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14歳の助走。
兵達、泣く。
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火の民の運河の街に着くと、桟橋の先にずらりと兵が並んでいた。赤金色に焼けた鎧は鱗のように組まれ、槍の刃先は陽に鈍く光る。国内でも個人では最強と謳われる兵たち……なのに、顔はどこかきゅっと固く、喉仏が上下している。
「なぜ泣きそうな顔をしておるのじゃ」
リディアが一歩進み、低く澄んだ声で問うた瞬間、先頭の一人が膝を折り、こらえきれずに泣いた。ほどなく、両隣も、列の奥も、唇を噛んでいた兵が次々と目元を拭う。
「火の民も……水竜人と同じく、龍との合いの子にて……声を聞くと、胸が熱くなって……」
「よい、泣けばよいのじゃ」
リディアは笑い、列をゆっくり歩きながら一人ひとりに声をかけた。肩にナビを乗せたまま、掌を軽く掲げるだけで、兵の背が小さく震える。最強の肩が、同じ温度でほどけていく。やがて泣き声はひと巡りして、深い息と笑いに置き換わった。
荷を下ろす段になると、彼らは我に返ったようにきびきびと動き、荷車を渡し綱で受け、馬車の積み替えまで自分たちで段取ってしまった。
「馬車は我らが用意する。日覆いも厚くしてある。こちらは陽が刺す。おぬしらの馬も影で休ませよう」
用意された馬車は、車体の脇に薄板のひさしが二重に張ってあり、車内の空気がふわりと循環する仕掛けだ。布の張り方に無駄がない。街道へ出ると、赤い髪の人々が行き交い、腰の動きに合わせて尻尾の影がすっと揺れる。男は革帯に通した尾を高く結い、女は独特のズボンに尾の通し口が隠されている。布は二重で、折り返しの奥に細い木骨が入っているらしい。女性は配偶者以外には尻尾を見せない……ミザーリにそう聞いていた作法が、街角の何気ない所作に生きていた。
火の民伯の館は、焼け色の石を積んだ低く長い造りで、中庭に黒い石の甕が据えてある。甕の水面が揺れるたび、庭の暑さが少しだけ剝がれ落ちる。玄関の敷石で伯は僕らを出迎え、丁寧な言葉で礼を述べた。目が一瞬、リディアを捕らえると、伯は反射のように膝をつく。
「畏まらずともよい。わらわは、土下座は苦手じゃ」
リディアに促され、伯は慌てて立ち、息を整えた。改めて挨拶を交わし、握手をする。硬い掌だが、掌の熱が無闇に強くない。
「龍とともに暮らす方と聞き、言葉に気をつけるよう皆に申し渡しておりました。おいでくだされ、座って話しましょう」
広間の卓にはすでに料理が並び始めていた。僕がこの地で見つけた米……あの白い粒が、見慣れぬかたちに姿を変えている。砂で熱した鍋で蒸したふっくらとした飯、辛い根菜と一緒に焼き込んだ香ばしい飯、米粉を薄くのして焼いた平餅に辛香油を垂らしたもの、魚をほぐして混ぜた握り……湯気に混じる香りが、熱の土地らしく直球だが、舌に刺さらずにすっと抜ける。
「まずは贈り物を」
伯が抱え持ってこさせたのは、金と宝石で縁取られた小さな箱だった。蓋の表には鱗模様が彫り、側面には炎の紋が走る。
「龍は、こうした箱を好むと聞き及び……」
「皆が皆ではないが、好きな者もおるの」リディアが目尻を緩める。「わらわは……ほどほどじゃ。が、心は受け取る。よい意匠じゃ。大事なものを入れる箱にしよう」
そう言うと、彼女は箱を指先で軽く撫で、僕の方を見た。僕はうなずき、収納へ収める。箱は音もなく消え、伯の目がわずかに見開かれた。
「ふむ……噂どおり、面白き術だ」
杯が行き交い、宴が始まる。兵たちは先ほどの涙の名残で目の縁を赤くしているが、頬は誇らしげだ。ナビは子どもたちに囲まれ、椀の影から影へと丸く跳び、尾で額の汗を払ってもらって喉を鳴らす。ストークは控えで水分の段取りを整え、ローランは米の品種と粒の形を見比べて図に起こす。ミレイユは釜の口の形と熱の回り方を描き、カレルは倉と戸口の通風の向きを覚え書きにする。アールは伯の側仕えに挨拶の言葉を柔らかく教え、トーマスは出入りの影を目で追っている。
「明日は、あなた方が見つけた米の畑へ行くとよいでしょう」伯が杯を置いた。「この高温の地でも根が張り、実がつく。恩寵と申すほかない。わが里は長く、傭兵として戦で日の糧を得てきたが……米のおかげで、暮らしが変わり始めておる」
「どの辺りが一番、変わりましたか」
「まず、子の顔だ」伯の声が、少し柔らかくなる。「戦へ行く背を、幼い者に見せずともよくなる。女が畑で笑い、男が水番で怒る。怒るといっても、畦のほころびを見つけて怒るだけだ。夜に灯をともす油も、米糠からいくらか工面できる」
僕は頷き、皿の端に乗った米粒を指で寄せた。火の民の米は、粒がやや短く厚みがあり、香りが強い。高温に合う呼吸をしているのだろう。
「畦は灰で締めていますか」
「灰と土で踏み固め、葦を編んで当てておる。水は朝と夜に回す。昼は熱い」
「ならば、朝の刻に水を入れて……」と口に出しかけ、そこで舌を軽く噛んだ。先に聞く。座って、話して、相手のやり方を知る。火の民の土と水の道は、火の民が一番よく知っている。
伯が笑った。
「聞きたいことが多い顔だ。明日、番頭を連れていってくれ。稲の唄も教えよう。水を入れる刻に歌うと、子は眠くなるのだ」
「良い唄で育つ米は、きっと美味しいね」
宴の終わりごろ、伯はふと真顔になった。
「龍の御方……先ほどは、兵が取り乱して、面目ない」
「取り乱してはおらぬ。胸が正直であるだけじゃ」リディアは杯を少し傾ける。「強い者ほど、正直でないと折れる」
「肝に銘じよう」
やがて片付けの気配が始まり、客間へと案内された。寝台の高さは僕らのために継ぎ足され、窓には薄い葦簀がかかっている。熱を逃がす穴が屋根の奥にあり、夜の空気が静かに抜けた。
夜半。遠くで、火の民の太鼓が一つ、ゆっくり鳴った。水番の合図らしい。僕は横向きに寝返りを打ち、手帳を開いた。今日の覚え書きを、短く重ねる。
一、兵……声は低く、涙は恥でない。二、作法……女の尾は見せない。衣は二重で、折り返しに骨。三、米……粒は厚く、香り強し。畦は灰締め。四、庭……甕の水、風を引く。五、明日……畑、番頭、稲の唄。
ナビが枕元で丸くなり、尾で僕の頬をちょんと叩いた。リディアは窓辺で月を見て、鱗を一枚だけ鳴らした。屋根裏の穴から、熱の息がゆっくり上へ昇っていく。ここでもやることは同じだ……座って、同じ高さで聞く。それから、一緒に手を入れる。回数が、道を固める。
明日は畑だ。土の匂いと、唄の調子と、朝水の冷たさを、よく聞こう。僕は手帳を閉じ、胸の中で刻を数えながら、目を閉じた。
「なぜ泣きそうな顔をしておるのじゃ」
リディアが一歩進み、低く澄んだ声で問うた瞬間、先頭の一人が膝を折り、こらえきれずに泣いた。ほどなく、両隣も、列の奥も、唇を噛んでいた兵が次々と目元を拭う。
「火の民も……水竜人と同じく、龍との合いの子にて……声を聞くと、胸が熱くなって……」
「よい、泣けばよいのじゃ」
リディアは笑い、列をゆっくり歩きながら一人ひとりに声をかけた。肩にナビを乗せたまま、掌を軽く掲げるだけで、兵の背が小さく震える。最強の肩が、同じ温度でほどけていく。やがて泣き声はひと巡りして、深い息と笑いに置き換わった。
荷を下ろす段になると、彼らは我に返ったようにきびきびと動き、荷車を渡し綱で受け、馬車の積み替えまで自分たちで段取ってしまった。
「馬車は我らが用意する。日覆いも厚くしてある。こちらは陽が刺す。おぬしらの馬も影で休ませよう」
用意された馬車は、車体の脇に薄板のひさしが二重に張ってあり、車内の空気がふわりと循環する仕掛けだ。布の張り方に無駄がない。街道へ出ると、赤い髪の人々が行き交い、腰の動きに合わせて尻尾の影がすっと揺れる。男は革帯に通した尾を高く結い、女は独特のズボンに尾の通し口が隠されている。布は二重で、折り返しの奥に細い木骨が入っているらしい。女性は配偶者以外には尻尾を見せない……ミザーリにそう聞いていた作法が、街角の何気ない所作に生きていた。
火の民伯の館は、焼け色の石を積んだ低く長い造りで、中庭に黒い石の甕が据えてある。甕の水面が揺れるたび、庭の暑さが少しだけ剝がれ落ちる。玄関の敷石で伯は僕らを出迎え、丁寧な言葉で礼を述べた。目が一瞬、リディアを捕らえると、伯は反射のように膝をつく。
「畏まらずともよい。わらわは、土下座は苦手じゃ」
リディアに促され、伯は慌てて立ち、息を整えた。改めて挨拶を交わし、握手をする。硬い掌だが、掌の熱が無闇に強くない。
「龍とともに暮らす方と聞き、言葉に気をつけるよう皆に申し渡しておりました。おいでくだされ、座って話しましょう」
広間の卓にはすでに料理が並び始めていた。僕がこの地で見つけた米……あの白い粒が、見慣れぬかたちに姿を変えている。砂で熱した鍋で蒸したふっくらとした飯、辛い根菜と一緒に焼き込んだ香ばしい飯、米粉を薄くのして焼いた平餅に辛香油を垂らしたもの、魚をほぐして混ぜた握り……湯気に混じる香りが、熱の土地らしく直球だが、舌に刺さらずにすっと抜ける。
「まずは贈り物を」
伯が抱え持ってこさせたのは、金と宝石で縁取られた小さな箱だった。蓋の表には鱗模様が彫り、側面には炎の紋が走る。
「龍は、こうした箱を好むと聞き及び……」
「皆が皆ではないが、好きな者もおるの」リディアが目尻を緩める。「わらわは……ほどほどじゃ。が、心は受け取る。よい意匠じゃ。大事なものを入れる箱にしよう」
そう言うと、彼女は箱を指先で軽く撫で、僕の方を見た。僕はうなずき、収納へ収める。箱は音もなく消え、伯の目がわずかに見開かれた。
「ふむ……噂どおり、面白き術だ」
杯が行き交い、宴が始まる。兵たちは先ほどの涙の名残で目の縁を赤くしているが、頬は誇らしげだ。ナビは子どもたちに囲まれ、椀の影から影へと丸く跳び、尾で額の汗を払ってもらって喉を鳴らす。ストークは控えで水分の段取りを整え、ローランは米の品種と粒の形を見比べて図に起こす。ミレイユは釜の口の形と熱の回り方を描き、カレルは倉と戸口の通風の向きを覚え書きにする。アールは伯の側仕えに挨拶の言葉を柔らかく教え、トーマスは出入りの影を目で追っている。
「明日は、あなた方が見つけた米の畑へ行くとよいでしょう」伯が杯を置いた。「この高温の地でも根が張り、実がつく。恩寵と申すほかない。わが里は長く、傭兵として戦で日の糧を得てきたが……米のおかげで、暮らしが変わり始めておる」
「どの辺りが一番、変わりましたか」
「まず、子の顔だ」伯の声が、少し柔らかくなる。「戦へ行く背を、幼い者に見せずともよくなる。女が畑で笑い、男が水番で怒る。怒るといっても、畦のほころびを見つけて怒るだけだ。夜に灯をともす油も、米糠からいくらか工面できる」
僕は頷き、皿の端に乗った米粒を指で寄せた。火の民の米は、粒がやや短く厚みがあり、香りが強い。高温に合う呼吸をしているのだろう。
「畦は灰で締めていますか」
「灰と土で踏み固め、葦を編んで当てておる。水は朝と夜に回す。昼は熱い」
「ならば、朝の刻に水を入れて……」と口に出しかけ、そこで舌を軽く噛んだ。先に聞く。座って、話して、相手のやり方を知る。火の民の土と水の道は、火の民が一番よく知っている。
伯が笑った。
「聞きたいことが多い顔だ。明日、番頭を連れていってくれ。稲の唄も教えよう。水を入れる刻に歌うと、子は眠くなるのだ」
「良い唄で育つ米は、きっと美味しいね」
宴の終わりごろ、伯はふと真顔になった。
「龍の御方……先ほどは、兵が取り乱して、面目ない」
「取り乱してはおらぬ。胸が正直であるだけじゃ」リディアは杯を少し傾ける。「強い者ほど、正直でないと折れる」
「肝に銘じよう」
やがて片付けの気配が始まり、客間へと案内された。寝台の高さは僕らのために継ぎ足され、窓には薄い葦簀がかかっている。熱を逃がす穴が屋根の奥にあり、夜の空気が静かに抜けた。
夜半。遠くで、火の民の太鼓が一つ、ゆっくり鳴った。水番の合図らしい。僕は横向きに寝返りを打ち、手帳を開いた。今日の覚え書きを、短く重ねる。
一、兵……声は低く、涙は恥でない。二、作法……女の尾は見せない。衣は二重で、折り返しに骨。三、米……粒は厚く、香り強し。畦は灰締め。四、庭……甕の水、風を引く。五、明日……畑、番頭、稲の唄。
ナビが枕元で丸くなり、尾で僕の頬をちょんと叩いた。リディアは窓辺で月を見て、鱗を一枚だけ鳴らした。屋根裏の穴から、熱の息がゆっくり上へ昇っていく。ここでもやることは同じだ……座って、同じ高さで聞く。それから、一緒に手を入れる。回数が、道を固める。
明日は畑だ。土の匂いと、唄の調子と、朝水の冷たさを、よく聞こう。僕は手帳を閉じ、胸の中で刻を数えながら、目を閉じた。
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