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ボス戦
しおりを挟む扉の向こうには、暗闇が広がっていた。
ライトがあるわけでもないのに明るいダンジョンの中にあって、そこにはただ暗闇が満ちていた。
扉の周辺だけが外の光に照らされている。目を凝らしても先はよく見えず、全容はわからない。
まるで、得体の知れない化け物の大口に自ら迷い込んでしまったかのようだ。
空気はひんやりとしていてどこか不気味で、肌にまとわりつく冷たい空気に、心までその温度を奪われていく。
どく、どく、心臓の鼓動が大きくなり、冷え切った血流が全身へと巡っていく。
外から入り込んでくる光が、まるでスポットライトを浴びせるかのように暗闇の中で俺の姿だけを照らし出している。
姿も見えない、得体の知れないナニカの前で、一方的に姿を晒されているような───いやような、ではなく実際にそうだろう。ダンジョンの、こんなあからさまな場所に何もいないなど、考えられない。この漆黒のベールの向こうで、獲物のことを見ている敵がいる───。
息が荒くなる。膨れ上がる感情から逃れるために走り出してしまいたい。
周囲に目を走らせながら、ゆっくりと剣を抜いて構える。剣を握る手が震えそうになる。そんな自分を押さえつけるように、強く柄を握る。
せめて、奥に何があるのかを確かめたい。しかし入り口から離れてしまえばいざという時に逃げられない。
俺は動くこともできず、外から入り込んでくる光源不明の光を背にして、目を凝らし、耳を澄ませる。
───明かりが欲しい……いっそ、火炎槍を打ち込んでみるか?
そう考える俺の耳に、聞き慣れた不細工な声が届いた。
「ギャギャ」
声の方に目を向けると、薄闇の中、右前方から普通のゴブリンよりも一回り大きな個体が現れた。
俺が勝手にデカゴブと呼んでいるやつだ。続いて、その後ろから複数のゴブリンが姿を見せる。
なんだ、いつもの奴らじゃん……。
どんな敵が出てくるのかと身構えていた俺は、何度も戦ってきた彼らを見て、ほっと安堵のため息を吐いた。
それなら、さっさと片付けよう。まずは魔法で数を減らして───。
しかし、こちらから仕掛けようとしたところで、逆側からも汚い声がした。
動きを止めてそちらを見ると、そこからもゴブリンたちを率いたデカゴブが姿を現した。
デカゴブ2匹に、少なくともゴブリン10数匹。
この規模と戦うのは初めてだ。
少し厄介だが、火炎槍2発でデカゴブどもを処理すれば、あとは危なげなく戦えるだろう。俺はそう判断し、まずは近い右側の標的に左手を向けた。
「火炎……ッ」
突然、広間の奥で炎が上がる。
───なんだあれ。
燃え盛る赤い炎は、バスケットボール大の球体を形作りながら、周囲を微かに照らし出す。
まさかという嫌な予感が、不安を掻き立てる。
炎に照らされてそこに現れたのは、遠目でもわかるほどの巨躯を誇る影だった。デカゴブよりも明らかに大きい。その周りを、数体の影が囲んでいた。その中の1匹が、炎の玉を生み出したのだ。
視線が釘付けにされ、そこまで状況を理解すると同時に炎が大きくなっていく。いや、こっちに向かってきているのだ。
「ゴブリンも使うのかよそれ!?」
思わず文句を溢しながら俺は、慌てて右に跳んでそれを回避した。幸いそれほど速くはない。魔法は地面に着弾すると小爆発を起こし、炎は糸が解けるように霧散した。
しかしほっとするのも束の間、横に跳んだ事でさらに距離が近くなった右側のデカゴブが雄叫びを上げ、ゴブリンを引き連れて突っ込んでくる。
左の集団もそれに呼応する。
ゴブリンが魔法を使ったという事実に気を取られていた俺は、すぐに意識を引き戻し、先頭のリーダーに手のひらを向ける。
しかし視界の端で、再び赤い光が現れる。
「っ火炎槍...!」
急いで炎の槍を打ち出すが、しかし、俺の魔法は敵の横を通り過ぎていく。
意識が逸れ、狙いが定まらなかったのだ。
───まじかよっ……!
初めて魔法を外した。焦りが増す俺に向かって火の玉が打ち出される。
薄闇のベールを纏って、左右から肉薄してくるゴブリンたちの黒い影。あっという間に距離が縮まり、スポットライトの下に多数のゴブリンたちの姿が浮かびでる。鈍色の刃がギラリと殺意に光る。
もう距離は2メートル。
やられる......!
何度も一方的に屠ってきたはずの魔物たちの醜悪な顔に気圧される。恐怖が心を締め付ける。
俺は身を翻して駆け出した。
せめて魔力が全快してから挑まなければ。
火球の着弾音と、いくつもの殺意の気配を背に、俺は光が差し込む扉の向こうへ脱兎の如く走り始めた。
「ギャアアアアァ!!」
最奥から野太い、魂が底冷えするような声が飛ぶ。
逃走を図った俺は、しかし、広間から抜け出すことができなかった。
緑色の壁が目の前を塞いだのだ。いつのまにか外のゴブリンどもが集まっている。まるで、逃げることなど許さないとでもいうように。
斬り捨てて進むのは間に合わない。背後から近づいてくる気配。振り返ると、左右のゴブリン集団が扇状に広がって俺を取り囲んでいた。
「なんだよ、これ」
どこにも逃げ場はない。死の予感に呼吸が荒れる。
───どこかで、恐怖など乗り越えたと思っていた。何度も魔物と戦ってきた。だが、それは違った。今まで、俺は勝てる奴らとばかり戦ってきたんだ。
何度か恐怖は感じた。1番は初めてのゴブリンとの戦闘の時。集団戦やでかいゴブリンとの戦い。だが、毎回足りなかったのは覚悟だけだった。
「でも、これは───」
「「「ギャギャギャ」」」
俺の焦りを感じ取ったか、奴らが嗤う。それが一層俺の心をかき乱す。
くそ、どうする?どうする!?一斉に来られたら魔法で数を減らすとかそんなの無意味だぞ。なんとかしてこの囲いを抜け出さないとっ!
しかしどこから掛かるにしても、背後から攻撃されるのは目に見えている。
「くそっ!」
断続的に飛んでくる魔法によって俺の思考が遮られる。とにかく早く動き出さないと。包囲の薄い箇所を探して目を滑らせたとき、俺はそれに気がついた。
こいつら、すぐに襲いかかってくる気配がない。なんでだ?───楽しんでいるんだ。明らかに、この状況を。
奴らは汚い笑い声を発してゆっくりと近づいてくるばかりで、未だ大きく動く様子はない。
ゴウ。再び火球が俺の真横を通り過ぎる。
魔法を撃ってくる奴も、その周囲の奴らもその場にとどまっている。
いつでも殺せる獲物を甚振り愉悦に浸っているのだ。
純粋な悪意に歪んだ数十の目が俺を取り囲む。
それが、”現実の記憶"と重なった。
思い出したくもないあの光景。
───そんな目で見るなよ。
俺は、堪えようのない怒りが込み上げてくるのを自覚した。心の中で枷が外れ恐怖が上書きされていく。
そうだ。いつも足りないのはちょっとの覚悟だけだった。
弱気な考えを絞り出すように息を吐く。
冷静になって周りを見てみれば、俺を囲んでいるのはたかだかデカゴブとゴブリンどもだけだ。
この程度の敵、何度も倒してきたじゃないか。奥の奴らは後で考えればいい。
俺はじわじわと包囲の輪を縮めてくるゴブリンどもに、見下すような感情で目を向けた。
すぐに畳み掛けていれば俺を殺せたかもしれないのに、こいつらは舐めてるから狩られる側に回るんだ。
「はぁ───」
目を閉じ、気持ちを完全に切り替える。
ゆっくりと剣を鞘に納める。
「霊化」
最近気がついたスキルの効果。腰につけた鞘に入れたまま固有スキルを使うと、その効果は剣にも及ぶのだ。
「いつもみたいに石ころに変えてやるよ!!」
完全に存在を隠した俺は、そう叫んで地を蹴った。
獲物の姿を見失い困惑している右側のデカゴブに肉薄してから、剣を抜く。突然、何もないように見える空間から柄が現れ、刃が根本から姿を表す。
突然のことに対応できなかった間抜けな少しでかいだけのゴブリンを、抜刀の勢いのままに斬り裂いた。
間をおかず、その右側にゴブリンに踊りかかって一呼吸のうちにさらに2匹を両断。倒れていく奴らには目もくれず、ダッシュして包囲にできた隙間から飛び出す。
飛来する火の玉を避け、追撃してくるゴブリン集団を見据える。
次に魔法が飛んでくるまでは猶予がある。
「火炎槍、火炎槍、火炎槍……!」
俺はその緑の塊に紅の槍を連射する。一方向から突撃してくるゴブリンどもはいい的で、特に細かい狙いを付けずとも命中してくれる。
次々に爆発音が響き、閃光が暗い広間を赤々と照らしだす。
4発撃ったところで、爆煙の中から最後のデカゴブが飛び出してくる。同時に、視界の端で浮かぶ炎。
俺は後ろに跳んだ。
火球は元々俺が立っていた場所に飛来し、タイミング悪く俺を追っていたデカゴブに哀れにも直撃した。
敵の魔法は、しかし威力が低いようで、奴は意識外からもろにくらったにも関わらず、片腕を失ったのみだった。
そいつは立ち止まったかと思うと、広間の奥、自らの片腕を吹き飛ばした犯人を睨みつけ、何やらうるさく喚き始めた。文句でも言っているんだろう。
あまりに滑稽な仲間割れだ。間抜けな奴ら。
「火炎槍」
ゴブリンの火球とは桁違いの威力を誇る俺の炎の槍が、隙を晒しまくったデカゴブの体を爆砕する。
これであとは小物だけ。
すでに魔法の直撃やその爆発でそいつらの数も減っている。その上広間の奥の奴らも、そしてなぜだか入り口を塞いでいる奴らも動かない。
俺は剣ばかり狙ってくるゴブリン集団を難なく撃破していく。
ゴブリンの魔法は1発ずつしか飛んでこないし、狙いも単調だ。目の前の敵に余裕を持って対峙できていることもあり、簡単に避けることができた。目も暗さに慣れてきた。
それほど時間をかけず、俺に向かってきた魔物たちは全て、小さな石ころに成り果てた。
腹を決めて戦ってみれば、大したことはない。まあ、今のところは、だが。
「次はあいつらをやるか」
入り口を封鎖していたゴブリンどもは少しも動く気配はなく、参戦してこなかった。だがいつまでも後ろにいられると安心できないし、いざという時の逃げ道は確保しておきたい。今のうちに後顧の憂いは絶っておくべきだろう。
俺が緑の壁に手のひらを向けようとすると、威圧感のある唸り声が背後で上がった。
大きな影が徐に立ち上がる。
今まで静観していたボスが、ついに動き始めた───。
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