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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟むつんと鼻の奥に来る臭い。
馬鹿になった鼻を擦ってイルを見た。
だが、イルが先ほどまでいた場所には、いなかった。
かわりにーーいや、目がおかしくなってしまったのだろうか。
ノアがいた。
カリレーヌ嬢だったものは自分が痛めつけていたものが変化していることに気がついていないようだった。
首を掴んで、今度は頸髄をへし折ろうとしている。
けれど、ノアは首を絞められながら笑っていた。
いつもの、何も変哲もない。子供にじゃれつかれような、穏やかな笑顔だった。
先ほどまでと獲物が違うと気が付いたのだろうか。それとも一瞬、正気に戻ったのか。
カリレーヌ嬢だったものは少しだけ力を緩めた。ノアはそれを見逃さず、足で腕を蹴り上げるとそのまま首の部分に飛び乗った。
「あれ、脆そうだね」
そういうとそのまま皮でも剥ぐように引っ張り出してしまった。
筋肉の繊維のようなものがだらんと垂れて、ぽたぽたと血が落ちる。絶叫を上げるそれに構わず彼女の首元に手を突っ込んだ。
骨をそうように奥に、奥にと。肘まで捻じ込んでいる。
腹部がちりちりする。吐き気がし過ぎて頭が割れるように痛い。
「ノ、ノア……」
力業で、茹でた卵を裂くように肉を引き千切った。骨と真っ赤な筋肉と臓器が露出してかなりグロテスクだ。
肉が、投げ捨てられる。ユリウスに似た人がそれを受け取り慌てていた。
突然現れたノアに、彼もついていけないらしかった。
「こういうのって、真打登場って感じで俺が現れる奴じゃないの、騎士様?」
「話しかけるな、三下」
「辛辣だなあ。俺の出番が持っていかれてつまらないよ」
「ここにお前が本当にいるのならば、その顎を叩き割ってやりたいところだ」
「それはいいね。俺も騎士様の顎が割れて苦痛に引き攣った顔を見てみたいよ。お揃いにしてみる?」
どんどんと言葉が過激になっていく。ヨハンが子供みたいに言い合っている。
ノアはヨハンと偽ユリウスに構わず、口の端を上げる。
「鼠のように路地裏を這い回っていた癖に。窮鼠猫を噛む……だっけ? 出てきて暴れ回って。困るんだよ」
「わ、わたしのせいじゃあ」
千切られた肉のなかからまた腕が現れ、口が出現する。ノアはそれを一瞥して、呆れたように笑うとーー踏み潰した。
「人を殺しておいてその言い草は面白い。責任の取り方を知らないようだから、教えてあげようか」
笑顔が雄弁に語っていた。逃す気はないのだということを。
「強くなくてよかった。運がいい。強い奴は拷問をされ慣れていないから耐えられない場合が多いんだ」
拷問と聞いて、彼女の体が震え上がる。
痙攣とは別物の、恐怖からくる逃げたくなるような悲壮感があった。腕から生える口がわななき、歯がかちかちと音を鳴らす。
「――やっぱりだ。拷問、されたことがあるんだよね?」
弱点を見つけた獣のように、ノアは爛々と瞳を輝かせた。
「頭を潰しても生きていられるみたいだね。そういう生き物は相手にしたことがないから、新鮮だ」
「や、やめ、て。やめて!」
「君もとても運がいい。一度した体験だから、少しは耐えられるでしょう?」
訪れるものは、純粋な暴力だった。
彼女は反撃した。
殺されたくなくて、ノアに食らいつき、血を流させた。
けれど、ノアは次元が違った。飼い犬をたしなめるように踏みつけると、そのまま力を込めて腕を潰した。
「大丈夫、痛いのは痛くされている間だけだから」
何度、腕を潰した頃だったかは覚えていない。
真っ赤に染まる視界の中で、頭の上の方に出来た白い靄のようなものを認識していた。脳が目の前で起こる光景に拒絶反応を示し、逃げる場所を追い求めた結果だ。人間がぐちょぐちょになる姿を見て、正気ではいられない。
しばらくすると、女の声が聞こえなくなった。すすり泣く声さえ聞こえない。
いつの間にか壊れた水槽の廊下へ戻って来ていた。
力が抜けて、へたり込む。終わったのだと頭で理解しているが、全く体が追いつかない。
ノアはそんな役立たずな私を抱き上げると、そのままこつこつと歩き始めた。
顔は血でべっとりと濡れていて、殺人鬼のようだった。当たり前のように私を横抱きにする律儀さに恐怖で体が震えてくる。
「あれ、俺は苦しませないの?」
一部始終を見ていたらしいユリウスもどきがにやにやしながら声をかけてくる。
「幽霊を相手取ってる暇、ない」
薄目で見つめると、足が透けていた彼は、体全体まで薄らとなっていた。
「それもそうか。難儀だな。もう少し時間をくれればその子を怪物に変えてあげられたのにね」
その子と言いながら、彼は私を捉えていた。
「頭に真っ赤なお花が開いたように可愛らしい脳髄を垂れ流した怪物にしてあげようと思ったんだけど。まあ、今度だね。じゃあ、またお会いしましょう。ではでは大魔術師ユリウス君でした」
大魔術師ユリウス。そう名乗った彼は、大見得を切って楽しそうに消えていった。
ノアは何事もなかったようにイルへ視線を向けた。
私も彼のことを考えるのはあとにしたかった。
ノアと同じように視線を向け、痛々しい姿に眉を顰める。
舌が切り取られていた。口の中に血が溜まって、それを吐き出している。
「清族がすぐ来るよ。血を止めれる?」
ふがふがと言いながら、頷いている。
イルの舌は本当に、酷い目にあっていたのか。どこか幻術だろうと簡単に捉えていた。イルはさっさといけといわんばかりに手を鬱陶しそうに払った。
ノアが分かったと言って次はヨハンの元に。
彼は前髪が顔に垂らし、苦しそうに吐息を吐き出している。
「私のことはお気遣いなく。まずはカルディア姫を」
「そうさせてもらう。そっちの奴らは頼んでも?」
ハルとトーマが並べて寝かされている。トーマの鼻は折れているのか、血が出ていた。
自分に対して、強い憤りが体を駆け回る。
ハル、トーマ。二人とも私が巻き込んだ。私があの時、ジョージとともにトーマの部屋に早く行っていれば。
仮定の話をうだうだ考えても仕方がないのはわかっている。けれど、頭がうまく回らない今、強く、暗い感情が心の表面に上がっていくのも仕方がないような気がしていた。
「かしこまりました」
「ああ、そうだ。事態は終了した。安心していい。この学園で一番被害が激しいのはここと城壁」
「……面目次第もございません」
「責任はサガル様が取る。俺に言っても意味がない」
ノアは責任の有無に興味がないようだった。そればかりか、戦闘時の興奮が一気に覚めてしまったように、だるそうにしている。
「ノア、私、自分で歩けるわよ! それよりも、重症そうな奴を運んで」
「うるさいよ。カルディアは黙って」
「な、なんでっ……」
「こんなところに出てくるなんて殺されたいの?」
ノアから向けられたことがなかった明確な殺意が向けられた。息が詰まるような威圧感があった。
「来たくていたわけじゃないわよ」
「ふーん、そう? なら、いいけど」
「私は良くない。下ろしてってば」
「腰が抜けているから駄目」
そういうと、また怠そうな雰囲気を醸し出して、力強く私を抱えた。怒り狂いそうな鋭さがあったのに、瞬きをする間に萎んでいる。気紛れというか、何というか。掴めない男だ。
なにを言っても下ろしてくれるつもりはないと諦め、首に手を回す。
「その……会うのは久しぶりじゃない。あれから、体は痛くないの?」
「俺は別に。あまり変わりはない。カルディアは?」
「私は大丈夫。今ので怪我は?」
「したけど、関係ない。動けないわけじゃないし」
相変わらず、自分のことはどうでもいいらしく、全く気にならないようだった。
怪我をさせたのは私のようなものなのに。
悲劇のヒロインのように、自己憐憫に浸っているような気がして、さらに頭痛が酷くなる。
「……もう少し、自分を大切にして」
「どうして? 大切にしても死ぬときは死ぬ」
子供みたいな事を言う。
「それに、カルディアを助けに来たのに。来てよかったでしょ?」
「助けてくれたのは嬉しかった」
「そう? 俺もカルディアを助けられて嬉しかった。それ以外の感情は余計だ」
「……それと体を大切にする話は別よ」
そう? と真面目な顔をして首を傾げている。
真っ直ぐでぶれないノアを眩しくも思う。けれど、助けられたこちらとしても少し体に気を使って欲しいのだ。お小言のようなことを言っても、ノアはどこ吹く風だった。言葉を聞いているかも怪しい。
ぽちゃりと頬に水滴が落ちてきた。
恐る恐る口を開く。声が出なければいいと願っている自分がいた。けれど、掠れるような声が出た。
「清族の死体はなかった?」
「あった。胸を撃ち抜かれてた」
「――そう」
どこにあったのだろう、ジョージの死体は。今日会ったばかりの奴で、親しいというわけでもなかった。そもそもあいつは徹頭徹尾、敵でしかなかった。
「知り合い?」
「……そのようなものよ」
「じゃあ、顔は見ない方がいい。食われてるから」
食われている?
最初、意味が分からなかったが、じわじわと怖気が走った。清族は妖精と契約して最期食べられてしまうのだと言っていた。
ジョージは清族だ。妖精とも契約していたのだろう。
ならば、食われているというのは、文字通り。
「それとも、そういう顔が見たい相手だった?」
そういう相手だった。きっと、そう言うのが正しい。
ノアは純粋に問いかけている。裏があるとは思えなかった。
「……そう言う奴ではなかったわ」
「そう。なら、やっぱり見ない方がいい」
「いいえ。私は見る義務がある」
眠そうなとろんとした目が私を見つめる。耳を微かに、賛美歌が揺らした。聖堂ではまだ音楽会が続いているのだろうか。
「ねえ、彼女は死んだの?」
動かなくなったカリレーヌ嬢が、視界の端に見えた。
見ないようにしていたのに、鮮明な赤から目が離せなくなった。
「うん。化物は死んだよ」
化物。
カリレーヌ嬢は、化物ではなかった。
でも、化物だった。
口から腕が生えて、腕から口が現れた悍しい体を思い出すと、今更ながら震えが止まらない。彼女は人間として埒外な場所に行ってしまった。そして殺されてしまった。
花の頭を持つ私も、いずれ彼女のように退治されるのだろうか。
――笑いたくなった。もう、自分のことを考えていた。
「クリストファー、よかった。ここで会えた」
しばらく黙り込んで運ばれていると、きっちりとしたスーツを着た男が部下を伴って現れた。深く帽子をかぶっている。
「面倒をかけさせるな、ノア」
親しげな様子に少し顔を上げると、帽子の間から覗く冴え冴えとした瞳とかち合った。
瞳の中に、花が咲いた。
鱗が落ちるように、花弁がぽとりと落ちる。
――いや、これは目蓋?
目の前が、花でいっぱいに。
「カルディア?」
ノアが驚いたように声を上げる。
気がつけば、一面白い花で埋め尽くされていた。
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