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本編
不穏な会食
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日が傾き始めた頃、セイルは王宮から戻ってきた。旅の疲れも滲むはずなのに、真っ先に向かったのはエマの執務室だった。
ノックののち、ドアを開けると、彼女は窓辺で資料を手にしていた。陽の光を浴びているその姿は、まるで絵画のように静謐だった。
「セイル様。お帰りなさいませ」
エマは立ち上がり、柔らかく頭を下げた。
「遅くなりました。エマ様、一日お任せしてしまってすみませんでした」
「とんでもありません。お役目があってのことですから」
セイルは近づき、彼女の表情をそっと窺った。
「レイモンド小侯爵の応対は……いかがでしたか?」
エマは一瞬だけ言葉を選ぶように黙し、それから微笑んだ。
「華やかな印象の方でした。ですが、あの方は……一筋縄ではいきません」
「……やはり、そうですか」
セイルの顔にうっすらと緊張が戻る。
「ご心労をおかけしました。ですが、さすがエマ様です。無事にやりとりが済んで何よりです」
セイルの声音は静かだったが、その胸中に波紋が広がっていることは、エマにも伝わっていた。
*
夕刻の伯爵家、晩餐の間。
天井に煌めくシャンデリアのもと、三人の姿が長いテーブルに並んでいた。
セイルはダークグレーの正装を纏い、エマは淡い桜色のドレスに身を包んでいる。
その向かいには、絹のスーツに身を包んだヴィクトル・レイモンド小侯爵。長身で端整な顔立ちをしたその青年は、グラスを傾けながら微笑を浮かべていた。
「まさか、貿易の話を抜きにしてもこんなに魅力的な女性と対面できるとは、思ってもみませんでしたよ」
そう言ってヴィクトルはエマに視線を向けた。その目は茶目っ気と好奇心、そしてほんの少しの悪意を含んでいる。
「しかし、新婚ほやほやの伯爵夫人。旦那様が不在の間に若い客人と二人きりでお過ごしになるとは、なかなか……大胆ですね?」
言葉は軽やかであるにもかかわらず、あまりにも意地が悪い言い方だった。
セイルは黙っているものの、明らかに眉をしかめている。
エマはグラスを手に取り、笑顔のまま淡々と応えた。
「伯爵家に嫁いだ以上、お客様をもてなすのは私の役目でございます」
「お見事です、伯爵夫人。いや、エマ様とお呼びした方がよろしいですか?」
セイルの手が一瞬止まった。
「妻はとても誠実で賢明な女性です。冗談のつもりなら、それは不適当かと存じます」
静かに、しかし明確に。セイルの声が鋭さを帯びていた。
ヴィクトルは肩をすくめる。
「おや、嫉妬ですか?」
そのときだった。
セイルの指先が、水の入ったグラスをゆっくりと倒した。
グラスは音もなく倒れ、冷たい水がエマのドレスの裾に、わずかに染み込んでいる。
エマは一瞬驚いたように目を瞬かせた。だがセイルは平然と立ち上がり、ナプキンを手に取って彼女にそっと差し出すと、会釈した。
「妻の衣服が濡れたようです。これにて、先に退室させていただきます。ご無礼を、どうかお許しください」
口調は丁寧で、礼節をわきまえていた。だがその声音は明らかに冷えていた。
ヴィクトルはにこりと笑い、からかうような視線を送る。
「これはこれは……熱いご夫婦でいらっしゃる」
エマは立ち上がりながら、ヴィクトルに一礼した。
「本日はご足労ありがとうございました。明日は改めて、会談のお時間を設けさせていただきます」
その瞳は微笑んでいたが、奥に芯の通った鋼を宿していた。
セイルはエマの肩に手を添え、彼女を抱くようにして部屋を後にした。
ヴィクトルは一人残された席で、残ったワインを揺らしながら、楽しげに目を細めた。
ノックののち、ドアを開けると、彼女は窓辺で資料を手にしていた。陽の光を浴びているその姿は、まるで絵画のように静謐だった。
「セイル様。お帰りなさいませ」
エマは立ち上がり、柔らかく頭を下げた。
「遅くなりました。エマ様、一日お任せしてしまってすみませんでした」
「とんでもありません。お役目があってのことですから」
セイルは近づき、彼女の表情をそっと窺った。
「レイモンド小侯爵の応対は……いかがでしたか?」
エマは一瞬だけ言葉を選ぶように黙し、それから微笑んだ。
「華やかな印象の方でした。ですが、あの方は……一筋縄ではいきません」
「……やはり、そうですか」
セイルの顔にうっすらと緊張が戻る。
「ご心労をおかけしました。ですが、さすがエマ様です。無事にやりとりが済んで何よりです」
セイルの声音は静かだったが、その胸中に波紋が広がっていることは、エマにも伝わっていた。
*
夕刻の伯爵家、晩餐の間。
天井に煌めくシャンデリアのもと、三人の姿が長いテーブルに並んでいた。
セイルはダークグレーの正装を纏い、エマは淡い桜色のドレスに身を包んでいる。
その向かいには、絹のスーツに身を包んだヴィクトル・レイモンド小侯爵。長身で端整な顔立ちをしたその青年は、グラスを傾けながら微笑を浮かべていた。
「まさか、貿易の話を抜きにしてもこんなに魅力的な女性と対面できるとは、思ってもみませんでしたよ」
そう言ってヴィクトルはエマに視線を向けた。その目は茶目っ気と好奇心、そしてほんの少しの悪意を含んでいる。
「しかし、新婚ほやほやの伯爵夫人。旦那様が不在の間に若い客人と二人きりでお過ごしになるとは、なかなか……大胆ですね?」
言葉は軽やかであるにもかかわらず、あまりにも意地が悪い言い方だった。
セイルは黙っているものの、明らかに眉をしかめている。
エマはグラスを手に取り、笑顔のまま淡々と応えた。
「伯爵家に嫁いだ以上、お客様をもてなすのは私の役目でございます」
「お見事です、伯爵夫人。いや、エマ様とお呼びした方がよろしいですか?」
セイルの手が一瞬止まった。
「妻はとても誠実で賢明な女性です。冗談のつもりなら、それは不適当かと存じます」
静かに、しかし明確に。セイルの声が鋭さを帯びていた。
ヴィクトルは肩をすくめる。
「おや、嫉妬ですか?」
そのときだった。
セイルの指先が、水の入ったグラスをゆっくりと倒した。
グラスは音もなく倒れ、冷たい水がエマのドレスの裾に、わずかに染み込んでいる。
エマは一瞬驚いたように目を瞬かせた。だがセイルは平然と立ち上がり、ナプキンを手に取って彼女にそっと差し出すと、会釈した。
「妻の衣服が濡れたようです。これにて、先に退室させていただきます。ご無礼を、どうかお許しください」
口調は丁寧で、礼節をわきまえていた。だがその声音は明らかに冷えていた。
ヴィクトルはにこりと笑い、からかうような視線を送る。
「これはこれは……熱いご夫婦でいらっしゃる」
エマは立ち上がりながら、ヴィクトルに一礼した。
「本日はご足労ありがとうございました。明日は改めて、会談のお時間を設けさせていただきます」
その瞳は微笑んでいたが、奥に芯の通った鋼を宿していた。
セイルはエマの肩に手を添え、彼女を抱くようにして部屋を後にした。
ヴィクトルは一人残された席で、残ったワインを揺らしながら、楽しげに目を細めた。
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