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第一章 夜の女王とミミズク
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しおりを挟むギスランを説得するために息巻いて隣の部屋へ赴いた私だったが。
「おい、ギスラン」
これはどういうことなのか。
ギスラン・ロイスターがソファーでごろごろと転がっている。身悶えるように。
「カルディア姫が、私の顔がお好きだって! この顔に生まれてきてよかった」
興奮状態だからか、私の声が届いていないらしい。なんだか、背筋が寒くなるような言葉を吐いて喜んでいる。
うわっ、近寄りたくない。そそくさと寝室に戻ってぬいぐるみ達と寝たほうがいい気がしてきた。
「お好きなら、無理矢理口付けしても怒られないのでは。美しいって言っておられた。なら、もっと長い時間お側にいても容認して下さるかも」
「ギスラン!?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。口付けが、なんだって?
「……カルディア姫?」
ギスランはやっと私の姿を確認したようだった。おい、今更殊勝な顔をしても、さっきの目を疑うような光景、目に焼き付けたぞ。
ギスランはやっぱり、分からない。
あんなに悲壮感漂う雰囲気を醸し出していた男が、部屋ひとつ跨いだら、すべて忘れたようにはしゃぐな。もっと、しんみりとしていろ。
遺憾の意を込めて、ギスランの腕を掴み、ぐいぐいと引っ張る。
「どうされたの?」
目を丸くするギスランを連れて、寝室へと戻る。
ギスランを寝台の上に寝かせる。
何を考えたのか、ギスランの頬は林檎のように真っ赤だ。
私は、寝台を半周して、反対側に寝そべった。
「これは、その。婚前交渉とかいうもの? カルディア姫、淫すぎます。私の体を堪能したい?」
「馬鹿、そんなわけないでしょう!」
なんて、不埒なことを考えているんだ、こいつ。なぜ、そうなる。ぬいぐるみをぽんぽんと軽く叩く。
「ぬいぐるみから、こちらにこないように」
言った瞬間、ギスランがぬいぐるみをぽいぽいと退かしていく。
いらついて、ギスランの顔にぬいぐるみを押し付ける。ペンギン紳士だ。ギスランは、むっとして嘴を掴む。
「ぬいぐるみ、嫌いです。というか、邪魔。寝たら、これらのせいでカルディア姫の顔が見えません」
「……布で仕切ってもいいのよ」
仕方ないなと言わんばかりに、ギスランはペンギン紳士を寝台の上に置いた。ちょっとぬいぐるみ同士の間隔をあけている。隙間からギスランの顔が見えた。
「寝るなら、カルディア姫の顔が見たいです」
「さっきまで、一緒に寝たくないと言っていた男が?」
「カルディア姫がお嫌だろうと思って、遠慮していたのです。カルディア姫がよろしいなら、構いません」
さらりと銀の髪がギスランの頬を滑り落ちた。
無意識に、手を伸ばし、髪をすくって、後ろに流してやっていた。こいつ、どうやって、髪を手入れしているんだ。髪がさらさらだぞ。一切、つっかからない。むっとしつつ、髪を意味もなく弄ぶ。
「……嘘。本当は、隣の部屋で寝たいです。でも、カルディア姫からも離れ難い」
本当か嘘かはかりかねる静かな声だった。
私はぽんぽんと寝台を何度か叩いた。
「ここで寝なさい。いいわね?」
「はい。カルディア姫の御心のままに」
心なし、ギスランは楽しそうに枕に顔をつけた。
急に居心地が悪くなってきた。私が、隣の部屋で寝たい。だが、ギスランと一緒に寝ると言った手前、移動するのは変だ。
「もう、寝る!」
ぎゅっと目を瞑る。心臓が大きな音を立てていた。
「お休みなさい、カルディア姫」
ギスランが喉を鳴らすような声で、そういった。
ギスランの夢を見た。
言葉で表せないほどの責め苦を受けた。
幼いギスランは、何度も許しを乞うていた。だが、責め苦は終わらない、地獄の日々が地下牢で続いていた。爪が剥がされた。まるで、小さな種のような形をしている。
やめろと声を張り上げた。だが、誰にも届かない。
私は見ているしかなかった。歯を食いしばった。どうか、私をかわりにと、身を投げ出したくなる。この感情は同情なのか。ならば、ギスランのように責め苦を受けたら、水につけた砂糖菓子のようにこの思いは儚く溶けるのか。
ならば、溶けてしまえと思った。
痛みさえ変わることができたら、いくらあとで後悔しようと知ったことか。
一時の同情でもいいから、変わってやりたいのだ。たとえ、私がギスランに助けられずとも構わない。見ている方が、辛い。
ギスランと声を張り上げた。声は、誰にも届かずに消えた。
目が覚めた。久しぶりのギスランの寝室だ。どきどきと胸が高鳴っていたはずなのに、眠りには比較的速やかに入り込めた。
ギスランへの警戒よりも、疲れの方が勝ったのだ。昨日は身構え過ぎたのかもしれない。
起き上がり、隣にいるギスランを覗き込もうとした。
だが、それは鈍い音で遮られた。
ガチャと鉄製の鎖が擦れる音が早朝に響く。
私は自分の手を拘束しているものを二度見した。手錠だ。間違いなく。
鎖は、ギスランの手首に繋がっているようだった。動くたびに耳障りの悪い音がきこえる。
「ギスラン!」
最悪だ。へにゃりとそれは楽しそうに夢を見ている男の頬を殴りつけるように名前を叫び、起こした。
ギスラン・ロイスターは、やはりどう考えてもおかしい。
普通、寝ている人の腕に手錠をはめるだろうか? いや、はめない。
きっとおかしな理論を展開させ、うだうだと考えたのちにつけたに違いない。
起きた時の、あのなんともいえぬ嬉しそうな顔といったら!
殴ってやればよかった。
数日、無視してやった。よろよろと、元気がない様子だが知るものか。こっちが怒っていると分からせる必要がある。
獣の調教をしているような気分だ。まったく、行動が予想がつかない。
前にも増してつきまとってくるようになったギスランを置き去りにして、私はハルがいる花園へ足を運んだ。
考えることは山ほどあるが、どうにも考えがまとまらない。というか、問題が入り乱れすぎて、きちんと把握できていないのだ。
私の知らないところで、問題が乱立し、勝手に解決した節もあるし。リスト、ギスラン、サラザーヌ公爵令嬢、さらにはザルゴ公爵が私に謎を投げつけ、去っていくせいだ。
鳥人間の襲撃に、麻薬問題、さらには死者蘇生と脈絡がない。本のなかならば、全てが糸で結ばれているのだろうが、現実はそうはいかない。
くどくどと考えるうちに、いつもハルがいる場所に足を向ける。だが、いたのはハルではなく、子爵令嬢だった。
ぶつぶつと小声でなにか言っている。その様子は背筋が凍るほど病的だった。
「なぜ、なぜ……」
声をかけようかと迷ったが、悩んでいる間に子爵令嬢は踵を返して去っていってしまった。
サラザーヌ公爵令嬢に縋っていた夜会の彼女は、この世の春が来たとばかりに嬉しそうだった。数日のうちに何があったのだろうか。
気になったが、知るすべはない。私は思考を中断して、ハルを探すことにした。
途中、イルを遠目で発見した。どうせ、さぼっているのだろう。雇い主は、きちんとイルに言い聞かせるべきなのではないだろうか。
知りもしない雇い主の心配をしつつ、ハルを探す。いつの間にか、ハルと会うのが当たり前になっている自分が面映い。
十数分、歩き回り、ハルを見つけた。
ハルは、珍しく、歌いながら水遣りを行っていた。
水音にまぎれて、かすかに聞こえてくる歌声にうっとりし、ハルへ歩み寄る。
しかし、歌詞がはっきりと聞こえる距離になると、ナイフで滅多刺しにされるような痛みが全身に走った。ごくりと唾を飲み込む。
「マリア殺した、誰が殺した? それは王女、ヒバリが言った。第四王女が殺したの」
歌が、耳に無理矢理押し入ってくる。
「ジョイも死んだ、誰が殺した? それは王女、ツグミが言った。第四王女が殺したよ」
耳を塞いだ。だが、小さな隙間からハルの歌が入り込んでくる。
「ラマも死んだよ、誰が殺した? それは王女、ペリカンが言った。第四王女が殺したのさ」
シグマも、アキも、ヤマも、ルイも、マイケルも、ロナウドも、ヤンも、シシィもーー。
何十人も名前が上がった。私は立ち尽くした。
「リュウも死んだ、王女が殺した。だから、俺はーー」
ハルが、急に顔を上げた。逆光でハルの顔がよく見えなかった。動揺が隠しきれず、狼狽える。ハルは手招きした。
どくんどくんと胸が高鳴っている。汗が、だらだらと頬を滑り落ちていく。
「どうしたの、カルディア」
いつもの、ハルだ。
意地悪な目を細めて、苦笑している。
強張った私を見るなり、心配そうな表情で私の体を見回した。
「風邪でもひいたの?」
「……今の歌」
もしかしたら、白昼夢でも見ていたのかもしれない。一縷の希望に縋り、ハルを祈るように見つめる。
ハルは変なものを見るように私を見つめると、はっとして口に手をあてた。
「歌っていた?」
体が崩れ落ちそうになった。どうにか、こらえて、腰を落とす。
ハルは、不思議そうに首を傾げて、私と同じように腰を落として座り込んだ。
「まだ、完成してないんだ、この歌」
「完成」
「そう。まだ、未完成なんだ。あ、そうだ、こないだ服、贈ったの、あんた? びっくりした。あんたが、仕立屋リジーの服を買ってたなんて」
このまま地面と混ざってしまいそうになるのを何とか堪え、ハルへ視線を投げる。いつもより、ハルの格好が小綺麗だ。シャツやズボンを、贈った服の生地をつかって作ったらしい。そういえば、ハルは服屋で働く親戚に引き取られたと言っていた。
頭の芯がぼやけるような感覚がする。深く考えるなと、誰かが指図している。
「オリビィアだけだと思ってた」
「オリビィア?」
「……俺の、知り合いのお貴族様。あんたより、淑女で大人しい」
子爵令嬢のことだろうか。でも、意外だ。子爵令嬢は仕立屋リジーで服を買っていたのか。
さっき見た、子爵令嬢の姿を脳内に描く。あの憔悴しきった顔はなんだったのだろう。
「その言い方、むかつく」
「事実だから、仕方ない。お淑やかだって言われたいなら、もっと慎ましく生きて」
「うるさいわね。これでも、慎ましく生きているつもりよ」
私だって、できる限り慎ましく生きているつもりなのだ。
「……まあ、その、服の予備が増えたって、モニカも喜んでた」
「ハルは?」
「うん、まあ、俺もね、嬉しかった。……えっと、歌、気になる?」
ハルはどこか恥ずかしそうだった。きくべきか、きかざるべきか。悩みながらも頷いた。知らないことの方が、怖かった。
「順序立てて話す。たぶん、そっちの方が分かりやすいだろうし。俺、この学校を退学することにしたんだ」
「へ?」
退学?
「退学って、なに?」
「知らないの? 学校をやめること。こなくなることだよ。貧族ではよくあるけど」
「なぜ?」
「学校に来るためにはお金が必要だから」
お金?
なんだって、学校に来るためにお金が必要なんだろうか。
「……貧族の子供の数はこの学校に全員収容出来るほど、少なくないよ」
「そうなの?」
「うん。身寄りのない子供とか貧民窟で生活している奴らは、この学校に入ることさえできない。俺は、叔母さん達に出して貰ったんだ。教育には、すごく、お金がかかるから」
ハルが教えてくれた費用をきいて驚いた。端金だったからだ。それこそ、私の着る服一つあれば、事足りるような。
金銭感覚が違うのだ。私が当たり前に使える金額でも、ハルからしたら大金なのか。
「ハルもお金が足りない?」
だというならば、私が工面してもいい。
だが、ハルは首を振った。お金でやめるのではないらしい。ならば、なぜ学校をやめるのだろうか。
「ハルが退学したら、会えなくなるのでしょう? ……それは、嫌だわ」
言葉にすると、切なさが溢れてくる。
ハルに会えない。顔を見れない。喋れない。一緒にいることができない。事情があるのは分かる。だが、私がハルに会えないのは嫌だ。これは、狭量なことなのだろうか。ハルとは、出来る限り側にいたい。
イルの言葉が、脳内にちらついた。飼ってしまえばいい。
「……うん」
耳を赤くして、ハルが頬をかいた。ハルににじり寄る。
「どうして? この学校が、嫌になった?」
「……そりゃね、嫌なことばっかりだよ、この学校。でも、王都の学校を出れば、成功は約束されてる。平民とも、懇意になれる。器量がよければ貴族に気に入ってもらえるからね」
「じゃあ、ハルは?」
「俺は」
ハルは言葉を区切って、しっかりと私を見つめた。
水で濡れた、じっとりした手が私に触れた。前は裾で拭いて差し出していたのに、今では真正面から優しく握られる。
ハルが心を許してくれていると分かる。力の加減なく、心臓を掴まれた気分だ。むず痒い。
「『聖塔』にーー革命軍に参加することにしたんだ」
「『聖塔』」
リナリナが持っていた新聞をつくった人々。
平民のことばかり書いていたあの組織に、なぜ貧民であるハルが参加しようというのだろうか。
「そう。『聖塔』に入って、革命を起こすんだ」
なんだか、ハルらしくない言葉だった。
だってハルは、どうせ革命を起こしても無駄だと諦念していたはずだ。
指が食い込みそうなほど、手を強く握られた。濡れた手は、血管が浮き出ていて、硬くて、骨張っている。傷のない私の手とまるで違う。
まるで違う生き物の手みたいだ。
ちらりと、ハルを見上げた。
ハルの唇が、きつく結ばれていた。歯がぎちぎちと恐ろしい音を立てている。怒りを、抑えているようだった。
ハルの手を握り返す。はっと、気がついたように、結んだ手に視線を落とし、唇が開く。
「革命を起こし、第四王女をこの手で殺す。そのために俺は、この学校をやめて、『聖塔』に入るんだ」
くらりと目眩がした。体がぴくぴくと痙攣する。
第四王女。第四王女、カルディア。ーーそれは、私のことだ。
ハルは、私を、殺すために、『聖塔』に入るの?
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