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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む何を言っているのか支離滅裂だ。狂人の域だった。取り返しのつかないところまで来ている。
ヨハンは腰を低くして、カリレーヌ嬢の動きに合わせて飛びかかろうとしている。
彼女は私達のことなどまるっきり無視して、怖気が走るようなことを口に出した。
「傷痍軍人の末路なんて可哀想なものよ。路で唾を吐かれながら物乞いしたい? 芋虫のように這いつくばって女に養われたい? 戦場で死ねば英雄よ。けれど、惨めに生き残れば生き地獄よ」
潔い死をとカリレーヌ嬢は美しい微笑を浮かべる。
「貴方の女は嘆き苦しむでしょうけれど、負傷した貴方が戻って数年すれば死んでくれないかと口遊むでしょう。貴方の母も悲しむでしょうけど、家に帰ってきた貴方をそのうち恨み、無駄飯食いと言って蔑むわ。歓迎されるのは最初だけ。よくぞ戦ってきたと感謝されるのも最初だけ」
とんと彼女の指が胸を指が叩く。
イルは急に咳き込み始めた。
何か言わなくてはならない。そう思った。
彼女は、竜で、目玉で、手足が捥がれ片目がない人だ。
知っている女で、貴族で、テウの家族で。
それなのに、嘘みたいに言葉が出てこなかった。唇を動かすことさえ出来なかった。
怖い。
意味の分からない、不気味な彼女が怖くてたまらなかった。カリレーヌ嬢の皮を被った何かだと勘違いしたかった。
どうして彼女はこんなにもぼろぼろなのだろう。無茶苦茶なことを言うのだろう。それなのに、人を殺そうとするのだろう。
「それは、貴女でしょう」
イルは横っ面を殴りつけるように断言した。
「歓迎されたのは最初だけ。掌を返されて、憤ったのは貴女だ。いや、最初から歓迎なんかされちゃいなかったんでしょう? それなのに、自分は尊いことをしている、正しい行いをしていると舞い上がってしまった。舞い上がったまま戦場で過ごしてしまった」
げほげほと激しい咳をしながらも、イルは決して口を動かすのをやめなかった。
「貴女、人を殺したことがあるんでしょう?」
「――ちがっ」
「いいや、ありますよ。最初は乞われた。痛い助けて殺してくれ。そう言われて、助けを与えてしまった。そのあとはなし崩しだ。親切は習慣に変わり、押し付けに変化していた。そんなところでしょう?」
「違う、違う!」
口の中から腕が生えてきた。彼女の腕ではなく、男の腕のように太い。白目を剥いた彼女のかわりに抗議するようイルを叩く。
「図星だ。――っ! 本当に痛いな!」
「私は言われたの! 友が死んだ、親もいない。恋人は飢死した。腕が撃ち抜かれて、希望なんか何もない。殺してくれと!」
「ならば、自殺させればよかったんですよ。貴女が手を下す必要なんてどこにもなかった」
優しくて、寂しい声だった。
「――貴女が償う必要なんかなかったですよ」
腕から口が生えてきて、金切り声で叫ぶ。
「下等で、醜くて、無知で下品な口の悪い兵士達! けれど、負傷した彼らは蹂躙されてなすすべもなく泣いて、帰ることを怖がっていた」
見下しながら、憐れんでいた。
侮蔑しながら、救おうとしていた。
イルは喉の奥でゆっくりと笑った。
他国よりもライドル王国の方が優れている。そう思う気持ちを否定出来なかった。
他国で戦う兵士達のことなんか、考えたことはなかった。
侵略された地でどれだけの人が傷付き、死んでいったのか、想像さえしたことない。
こんな薄情な私が、カリレーヌ嬢の考えを否定出来なかった。
だって、少なくとも、カリレーヌ嬢は戦場に赴いて治療をしていたのだ。誰かをその手で救っていたのだ。
「手が足りなかった。薬が足りなかった。人が足りなかった。そもそも武器だって足りなかった! みんな、みんな救いたかったけれど、そんな力はなかったの。……なかったのよお!」
腕に現れた口から腕が出てくる。次から次に、口の中から腕が現れる。腕に口が現れる。
声が何重にも聞こえる。
悔いるような声。開き直るような声。すすり泣くような声。
ぐちゃぐちゃな感情をそのままぶつけられているようだった。彼女は獣のようだった。人では手がつけられない、獰猛な叫び声をあげていた。
すくすくと伸びる木のように、腕と口の循環が伸びていく。
イルの口の中に指が突っ込まれる。悠長に喋っていた舌を抜くように体が押さえつけられていた。
ヨハンが駆ける。
広げられた足が腕へ狙いを定められた。
だが、繰り出された蹴りは空を切った。
イルもヨハンも私も目を見開き、狼狽えた。
「ふふふふ」
「誰も助けられない」
「助けられるのはわたしだけ」
「うるさい舌は抜いてあげましょう」
「どうしてこんなことばかり起こるの……」
イルの滑りとした赤い舌が指に引っ張られて外気にさらされる。うわごとのように何かを口走っているが、曖昧として判然としない。
再び、ヨハンが蹴り上げるが、やはり何にも当たった様子はない。しっかりと腕めがけてやっているはずなのにだ。
「制御出来ていないのではなかったの?! まだ、術のなか?」
「いえ、あの取り乱しようといい、彼女がやっているとは」
「おや、俺の騎士様なのに、お分かりにならないの」
透明な、声が水のように流れ込んでくる。
朗らかなのに、背筋が凍るような声だった。熱くて、氷のように冷たい。相反する響きがあった。耳朶が痛いほど熱くなる。
「酷いったらありはしない。君の地獄を作り出すのは俺の仕事と決まっているだろう?」
「……忌々しい幻影か」
「幻影だなんて悲しいな。俺はね、騎士様。君に呪いをかけたんだ。厄介な呪いだよ。それが俺を実体化させている。その力で俺の同胞に助太刀しているんだよ」
春を連想させる綺麗な髪の毛。綺麗な月の色の瞳。
怜悧な表情を浮かべた美しい男がふわふわと浮かんでいる。
足が透けていた。まるで幽霊のようだった。
「ユリウス?」
「あれ? 俺のこと、知ってるの?」
どういうことなのだろう。
どうして、こんなところにユリウスが。
エルシュオンと一緒ではないのか?
いや、そもそも、どうやってここに来たのだろうか。
「でも、間違い。俺は大魔術師ユリウスだよ」
私の記憶より幼い顔だった。表情も、声も、言葉も、柔らかく、脆く、若い。
「まあいいや。君を媒介にしてもう少しめちゃくちゃにしちゃおうかなあ」
カリレーヌ嬢だったものがイルから舌を引き千切る。苦悶の声あがった。
くすくすと笑いながら、ユリウスが私に手を伸ばしてくる。
あ、と今更気がつく。
彼の耳は尖っていなかった。
「また遊んでくれるよね、騎士様?」
イルの口から、血が溢れていく。
杯に入らなくなった水のように。
溢れて、あふれて。
足元が温かい。
ぴしゃりと水音が響く。よく見ると、血の海が広がっていた。
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