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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
286 (社外秘 h-2被験体観察記録No.■■)
しおりを挟む「リスト?」
目が覚めると、リストが紅茶を淹れてくれている最中だった。
軍で淹れたことがあると度々淹れてくれたことがあった。
嘘つきといつも思っていた。リストの部下がいれないわけがないだろう。
けれど、何でもそつなくこなすものだから、淹れてくれたものは美味しかった。
「どうした」
「……私がいれる」
「お前が? やめておけ。火傷する」
「お前にできることが私に出来ないはずがないじゃない」
そういうと、リストは肩をすくめて茶葉を差し出してきた。
小さじ二杯分を淹れてお湯を入れる。少し待つと紅茶のほのかな匂いがのぼる。
「カップを温めておけ」
「カップを? どうして」
「王都で一番腕がいい料理人がそうしていた。口に触れる陶器の温度さえ味を決める一つの要素だそうだ。人肌に温めていると美味しいらしい」
「……分かった」
お湯を半分ほどいれてすぐに捨てる。カップは手に持てないほど熱くなった。これで本当にあっているのだろうか。少なくとも、少し冷ます必要がある。
「お前が認める料理人って? 王都でも有名なの」
「死んだ」
「……そう」
「俺が殺したようなものだ」
リストはそう言ってそっぽを向いた。酷く興味をそそられる言い方だったが努めて冷静さを保った。詳しく聞いても答えてくれないような気がしたのだ。
「お前、私に尋問でもして欲しいの」
「尋問をしたいのか?」
「思わせぶりなことを言うから。お前がどれほど罪人であるか知られたいの」
「さてな。……分からない」
そろそろいい頃合いだろう。カップに紅茶を注ぐと濃ゆかった。不透明な茶色は、真っ白なカップの底を見えなくする。
「裁かれたいのならば裁判所にでも願い出るといいわ。公平で道徳的な裁定を下してくれるでしょうよ」
「法のもとでは全ては平等だとでも?」
「まさか。……けれど、フィリップ兄様が言っていたわ。公平さを望むならば法以外にあり得ないと。……公平ではないからこそ、公平であろうとする。あらゆるものの中で最もその願いが込められたものが法なのだと」
「……あいつらしくない、希望的な物言いだな」
紅茶をリストの前に置くと、取っ手に指を滑り込ませてコップを傾けた。ごくりと嚥下すると、軽く咽せた。
「……濃ゆい」
「う……ご、ごめんなさい。何が悪かったのかしら」
「置きすぎたんだ。もう少しお湯を入れろ」
指示通りにお湯をいれてティーポットを回す。
リストが飲み干したカップに再び注ぐと今度は美しい透明な紅茶になった。
「俺は一度、フィリップの軽口でこんな話を聞いたことがある。法が独立し、意思を持って中立を保証してくれればいいのに、と」
「……? それは法に意思があったらいいということ?」
「そうだ。法という存在が一つの人格を形成し、善良で愛嬌のある子供のような感性を持ったまま、慈悲深く裁くことが出来たらいい」
「……それはとても。理想的な考えね」
「そうだろう? フィリップはそういう甘い考えを持つ男じゃない。あれはきっと酒が語らせたものだな。忘れていい」
法が意思を持ち、人を裁く、か。
無機質なものが人格を持ったらどうなるのだろう。ふと湧き上がった疑問に意識が飛んだ。
「……美味しいよ」
カップに口をつけて、リストがそう言った。意識がリストに戻ってくる。
「カップが温められていたから?」
「……多分な」
「そう」
記憶が、変わる。
途中で、エンドに会った気がする。彼はもう少しだと言っていたような。
うつらうつらとした夢のような感覚だった。だから、本当のところはどうだったのだか。
「大好きです、カルディア姫」
「そう」
「愛しています」
「……懲りないのね」
「はい」
ギスランの笑顔が思い出せない。人形のようだと思っていたあいつの顔がもう朧げだった。声も明瞭としない。優しくて、耳馴染みのいい声だった。……気がする。
忘れたくないと願うほど、ギスランのことを忘れていく。
罪悪感が蓄積して、ずっとどうにかなりそうだ。ギスランのあの紫色の瞳が部屋の中にぷかぷかと浮いていたときがあった。私はギスランと声を出して呼んだ。するとその目はどこかに消えてなくなってしまった。
クロード結婚して、神託が降りた。トヴァイスは口を曲げて、目の下にクマを抱えた酷い顔で聖なる紙に書かれた文字を読み上げた。呪いの言葉だった。
神が私を呪ったのだ。それからずっと、奇妙な声が聞こえる。だんだんとそれは大きくなって、ある日私は私の体を動かせなくなった。
私はどうやら別の世界の私に乗っ取られたらしい。
私はギスラン・ロイスターは? と臆面もなく問いかける。あいつの存在が当たり前のように。
ねえ、教えて。どうしたらギスランは死ななかったの。
私が殺されればよかったのに。
どうすればあの男は生きていたの?
私には出来なかった。私には何も出来ない。
フィリップ兄様を諌めることも、リストに真実を問いただすことも出来なかった。私は私より上手くやってのけた。何が違うの。どうしてこんなにも違うの。
ギスランは死んだ。もうどこにもいない。私も死にたい。
リストが殺したとしても、結局の原因は私にあった。あいつは私の代わりに死んだのだ。
罪悪感だった。独占欲だった。
あいつの死は、私のものだった。ギスランがそう言っていた。命の全てを私に捧げると。私は貴女様のものです、と。
けれど毒を含んで死んでしまった。蘇ってと言ってもあいつは蘇らなかった。
ずっと誰かにハンマーで頭を潰して欲しかった。そうでないと悪夢を見て眠れない。
ギスランは最後、私の夕食を全部食べきって、また明日お会いしましょうねと言って去っていった。私は当たり前のようにまた明日会えると思っていたからおざなりな返事をした。二度と会えなくなったのに。
毎日のように、また明日と言ったギスランが会いに来るのではないだろうかと思う。
水葬をして送り出しても、なお。
馬鹿げた妄想だ。
……あいつはどうして私のことを道連れにしなかったのだろう。
私に毒を盛られた料理を食べさせることもできたはずなのに。
どうして、私に何も言わずに死んだのだろう。
頭がぼおっとしている。精神を鈍麻させる薬だと言って渡されたが、麻薬であることは何となく分かった。船を漕ぐように意識が遠くへと行く。
ねえ、精神がおかしくなってしまった侍女はどこに行ったと言っていた?
私も脳を弄れば、強烈な怒りと罪悪感をどこかにやれる?
死にたいと思う気持ちも晴れる?
どうして私の産む子供は全員化け物なの?
憤怒で腹の子が歪むのか。だったら、私はクロードの妻として相応しくない。神に呪われたから異形ばかりが産まれるの。私が疎うから、それに応じた姿で現れる?
そもそもクロードのそばに居るのは利用するためだった。クロードの好意を踏み躙る考えだった。いつだって、誰かのことを利用してすり潰してきた。人を人形のように心がないものだとして扱った。
その報いなのか。自分勝手な結果なのか。
小さな頃、焼け爛れた背中に薬を塗ってくれたギスランのことを思い出す。折れた指で頬をなぞると子猫のように擦り寄ってきた。
けれどやっぱり姿は朧げで、名前を呼んだ名残の音さえ残っていない。
「カルディア姫、ずっと一緒に居てくださる?」
いつかそんな言葉を口にしてくれた。私は何と返したのだったか。
……ああ、やっぱり、思い出せない。
外に出ると、部屋は綺麗に片付けられていて、エンドは呑気に麺をすすっていた。
私の顔を見るなりへらりと笑った。
「お疲れ様」
「あと……」
「もう終わりだよ。ほら、食う? 腹減ってるだろ」
どかりと座り込むと、エンドは麺を差し出してきた。拒む気にもなれず、麺を口に運ぶ。
……案外、美味しい。
「仕事終わりの飯はドーパミンがドバドバ出るよな」
「……エネルギーは足りるの?」
「それは大丈夫。運命律は間違えたりしないから」
「……ねえ。お前」
そう言ってエンドを見つめる。ん? と不思議そうな顔をして、覗き込まれる。
会ったときとまるっきり同じだ。若くて、どこか無邪気な男。
老いているようには全く見えない。
じゃあ、あのときのエンドはいったい何だったのか。剣呑でつんけんとしていた男は現実だったのか。
「五分時間分割法って何なの」
「ん、何それ」
「お前が言ったんじゃない」
「俺が? んなわけないじゃん。そういう小難しいのは俺の仕事じゃない。……ははん、さては夢のなかで俺を見たな? 俺ってば人気者」
「馬鹿なこと言わないで。お前が言ったんじゃない。あまり私の記憶を思い出すなって」
「……どういうこと?」
「はあ?」
「なんでそんなこと俺が言うの」
しらをきっているようには見えずに困惑する。
エンドは純粋になんで? という顔をしていた。私が知るか。
じゃああれは私が見た幻覚か何かなのか。
「……あー、もしかして天使に会ったとか?」
「天使……。そういえばお前が前に言ってたわね」
「そうそう。何でもエネルギーに変えます君のなかにいると、一定確率でそれに会うらしいよ。世界の真理を教えてやるって現れる。出鱈目なことを言うらしい。俺は会ったことないけど」
「……でもあれは」
確かにお前だったのに?
言葉が出なかった。私自身、あれが夢でなかった確証などないのだ。
「あれは?」
「……夢だったのかもしれないわね」
「きっとそうだって。ま、よかったよ。たまにその天使に会って戻ってこれない奴もいるし。あんまり気にしないことだよ」
「そう、ね」
私が一口食べた麺を取り上げて、エンドは汁まで飲み干した。皿の底にはN社の刻印が刻まれていた。青い顔料で塗装されたそれは、何度も使われいたせいか掠れている。
「んじゃあ、はなおとめ、あんたを世界に戻すか。運命律は準備が出来てるみたいだからさ」
「本当に戻れるのよね?」
「こればっかりはやってみた方が早い。――さて、準備はいいか」
「ええ」
名前を呼ばれた気がして振り返る。私が這い出してきた甲冑の中に私が見えた。彼女は血まみれで、私に向かって手を伸ばしていた。胸からは白い乳をこぼし、ハンマーでたたかれたように頭が陥没している。涙を流しながら、唇が動いている。
「お前、私を乗っ取っていい気になっているのでしょう? 自分は何も失っていないとたかを括って憐れんでいるのでしょう?」
私の声なのだろうけれど、全然私の声に聞こえなかった。
「ねえ、どうしてお前がここに来たの。私の体を乗っ取ったの。お前なら何かを変えられるのではなかったの。なのに、コレは何? この馬鹿げた血染めの日々がお前の希望なの。お前と言う女はこんな意味のわからないことをするために私の復讐をぐちゃぐちゃにしたの」
詰問に言葉が出なかった。私は確かに、私の世界をぐちゃぐちゃにした。
「どうかお前が私の世界を救うためにいるというのならば、何もかもを救って見せて。何もかもなかったことにして、誰もを救って見せて」
爪が、床を引っ掻く。人差し指の爪が禿げて血が滲む。
「助けて。どうか、リストを」
見えないふりして、エンドへ向き直る。どくどくと心臓が脈打った。現実だったのだろうか。それとも、私の頭がおかしくなったせいなのか。本当にもう一人私がここにいた?
彼は何もない場所に指を置いて、割れたパーツをくっつけるような仕草をした。
「よしよし、じゃあこのまま窓に向かって走れ」
「は? 何を言ってるの」
「いいから」
とんと背中を押される。足がもつれて、倒れこむように窓枠を超える。
「またな、はなおとめ!」
真っ逆さまに頭から落ちていく。
瞬きした瞬間、あたりは一面青く光っていた。青空だと思ったときには背中から何かにぶつかった。渡り鳥だと羽を抱えながら落ちていく。
黒々とした渡り鳥の一団のなかから何かが追いかけてくる。
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「くそ、覚えてなさいよ!」
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どうする、どうしたらいい?
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