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14歳の助走。
村々を回る。
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役所の前で人払いが済むと、アールが小さく肩をすくめて頭を下げた。
「申し訳ありません。私が回ったときは、もっと不満がこぼれていたのですが……今日は歯切れが良すぎます」
「気にしやすな」アインスが口の端を上げる。「ありゃ巧妙でやすよ。旦那が読めなくても仕方ないでやす。匂いはもう押さえましたんで」
僕は頷き、すぐに通りの一角を借りて対話の席を拵えた。広場の日陰、腰掛けを数脚、卓を一つ。札は短く、困りごとを短く書いてください、とだけ。新しく来る伯爵だと聞いて最初は皆かしこまるが、湯飲みを手渡し、向かい合って話し始めると、顔つきがだんだん柔らかくなる。言いにくいことは札に、言えることは口で。老いた職人は橋銭の重さを嘆き、女将は夜の巡回の薄さを漏らし、若い荷運びは仕事の順番で揉めることを挙げた。ミレイユが要点だけを書き留め、ストークが礼を欠かさず聞き終えを告げる。エメイラは子どもらの相手をしながら、母親たちの小声を拾っていく。ミザーリは遠巻きに見ている男たちの視線をやんわりはね返し、席の空気を守った。
二日後、王都から役人と兵士が到着した。先頭の役人が静かに名乗って、文を掲げる。
「王命により参上。査察と当座の執務、引き継ぎに来た」
「掃除はしておきます。帳と印は触れていません。安心して見回りを」
僕は書付の控えを渡し、邪魔にならぬよう一礼して席を退く。彼らが庁舎に入っていくのを見届けると、僕らは町外れから村へ向かった。青の技は先に散り、僕たちは町民や村民と改めて対話の席を持つ。
旧キトレの畑は広い。風に麦が揺れ、干し草の匂いが鼻に届く。村の寄り場で主だった者に声をかけると、頑丈な手のひらがいくつも重なった。話はまっすぐだった。
「麦はよく穫れる。だが蓄えを削る税が重い」
「牛馬の飼い葉も足りない年がある。干ばつは怖い」
「若い衆は港に出たがる。帰ってこない者もいる」
僕は頷き、地図の余白に水筋を仮に引いた。水量は豊富だ。川の分流がいくつもあり、低い谷筋は粘り気のある土を抱えている。陸稲は……いけるかもしれない。麦に一本槍では痩せる。豆や菜種との回し方、菜っ葉や根の野菜の入れ方、牛馬の糞の回し……頭の中で組み替えが始まる。けれど、今は決める場ではない。
「いまは、皆さんの声を聞きに来ました。方策は持ち帰って考えます。伯爵家を興したのち、順に相談してください。机の上ではなく、畑の土を見ながら一緒に決めたい」
村長が深く頷いた。
「なら、あんたの目で畑も見に来てくれ。川の癖も、案内する」
「頼む」
次の村へ向かう道すがら、トーマスが隣で小声を落とす。
「麦ばかりでは痩せますね。輪で回したい」
「うん。豆を噛ませる。菜種で油も取れる。陸稲は谷筋だけ先行で試す……でも、全部はまだ口にしない」
「ええ。期待は焦りに変わりますから」
港へ続く街道沿いの小村は、麦の香りに潮の匂いが混じる。港町まで三十キロほど。往還の荷車が行き交い、道端の石標に擦れた跡が光っていた。ここでも席を出し、短く話を聞く。運ぶ者は道の穴を言い、売る者は売り場の陰を言い、買う者は小銭の流れを言う。紙束は増えたが、言葉は短いほど強く芯に残る。拾い上げるだけ拾い、約束はしない。約束は、立てて守ってこそ約束になる。
街へ戻ると、役所の大掃除が始まっていた。窓が開き、棚が動き、埃が日差しに舞う。押し入れからは古い帳簿と、使われていない印箱が出てきた。兵は物騒ぎを起こさぬよう控えめに立ち、役人は声を荒げずに手順を進める。僕らの出る幕は、もうほとんどない。
「後は任せます」
僕は役人の代表に控えと鍵の束を渡し、一礼した。彼は深く頭を下げる。
「助かりました。市は続けてください。民の声は絶やさない方がよい」
「ここに席は残します。書き方は短く、読み方は同じように」
僕は元騎士だったという、身元のしっかりした老人を雇い耳役に任命して、賃金を払い対話の座に座ってもらった。老人は最後に御奉公ができるとは、と喜び席に座った。通りへ出ると、人々がぽつぽつと集まってきた。年寄り、女将、荷運び、子どもを抱えた母親。誰からともなく頭を下げられ、声が重なる。
「よろしくお願いします」
僕は深く頷いた。
「こちらこそ。まだ名前だけの伯爵ですが、耳は広げておきます。困ったら席に紙を置いていってください」
門の外まで送ってくれる者たちに手を振り、僕らは街路を抜けた。坂の先には、港町へ続く道が見える。遠くに青い帯が霞み、潮の匂いが風に混じる。アインスが先に歩を進め、ゼクスが視線で周囲を撫でる。ミレイユは紙束を抱え直し、アールは次の聞き取りの札を準備した。エメイラは帽子のつばを指先で押さえ、ミザーリは馬具の具合をさりげなく確かめる。ストークは荷の紐を締め直し、僕は後ろを一度だけ振り返った。
雑然とした街並みが、陽に薄くきらめく。あの街は今日、少しだけ息をし直した。次に戻るときには、もう少し深く息ができるように。約束はせず、心の中でだけ固く決めて、僕は港町へ向けて歩き出した。潮騒の音が、少しずつ大きくなる。
「申し訳ありません。私が回ったときは、もっと不満がこぼれていたのですが……今日は歯切れが良すぎます」
「気にしやすな」アインスが口の端を上げる。「ありゃ巧妙でやすよ。旦那が読めなくても仕方ないでやす。匂いはもう押さえましたんで」
僕は頷き、すぐに通りの一角を借りて対話の席を拵えた。広場の日陰、腰掛けを数脚、卓を一つ。札は短く、困りごとを短く書いてください、とだけ。新しく来る伯爵だと聞いて最初は皆かしこまるが、湯飲みを手渡し、向かい合って話し始めると、顔つきがだんだん柔らかくなる。言いにくいことは札に、言えることは口で。老いた職人は橋銭の重さを嘆き、女将は夜の巡回の薄さを漏らし、若い荷運びは仕事の順番で揉めることを挙げた。ミレイユが要点だけを書き留め、ストークが礼を欠かさず聞き終えを告げる。エメイラは子どもらの相手をしながら、母親たちの小声を拾っていく。ミザーリは遠巻きに見ている男たちの視線をやんわりはね返し、席の空気を守った。
二日後、王都から役人と兵士が到着した。先頭の役人が静かに名乗って、文を掲げる。
「王命により参上。査察と当座の執務、引き継ぎに来た」
「掃除はしておきます。帳と印は触れていません。安心して見回りを」
僕は書付の控えを渡し、邪魔にならぬよう一礼して席を退く。彼らが庁舎に入っていくのを見届けると、僕らは町外れから村へ向かった。青の技は先に散り、僕たちは町民や村民と改めて対話の席を持つ。
旧キトレの畑は広い。風に麦が揺れ、干し草の匂いが鼻に届く。村の寄り場で主だった者に声をかけると、頑丈な手のひらがいくつも重なった。話はまっすぐだった。
「麦はよく穫れる。だが蓄えを削る税が重い」
「牛馬の飼い葉も足りない年がある。干ばつは怖い」
「若い衆は港に出たがる。帰ってこない者もいる」
僕は頷き、地図の余白に水筋を仮に引いた。水量は豊富だ。川の分流がいくつもあり、低い谷筋は粘り気のある土を抱えている。陸稲は……いけるかもしれない。麦に一本槍では痩せる。豆や菜種との回し方、菜っ葉や根の野菜の入れ方、牛馬の糞の回し……頭の中で組み替えが始まる。けれど、今は決める場ではない。
「いまは、皆さんの声を聞きに来ました。方策は持ち帰って考えます。伯爵家を興したのち、順に相談してください。机の上ではなく、畑の土を見ながら一緒に決めたい」
村長が深く頷いた。
「なら、あんたの目で畑も見に来てくれ。川の癖も、案内する」
「頼む」
次の村へ向かう道すがら、トーマスが隣で小声を落とす。
「麦ばかりでは痩せますね。輪で回したい」
「うん。豆を噛ませる。菜種で油も取れる。陸稲は谷筋だけ先行で試す……でも、全部はまだ口にしない」
「ええ。期待は焦りに変わりますから」
港へ続く街道沿いの小村は、麦の香りに潮の匂いが混じる。港町まで三十キロほど。往還の荷車が行き交い、道端の石標に擦れた跡が光っていた。ここでも席を出し、短く話を聞く。運ぶ者は道の穴を言い、売る者は売り場の陰を言い、買う者は小銭の流れを言う。紙束は増えたが、言葉は短いほど強く芯に残る。拾い上げるだけ拾い、約束はしない。約束は、立てて守ってこそ約束になる。
街へ戻ると、役所の大掃除が始まっていた。窓が開き、棚が動き、埃が日差しに舞う。押し入れからは古い帳簿と、使われていない印箱が出てきた。兵は物騒ぎを起こさぬよう控えめに立ち、役人は声を荒げずに手順を進める。僕らの出る幕は、もうほとんどない。
「後は任せます」
僕は役人の代表に控えと鍵の束を渡し、一礼した。彼は深く頭を下げる。
「助かりました。市は続けてください。民の声は絶やさない方がよい」
「ここに席は残します。書き方は短く、読み方は同じように」
僕は元騎士だったという、身元のしっかりした老人を雇い耳役に任命して、賃金を払い対話の座に座ってもらった。老人は最後に御奉公ができるとは、と喜び席に座った。通りへ出ると、人々がぽつぽつと集まってきた。年寄り、女将、荷運び、子どもを抱えた母親。誰からともなく頭を下げられ、声が重なる。
「よろしくお願いします」
僕は深く頷いた。
「こちらこそ。まだ名前だけの伯爵ですが、耳は広げておきます。困ったら席に紙を置いていってください」
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