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31~34 Side 唯 01話
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遅い……遅い遅い遅いっ――
キッチンで時計を見ながら若干イライラ。
「唯ー? それ以上切ると自分の指切っちゃうわよ?」
はっとして手元を見た。
俺が今手にしているものは右手に包丁、左手に長ネギ。あと二センチで長ネギが終わりを告げようとしていた。
「翠葉が帰ってくるのが遅いからイラついてるの?」
碧さんに言われ、むぅっと頬を膨らませる。
「だって終業式が終わってから小ガッコに行って動物を見るにしてもそろそろ帰ってきていいころじゃないですか? あんま長居すると身体冷えるし」
碧さんは俺をまじまじと見たあと、クスクスと笑い出した。
「きっともうすぐ帰ってくるわ」
そう言った直後、玄関で物音がした。
「ほらね」
碧さんとふたり玄関へ向かうと、玄関ではリィが靴を揃えているところだった。
声をかけようとしたそのとき、顔を上げたリィを見てびっくりした。
「何、なんでそんな顔色悪いのっ!?」
オレンジの光の下にいても青白く見えるって普通じゃない。
秋斗さんと小ガッコで会えば、秋斗さんが家まで送ってくれると思ってた。けど、これは――
「えと、まずはただいま」
「はい、おかえり。で?」
話を逸らしてなんてあげないよ。何があったのか話してよ。具合が悪いなら直ちに言って。
「冷えただけだから……。初等部に行って動物見てたら冷えちゃったの」
「……それだけ?」
訊くと、「それだけ」という返事があり、そのあと付け足すように秋斗さんに会ったことを報告された。
なんかアレですね。まるで「隠しごとはしてませんよ」って先手打たれた気分。
いつの間にこんなことできるようになっちゃったかなぁ、まったく……。
お兄さん、こんな成長は嬉しくありませんよ。
俺が何も言えないでいると、リィの視線は碧さんへ向いた。
「お母さん。お風呂、入ってもいい?」
「大丈夫なの?」
「うん……お湯に浸かってあたたまりたい。このままだとなんだか戻しちゃいそうで……」
「吐き気がするの?」
「今は痛いだけだけど……」
「そうね……冷えると翠葉は戻すものね。すぐに用意するわ」
碧さんはパタパタとバスルームへ向かった。
「熱はない?」
さも冷たそうな皮膚、おでこに自分の額をこっつんこ。
「っていうか、リィ……。おでこまで冷たいよっ!?」
これ、間違いなく歩いて帰ってきたよね。小ガッコで何があったんだか……。
いてもたってもいられず、リィの頬やおでこに自分の手を押し当てる。と、
「あったかい……」
珍しく、体重を預けるように額を押し付け返された。
もう――何があったんだよ。
「あ……手はあたたかいけど、心もあたたかいのでご心配なく」
頭の中と口から出てくる言葉が一致しない。自分が器用だなって思う瞬間。
「誰も手があたたかい人は心が冷たいなんて思ってないよ」
リィの「何それ」って感じの笑みに少しだけほっとする。無理に笑った笑顔じゃないと思ったから。
そんな会話をしていると、碧さんから声がかかった。
「あと二分もすれば溜まるわ」
「ありがとう」
制服を着替えるだろうから邪魔かなって思ったけど、俺はリィから離れずリィの部屋に入った。すると、リィは着替えを取り出し、制服のままバスルームに行く用意を始める。
「お昼ご飯食べれそう?」
「うん、少しくらいなら。お昼、何?」
「長ネギときのこたっぷりの鶏ガラベースのおうどん」
「美味しそうだね」
キレイすぎる笑顔に胸がきゅってなる。
リィ、そんな笑顔は痛々しく見えるだけだよ。さっきみたいな笑顔のほうが俺は好き。
そんなことを思いながら、バスルームのドアが閉まるのを見ていた。
キッチンへ行くと、碧さんがうどんを茹でるためのお湯を沸かしていた。
「なぁに? 心配そうな顔しちゃって」
「そういう碧さんだって……」
「そうね……。体調が悪そうだから心配。でも、唯は違う心配をしてるんじゃないの?」
何、この人……まさか千里眼の持ち主っ!?
「朝、秋斗くんのところへ行ったじゃない? 翠葉が初等部に行くことも話してきたんじゃないの?」
「お見通しですかい……」
碧さんは、「ふふ」と笑う。
「どんな会話……してきたのかしらね。秋斗くんなら家まで送ってくれそうなものだけど、歩いて帰ってきたみたいだし……」
考えていることは俺と同じだった。
「さぁ……。自分も帰りは秋斗さんが送ってくれるだろうと思ってた人間なんで、サッパリ想像できません。プラス、そこまでわかっていながら冷静な碧さんの心境も」
「あら? 私はいたってシンプルよ? ただ、身体が心配」
「心は? リィの心は?」
「それはあの子の問題」
サクリと返され、自分の過保護っぷりを自覚させられる。
「唯、大丈夫よ。あの子は私の娘だもの。障害があっても乗り越えられるわ。多少時間がかかっても、ね」
「……信じてるんですね」
「それはもう、自慢の娘ですから?」
少しおどけたように言う碧さんは、母親の顔をしていた。
難しいな……。心配していないわけじゃなく、ただ信じてるのって……。俺はまだ、心配が先に立つ。
「因みに、唯のことも信じてるわよ? 翠葉がつらいとき、唯は近くにいてあげてね。挫けそうになったり、目も耳も塞ぎそうになったら……そしたら手を差し伸べてあげてね」
「……その役、あんちゃんなら率先して引き受けそうだけど、碧さんは違うの?」
「そうねぇ……。なんにでも適役ってあるじゃない? あとは立ち位置の問題とか? ……蒼樹はまだ翠葉離れができていないし、今はその過程にいるから距離を取るのが難しいこともあるわ。でも、唯はきちんと翠葉との距離を取れているように思うから」
少し鼻がツンとした。胸にぐっときて目頭が熱くなるときの感覚。
「任せてください……」
そんなふうに答えたのは、ちょっとした強がり。
見てくれてる――自分のことを。
そんなことがひどく嬉しく思えたんだ。
リィがお風呂から上がると俺は率先して髪の毛を乾かす。これはもう俺の役目。誰になんと言われようとも譲るつもりはない。
ドライヤーをかけながら、リィが食べるところを観察していた。
箸先でうどんを一本挟み口に運ぶ。そして少しすると、
「あ、れ……?」
変な反応を見せた。頭も少し傾く始末。
一度ドライヤーを止め、
「どうかした?」
顔を覗き込んで訊いてみると、
「ものが落ちても胃が痛くなくて……」
なんか、最悪を極める返事が返ってきた気がする。
ちょっと待て、ものが落ちても胃が痛くないってなんだそれ。
疑問をそのままに訊くと、非常に言いづらそうに口を開いた。
「……最近、何を食べても胃にものが落ちたときの衝撃が苦痛だったんだけど、それがなくてびっくりした」
「ちょっとっ、そんなにひどかったのっ!?」
思わず詰め寄る。
「でもっ、今、大丈夫だったからっ」
そう言って二本目を咀嚼してごっくんと飲み込む。
「大丈夫かも……?」
ソファに座って同じものを食べている碧さんが、
「……胃にものが落ちてきて痛いっていうのは経験あるわ」
と何気なく口にする。
ちょっと待ったあああっっっ。何、なんなの!? 御園生家の胃ってみんなこんななのっ!? それとも俺の胃が強健すぎるのっ!?
「でも、それがなくなったなら少しは快方に向かってるのかもね」
その会話に自分はついていくことができなかった。無念――いや、そんな虚弱な胃の話なんざついていけなくて結構です。
夕方、あんちゃんと一緒に帰ってきたリィは碧さんの顔を見るなりこんなことを言い出した。
「今日、幸倉に帰れる、かな?」
微妙なところに句読点が置かれる。
「別にいいわよ? じゃ、夕飯食べたら帰る用意しなくちゃね」
碧さんは何を訊くこともなく了承する。俺は心の中で大絶叫。
えええっ!? そこっ、突っ込むとこだったんじゃないっすかっ!?
残念ながら、キッチンにいる俺はすぐにその会話に参戦できない。
あんちゃんが何も言わないってことは、すでに話して了承済みなのだろう。
……もしかして、あんちゃんには小ガッコで秋斗さんと会ったときのことを話した、とか?
そんなことを考えつつ、ようやく一区切りがついた俺はキッチンから顔を覗かせ会話に参戦。
「今夜帰るも明日の午前に帰るも大差なくない? なら、ゆっくり準備できるから明日にすれば?」
少ししてやったりな気がしてた。でも、リビングに居座るミスターマイペースに覆される。つまりは零樹さん。
「唯ー? 差ならあるぞー? おっきな差が」
「どんな?」
「明日、父さんが起きたら幸倉の家には家族がいるっ。したがって、寒い朝にひとりでご飯を食べずにすむ。これは大きな変化だ」
だめだ……。この人、リィラブすぎて頭に花が咲いちゃってる。きっと俺が何言っても全力で覆すに違いない。そんな無駄な努力はしないにこしたことはない。
「よぉーしっ! 明日の朝はホットプレート出してみんなでホットケーキを焼こう! で、昼はお好み焼きだっ! 碧さん、帰りにスーパーで材料買って帰ろう!」
ミスターマイペースはミスターマイペースらしく話の主導権を握った。零樹さんが話の中心になるだけで会話が一気に明るくなる。
そして気づけばリィとあんちゃんの姿がなくなっていた。
たぶん洗面所。ふたり並んで手を洗ったりうがいをしてるのだろう。……何、この疎外感。
あとを追っていきたい気持ちをゴックンと呑み下し、俺は夕飯の盛り付けに全力を投じた。
夕飯が終わると、みんながみんな帰り支度を始める。……とはいえ、このマンションだって自宅みたいなものなのに……。帰り支度って言葉がしっくりこなくて変な感じ。
俺はまだ御園生家の一員になって日が浅いからそう感じるのかもしれない。
幸倉で過ごした時間が長い人間にとっては、どうやったってこのマンションは別宅であり、自宅は幸倉の家なのだ。
「……支度っつっても俺あんま荷物ないや」
幸倉には夏服が少しあるくらいで冬服はひとつもない。そういう意味では洋服の分量はそれなり。でも、ほかに必要なものと言ったらパソコンとその他資料くらいだった。
「俺、身軽だなぁ……」
いきなり転勤を申し渡されても三十分で用意できる自信がある。
「唯、手ぇ休めないでさっさと終わらせる」
俺の部屋であんちゃんが必要な資料とそうでないものを選別し、ダンボールに詰めてくれていた。そこへリィがやってきて、
「あ……そっか。唯兄の洋服、冬服は幸倉にないものね?」
「そうそう。ホテルからこっちには持ってきたけど、幸倉には夏服がちょろっと置いてある程度だからさ。あ、あんちゃん、そこの赤いファイルも入れといて」
「っていうか、ここに積んであるの全部だろ?」
「うん。よろしく」
気づけば部屋には三つのダンボールが積み上がっていた。
やだなぁ……全部仕事の資料っていうのがどうにもこうにもいただけない。
頭の中は優先順位をつけた仕事のタスクがずらっと並んでいるわけだけど、それが質量あるものとして目の前に積み重ねられたときのプレッシャーったら半端なさすぎ。
俺、全部終えるころには頬がこけてるかも?
九時過ぎにマンションを出て、子どもチームは先に自宅へ向かった。碧さんたちは食材を買ってから帰ってくるとのこと。
幸倉の家に着いたのは十時前。
リィは洗面を済ませると、碧さんたちが帰ってくるのを待つことなく寝てしまった。
キッチンではあんちゃんがコーヒーを淹れている。
カウンター越しに嫉妬という感情を伴った質問をしてみた。
「ね、なんで急にこっちに帰ってきたの? あんちゃん、なんか聞いたの?」
「唯、顔が怖いんだけど……」
どことなく笑みを貼っつけた顔で言われる。
「そりゃね、なんとなく疎外感とか感じちゃってるわけで、拗ねてたりもしますよ」
「じゃ、それ取り下げの方向で」
「は?」
「……何かはあるんだろう。でも、俺も今回は聞いてない」
「……あんちゃん、なんか変なもの食べた?」
「唯……俺のこと四歳児くらいだと思ってる?」
「もしくは頭打ったとか?」
「両方違うから……」
カップにコーヒーを注ぎ、コトリ、とカウンターに置かれた。
「飲んでいいの?」
「どうぞ。ヤキモチ焼きくん」
「ぶー……」
ぶーたれつつ香しいコーヒーをすすって舌を火傷した。
「訊くのは簡単だよな。何も考えずに、どうした? って訊くのはすごく簡単。でも……話してもらうのは難しいな。前はなんでも話してくれたんだけど、今はそうじゃないから」
あんちゃんはどことなく寂しそうな表情になる。
「ただ、俺にも変化があって、情報源が多少増えたかな?」
「何それ、秋斗さん?」
「まさか」
「じゃぁ、桃華嬢だ」
「ピンポン」
軽快に、長い人差し指を立てて教えてくれる。
「ちょっとクラスで……いつものメンバーと一悶着あったみたい」
それ、聞かせてもらえるの? それとも、そこまでしか言わないつもり?
気持ち盛りだくさんの視線を送ると、
「そんな目で見なくったって話すよ。情報の共有は大切でしょ? ってことで、上に行くか」
俺はリィの部屋のドアを見てから、「了解」と答えた。
キッチンで時計を見ながら若干イライラ。
「唯ー? それ以上切ると自分の指切っちゃうわよ?」
はっとして手元を見た。
俺が今手にしているものは右手に包丁、左手に長ネギ。あと二センチで長ネギが終わりを告げようとしていた。
「翠葉が帰ってくるのが遅いからイラついてるの?」
碧さんに言われ、むぅっと頬を膨らませる。
「だって終業式が終わってから小ガッコに行って動物を見るにしてもそろそろ帰ってきていいころじゃないですか? あんま長居すると身体冷えるし」
碧さんは俺をまじまじと見たあと、クスクスと笑い出した。
「きっともうすぐ帰ってくるわ」
そう言った直後、玄関で物音がした。
「ほらね」
碧さんとふたり玄関へ向かうと、玄関ではリィが靴を揃えているところだった。
声をかけようとしたそのとき、顔を上げたリィを見てびっくりした。
「何、なんでそんな顔色悪いのっ!?」
オレンジの光の下にいても青白く見えるって普通じゃない。
秋斗さんと小ガッコで会えば、秋斗さんが家まで送ってくれると思ってた。けど、これは――
「えと、まずはただいま」
「はい、おかえり。で?」
話を逸らしてなんてあげないよ。何があったのか話してよ。具合が悪いなら直ちに言って。
「冷えただけだから……。初等部に行って動物見てたら冷えちゃったの」
「……それだけ?」
訊くと、「それだけ」という返事があり、そのあと付け足すように秋斗さんに会ったことを報告された。
なんかアレですね。まるで「隠しごとはしてませんよ」って先手打たれた気分。
いつの間にこんなことできるようになっちゃったかなぁ、まったく……。
お兄さん、こんな成長は嬉しくありませんよ。
俺が何も言えないでいると、リィの視線は碧さんへ向いた。
「お母さん。お風呂、入ってもいい?」
「大丈夫なの?」
「うん……お湯に浸かってあたたまりたい。このままだとなんだか戻しちゃいそうで……」
「吐き気がするの?」
「今は痛いだけだけど……」
「そうね……冷えると翠葉は戻すものね。すぐに用意するわ」
碧さんはパタパタとバスルームへ向かった。
「熱はない?」
さも冷たそうな皮膚、おでこに自分の額をこっつんこ。
「っていうか、リィ……。おでこまで冷たいよっ!?」
これ、間違いなく歩いて帰ってきたよね。小ガッコで何があったんだか……。
いてもたってもいられず、リィの頬やおでこに自分の手を押し当てる。と、
「あったかい……」
珍しく、体重を預けるように額を押し付け返された。
もう――何があったんだよ。
「あ……手はあたたかいけど、心もあたたかいのでご心配なく」
頭の中と口から出てくる言葉が一致しない。自分が器用だなって思う瞬間。
「誰も手があたたかい人は心が冷たいなんて思ってないよ」
リィの「何それ」って感じの笑みに少しだけほっとする。無理に笑った笑顔じゃないと思ったから。
そんな会話をしていると、碧さんから声がかかった。
「あと二分もすれば溜まるわ」
「ありがとう」
制服を着替えるだろうから邪魔かなって思ったけど、俺はリィから離れずリィの部屋に入った。すると、リィは着替えを取り出し、制服のままバスルームに行く用意を始める。
「お昼ご飯食べれそう?」
「うん、少しくらいなら。お昼、何?」
「長ネギときのこたっぷりの鶏ガラベースのおうどん」
「美味しそうだね」
キレイすぎる笑顔に胸がきゅってなる。
リィ、そんな笑顔は痛々しく見えるだけだよ。さっきみたいな笑顔のほうが俺は好き。
そんなことを思いながら、バスルームのドアが閉まるのを見ていた。
キッチンへ行くと、碧さんがうどんを茹でるためのお湯を沸かしていた。
「なぁに? 心配そうな顔しちゃって」
「そういう碧さんだって……」
「そうね……。体調が悪そうだから心配。でも、唯は違う心配をしてるんじゃないの?」
何、この人……まさか千里眼の持ち主っ!?
「朝、秋斗くんのところへ行ったじゃない? 翠葉が初等部に行くことも話してきたんじゃないの?」
「お見通しですかい……」
碧さんは、「ふふ」と笑う。
「どんな会話……してきたのかしらね。秋斗くんなら家まで送ってくれそうなものだけど、歩いて帰ってきたみたいだし……」
考えていることは俺と同じだった。
「さぁ……。自分も帰りは秋斗さんが送ってくれるだろうと思ってた人間なんで、サッパリ想像できません。プラス、そこまでわかっていながら冷静な碧さんの心境も」
「あら? 私はいたってシンプルよ? ただ、身体が心配」
「心は? リィの心は?」
「それはあの子の問題」
サクリと返され、自分の過保護っぷりを自覚させられる。
「唯、大丈夫よ。あの子は私の娘だもの。障害があっても乗り越えられるわ。多少時間がかかっても、ね」
「……信じてるんですね」
「それはもう、自慢の娘ですから?」
少しおどけたように言う碧さんは、母親の顔をしていた。
難しいな……。心配していないわけじゃなく、ただ信じてるのって……。俺はまだ、心配が先に立つ。
「因みに、唯のことも信じてるわよ? 翠葉がつらいとき、唯は近くにいてあげてね。挫けそうになったり、目も耳も塞ぎそうになったら……そしたら手を差し伸べてあげてね」
「……その役、あんちゃんなら率先して引き受けそうだけど、碧さんは違うの?」
「そうねぇ……。なんにでも適役ってあるじゃない? あとは立ち位置の問題とか? ……蒼樹はまだ翠葉離れができていないし、今はその過程にいるから距離を取るのが難しいこともあるわ。でも、唯はきちんと翠葉との距離を取れているように思うから」
少し鼻がツンとした。胸にぐっときて目頭が熱くなるときの感覚。
「任せてください……」
そんなふうに答えたのは、ちょっとした強がり。
見てくれてる――自分のことを。
そんなことがひどく嬉しく思えたんだ。
リィがお風呂から上がると俺は率先して髪の毛を乾かす。これはもう俺の役目。誰になんと言われようとも譲るつもりはない。
ドライヤーをかけながら、リィが食べるところを観察していた。
箸先でうどんを一本挟み口に運ぶ。そして少しすると、
「あ、れ……?」
変な反応を見せた。頭も少し傾く始末。
一度ドライヤーを止め、
「どうかした?」
顔を覗き込んで訊いてみると、
「ものが落ちても胃が痛くなくて……」
なんか、最悪を極める返事が返ってきた気がする。
ちょっと待て、ものが落ちても胃が痛くないってなんだそれ。
疑問をそのままに訊くと、非常に言いづらそうに口を開いた。
「……最近、何を食べても胃にものが落ちたときの衝撃が苦痛だったんだけど、それがなくてびっくりした」
「ちょっとっ、そんなにひどかったのっ!?」
思わず詰め寄る。
「でもっ、今、大丈夫だったからっ」
そう言って二本目を咀嚼してごっくんと飲み込む。
「大丈夫かも……?」
ソファに座って同じものを食べている碧さんが、
「……胃にものが落ちてきて痛いっていうのは経験あるわ」
と何気なく口にする。
ちょっと待ったあああっっっ。何、なんなの!? 御園生家の胃ってみんなこんななのっ!? それとも俺の胃が強健すぎるのっ!?
「でも、それがなくなったなら少しは快方に向かってるのかもね」
その会話に自分はついていくことができなかった。無念――いや、そんな虚弱な胃の話なんざついていけなくて結構です。
夕方、あんちゃんと一緒に帰ってきたリィは碧さんの顔を見るなりこんなことを言い出した。
「今日、幸倉に帰れる、かな?」
微妙なところに句読点が置かれる。
「別にいいわよ? じゃ、夕飯食べたら帰る用意しなくちゃね」
碧さんは何を訊くこともなく了承する。俺は心の中で大絶叫。
えええっ!? そこっ、突っ込むとこだったんじゃないっすかっ!?
残念ながら、キッチンにいる俺はすぐにその会話に参戦できない。
あんちゃんが何も言わないってことは、すでに話して了承済みなのだろう。
……もしかして、あんちゃんには小ガッコで秋斗さんと会ったときのことを話した、とか?
そんなことを考えつつ、ようやく一区切りがついた俺はキッチンから顔を覗かせ会話に参戦。
「今夜帰るも明日の午前に帰るも大差なくない? なら、ゆっくり準備できるから明日にすれば?」
少ししてやったりな気がしてた。でも、リビングに居座るミスターマイペースに覆される。つまりは零樹さん。
「唯ー? 差ならあるぞー? おっきな差が」
「どんな?」
「明日、父さんが起きたら幸倉の家には家族がいるっ。したがって、寒い朝にひとりでご飯を食べずにすむ。これは大きな変化だ」
だめだ……。この人、リィラブすぎて頭に花が咲いちゃってる。きっと俺が何言っても全力で覆すに違いない。そんな無駄な努力はしないにこしたことはない。
「よぉーしっ! 明日の朝はホットプレート出してみんなでホットケーキを焼こう! で、昼はお好み焼きだっ! 碧さん、帰りにスーパーで材料買って帰ろう!」
ミスターマイペースはミスターマイペースらしく話の主導権を握った。零樹さんが話の中心になるだけで会話が一気に明るくなる。
そして気づけばリィとあんちゃんの姿がなくなっていた。
たぶん洗面所。ふたり並んで手を洗ったりうがいをしてるのだろう。……何、この疎外感。
あとを追っていきたい気持ちをゴックンと呑み下し、俺は夕飯の盛り付けに全力を投じた。
夕飯が終わると、みんながみんな帰り支度を始める。……とはいえ、このマンションだって自宅みたいなものなのに……。帰り支度って言葉がしっくりこなくて変な感じ。
俺はまだ御園生家の一員になって日が浅いからそう感じるのかもしれない。
幸倉で過ごした時間が長い人間にとっては、どうやったってこのマンションは別宅であり、自宅は幸倉の家なのだ。
「……支度っつっても俺あんま荷物ないや」
幸倉には夏服が少しあるくらいで冬服はひとつもない。そういう意味では洋服の分量はそれなり。でも、ほかに必要なものと言ったらパソコンとその他資料くらいだった。
「俺、身軽だなぁ……」
いきなり転勤を申し渡されても三十分で用意できる自信がある。
「唯、手ぇ休めないでさっさと終わらせる」
俺の部屋であんちゃんが必要な資料とそうでないものを選別し、ダンボールに詰めてくれていた。そこへリィがやってきて、
「あ……そっか。唯兄の洋服、冬服は幸倉にないものね?」
「そうそう。ホテルからこっちには持ってきたけど、幸倉には夏服がちょろっと置いてある程度だからさ。あ、あんちゃん、そこの赤いファイルも入れといて」
「っていうか、ここに積んであるの全部だろ?」
「うん。よろしく」
気づけば部屋には三つのダンボールが積み上がっていた。
やだなぁ……全部仕事の資料っていうのがどうにもこうにもいただけない。
頭の中は優先順位をつけた仕事のタスクがずらっと並んでいるわけだけど、それが質量あるものとして目の前に積み重ねられたときのプレッシャーったら半端なさすぎ。
俺、全部終えるころには頬がこけてるかも?
九時過ぎにマンションを出て、子どもチームは先に自宅へ向かった。碧さんたちは食材を買ってから帰ってくるとのこと。
幸倉の家に着いたのは十時前。
リィは洗面を済ませると、碧さんたちが帰ってくるのを待つことなく寝てしまった。
キッチンではあんちゃんがコーヒーを淹れている。
カウンター越しに嫉妬という感情を伴った質問をしてみた。
「ね、なんで急にこっちに帰ってきたの? あんちゃん、なんか聞いたの?」
「唯、顔が怖いんだけど……」
どことなく笑みを貼っつけた顔で言われる。
「そりゃね、なんとなく疎外感とか感じちゃってるわけで、拗ねてたりもしますよ」
「じゃ、それ取り下げの方向で」
「は?」
「……何かはあるんだろう。でも、俺も今回は聞いてない」
「……あんちゃん、なんか変なもの食べた?」
「唯……俺のこと四歳児くらいだと思ってる?」
「もしくは頭打ったとか?」
「両方違うから……」
カップにコーヒーを注ぎ、コトリ、とカウンターに置かれた。
「飲んでいいの?」
「どうぞ。ヤキモチ焼きくん」
「ぶー……」
ぶーたれつつ香しいコーヒーをすすって舌を火傷した。
「訊くのは簡単だよな。何も考えずに、どうした? って訊くのはすごく簡単。でも……話してもらうのは難しいな。前はなんでも話してくれたんだけど、今はそうじゃないから」
あんちゃんはどことなく寂しそうな表情になる。
「ただ、俺にも変化があって、情報源が多少増えたかな?」
「何それ、秋斗さん?」
「まさか」
「じゃぁ、桃華嬢だ」
「ピンポン」
軽快に、長い人差し指を立てて教えてくれる。
「ちょっとクラスで……いつものメンバーと一悶着あったみたい」
それ、聞かせてもらえるの? それとも、そこまでしか言わないつもり?
気持ち盛りだくさんの視線を送ると、
「そんな目で見なくったって話すよ。情報の共有は大切でしょ? ってことで、上に行くか」
俺はリィの部屋のドアを見てから、「了解」と答えた。
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