯が連れて行く。ひとりで行こうとはするなよ?』
「……本当は自分の足で行きたかったの。電車を乗り継いで、バスに乗って。そうやって自分の足で行きたかったの」
『リィ、ごめん。それだけは呑めない』
「うん、佐野くんにも反対された」
ここで初めて佐野くんの名前を出すと、ふたりは「え?」という顔をした。
だから、唯兄に電話する前に、佐野くんに相談したことを話した。
『軽くショック……』
唯兄がだれんとうな垂れる。
『唯……それは軽くって域を超えてる形状……』
苦笑しながら蒼兄が、
『でも、気持ちはわかるよ。俺だって、翠葉が俺じゃなくて唯に相談もちかけたときはショックだったし。俺よりも先に唯に連絡したこととか相当ショックだったし』
『ああああ……そうか、こういう気持ちだったんだ?』
ふたりはショックな気持ちを分かち合っているようだった。
「あの……話、もとに戻してもいいかな?」
おずおずと申し出ると、
『OK』
まだうな垂れ気味の唯兄が手サインつきで答えてくれた。
『確か、明日の六時五十分発だったよな』
「うん」
『秋斗先輩の性格なら、一時間前には空港に入ってるな……。ホテルで捕まえるのが一番確実だけど――』
『あんちゃん、大丈夫。秋斗さん、搭乗までは空港のVIPルームで過ごすことになってるから。そこに行けば問題ない』
『そこって簡単に入れるのか?』
『俺がいればなんとかなるんじゃん? っていうか、そこはなんとかしますとも。まずはさ、心配症の両親の説得じゃない?』
『そうだな……でも――』
蒼兄はこちらに視線を戻した。
『父さんたちの説得も翠葉がしてごらん。俺たちもフォローはするけど、まずは自分で話してごらん』
「……うん」
『じゃ、碧さんと零樹さん連れてくる』
言うと、唯兄が席を外した。
『翠葉……がんばってるな』
「……今まで、見当違いながんばり方してきたから……。気づくの遅かったけど……でも、やっと気づけたの」
『俺は、翠葉ならいつかちゃんと気づけるって信じてた』
「え……?」
『……俺の、自慢の妹だから』
にこりと笑う蒼兄を見たら、じわりと涙が目に滲んだ。
お母さんたちの説得はあっさりと終わってしまった。
『先生たちがいいと仰るならいいわ。でも、蒼樹と唯の送迎は絶対よ? 無理はしないこと。具合が悪いと思ったなら引き返すこと。秋斗くんとの話がすんだら寄り道せずに帰ってくること。もしそれで入院が長引くことになっても泣き言を言わないこと』
それがお父さんとお母さんに出された条件だった。
あとは先生たちの説得――
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