中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ

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本編

眩暈

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 その日、エマの体調は不思議なほど良かった。
 身を起こすことができ、自分の手で水を飲むことができた。
 目をしっかりと開け、言葉を交わすことができる。

 久しぶりのそんな日が、彼女には嬉しかった。

 迫るような足音が廊下に響く。
 勢いよく開かれた扉から現れたのは、セイルだった。

 その顔は、今にも泣き出してしまいそうな痛切な表情。
 瞳の縁には涙の跡が残り、疲れ果てた様子が滲んでいた。

 ──あぁ、久しぶりにお顔を見た。
 泣いてしまったの?
 清一さん……

 傍らに控えていた医療者たちは、気圧されるようにたじろいだ。

「……少しでいい。二人きりにしてくれ」

 低く告げるセイルに、彼らは目を見合わせ、やがて深く一礼して退室した。

 静寂の中、ようやく二人は向かい合う。
 セイルは何も言い出せずに立ち尽くしていた。
 そんな彼に、エマはそっと微笑んだ。

「……お化粧もしていないのに、恥ずかしいです」

 その一言に、セイルの胸は詰まり、やっと声を絞り出した。

「後妻などと、どうしてそんなことを」

 その言葉だけで、エマはすべてを悟った。
 微笑んだまま、静かに答える。

「貴方には……守るべきものが、必要だからです」

「貴女がいてくれればいいじゃないですか!」

「そう出来ないときが来ます」

 セイルは膝をつき、エマの手を握った。
 それは思っていたよりもあまりに細く、今にも折れてしまいそうだった。

「貴女は何もかも諦めたようなことばかりして……それで私が喜ぶとでも思うのですか! 私がいつそんなことを頼みましたか! ともに生きようと……そう言ったのは、貴女じゃないですか……」

 祈るように握りしめられる手。
 エマの胸は痛んだ。

 ──本当は、貴方一人を置いていきたくない。

 こんなに私を信じて離さない貴方のことが、心配でたまらない。
 貴方を置いて死にたくない。
 しがみついて生きていたい。
 それでも、無情な終わりは、すぐそこまで近づいている。

 本当は言うまいと思っていたことが、つい口をついて出る。

「貴方は……私を、追いかけてしまうでしょう?」

 セイルは顔をあげ、愕然としたように目を見開いた。

 ──見透かされていると、思ったかしら。
 でも、解ってしまう。
 清一さんの、セイル様の考えていることは、どうしたって。
 貴方は私の夫だから。
 私たちは、夫婦なのだから。

 エマは目を閉じ、口の端をわずかに上げた。

「……セイル様ならきっと、新しい人やリーリエの民を置いて行くようなことはしないと思いました。あなたは、そういう人です。優しくて、守るべきものを放っておけない──」

「そんなこと、勝手に決めないでください!」

 セイルが縋り付いて叫ぶ。

「貴女が私を救ったんです! 暗闇に手を差しのべたのは貴女です! どうして突き放すんですか!」

「セイル様」

「貴女がいないのなら、私はもう無理です! 生きていたくない!」

「セイル様」

「貴女が何と言おうと、私は貴女の側を離れない! 永遠に、ともにいます!」

「お願い」

「嫌です、そんなこと、エマ!」

「生きてください」

「嫌です……エマ……置いていかないで……」

 セイルの涙はとめどなく頬を伝い、肩を小さく震わせていた。

 迷子の少年のように心細い姿。
 抱き締めて慰めてあげたい。
「私は死なないわ」と言ってあげたい。
 エマの胸は張り裂けそうになる。

 ──この人を救うには、どうすればいい?
 どうすれば「生きる」と言ってくれる?
 貴方を説得できるだけの言葉が、見つからない。
 私にできることは、もう……

 エマは視線を窓の外に向けた。
 庭園の梅の木が見える。

 ねぇ、清一さん
 百合子なら、貴方を救える?


「……もうすぐ、雪が咲きます」

 セイルが驚いたように瞬きをした。

 エマはそっと微笑み、最後の言葉を紡ぐ。

「百合子の願いなら、聞いてくれますか……清一さん」
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