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そして婚約は破棄された
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翌日の婚約の儀は、王宮の「鏡の間」で行われた。
教会建築を思わせる荘厳な空間。高くそびえる天井に、天使が竜を打ち倒す姿が描かれ、アーチ状の窓から差し込む光が、ステンドグラスを通して床に七色の影を落としている。
頭上には巨大なシャンデリアが輝き、まるで天からの祝福を注いでいるかのようだった。
俺は会場の隅に立ち、式の中心――つまり、アーベルとその婚約者を遠目に見ていた。
(……いよいよ、だな)
これは、俺がこの世界で生き延びるために積み上げてきたすべての結果だった。
王子がマリーテレーズ王女と無事に婚約すれば、俺の死亡フラグは綺麗に消える。
それだけのはずだった。そう、はずだったんだ。
アーベルはすでに控えていた。
白のタキシードに、長くて上質なファーのマントが肩を包む。まるで氷の王子みたいな出で立ちだが、目元は少し硬い。緊張、か、それとも……。
一方、マリーテレーズの姿はまだ見えない。開始の時刻はとうに過ぎていた。
ざわめきが広がったのは、その時だった。
「ご報告があります!」
声のする方を見ると、正面の大扉からマリーテレーズとその従者たちが堂々と入ってきた。
長身のエルフらしき青年が一歩前に出ようとしたが、王女がそれを制して前に進む。
「今回の婚約を、辞退させていただきます」
言葉が耳に届いた瞬間、場内の空気が凍りついた。
俺も、心臓が一拍遅れて止まった気がした。
「……どういうことだ?」
国王が厳しい声音で尋ねる。マリーテレーズは怯むことなく答えた。
「アーベル様が一番ご存知のはずですわ」
静かな声だったが、その一言は刃のように鋭く響いた。
俺の視界の端で、アーベルが静かに目を伏せるのが見えた。
(まさか……)
「……なるほど」
王の声が低く唸るように響いた。
「アーベル、答えよ。何が起きている?」
沈黙。
長い沈黙のあと、アーベルが顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。
「僕には……すでに想い人がいます」
その言葉に、空気が震えた。
「何だと?」
「婚約者を欺いたのか。王室の面目を潰すつもりか!」
家臣たちがざわつく中、王が一喝する。
「なぜ今まで黙っていた!? まさか、我が国を混乱に陥れる意図があったわけではあるまいな?」
アーベルは何も言わない。怒りの頂点に達した王が声を荒げた。
「答えよ、アーベル=ミシェル=ド・ロベール=ロレーヌ!」
しかし、その時。
「もうよいでしょう、兄上」
場の空気を断ち切るように、重厚な声が響いた。現れたのは王弟、アルノルト殿下だった。
「アルノルト、お前も知っていたのか?」
「ええ、知っておりました。昔から……この子は嘘がつけない性分ですから」
アーベルがハッとしたように振り返る。その目はどこか、救いを求めていた。
「婚約の件は、いったん保留としてはどうでしょうか?」
「保留だと?馬鹿を申すな!」
「僭越ながら、私もそれに賛成いたします」
凛とした声が響いた。マリーテレーズが一歩進み出て、王の前でひざまずく。
「アーベル様が迷われている以上、このまま式を強行するのは得策ではありません。王子の名誉のためにも、一度冷静に時間を置かれてはいかがでしょう」
アルノルト公もゆっくりと頷いた。
「彼は真面目すぎる。それが美点でもありますが、今はその美点が災いしている」
場内に重苦しい沈黙が流れた。
「……よかろう。一月後、改めて話し合いの場を設ける」
国王のその言葉と共に、婚約の儀は幕を下ろした。
王族たちの間でささやきが交わされる中、アーベルは無言で鏡の間をあとにした。
俺はその背を、まるで何かに突き動かされるように追いかけていた。
教会建築を思わせる荘厳な空間。高くそびえる天井に、天使が竜を打ち倒す姿が描かれ、アーチ状の窓から差し込む光が、ステンドグラスを通して床に七色の影を落としている。
頭上には巨大なシャンデリアが輝き、まるで天からの祝福を注いでいるかのようだった。
俺は会場の隅に立ち、式の中心――つまり、アーベルとその婚約者を遠目に見ていた。
(……いよいよ、だな)
これは、俺がこの世界で生き延びるために積み上げてきたすべての結果だった。
王子がマリーテレーズ王女と無事に婚約すれば、俺の死亡フラグは綺麗に消える。
それだけのはずだった。そう、はずだったんだ。
アーベルはすでに控えていた。
白のタキシードに、長くて上質なファーのマントが肩を包む。まるで氷の王子みたいな出で立ちだが、目元は少し硬い。緊張、か、それとも……。
一方、マリーテレーズの姿はまだ見えない。開始の時刻はとうに過ぎていた。
ざわめきが広がったのは、その時だった。
「ご報告があります!」
声のする方を見ると、正面の大扉からマリーテレーズとその従者たちが堂々と入ってきた。
長身のエルフらしき青年が一歩前に出ようとしたが、王女がそれを制して前に進む。
「今回の婚約を、辞退させていただきます」
言葉が耳に届いた瞬間、場内の空気が凍りついた。
俺も、心臓が一拍遅れて止まった気がした。
「……どういうことだ?」
国王が厳しい声音で尋ねる。マリーテレーズは怯むことなく答えた。
「アーベル様が一番ご存知のはずですわ」
静かな声だったが、その一言は刃のように鋭く響いた。
俺の視界の端で、アーベルが静かに目を伏せるのが見えた。
(まさか……)
「……なるほど」
王の声が低く唸るように響いた。
「アーベル、答えよ。何が起きている?」
沈黙。
長い沈黙のあと、アーベルが顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。
「僕には……すでに想い人がいます」
その言葉に、空気が震えた。
「何だと?」
「婚約者を欺いたのか。王室の面目を潰すつもりか!」
家臣たちがざわつく中、王が一喝する。
「なぜ今まで黙っていた!? まさか、我が国を混乱に陥れる意図があったわけではあるまいな?」
アーベルは何も言わない。怒りの頂点に達した王が声を荒げた。
「答えよ、アーベル=ミシェル=ド・ロベール=ロレーヌ!」
しかし、その時。
「もうよいでしょう、兄上」
場の空気を断ち切るように、重厚な声が響いた。現れたのは王弟、アルノルト殿下だった。
「アルノルト、お前も知っていたのか?」
「ええ、知っておりました。昔から……この子は嘘がつけない性分ですから」
アーベルがハッとしたように振り返る。その目はどこか、救いを求めていた。
「婚約の件は、いったん保留としてはどうでしょうか?」
「保留だと?馬鹿を申すな!」
「僭越ながら、私もそれに賛成いたします」
凛とした声が響いた。マリーテレーズが一歩進み出て、王の前でひざまずく。
「アーベル様が迷われている以上、このまま式を強行するのは得策ではありません。王子の名誉のためにも、一度冷静に時間を置かれてはいかがでしょう」
アルノルト公もゆっくりと頷いた。
「彼は真面目すぎる。それが美点でもありますが、今はその美点が災いしている」
場内に重苦しい沈黙が流れた。
「……よかろう。一月後、改めて話し合いの場を設ける」
国王のその言葉と共に、婚約の儀は幕を下ろした。
王族たちの間でささやきが交わされる中、アーベルは無言で鏡の間をあとにした。
俺はその背を、まるで何かに突き動かされるように追いかけていた。
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