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14歳の助走。
政治談義。
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出立前の数日は、ゆるやかな刻が流れた。王様は図書室で古写本をめくり、志金で揃えた器や楽器を手に取り、ドワーフの名彫刻師が刻んだ壁の浅い陰影を確かめておられた。時には侍従や近衛、あるいはお爺様を連れて庭を歩かれ、湯から上がると水を一口だけ。先王妃様はお祖母様と花の名を言い交わし、地元の庭師を招いて季節の植え替えの相談を楽しげに続けられた。誰の足取りも軽い。王様はふと笑って、「温泉はしばし国という重さが軽くなる……先王がよく言っていたが、本当だな、リョウエスト」とおっしゃった。
その出立前夜、侍従が静かに現れて、主室脇の小間へと僕を導いた。灯は低く、ガラス越しの光が柔らかい。王様は茶を片手に、まっすぐこちらを見た。
「日本の政治の仕組みを、もう一度聞かせてくれ」
「承知しました」
僕は座を正し、言葉を選んだ。
「私のいた国は、表向きは『天皇』というお方が国の中心におられます。ただし政はなさいません。お勤めは祈りや儀式、季節の行事を司り、人々のよりどころとして在ること。政を動かす権限は持たず、憲法という決まりに従って、内閣という役所の助言と承認に基づく公の行いだけをなさいます」
王様が顎に手をやる。
「象徴……ということか」
「はい。庭の要石のようなものです。そこに在ることで皆が向きをそろえる。けれど石自体が人を指図はしない、という在り方です」
「では、政そのものは誰が担う」
「三つに分けます。『作る』『執り行う』『裁く』です。作るのは国会。執り行うのは内閣。裁くのは裁判所。三つの台秤を別々に置くことで、どれか一つが重くなりすぎないようにしています」
「前に言っていた三権分立、というやつだな」
「はい。国会は二つの部屋に分かれています。衆議院と参議院。衆議院は任期が短く、民の気分が早く反映される代わりに、たびたび選び直します。参議院は任期が長く、波にすぐ揺れない。急ぎの策は下の部屋が素早く、長い目の策は上の部屋が重みを加える……そんな分け方です」
王様は茶を置き、指先で机の縁を軽くなぞった。
「誰がその衆だか参だかを選ぶのだ」
「成人した国民が票を投じます。一定の年齢に達したら、誰でも一人分の票を持ちます。期日が来れば選び直す。政を託す人々は、選挙というやり方で入れ替わります」
「票を集めた者が、政を執るのか」
「票を集めて議席を取り、国会の多数を得た者たちが集まって内閣を作ります。内閣の長を総理大臣と呼びます。国会が総理を指名し、天皇が形式的に任命します。内閣は国を動かしますが、国会の信任を失えばやめなければならない。国会が『信を問う』と言って衆議院を解散することもあります」
「なるほど。作る者と執り行う者が、互いに目を配るのだな」
「はい。もう一つの秤、裁判所は政から離れています。裁判官は任期が長く、法に照らして政治の手続や作られた決まりが憲法に合っているかも確かめます。三つの秤は別々に置くけれど、互いに見える位置にある。片方が重くなりすぎれば、もう片方が釣り合いを求める。そんな作りです」
「地方はどうしておる」
「国全体の上に、地方の仕組みを重ねます。都や県と呼ばれる大きな区切り、その下に市や町や村があり、それぞれに長と議会がいます。こちらも住む人々が選びます。身近な道や学校、川の手入れは身近な場所で決める。大きな道や国の方角は国全体で決める。そんな分け方です」
「兵は誰の指揮に入る」
「法の下で内閣が指揮します。武の力は政の力に従い、政はまた法に従う。武だけが勝手に走らないよう、鎖を三重に掛ける仕組みです」
王様が目だけで笑われた。
「重ねる鎖か。お前が旅の間にやった道の粉線と紐に似ておる。人の流れを乱させぬための印と境い目」
「はい。票は粉線、法は紐、裁きは杭のようなものかもしれません。外れかけたら戻す目印であり、行き過ぎた力をたしなめる杭です」
「では、天皇は……この国で言うところの王と同じ衣をまといながら、王ではない」
「そうです。お立場は高貴で、祈りと行事を司り、人々のよりどころになる。けれど、政の重さはお持ちにならない。重さは三つの秤へ分ける、という約束を憲法に記し、皆がそれを守る。誰かが約束を破れば、裁きが正し、民が選び直す」
「民が選び直す、か」
「はい。選び直したいと思ったとき、静かにやり直せる口が用意されている、というのが肝心です。道を作るときの逃げ水路のように。詰まったら壊れるのではなく、回して流す。そのために、手続を整え、時間の刻みを定めます」
王様はしばし目を閉じてから、静かに頷かれた。
「わが国は、王が最終の責を負う作りだ。だが、重さを分ける知恵は学べる。道に粉線を引き、紐を張り、杭を打つ……この家でそなたがやって見せたことと、根が同じに思える」
「直に持ち込めば歪みが出ますが、手当の仕方はきっと役に立ちます。耳箱のように声を受ける仕組み、札で合図する作法、文で手順を残す癖。ここに合う形に薄く置き換えれば、風土を壊さずに済みます」
「うむ。大事なのは、急がせぬことだな」
「はい。急ぐべき時ほど、作法を通す。作法は足を遅くするためではなく、皆の足並みを速くそろえるためのもの……日本のやり方を見て、私はそう覚えました」
王様は茶を一口含み、器の縁に指を添えた。
「よく分かった。象徴が心をまとめ、秤が重さを分け、道具が流れを整える。そなたの話は、絵が浮かぶ」
「ありがとうございます」
「それにしても、先王が申した『温泉は国の重さを軽くする』という言葉は、政の話にも通ずるな。重さをいったん湯に預け、出たらまた担げばよい。湯から上がれば、粉線も紐も杭も、まっすぐ見える」
僕は小さく笑った。
「では明日、王都へ戻られても、この家の湯のことを思い出していただけるように、湯の香りを少しお包みしましょう。薄い香の紙を一枚だけ」
「贈り物は軽く。よい」
障子の向こうで、控えの足音がひとつ遠のいた。静けさが戻る。王様は器を置き、ふと問いを足された。
「日本では、王にあたる者は老いたらどうする」
「お務めの軽重は憲法で定まっております。お年を召されても、政の重さを担っておられないので、国の仕組みは滞りません。祈りと儀に心を配る役を続けられるかどうかは、ご自身と周りで支え合って決めます。必要なら、次へ静かに渡す道も用意されています」
「静かに渡す道、か。良い言葉だ」
灯がわずかに揺れ、湯の香りが薄く流れた。王様は立ち上がりかけて、もう一度だけこちらを見やった。
「リョウエスト。そなたの国の話は、急がせぬ。良い」
「この家の灯がそうさせてくれます」
「そうかもしれぬな」
辞去の礼をして部屋を辞す。回廊は低い灯が続き、床板は鳴らない。中庭ではお祖母様が明朝の散歩の刻を控室の板で確かめている。詰所の方ではお爺様が交代の刻に印を打ち、ゼクスが桟橋の薄い層をもう一度だけ見直しているはずだ。トーマスは門の影で若い者に合図の短い稽古をつけ、レウフォ叔父さんは隊列の隙間を軽く撫でているだろう。
部屋に戻り、明日の紙を二枚だけ机に出す。出立の刻、乗船の印、王都側の停泊所。どれも短い文で、誰でも読めば動ける形にしておく。灯を落とす前に、窓を少しだけ開けた。夜気は澄み、遠くで水の音が薄く続く。湯の国の話をした夜にふさわしい静けさだ。
明日は水の道へ。粉線は川面に引けないけれど、合図はもう皆の体に入っている。王様と先王妃様がこの静けさのまま船に乗られ、王都へ戻れるように。僕は深く息を吐き、灯を一つだけ残して目を閉じた。
その出立前夜、侍従が静かに現れて、主室脇の小間へと僕を導いた。灯は低く、ガラス越しの光が柔らかい。王様は茶を片手に、まっすぐこちらを見た。
「日本の政治の仕組みを、もう一度聞かせてくれ」
「承知しました」
僕は座を正し、言葉を選んだ。
「私のいた国は、表向きは『天皇』というお方が国の中心におられます。ただし政はなさいません。お勤めは祈りや儀式、季節の行事を司り、人々のよりどころとして在ること。政を動かす権限は持たず、憲法という決まりに従って、内閣という役所の助言と承認に基づく公の行いだけをなさいます」
王様が顎に手をやる。
「象徴……ということか」
「はい。庭の要石のようなものです。そこに在ることで皆が向きをそろえる。けれど石自体が人を指図はしない、という在り方です」
「では、政そのものは誰が担う」
「三つに分けます。『作る』『執り行う』『裁く』です。作るのは国会。執り行うのは内閣。裁くのは裁判所。三つの台秤を別々に置くことで、どれか一つが重くなりすぎないようにしています」
「前に言っていた三権分立、というやつだな」
「はい。国会は二つの部屋に分かれています。衆議院と参議院。衆議院は任期が短く、民の気分が早く反映される代わりに、たびたび選び直します。参議院は任期が長く、波にすぐ揺れない。急ぎの策は下の部屋が素早く、長い目の策は上の部屋が重みを加える……そんな分け方です」
王様は茶を置き、指先で机の縁を軽くなぞった。
「誰がその衆だか参だかを選ぶのだ」
「成人した国民が票を投じます。一定の年齢に達したら、誰でも一人分の票を持ちます。期日が来れば選び直す。政を託す人々は、選挙というやり方で入れ替わります」
「票を集めた者が、政を執るのか」
「票を集めて議席を取り、国会の多数を得た者たちが集まって内閣を作ります。内閣の長を総理大臣と呼びます。国会が総理を指名し、天皇が形式的に任命します。内閣は国を動かしますが、国会の信任を失えばやめなければならない。国会が『信を問う』と言って衆議院を解散することもあります」
「なるほど。作る者と執り行う者が、互いに目を配るのだな」
「はい。もう一つの秤、裁判所は政から離れています。裁判官は任期が長く、法に照らして政治の手続や作られた決まりが憲法に合っているかも確かめます。三つの秤は別々に置くけれど、互いに見える位置にある。片方が重くなりすぎれば、もう片方が釣り合いを求める。そんな作りです」
「地方はどうしておる」
「国全体の上に、地方の仕組みを重ねます。都や県と呼ばれる大きな区切り、その下に市や町や村があり、それぞれに長と議会がいます。こちらも住む人々が選びます。身近な道や学校、川の手入れは身近な場所で決める。大きな道や国の方角は国全体で決める。そんな分け方です」
「兵は誰の指揮に入る」
「法の下で内閣が指揮します。武の力は政の力に従い、政はまた法に従う。武だけが勝手に走らないよう、鎖を三重に掛ける仕組みです」
王様が目だけで笑われた。
「重ねる鎖か。お前が旅の間にやった道の粉線と紐に似ておる。人の流れを乱させぬための印と境い目」
「はい。票は粉線、法は紐、裁きは杭のようなものかもしれません。外れかけたら戻す目印であり、行き過ぎた力をたしなめる杭です」
「では、天皇は……この国で言うところの王と同じ衣をまといながら、王ではない」
「そうです。お立場は高貴で、祈りと行事を司り、人々のよりどころになる。けれど、政の重さはお持ちにならない。重さは三つの秤へ分ける、という約束を憲法に記し、皆がそれを守る。誰かが約束を破れば、裁きが正し、民が選び直す」
「民が選び直す、か」
「はい。選び直したいと思ったとき、静かにやり直せる口が用意されている、というのが肝心です。道を作るときの逃げ水路のように。詰まったら壊れるのではなく、回して流す。そのために、手続を整え、時間の刻みを定めます」
王様はしばし目を閉じてから、静かに頷かれた。
「わが国は、王が最終の責を負う作りだ。だが、重さを分ける知恵は学べる。道に粉線を引き、紐を張り、杭を打つ……この家でそなたがやって見せたことと、根が同じに思える」
「直に持ち込めば歪みが出ますが、手当の仕方はきっと役に立ちます。耳箱のように声を受ける仕組み、札で合図する作法、文で手順を残す癖。ここに合う形に薄く置き換えれば、風土を壊さずに済みます」
「うむ。大事なのは、急がせぬことだな」
「はい。急ぐべき時ほど、作法を通す。作法は足を遅くするためではなく、皆の足並みを速くそろえるためのもの……日本のやり方を見て、私はそう覚えました」
王様は茶を一口含み、器の縁に指を添えた。
「よく分かった。象徴が心をまとめ、秤が重さを分け、道具が流れを整える。そなたの話は、絵が浮かぶ」
「ありがとうございます」
「それにしても、先王が申した『温泉は国の重さを軽くする』という言葉は、政の話にも通ずるな。重さをいったん湯に預け、出たらまた担げばよい。湯から上がれば、粉線も紐も杭も、まっすぐ見える」
僕は小さく笑った。
「では明日、王都へ戻られても、この家の湯のことを思い出していただけるように、湯の香りを少しお包みしましょう。薄い香の紙を一枚だけ」
「贈り物は軽く。よい」
障子の向こうで、控えの足音がひとつ遠のいた。静けさが戻る。王様は器を置き、ふと問いを足された。
「日本では、王にあたる者は老いたらどうする」
「お務めの軽重は憲法で定まっております。お年を召されても、政の重さを担っておられないので、国の仕組みは滞りません。祈りと儀に心を配る役を続けられるかどうかは、ご自身と周りで支え合って決めます。必要なら、次へ静かに渡す道も用意されています」
「静かに渡す道、か。良い言葉だ」
灯がわずかに揺れ、湯の香りが薄く流れた。王様は立ち上がりかけて、もう一度だけこちらを見やった。
「リョウエスト。そなたの国の話は、急がせぬ。良い」
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「そうかもしれぬな」
辞去の礼をして部屋を辞す。回廊は低い灯が続き、床板は鳴らない。中庭ではお祖母様が明朝の散歩の刻を控室の板で確かめている。詰所の方ではお爺様が交代の刻に印を打ち、ゼクスが桟橋の薄い層をもう一度だけ見直しているはずだ。トーマスは門の影で若い者に合図の短い稽古をつけ、レウフォ叔父さんは隊列の隙間を軽く撫でているだろう。
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