光のもとで1

葉野りるは

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最終章 恋のあとさき

72話

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 三学期初登校――無理はしないように、と何度も何度も家族に言われてゲストルームを出た。
 公道に出ると緩やかな下り坂が一〇〇メートルほど。そして、学園敷地内に入ると、下りてきた坂を折り返すように緩やかな坂を上ることになる。
 吐き出される息は真っ白で、それが徐々に目立つようになってきた。
「大丈夫か?」
 隣を歩く蒼兄が心配そうに顔を覗き込む。
「ちょっと、きつい、かな……」
 トレッドミルでリハビリをしていたとはいえ、坂道を上るのは当たり前のように負荷がかかる。
「やっぱり、明日からはしばらく車で――」
「ううん。車で送り迎えしてもらうくらいなら、少し早めに出て、もう少しゆっくり歩く。楽してばかりじゃ、いつまでたっても体力取り戻せないでしょう?」
「……じゃ、かばんだけ持つよ」
「ありがとう」
 私は蒼兄にかばんを預け、残りの坂道を歩いた。
 校門をくぐれば平坦な道になる。迎えてくれたのは、葉をすべて落とした桜並木。
 たかだか一ヶ月ちょっと見なかっただけなのに、何もかもが懐かしく思えて仕方がない。
 懐かしくて、愛おしくて――学校にそんな感情を抱く日がくるとは思ってもみなかった。
「蒼兄……学校って、楽しいのね?」
 春にはまだ遠く、土には霜が降りている冬だというのに、心はホカホカとあたたかい。
 桜の木を見上げると、「どうした?」と声をかけられた。
「……葉っぱも何もないけれど、これから新芽が出てきて、それが伸びて膨らんで、そうして花が開くんだなって……少し、想像しただけ」
「想像……?」
「うん……。私はそれを見ることができるんだな、って。写真の中の桜じゃなくて、この桜並木の桜を毎日見ることができるんだな、って……。来年も同じ桜を見ることができるのかもしれないと思うと感慨深くて……」
 肩を竦めて見せると、蒼兄はなんともいえない顔をしていた。
「蒼兄、あのね……去年までは一週間先、一ヶ月先のことが不安で仕方なかったの。二年生になれるのかもわからなくて、卒業なんて考えることもできなかった。でも、今は違う。来月には梅香苑の梅が咲くことを想像するし、梅の香りが漂う苑をお散歩したいと思う。三月終わりには桜が咲くから、桜香苑の桜を写真に撮りたいと思う。四月になって新学期が始まったら、新しい友達ができるのかなって……。未来がとても楽しみになった。こんなこと、初めてなの」
 隣を歩く蒼兄を見上げると、頬に涙が伝っていた。
「蒼兄……?」
 蒼兄はすぐに涙を拭い、「なんでもない」と私の手を取る。
「手、つながなくても歩けるよ?」
「違う、俺がつなぎたいの。今だけ――今だけだから」
「……うん」
 そのまま昇降口までふたり手をつないで歩いた。
 何月にはどこへ行こうとか、兄妹三人でお買い物へ行こうとか。そんな幸せな未来の話をしながら。
 昇降口手前で蒼兄と別れた途端、周りにいた人たちに声をかけられた。
「姫、もう大丈夫なの?」
「もう身体いいの?」
 あちこちから声をかけられてびっくりしたけれど、そんなことにも笑みが漏れる。
 声をかけてくれた人のほとんどが中央委員会に出席していた面々で、紅葉祭を通して知り合った人たち。
 私はもっとたくさんの人と知り合うことができるだろうか。
「翠葉っ」
 呼ばれて振り返ると、桃華さんに抱きつかれた。
「退院おめでとうっ」
 桃華さんには珍しく、飛鳥ちゃん張りにぎゅっと抱きしめられる。
「本当に心配したんだからっ」
 耳に届く声は音量をセーブされているのに、ひどく力の篭った、震えた声だった。
「ごめんね、心配かけて」
「もう、大丈夫なの?」
「うん。血液の逆流はなくなった。でも、やっぱり走ったりはできないみたい……」
「監視兼ストッパーならいくらでもするわ」
「お願いします」

 教室に入ると、黒板に「おかえりなさい」の文字が大きく書かれていた。その文字の周りにクラスメイト一人ひとりからのメッセージが書かれている。
「翠葉、これ、あと五分以内に読めよ? 一限始まる前に消さなくちゃなんないからさ」
 海斗くんに言われて慌てる。
 みんなと挨拶もしたいけれど、あと五分でこれを全部読むとなると挨拶は後回しになってしまう。
 必死で黒板の端からメッセージを読み始めると、
「海斗、病み上がりの人間いじめてんなよ。で、御園生は頭いいんだから少しはその頭使えってば」
 佐野くんに言われて、「え?」と思う。
「写真。写真に撮っておけばじっくり読めるだろ? 御園生、コンデジくらい持ち歩いてんじゃないの?」
「あっ」
 言われてすぐにかばんから取り出す。と、
「佐野も意地悪してんじゃないわよっ」
 ガツッ、と飛鳥ちゃんの蹴りが入った。
「もうすでに写真に撮ってある。和光がデータ持ってるからあとでもらいなね。翠葉、おかえりっ」
 恒例行事で飛鳥ちゃんに抱きしめられる。
「ただいま……」
 そんな些細な言葉のやりとりがひどく心にしみた。
「御園生、見納め。消すから見てて」
 佐野くんに言われて黒板を見ると、香乃子ちゃんと希和ちゃんがふたりで黒板を消し始めた。
 消し終わると同時に川岸先生が入ってきてホームルームが始まる。
 起立、礼、着席――桃華さんの凛とした声に学校へ戻ってきたことを実感した。
 学校……学校だ――
 
 お昼になると、クラスメイトの大多数が窓際に集まり、みんなで固まって食べた。
 年越し初詣の写真を見せてもらったり、佐野くんの従兄妹の話を聞いたり、話は尽きることがない。
 あっという間にお昼休みは終わり、午後の授業が始まる。
 病院で授業を受け、ツカサと秋斗さんのサポートをしっかり受けていただけに、授業についていかれないこともなく、ほっとしたところで七限の授業が終わった。

 ホームルームが終わり、どうしようかと思う。
 ツカサに会うにはどこへ行ったらいいだろう。
 ……まずは教室、かな?
 もうホームルームは終わってしまっただろうか。
 不安を胸に抱きつつ階段を上る途中、数人の先輩に声をかけられた。
 私はかけられた言葉に見合う返事をしては先を急ぐ。
 ツカサのクラスは前後のドアが開け放たれ、教室内には数人の生徒しかいなかった。
 すると、通りすがりの人が早くにホームルームが終わったことを教えてくれた。
「……図書室はどうかな?」
 一度かばんを取りに教室へ戻ると、帰る間際の桃華さんに声をかけられた。
「どこへ行ってたの?」
 ツカサを探している旨を伝えると、
「今日は生徒会もないから部活じゃないかしら?」
 部活……。
 さすがに部室や弓道場を訪ねるのは気が引ける。
 もちろん、ツカサの袴姿や矢を射る姿は見たいわけだけど、部活の邪魔をしたいわけではないから。
 このあと病院へ行かなくてはならないため、これ以上時間はかけられない。
 今日は諦めよう……。
「会いたいと思ったときはなかなか会えなくて、会いたくないときほど会っちゃうのってなんでだろうね?」
 桃華さんに訊くと、
「人生うまくできてないってことじゃないかしら?」
 軽く首を傾げて言う様がとてもかわいらしく見えた。
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