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本編
清一の回想_新しい命(清一視点)
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はじめは躊躇っていた百合子さんが、ついに俺のプロポーズを受け入れてくれた。
その日から、俺の人生は幸福の絶頂にあった。
早川のお父様のもとで経営や政治を学びながら、数年の婚約期間を経て、俺と百合子さんはささやかな結婚式を挙げた。お父様が「新婚なのだから」と与えてくださった小さな家で、俺たちは睦まじく暮らした。
何もかもが幸せだった。隣に百合子さんがいてくれるだけで。
俺の人生において、この結婚生活はまぎれもなく最も幸福な日々だった。
「百合子さん、起きてください」
縁側でうたた寝している百合子さんに声をかける。彼女は千人針を手に持ったまま、戸にもたれて眠っていた。
「……あ、清一さん。お帰りなさい」
まだ夢の余韻を残したような顔で、微笑んでくれる。
俺は羽織っていた上着をそっと彼女の肩にかけた。
「梅の木を見ていたの。つい眠ってしまったみたい」
「雪も咲かない時期にですか?」
「私が生まれたときに植えた木なんですって、だからか、見ていると何だか満たされるの」
百合子さんはそう言って小さくあくびをする。
早川の屋敷に植えられていた梅の木は、結婚と同時に新居に移され、二人で大切に手入れしていた。
俺たちはこの木を話題にするとき、よく「雪が咲く」という言葉を使った。
はじめは言い間違いだったものが、次第に二人の合言葉のように使われるようになっていた。
「こんなところで眠っては風邪を引きます」
俺は百合子さんの肩をそっと抱き寄せた。
「……そうね。ここのところ、なんだか熱っぽくていけないわ。風邪かしら」
彼女は何気なく口にしただけだろう。だが俺は、ひどく心配になった。怪我ならば癒せても、風邪には俺の力は無力だ。
俺の曇った顔を見て、百合子さんはクスクスと笑う。
「清一さんは心配性ね。大丈夫よ。明日、お医者様へ行ってくるわ」
「……貴女の夫なのですから、心配させてください。僕の特権です」
真剣な口調に、百合子さんは照れ笑いを浮かべた。その笑顔に引き寄せられるように、俺は彼女の唇に軽く口づけた。小さな音を立てて触れた瞬間、彼女は恥ずかしそうに目を伏せる。
「百合子さん、好きです」
「もう、からかわないで」
「貴女を見ていると……言わずにいられません」
顔を赤らめる彼女が愛おしくて堪らなかった。この人をいつまでもずっと甘やかしていたいと思った。
やがて百合子さんがちらと視線を上げ、頬を染めながら言った。
「……私も、大好きよ、清一さん」
俺の頬に触れる彼女の手はやわらかく、その仕草ひとつで心を捕らえられてしまう。
努めてやさしく、丁寧に、俺は彼女の唇に自分の唇を重ねた。
*
「……赤ちゃんが、いるんですって」
百合子さんは恥ずかしそうに微笑み、お腹にそっと手を当てた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に雷が落ちたように、頭の中が真っ白になる。
心臓が荒々しく脈打ち、呼吸さえ忘れてしまった。
「……え……?」
かすれた声が自分のものとは思えなかった。
「定期的に診ていただけることになったわ。食欲が湧かないときも、食べられるだけ食べなさいと……清一さん?」
呼びかけられても、すぐには答えられなかった。
彼女の身体に、俺と彼女の子どもがいる──その事実が重く、眩しくのし掛かって、全身を震わせた。
「……ほんとうに……百合子さん……?」
俺は震える手で彼女の肩に触れた。
視界がにじんでいく。
「……僕と百合子さんの……子どもが……」
声は掠れ、喉が震える。
堪えきれずに零れそうなものを、奥歯を噛んで必死に押し留めた。
そのとき、百合子さんが優しく笑った。
「……ふふ。清一さん、泣かないで」
はっとして瞬きをするが、遅かった。
堪えていたはずの涙は頬を伝い、彼女に見つかってしまった。
「……ありがとう、百合子さん。何て言ったら良いのか……貴女に会えて、こんな日を迎えられるなんて……」
声は震え、情けなくも涙ぐむ俺を、百合子さんはそっと抱きしめてくれた。俺の背を撫で、微笑む。
「喜んでくれる?」
「喜ぶなんて……そんな言葉じゃ足りません。……僕は今、世界で一番幸せです」
震える声でそう告げると、彼女は静かに頷き、囁いた。
「私たち、もっと幸せになりましょう」
彼女の温もりの中で、俺はもう、涙を隠すことを諦めていた。俺は何度も頷いた。
このまま幸せが続いていくのだと信じて疑わなかった。
この日、この瞬間が、俺にとって最も幸福な瞬間だった。早川清一の人生には、これ以上の幸せは二度と訪れなかった。
その日から、俺の人生は幸福の絶頂にあった。
早川のお父様のもとで経営や政治を学びながら、数年の婚約期間を経て、俺と百合子さんはささやかな結婚式を挙げた。お父様が「新婚なのだから」と与えてくださった小さな家で、俺たちは睦まじく暮らした。
何もかもが幸せだった。隣に百合子さんがいてくれるだけで。
俺の人生において、この結婚生活はまぎれもなく最も幸福な日々だった。
「百合子さん、起きてください」
縁側でうたた寝している百合子さんに声をかける。彼女は千人針を手に持ったまま、戸にもたれて眠っていた。
「……あ、清一さん。お帰りなさい」
まだ夢の余韻を残したような顔で、微笑んでくれる。
俺は羽織っていた上着をそっと彼女の肩にかけた。
「梅の木を見ていたの。つい眠ってしまったみたい」
「雪も咲かない時期にですか?」
「私が生まれたときに植えた木なんですって、だからか、見ていると何だか満たされるの」
百合子さんはそう言って小さくあくびをする。
早川の屋敷に植えられていた梅の木は、結婚と同時に新居に移され、二人で大切に手入れしていた。
俺たちはこの木を話題にするとき、よく「雪が咲く」という言葉を使った。
はじめは言い間違いだったものが、次第に二人の合言葉のように使われるようになっていた。
「こんなところで眠っては風邪を引きます」
俺は百合子さんの肩をそっと抱き寄せた。
「……そうね。ここのところ、なんだか熱っぽくていけないわ。風邪かしら」
彼女は何気なく口にしただけだろう。だが俺は、ひどく心配になった。怪我ならば癒せても、風邪には俺の力は無力だ。
俺の曇った顔を見て、百合子さんはクスクスと笑う。
「清一さんは心配性ね。大丈夫よ。明日、お医者様へ行ってくるわ」
「……貴女の夫なのですから、心配させてください。僕の特権です」
真剣な口調に、百合子さんは照れ笑いを浮かべた。その笑顔に引き寄せられるように、俺は彼女の唇に軽く口づけた。小さな音を立てて触れた瞬間、彼女は恥ずかしそうに目を伏せる。
「百合子さん、好きです」
「もう、からかわないで」
「貴女を見ていると……言わずにいられません」
顔を赤らめる彼女が愛おしくて堪らなかった。この人をいつまでもずっと甘やかしていたいと思った。
やがて百合子さんがちらと視線を上げ、頬を染めながら言った。
「……私も、大好きよ、清一さん」
俺の頬に触れる彼女の手はやわらかく、その仕草ひとつで心を捕らえられてしまう。
努めてやさしく、丁寧に、俺は彼女の唇に自分の唇を重ねた。
*
「……赤ちゃんが、いるんですって」
百合子さんは恥ずかしそうに微笑み、お腹にそっと手を当てた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に雷が落ちたように、頭の中が真っ白になる。
心臓が荒々しく脈打ち、呼吸さえ忘れてしまった。
「……え……?」
かすれた声が自分のものとは思えなかった。
「定期的に診ていただけることになったわ。食欲が湧かないときも、食べられるだけ食べなさいと……清一さん?」
呼びかけられても、すぐには答えられなかった。
彼女の身体に、俺と彼女の子どもがいる──その事実が重く、眩しくのし掛かって、全身を震わせた。
「……ほんとうに……百合子さん……?」
俺は震える手で彼女の肩に触れた。
視界がにじんでいく。
「……僕と百合子さんの……子どもが……」
声は掠れ、喉が震える。
堪えきれずに零れそうなものを、奥歯を噛んで必死に押し留めた。
そのとき、百合子さんが優しく笑った。
「……ふふ。清一さん、泣かないで」
はっとして瞬きをするが、遅かった。
堪えていたはずの涙は頬を伝い、彼女に見つかってしまった。
「……ありがとう、百合子さん。何て言ったら良いのか……貴女に会えて、こんな日を迎えられるなんて……」
声は震え、情けなくも涙ぐむ俺を、百合子さんはそっと抱きしめてくれた。俺の背を撫で、微笑む。
「喜んでくれる?」
「喜ぶなんて……そんな言葉じゃ足りません。……僕は今、世界で一番幸せです」
震える声でそう告げると、彼女は静かに頷き、囁いた。
「私たち、もっと幸せになりましょう」
彼女の温もりの中で、俺はもう、涙を隠すことを諦めていた。俺は何度も頷いた。
このまま幸せが続いていくのだと信じて疑わなかった。
この日、この瞬間が、俺にとって最も幸福な瞬間だった。早川清一の人生には、これ以上の幸せは二度と訪れなかった。
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