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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む客間に入ると、ティーカップとポットをトレイにのせたハルが直立不動で部屋の隅に佇んでいた。その姿を見て、詰まっていた息がやっとゆっくり吐き出せた。
彼は私達がソファーに腰掛けるまで頭を下げて視線を合わせないようにしていた。
もじゃもじゃと絡まった髪を梳かしもしないのは相変わらずだ。ただ、今日のハルは体から甘いお菓子の匂いがした。よく見ると、トレイには春を思わせる薄ピンク色のマカロンがあった。
慣れない手つきで給仕をするハルを内心応援しながら、すまし顔を装って見守る。
かちゃりとカップが音を立てるたび、リストの顔色を伺う。何を考えているか分からない無表情を浮かべて、リストは注がれた紅茶を見つめていた。
「木苺のジャム、……と、生クリームを間に挟んだマカロンになります」
「そう。お前が用意したの?」
「パティシエが先に帰ってきたので、作ってもらいました」
「そうなの。リスト、お前木苺は好きだった?」
尋ねると、リストは首を振った。好き嫌いはあまりない奴だったと思うが……。
「食べる気にならない。下げてくれ」
「……かしこまりました」
ハルはそういうと、トレイにマカロンをのせて、部屋の隅へーーさっきまで立ち尽くしていた場所へ戻った。
「俺は下げてくれと言ったはずだが」
「申し訳ございません、旦那様から奥様を男性と二人きりにすることは控えるようにと」
「――出ていけと命令されなければ分からないのか?」
「申し訳ございません」
苛立つようにリストの顔が歪む。怒鳴りつけそうだと咄嗟に分かった。リストが声を出す前に、間に入る。
「部屋の扉を開けておいて。お前は廊下に。何かあれば呼ぶから」
「奥様」
「クロードには私から言っておくわ」
戸惑いを見せたハルは、それでも首を振って拒絶した。
……律義にクロードに言われたことを守ろうとしているらしい。むっと眉間に皺を寄せる。ハルが忠義心の強い奴だとは知らなかった。
「ここに、います」
「……リスト」
「俺に妥協しろと? 貧民の前でお前と何を話せと言うんだ」
リストは、赤い髪を払いながらそう言った。
「こいつがいてもいなくても、話すことは変わらないでしょう」
「……はあ。ならばせめてお前が俺の隣に移動しろ。そこにいたらあいつの視線が煩わしくてたまらない」
流石に譲歩させ過ぎた。大人しく言う通り隣へ移動する。リストはやっと気持ちが収まったのか、目尻を下げて私を見つめた。
「ひとまず、元気そうで安心した。怪我もそこまで酷いものはなかったと聞いた」
「え、ええ。お前も無事そうね。――サガルは?」
「落ち着いている。……兄上には伝えたはずだが」
「聞いてはいたけれど、お前の口からきちんと聞きたかったのよ」
テーブルに置かれていたコップに水を注ぐ。
きっとこれがハルが最初に出した水なのだろう。
口をつけて、水を飲む。口を湿らせると、リストは私の手からコップを奪ってテーブルに戻してくれた。
「あいつが落ち着いたのは清族の尽力の賜物だったがな。とはいえ、聖塔で起こった事件だ。下手をすると、あの塔にいた半分以上の清族が管理不行き届きで法廷に出廷することになるかもしれないそうだ」
「……法廷?」
どうして、法廷に? 殺人事件でもないのに。……確かに害されそうになったが、裁判で決めるべきものなのだろうか?
私にはぴんときていない。
「ああ。……どうした、不思議そうな顔をして」
「『聖塔』で起こった諍い事は法廷に持ち込まれるものなのかと思ったのよ」
そうでなければどうして法廷などという言葉が出てくるのか分からない。日常的に使われる言葉ではないはずだ。
「……いや。そういえば、お前は記憶がないんだったか。このところ、何でもかんでも裁判になるものだ。この間、平民が貴族を訴えて騒動になった」
「へ、平民が貴族を!?」
何が起こっているんだ、そんなの初めて聞いた。平民が貴族を訴えるって。階級制度が崩壊しているのか……?
「ああ、由々しき事態だろう? そこにいる貧民のように、俺達のような上のものに偉そうに口を出す者も出る始末だ。ただ、妥当だと思うものもある。馬車で轢かれた貧民の子供の親がその貴族の使用人を訴えたりな。そういう情勢が情勢だけに、平等性を求めて処分は司法の手に委ねられることが多い。……クロード兄上を術で移動させたのは、サガルの部下だったという話もある」
「……サガルの」
サガルの部下で、移動魔法が使える人間。ギスランと逃げていたときに、サガルを運んだ清族のことを思い出して、ありえると言葉に詰まった。だとしたらそいつをクロードは殺したのか。
「そうなると一概に清族のせいとも言えなくなってしまうからな。聖塔のなかにいる清族は不具者も多い。俺としてもあまり重たい刑を負わせるの忍びない。お前からも、刑罰を軽くするよう手紙を出しておけ」
「そう、ね。分かった。手紙を書いてみる」
「そうしろ。――カルディア」
名前を呼ばれて、リストを見つめ返す。燃えるように真っ赤な瞳の中に私がいた。
「今までよく頑張ったな」
「な、なに、いきなり」
「記憶がないと言っていただろう。ギスラン・ロイスターがまだ生きていたときの記憶しかないのだと。……あのときは上手く受け止め切れなかったが、そのあとよく考えた。お前は、今とても辛いのではないかと思ったんだ。あいつーーギスランが死んだ時、お前は酷く取り乱していたから」
言葉がうまく、出てこなかった。
「俺にとってはいい思い出ばかりの男ではないがな、あいつは、お前には特別、優しい男だった。――そんな男が死んでいると聞かされて、お前がどう思ったのか。それに加えて兄上と結婚して、子供がいるだなんて、容易く受けとめきれはしないだろう」
リストは泣きそうな顔をして目を細めた。
「俺でよければ相談にのる。何か困っていることや嫌だったことはないか。できる限り、手を貸したい」
「……ありがとう」
「いや、構わない。俺は出来ることならばなんでもお前にしてやりたい。記憶を取り戻したいか? ならば、手を貸す。昔行った場所を訪れれば、何か思い出すかもしれない。勿論、お前の体に負担がないように考慮して行こう」
真摯な顔をしてリストが続ける。
「思い出したくないというならば……気分転換できるようなものを買ってこよう。好きな童話。好きなぬいぐるみ。童話作家を雇って、新作を書かせてもいい」
武骨な手が伸びてくる。剣だこで、皮膚が硬くなったリストの手が私の手に優しく触れる。唇を噛んで、泣きそうになるのを我慢した。
「お前のその気持ちが嬉しい」
「……お前にそう素直に言われると、妙な気分だ」
「なによ、それ」
リストは少しだけ楽しそうに喉を鳴らす。
「それで、俺は手を貸してやりたいんだが、お前の気持ちは?」
リストの指に少しだけ爪を立てる。といっても、爪なんて伸びていないから、指で掻いたみたいになった。
「……嬉しいけれど、お前だって仕事があるでしょう」
「まあ、な。だが、そこは考慮するな。俺がどうにかすればいいだけの話だ」
「なら、……できるならばギスランの」
ギスランと口にしたとき、ぽろりと瞳から涙がこぼれた。
くそ、駄目だ。やっぱり、ギスランのことを考えると心が寂しさや苦しさを感じる前に体が反応する。涙の雫を見てやっと、寂しさや苦しさがあとからやってきて、身体中が無気力感に包まれる。あいつのことを考えるのが、辛くて、たまらなくなる瞬間が出来上がる。
慌てて手の甲で拭うと、リストの驚いた顔が視界の端に見えた。
「ギスランのことを、知りたい。どうして死んだのか。病死とも、毒殺とも、聞いたわ」
目の端がまた滲んできた。
「俺も詳しいことは知らない。病死だと思っていた。血を吐いている姿を一度だけ見たことがあったからな。……知りたいのか。ギスラン・ロイスタ―のことが」
カルディアと名前を呼ばれる。リストは険しい顔つきをして私を探るように見つめていた。
「あいつがどうやって死んだのか、知りたいのか」
「……ええ」
沈黙の時間が、長く、長く続いた。
打ち破ったのはリストの重くて深い溜息だった。
「分かった。調べてみよう。とはいえ、時間が経っているからな。もしかしたらそう詳しくは調べられないかもしれないぞ」
「いいの」
「俺に出来ることならばやると言っただろう。言葉を違えるつもりはない。――そのかわり、またこうやって会ってくれるか」
指の股に、リストの指が滑り込んでくる。くすぐったさに少し笑い、指でとんとんとたたく。
「また庭師が同伴でもいいならばね」
「……次はせめて侍女同伴にしてくれ」
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