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第一章
一話 出逢いあるいは再会
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光り輝く金髪、ヘーゼル色の瞳、陶磁器のような白い肌、鼻筋の通った面立ち。二十代半ばの美しい男性が、アザミの姿を見た途端、外套をひるがえして迫ってきた。
「やっと会えた……!」
(だ、誰……ッ)
脳裏に高校時代の同級生が浮かんだが、目の前の彼は自分より五歳以上年上に見えるし、その友人は日本にいるはずだ。
きつく抱擁されながら、アザミは目を白黒させることしかできなかった。
トルバート王国の朝は早い。
夜明けと同時に、各都市の教会がいっせいに鐘を鳴らす。天高くそびえる鐘楼から荘厳な音色が響くと、日々の労働に疲れ果て、夢さえ見ずに眠る人々すらも目を覚ます。目覚めた国民は朝の祈りを捧げてから身支度を始めるのがならわしだった。また、夜の間中閉ざされていた市門は鐘の合図と同時に各都市いっせいに開かれ、商人や周辺の村人たちの往来が可能になる。すると、早朝から都市は賑々しさを増すのだった。
ニーナ辺境伯領ニーナ市で暮らすアザミも例に漏れず、鐘の音とともに起床した。板で作られた窓を開ける。ニーナ市はニーナ辺境伯領最大の都市のため、人口が密集しており、窓から見える景色のほとんどは隣家の壁である。ニーナ市に建つ家屋の大半は、一階部分が石造りで、二階以上が木造になっている。防火対策で藁葺きの屋根は禁止されており、たいてい赤茶色の石が使用されていた。アザミの住む部屋は四階にあり、周囲の五階建ての家屋より低い。しかし、中庭があるおかげでじゅうぶん日差しが届く。
窓に差し込む朝日を感じながら、その場にひざまずいた。
「初代トルバート王、その子、トルバート王二世、その甥、アンデリック王……」全部で十六代いる国王の系譜を誦じてから、ぺこりと小さく頭を下げる。
「日々の幸福はすべて歴代王の偉大なる功績のもとにあり、日々の苦しみは歴代王への献身により消化されるものである。フリイ」
これがこの国の祈りの言葉である。祈りというと目に見えない神へ捧げるもののように思えるが、この国では王族を神聖化しており、王族に祈るのが普通だ。日本にいるあいだ無宗教で生きてきたアザミにとって、トルバート王国の作法は馴染むのに時間がかかった。しかし、こちらに転移して二年が経った今では、朝の祈りを捧げないとどうも調子が出ないと思うまでになっていた。
祈りを終えたアザミは、粗い麻でできた長袖の下着の上に、腰丈の上衣をまとった。オーバーチュニックで、袖口もすそもゆったりしているものである。ふくらはぎ丈の下衣――ズボンは寝たときのままだ。靴下と革製の深靴をはき、腰に細帯を巻いて小袋と布切れをひっかける。そこまで準備を終えると、四階の自室から一階の食堂に駆け降りた。
かまどの前には恰幅の良い中年女性。膝下丈のチュニック――ロングスカートに前掛けをつけ、頭巾をかぶったアンリ・ラロンドは、このラロンド食堂を切り盛りする女将である。
「おはようございます」
「おはよう」
火の様子を見ている彼女の横を抜け中庭に出たアザミは、木桶で井戸の水を汲んだ。
最初は自分の顔を洗う。初秋のまだ生ぬるい気温にはひやりとした井戸水が心地よい。布切れで濡れた頬をぬぐってから、ふたたび井戸水を汲み上げる。食堂で使う水を用意するのが、アザミの日課の一つだった。
両手に桶を持って厨房と中庭を行き来する。三往復終えたところで桶を返しに中庭に戻ると、ひざをつつかれた。
「やめろって」
庭で飼っている七羽の鶏のうち、一番人懐っこいおんどりのインだ。インの羽をなでてやると、彼は「コケエッ」と嬉しそうに鳴く。いっぽう、草を啄んでいるめんどりのロンは、アザミが近づくと鋭くにらみつけてきた。
「ごめんな」
ロンの攻撃を避けながら、庭の隅に産みつけられた卵を手に取る。今日は五個収穫があった。
慎重に卵を抱えながら厨房に戻ると、湯を沸かしていたアンリが手を止めて「おつかれさま」と労ってくれた。
「今朝は小麦粥にするよ。そこに昨日取った鶏肉の出汁があるから、沸騰したら小麦を入れてくれるかい」
「はい」
「そのあいだにガラショウを刻んでおいておくれ。小麦がじゅうぶん出汁を吸いこんだら、火から下ろして加えてね」
「はい」
「卵を入れたかったら、ガラショウと一緒に入れるんだよ」
「わかりました」
アザミが朝食の準備を始める横で、アンリは昨夜から寝かせていたパンの生地を取り出すと、何度かこねたのち丸く形作っていく。十分もかからず、何十個ものパンが鉄板に並んだ。パンをふたたび寝かせているあいだに、タマナとミドリマメをざく切りにし、沸騰した鍋に干した豚肉と一緒に入れて煮立たせる。空いた時間で今度はパセリを刻み、かけ汁を作っていく。
「ごめん、アザミ、もう一度水を汲んできてくれるかい?」
「はい」
「ついでに庭のカブを五個引っこ抜いてきてちょうだい」
「はい」
手際良く食堂の開店準備が進んでいく。
鍋から汁物のおいしい匂いが漂いだしたころ、二十代後半の男性が二人、寝ぼけ眼をこすりながら食堂に現れた。
「おはよう」
「おはよお」
四つある大きな卓のうち、出入り口に近い席に座るなり、彼らは上半身を突っ伏す。いかにも寝不足といった様子だ。
「なんだい、あんたたち飲みすぎたのかい?」
女将がからかうように笑うと、二人は枯れた声で「そんなところです」「やっちまったよ」と口々に答えた。
三階の部屋に住む彼らはアザミの先輩だ。赤褐色の短髪に濃いひげをたくわえているほうがマルク、栗色の長髪と真っ白い肌のほうがリュックという。
酒の飲みすぎにはしじみのみそ汁がいいらしいけれど、この国ではみそ汁なんてものはないし、アザミは彼らの寝不足の原因が飲みすぎでないことを知っていた。
(昨日の夜、声がしてたもんな……)
食堂の片付けを終えて四階の自室に戻る途中、マルクの部屋からあえぎ声が聞こえてきた。二人はたびたび性行為を行う仲らしい。夜中にトイレで起きたときもまだ行為は続いていたから、二時間も寝ていないのではないだろうか。
十九になっても未経験のアザミには、なんと言葉をかければいいかわからない。彼らの関係に気づかないふりをして、葡萄酒でも出したほうがいいのだろうか。二日酔いには向かい酒がいいと食堂の常連たちが言っていたし。いや、そんなことをしたら感じが悪い気がする。
ぐるぐる考えて結局声をかけそびれたアザミは、黙って鍋から小麦粥をよそうと、一杯の水と一緒に彼らの前に差し出した。
「アザミ、今日も手伝いありがとう。あんたももう朝食にしてね」
「はい」
アンリの言葉にうなずいたアザミは、階段に近い席に一人で座る。
「こがねの大地と、群青の海、歴代王の面影宿るこの国の豊かな実りに感謝をこめて、フリィ。いただきます」
定型化した挨拶のあと黙々と食事を取っていると、階段がきしんだ。降りてきたのは、体格のいい五十代の男性――アンリの亭主にして、アザミたちが所属するギルドの親方である。名を、ゴーチエ・ラロンドという。
「おはようございます」
アザミが席を立って挨拶すると、マルクとリュックも慌てて席を立つ。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
「おう」
ゴーチエは言葉数が多くない。一言告げて厨房の前の席につくと、アンリが朝食を運んできた。親方の向かいに座って、自分も一緒に食事を始める。陽気でよく話すアンリとうなずくばかりのゴーチエ。いつもの光景だ。
二年前、突然日本からトルバート王国に転移したアザミは、途方に暮れていたところを教会に保護された。そして、教会経由でゴーチエに預けられた。
アザミが所属しているギルドは、美術全般の仕事を請け負う集団である。主に教会の宗教画の作成や建物の修復を生業としており、現在ゴーチエ親方のもとには五人の職人と職人見習いのアザミがいる。アザミやマルクたちはまだ若いため、ゴーチエの家兼食堂にやっかいになっているのである。
転移当時、言葉も通じなかったアザミに、ギルドの皆はとても親切にしてくれた。その筆頭が親方夫婦だ。口調こそぞんざいだが、いつも優しく、アザミがこの国で生きていけるように、言葉だけでなく習慣や仕事を懇切丁寧に教えてくれた。
日本で高校生だったアザミは美術部に所属しており、絵を描くことが好きだったので、ギルドの仕事は楽しかった。
「今日は雨が降りそうだ。少し早めに向かうぞ」
「はい」
親方の言葉にうなずく。ゴーチエたちが顔を洗って身支度をしているあいだに、人数分の食器を洗う。準備が整うと、若手三人で手分けして商売道具をかついだ。
「いってらっしゃい」
アンリに見送られて四人で家を出る。
これが毎朝の日課だった。
トルバート王国南西部にあるニーナ辺境伯領。南は海に面し、西はマシ国と接している。王都まで徒歩で二十日ほどかかる辺境の地である。しかし、王家の威光はこのはるか西の土地にまでじゅうぶん届いており、災害も少なく、大地の実りも海の恩恵も常に豊潤、それゆえどの都市も皆、快活で明るかった。
ニーナ辺境伯領の中でもっとも大きいのがニーナ市だ。円形の市壁に囲まれ、東西南北四つの門からは絶えず人々がやってくる、非常に活気のある都市だ。
マシ国とは信仰の対象が異なるため、昔から戦争が絶えなかったが、三十年前に小競り合いが勃発して以降大きな衝突はない。また、現ニーナ辺境伯がマシ国の文化に寛容ということもあり、昨今ニーナ市にはマシ国の商人の出入りが増えていた。
アザミはマシ国を訪れたことはないが、どことなく日本らしさを感じ、勝手に親近感を覚えている。例えば、マシ国の人々はアザミと同じで髪の毛が黒く、直毛が多い。着ている服は着物のように前で合わせる作りになっていて、絞り模様のような染めが施されている。また、トルバート王国ではコメは主に煮込み料理に使う。しかし、マシ国では日本のようにコメを炊いて食べるのが一般的らしく、市場には炊き立てのコメと汁物を提供する屋台も多い。
市壁の内側はどこも人口密度が高く、所狭しと住居が建ち並んでいる。土地が足りず、どの家も四階、五階が当たり前だ。東西南北の門から延びる大通りにはさまざまな店舗が並ぶが、特に人が多いのは中心部の広場である。連日市場が開かれる他、役所などの施設もそろっている。井戸を備えていない家の住人――おもに中心部から遠い居住区の人々――は、広場の噴水で水を汲むこともある。
その中で一際目を引く大きな建造物が、半円アーチと円柱が特徴的な、華麗なたたずまいの教会である。二百年前に建てられたとは思えないほど美しいままの姿を保っているのは、親方をはじめ数々の美術家がこの教会を補修、改修してきたからに他ならない。
石造の建物は天井が分厚く、教会の中は常に薄暗い。開け放たれた入り口をくぐると、青い絨毯がまっすぐ伸び、正面には精緻な金細工の施された祭壇と彫刻が置かれている。蝋燭の明かりに照らされ、黄金がまばゆく輝く様は非常に豪奢で、アザミはいつも圧倒される。
側廊には縦横大人二人分ほどの巨大な壁画が何枚も続き、歴代の王族や国の歴史が描かれていた。教会には文字が読めない人も大勢やってくるので、誰にでも教えを理解できるようにするためらしい。壁画は入り口の左脇から始まり、側廊に沿って時代が下るようになっていて、一番新しい時代の絵は今まさに作成中である。
「おい、漆喰が足りてねえぞ!」
「はっ、はい!」
「次は朱色持ってこい!」
脚立の上から怒号が飛んでくる。アザミは慌てて、言われたものを手渡した。半人前のアザミはまだ地上で雑務をこなすことしかできないのだ。
現在親方たちが描いているのは、五年前、王都に異世界から転移した人間が現れた場面である。絵の中央では、黒髪の男性と金髪の女性が手を取り向かい合っている。この絵の女性は現国王妃の姪であり、転移者の出現により彼と婚約することになった。
トルバート王国では、数十年に一度、異世界から転移してくる人間がいる。彼らは出現すると国に丁重に保護され、王族と婚姻関係を結ぶ決まりらしい。十八年前にも女性の転移者が現れ、当時の王族と結婚した。そのときのパレードは史上最大規模のセレモニーとして、壁画にも記されている。
壁画に描かれた男女の周りに、親方たちが金箔をまぶしている。彼らの見目麗しさを表しているのだそうだ。トルバート王国の王族は皆美しいと言われているが、五年前に現れた転移者もまた、類い稀なる美貌の持ち主だったらしく、出現した当時は王都中の噂の的だったという。
トルバート王国民は濃淡の程度はあれど茶髪が多い。そのため、きらびやかな金髪を見ていると、一人の人物がアザミの脳裏をよぎる。日本にいるはずの彼を思いだすと胸が痛い。頭を振って記憶を追い払い、目の前の絵に集中した。
空に瞬く星を描きこみ、最後にこの国の名産である緑がかった青い塗料を女性の瞳に塗ればこの絵は完成だ。明日にも出来上がるだろう。
歴史ある教会に自分の絵を描くことができるなんて、ゴーチエ親方は本当にすごい。二年間、たくさんの絵や彫刻を修復するのを見てきたが、彼のオリジナルの絵を見るのは初めてだった。
そもそもこの国における絵画とは宗教的なもので、王族を崇め讃えるための手段である。そのため、王族以外の絵を描くことは禁止されており――もちろん設計図など例外は存在する――いくらギルドの親方といえど、そうそう絵を描く頻度は高くない。しかし、ゴーチエの技術は年を経てもなお衰えるところを知らず、無骨な姿からは想像つかないほど華やかな色彩は、見つめるだけで気分が高揚してくる。絶えずやってくる参拝者たちも、制作中の絵画を前に立ち止まり、興味深そうに眺めてゆく。やはり親方の絵はすごい。見習いとして誇らしい。
「おまえも王宮に行きたかったか?」
ふいに背後から声がかかって、アザミはびくっと肩をそびやかした。振り返ると、小太りの中年男性が立っている。この教会の主であるオベール・ダルヴィッセル司教だ。立襟で足丈まである前開きの服をまとっている。純白の装いと打って変わって、今日も頬が赤いし臭い。酒の飲みすぎである。
「わしがうっかりおまえの性別を間違えてしまったからなあ」
ひっくひっくとしゃっくりしながら、オベールはそう言った。突然教会の前に現れたアザミの戸籍を届け出る際に、誤って妊婦と登録してしまったらしい。この国の文字がほとんど読めないアザミには、どうしてそんな間違いをしたのかわからないが……おそらく、その日もオベールが二日酔いだったせいだと思う。さすがに赤の他人の子どもを身籠っている人間を王家に迎えることはできないので、転移者であるアザミのもとに、国の遣いが来ることはなかった。
「王宮に行けばいい暮らしができたのに悪かったなあ」
両手を合わせて頭を下げる姿に、アザミは「いいんです」と首を振って応じる。彼は酔うたびこの話を蒸し返す。よほど後悔しているらしい。適当だが悪い人ではないのだ。
「代わりにこの仕事を紹介してもらえたから、じゅうぶんです」
ギルドの皆はいい人だし、今は雑用しかできない身だが、絵に携わる仕事は楽しい。それに、アザミは自分が誰かと結婚するなんて想像もできなかった。付き合った経験もないのだから。
(キスは……あるけど……)
ふたたび思い出すのは、金髪の青年。壁画の彼より十は若い。高校二年生の夏。同級生の彼と一度だけ唇をくっつけた。忘れたい過去だ。
「聞いてくださいよ、こいつ今度エメちゃんと飯食う約束したんですよ」
「ええ! うらやましすぎる!」
脚立の上では、マルクたちが恋愛話で盛り上がっていた。昨日マルクとリュックは寝ていたはずなのに。男同士というのは遊びなのだろうか。アザミがいた世界では同性婚が可能な国もあったけれど、トルバート王国では同性婚は認められていないし、本気になる間柄ではないのかもしれない。
(わからないや……)
十九になる年だが、いまだにアザミには恋愛がわからない。マルクたちを見ているとますますそう思う。友情と恋愛、本気と遊び、どう違うのかわからない。
「僕は今の暮らしで満足してます」
この言葉は本心だ。王族なんて雲の上の存在すぎて、日本でも田舎育ちだった自分に結婚相手が務まるとは思えない。だから、王都に召集されなくてほっとしているのだ。
国に虚偽の報告をした罪で捕まる可能性もあるため、いまさら「実は独身男性でした」と報告することもできない。平凡な顔立ちと内気な性格ということもあり、アザミは転移者ながら、辺境の地で実に地味で堅実な毎日を送っていた。
「そうかあ? まあ独身のほうが女の子と遊び放題だものなあ」
へっへっへとにやけるオベールに、「そんなんじゃありません」と返すが、彼は「照れるな照れるな」と取り合わない。
(この生臭坊主!)
誰も彼もが女好きなわけじゃない、と内心反発していたとき、あたりがざわめいた。
周囲につられて、入り口に視線を送る。
開け放たれた扉の前に一人の男性が立っていた。逆光で顔は見えないが、すらりとした体躯なのはわかる。
皆の注目が集まっているなかで、彼は声を張りあげた。
「二年前、この地に現れた転移者の行方を探しています! ご存知の方はいらっしゃいますかっ?」
(……?)
顔もわからない相手になぜか懐かしさを覚えていると、オベールにぽんと肩を叩かれた。
「面倒なことになりそうだから、隠れていたほうが良さそうだぞ」
仮にも司教ともあろうものが、教会に助けを求めにきた人間を無視していいのだろうか。しかし、面倒ごとはごめんだったので、アザミは知らんぷりすることにした。頭上から親方たちの視線を感じるが、司教の影にそっと隠れる。
だが、突然の来訪者は、まっすぐこちらに向かってきた。
「げっ」
(オベール司教、声に出てます!)
「あなたがこの教会の司教ですね。お尋ねしたいのですが……」
蝋燭の明かりに照らされて、彼の姿がだんだん鮮明に浮かび上がってくる。
外套が揺れるたび、中に着込んだ服がのぞく。チュニックもズボンもなめらかな生地に細かい刺繍が施されていて、非常に高価なものだとわかる。
足元から徐々に上半身、そして顔――深くかぶった頭巾の奥が照らし出されたとき、アザミは思わず目を見開いた。
光り輝くような金髪、ヘーゼル色の瞳、陶磁器のような白い肌、鼻筋の通った面立ち。美しい男性だった。
彼の姿を見た途端、既視感に襲われる。しかし、思い当たる彼は同い年だったが、目の前の男性は二十代半ばほど。他人の空似だろうか。いや、それにしては似ている……と混乱している最中、驚愕の表情を浮かべた彼に手を引かれ、腕の中に捕えられた。
「やっと会えた……!」
(だ、誰……ッ)
ぎゅうぎゅうときつく抱擁されながら、アザミは目を白黒させる。相手は自分を知っているのに、そんなことを聞くのは失礼だろうか、でも。
混乱しているアザミに気づいた男性は、むっと口を尖らせてから、耳元に顔を寄せた。
「キスしたら思いだしてくれる? 鳥居 薊くん」
「あ……あ、お、おまえ」
キスのことを持ち出してくるような相手など一人しかいない。
「十千万堂 巴波単語だな」
耳朶に残る吐息の感触を手で振り払い、ハナミをにらみつけた。しかし、ハナミは満面の笑みを浮かべてアザミの手を取る。
「正解。たとえ異世界に逃げたとしたって、もう二度と逃さないよ、アザミくん」
ひたりと視線を合わせながら告げられたその台詞に、彼と出会ってからの記憶がよみがえった。
「やっと会えた……!」
(だ、誰……ッ)
脳裏に高校時代の同級生が浮かんだが、目の前の彼は自分より五歳以上年上に見えるし、その友人は日本にいるはずだ。
きつく抱擁されながら、アザミは目を白黒させることしかできなかった。
トルバート王国の朝は早い。
夜明けと同時に、各都市の教会がいっせいに鐘を鳴らす。天高くそびえる鐘楼から荘厳な音色が響くと、日々の労働に疲れ果て、夢さえ見ずに眠る人々すらも目を覚ます。目覚めた国民は朝の祈りを捧げてから身支度を始めるのがならわしだった。また、夜の間中閉ざされていた市門は鐘の合図と同時に各都市いっせいに開かれ、商人や周辺の村人たちの往来が可能になる。すると、早朝から都市は賑々しさを増すのだった。
ニーナ辺境伯領ニーナ市で暮らすアザミも例に漏れず、鐘の音とともに起床した。板で作られた窓を開ける。ニーナ市はニーナ辺境伯領最大の都市のため、人口が密集しており、窓から見える景色のほとんどは隣家の壁である。ニーナ市に建つ家屋の大半は、一階部分が石造りで、二階以上が木造になっている。防火対策で藁葺きの屋根は禁止されており、たいてい赤茶色の石が使用されていた。アザミの住む部屋は四階にあり、周囲の五階建ての家屋より低い。しかし、中庭があるおかげでじゅうぶん日差しが届く。
窓に差し込む朝日を感じながら、その場にひざまずいた。
「初代トルバート王、その子、トルバート王二世、その甥、アンデリック王……」全部で十六代いる国王の系譜を誦じてから、ぺこりと小さく頭を下げる。
「日々の幸福はすべて歴代王の偉大なる功績のもとにあり、日々の苦しみは歴代王への献身により消化されるものである。フリイ」
これがこの国の祈りの言葉である。祈りというと目に見えない神へ捧げるもののように思えるが、この国では王族を神聖化しており、王族に祈るのが普通だ。日本にいるあいだ無宗教で生きてきたアザミにとって、トルバート王国の作法は馴染むのに時間がかかった。しかし、こちらに転移して二年が経った今では、朝の祈りを捧げないとどうも調子が出ないと思うまでになっていた。
祈りを終えたアザミは、粗い麻でできた長袖の下着の上に、腰丈の上衣をまとった。オーバーチュニックで、袖口もすそもゆったりしているものである。ふくらはぎ丈の下衣――ズボンは寝たときのままだ。靴下と革製の深靴をはき、腰に細帯を巻いて小袋と布切れをひっかける。そこまで準備を終えると、四階の自室から一階の食堂に駆け降りた。
かまどの前には恰幅の良い中年女性。膝下丈のチュニック――ロングスカートに前掛けをつけ、頭巾をかぶったアンリ・ラロンドは、このラロンド食堂を切り盛りする女将である。
「おはようございます」
「おはよう」
火の様子を見ている彼女の横を抜け中庭に出たアザミは、木桶で井戸の水を汲んだ。
最初は自分の顔を洗う。初秋のまだ生ぬるい気温にはひやりとした井戸水が心地よい。布切れで濡れた頬をぬぐってから、ふたたび井戸水を汲み上げる。食堂で使う水を用意するのが、アザミの日課の一つだった。
両手に桶を持って厨房と中庭を行き来する。三往復終えたところで桶を返しに中庭に戻ると、ひざをつつかれた。
「やめろって」
庭で飼っている七羽の鶏のうち、一番人懐っこいおんどりのインだ。インの羽をなでてやると、彼は「コケエッ」と嬉しそうに鳴く。いっぽう、草を啄んでいるめんどりのロンは、アザミが近づくと鋭くにらみつけてきた。
「ごめんな」
ロンの攻撃を避けながら、庭の隅に産みつけられた卵を手に取る。今日は五個収穫があった。
慎重に卵を抱えながら厨房に戻ると、湯を沸かしていたアンリが手を止めて「おつかれさま」と労ってくれた。
「今朝は小麦粥にするよ。そこに昨日取った鶏肉の出汁があるから、沸騰したら小麦を入れてくれるかい」
「はい」
「そのあいだにガラショウを刻んでおいておくれ。小麦がじゅうぶん出汁を吸いこんだら、火から下ろして加えてね」
「はい」
「卵を入れたかったら、ガラショウと一緒に入れるんだよ」
「わかりました」
アザミが朝食の準備を始める横で、アンリは昨夜から寝かせていたパンの生地を取り出すと、何度かこねたのち丸く形作っていく。十分もかからず、何十個ものパンが鉄板に並んだ。パンをふたたび寝かせているあいだに、タマナとミドリマメをざく切りにし、沸騰した鍋に干した豚肉と一緒に入れて煮立たせる。空いた時間で今度はパセリを刻み、かけ汁を作っていく。
「ごめん、アザミ、もう一度水を汲んできてくれるかい?」
「はい」
「ついでに庭のカブを五個引っこ抜いてきてちょうだい」
「はい」
手際良く食堂の開店準備が進んでいく。
鍋から汁物のおいしい匂いが漂いだしたころ、二十代後半の男性が二人、寝ぼけ眼をこすりながら食堂に現れた。
「おはよう」
「おはよお」
四つある大きな卓のうち、出入り口に近い席に座るなり、彼らは上半身を突っ伏す。いかにも寝不足といった様子だ。
「なんだい、あんたたち飲みすぎたのかい?」
女将がからかうように笑うと、二人は枯れた声で「そんなところです」「やっちまったよ」と口々に答えた。
三階の部屋に住む彼らはアザミの先輩だ。赤褐色の短髪に濃いひげをたくわえているほうがマルク、栗色の長髪と真っ白い肌のほうがリュックという。
酒の飲みすぎにはしじみのみそ汁がいいらしいけれど、この国ではみそ汁なんてものはないし、アザミは彼らの寝不足の原因が飲みすぎでないことを知っていた。
(昨日の夜、声がしてたもんな……)
食堂の片付けを終えて四階の自室に戻る途中、マルクの部屋からあえぎ声が聞こえてきた。二人はたびたび性行為を行う仲らしい。夜中にトイレで起きたときもまだ行為は続いていたから、二時間も寝ていないのではないだろうか。
十九になっても未経験のアザミには、なんと言葉をかければいいかわからない。彼らの関係に気づかないふりをして、葡萄酒でも出したほうがいいのだろうか。二日酔いには向かい酒がいいと食堂の常連たちが言っていたし。いや、そんなことをしたら感じが悪い気がする。
ぐるぐる考えて結局声をかけそびれたアザミは、黙って鍋から小麦粥をよそうと、一杯の水と一緒に彼らの前に差し出した。
「アザミ、今日も手伝いありがとう。あんたももう朝食にしてね」
「はい」
アンリの言葉にうなずいたアザミは、階段に近い席に一人で座る。
「こがねの大地と、群青の海、歴代王の面影宿るこの国の豊かな実りに感謝をこめて、フリィ。いただきます」
定型化した挨拶のあと黙々と食事を取っていると、階段がきしんだ。降りてきたのは、体格のいい五十代の男性――アンリの亭主にして、アザミたちが所属するギルドの親方である。名を、ゴーチエ・ラロンドという。
「おはようございます」
アザミが席を立って挨拶すると、マルクとリュックも慌てて席を立つ。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
「おう」
ゴーチエは言葉数が多くない。一言告げて厨房の前の席につくと、アンリが朝食を運んできた。親方の向かいに座って、自分も一緒に食事を始める。陽気でよく話すアンリとうなずくばかりのゴーチエ。いつもの光景だ。
二年前、突然日本からトルバート王国に転移したアザミは、途方に暮れていたところを教会に保護された。そして、教会経由でゴーチエに預けられた。
アザミが所属しているギルドは、美術全般の仕事を請け負う集団である。主に教会の宗教画の作成や建物の修復を生業としており、現在ゴーチエ親方のもとには五人の職人と職人見習いのアザミがいる。アザミやマルクたちはまだ若いため、ゴーチエの家兼食堂にやっかいになっているのである。
転移当時、言葉も通じなかったアザミに、ギルドの皆はとても親切にしてくれた。その筆頭が親方夫婦だ。口調こそぞんざいだが、いつも優しく、アザミがこの国で生きていけるように、言葉だけでなく習慣や仕事を懇切丁寧に教えてくれた。
日本で高校生だったアザミは美術部に所属しており、絵を描くことが好きだったので、ギルドの仕事は楽しかった。
「今日は雨が降りそうだ。少し早めに向かうぞ」
「はい」
親方の言葉にうなずく。ゴーチエたちが顔を洗って身支度をしているあいだに、人数分の食器を洗う。準備が整うと、若手三人で手分けして商売道具をかついだ。
「いってらっしゃい」
アンリに見送られて四人で家を出る。
これが毎朝の日課だった。
トルバート王国南西部にあるニーナ辺境伯領。南は海に面し、西はマシ国と接している。王都まで徒歩で二十日ほどかかる辺境の地である。しかし、王家の威光はこのはるか西の土地にまでじゅうぶん届いており、災害も少なく、大地の実りも海の恩恵も常に豊潤、それゆえどの都市も皆、快活で明るかった。
ニーナ辺境伯領の中でもっとも大きいのがニーナ市だ。円形の市壁に囲まれ、東西南北四つの門からは絶えず人々がやってくる、非常に活気のある都市だ。
マシ国とは信仰の対象が異なるため、昔から戦争が絶えなかったが、三十年前に小競り合いが勃発して以降大きな衝突はない。また、現ニーナ辺境伯がマシ国の文化に寛容ということもあり、昨今ニーナ市にはマシ国の商人の出入りが増えていた。
アザミはマシ国を訪れたことはないが、どことなく日本らしさを感じ、勝手に親近感を覚えている。例えば、マシ国の人々はアザミと同じで髪の毛が黒く、直毛が多い。着ている服は着物のように前で合わせる作りになっていて、絞り模様のような染めが施されている。また、トルバート王国ではコメは主に煮込み料理に使う。しかし、マシ国では日本のようにコメを炊いて食べるのが一般的らしく、市場には炊き立てのコメと汁物を提供する屋台も多い。
市壁の内側はどこも人口密度が高く、所狭しと住居が建ち並んでいる。土地が足りず、どの家も四階、五階が当たり前だ。東西南北の門から延びる大通りにはさまざまな店舗が並ぶが、特に人が多いのは中心部の広場である。連日市場が開かれる他、役所などの施設もそろっている。井戸を備えていない家の住人――おもに中心部から遠い居住区の人々――は、広場の噴水で水を汲むこともある。
その中で一際目を引く大きな建造物が、半円アーチと円柱が特徴的な、華麗なたたずまいの教会である。二百年前に建てられたとは思えないほど美しいままの姿を保っているのは、親方をはじめ数々の美術家がこの教会を補修、改修してきたからに他ならない。
石造の建物は天井が分厚く、教会の中は常に薄暗い。開け放たれた入り口をくぐると、青い絨毯がまっすぐ伸び、正面には精緻な金細工の施された祭壇と彫刻が置かれている。蝋燭の明かりに照らされ、黄金がまばゆく輝く様は非常に豪奢で、アザミはいつも圧倒される。
側廊には縦横大人二人分ほどの巨大な壁画が何枚も続き、歴代の王族や国の歴史が描かれていた。教会には文字が読めない人も大勢やってくるので、誰にでも教えを理解できるようにするためらしい。壁画は入り口の左脇から始まり、側廊に沿って時代が下るようになっていて、一番新しい時代の絵は今まさに作成中である。
「おい、漆喰が足りてねえぞ!」
「はっ、はい!」
「次は朱色持ってこい!」
脚立の上から怒号が飛んでくる。アザミは慌てて、言われたものを手渡した。半人前のアザミはまだ地上で雑務をこなすことしかできないのだ。
現在親方たちが描いているのは、五年前、王都に異世界から転移した人間が現れた場面である。絵の中央では、黒髪の男性と金髪の女性が手を取り向かい合っている。この絵の女性は現国王妃の姪であり、転移者の出現により彼と婚約することになった。
トルバート王国では、数十年に一度、異世界から転移してくる人間がいる。彼らは出現すると国に丁重に保護され、王族と婚姻関係を結ぶ決まりらしい。十八年前にも女性の転移者が現れ、当時の王族と結婚した。そのときのパレードは史上最大規模のセレモニーとして、壁画にも記されている。
壁画に描かれた男女の周りに、親方たちが金箔をまぶしている。彼らの見目麗しさを表しているのだそうだ。トルバート王国の王族は皆美しいと言われているが、五年前に現れた転移者もまた、類い稀なる美貌の持ち主だったらしく、出現した当時は王都中の噂の的だったという。
トルバート王国民は濃淡の程度はあれど茶髪が多い。そのため、きらびやかな金髪を見ていると、一人の人物がアザミの脳裏をよぎる。日本にいるはずの彼を思いだすと胸が痛い。頭を振って記憶を追い払い、目の前の絵に集中した。
空に瞬く星を描きこみ、最後にこの国の名産である緑がかった青い塗料を女性の瞳に塗ればこの絵は完成だ。明日にも出来上がるだろう。
歴史ある教会に自分の絵を描くことができるなんて、ゴーチエ親方は本当にすごい。二年間、たくさんの絵や彫刻を修復するのを見てきたが、彼のオリジナルの絵を見るのは初めてだった。
そもそもこの国における絵画とは宗教的なもので、王族を崇め讃えるための手段である。そのため、王族以外の絵を描くことは禁止されており――もちろん設計図など例外は存在する――いくらギルドの親方といえど、そうそう絵を描く頻度は高くない。しかし、ゴーチエの技術は年を経てもなお衰えるところを知らず、無骨な姿からは想像つかないほど華やかな色彩は、見つめるだけで気分が高揚してくる。絶えずやってくる参拝者たちも、制作中の絵画を前に立ち止まり、興味深そうに眺めてゆく。やはり親方の絵はすごい。見習いとして誇らしい。
「おまえも王宮に行きたかったか?」
ふいに背後から声がかかって、アザミはびくっと肩をそびやかした。振り返ると、小太りの中年男性が立っている。この教会の主であるオベール・ダルヴィッセル司教だ。立襟で足丈まである前開きの服をまとっている。純白の装いと打って変わって、今日も頬が赤いし臭い。酒の飲みすぎである。
「わしがうっかりおまえの性別を間違えてしまったからなあ」
ひっくひっくとしゃっくりしながら、オベールはそう言った。突然教会の前に現れたアザミの戸籍を届け出る際に、誤って妊婦と登録してしまったらしい。この国の文字がほとんど読めないアザミには、どうしてそんな間違いをしたのかわからないが……おそらく、その日もオベールが二日酔いだったせいだと思う。さすがに赤の他人の子どもを身籠っている人間を王家に迎えることはできないので、転移者であるアザミのもとに、国の遣いが来ることはなかった。
「王宮に行けばいい暮らしができたのに悪かったなあ」
両手を合わせて頭を下げる姿に、アザミは「いいんです」と首を振って応じる。彼は酔うたびこの話を蒸し返す。よほど後悔しているらしい。適当だが悪い人ではないのだ。
「代わりにこの仕事を紹介してもらえたから、じゅうぶんです」
ギルドの皆はいい人だし、今は雑用しかできない身だが、絵に携わる仕事は楽しい。それに、アザミは自分が誰かと結婚するなんて想像もできなかった。付き合った経験もないのだから。
(キスは……あるけど……)
ふたたび思い出すのは、金髪の青年。壁画の彼より十は若い。高校二年生の夏。同級生の彼と一度だけ唇をくっつけた。忘れたい過去だ。
「聞いてくださいよ、こいつ今度エメちゃんと飯食う約束したんですよ」
「ええ! うらやましすぎる!」
脚立の上では、マルクたちが恋愛話で盛り上がっていた。昨日マルクとリュックは寝ていたはずなのに。男同士というのは遊びなのだろうか。アザミがいた世界では同性婚が可能な国もあったけれど、トルバート王国では同性婚は認められていないし、本気になる間柄ではないのかもしれない。
(わからないや……)
十九になる年だが、いまだにアザミには恋愛がわからない。マルクたちを見ているとますますそう思う。友情と恋愛、本気と遊び、どう違うのかわからない。
「僕は今の暮らしで満足してます」
この言葉は本心だ。王族なんて雲の上の存在すぎて、日本でも田舎育ちだった自分に結婚相手が務まるとは思えない。だから、王都に召集されなくてほっとしているのだ。
国に虚偽の報告をした罪で捕まる可能性もあるため、いまさら「実は独身男性でした」と報告することもできない。平凡な顔立ちと内気な性格ということもあり、アザミは転移者ながら、辺境の地で実に地味で堅実な毎日を送っていた。
「そうかあ? まあ独身のほうが女の子と遊び放題だものなあ」
へっへっへとにやけるオベールに、「そんなんじゃありません」と返すが、彼は「照れるな照れるな」と取り合わない。
(この生臭坊主!)
誰も彼もが女好きなわけじゃない、と内心反発していたとき、あたりがざわめいた。
周囲につられて、入り口に視線を送る。
開け放たれた扉の前に一人の男性が立っていた。逆光で顔は見えないが、すらりとした体躯なのはわかる。
皆の注目が集まっているなかで、彼は声を張りあげた。
「二年前、この地に現れた転移者の行方を探しています! ご存知の方はいらっしゃいますかっ?」
(……?)
顔もわからない相手になぜか懐かしさを覚えていると、オベールにぽんと肩を叩かれた。
「面倒なことになりそうだから、隠れていたほうが良さそうだぞ」
仮にも司教ともあろうものが、教会に助けを求めにきた人間を無視していいのだろうか。しかし、面倒ごとはごめんだったので、アザミは知らんぷりすることにした。頭上から親方たちの視線を感じるが、司教の影にそっと隠れる。
だが、突然の来訪者は、まっすぐこちらに向かってきた。
「げっ」
(オベール司教、声に出てます!)
「あなたがこの教会の司教ですね。お尋ねしたいのですが……」
蝋燭の明かりに照らされて、彼の姿がだんだん鮮明に浮かび上がってくる。
外套が揺れるたび、中に着込んだ服がのぞく。チュニックもズボンもなめらかな生地に細かい刺繍が施されていて、非常に高価なものだとわかる。
足元から徐々に上半身、そして顔――深くかぶった頭巾の奥が照らし出されたとき、アザミは思わず目を見開いた。
光り輝くような金髪、ヘーゼル色の瞳、陶磁器のような白い肌、鼻筋の通った面立ち。美しい男性だった。
彼の姿を見た途端、既視感に襲われる。しかし、思い当たる彼は同い年だったが、目の前の男性は二十代半ばほど。他人の空似だろうか。いや、それにしては似ている……と混乱している最中、驚愕の表情を浮かべた彼に手を引かれ、腕の中に捕えられた。
「やっと会えた……!」
(だ、誰……ッ)
ぎゅうぎゅうときつく抱擁されながら、アザミは目を白黒させる。相手は自分を知っているのに、そんなことを聞くのは失礼だろうか、でも。
混乱しているアザミに気づいた男性は、むっと口を尖らせてから、耳元に顔を寄せた。
「キスしたら思いだしてくれる? 鳥居 薊くん」
「あ……あ、お、おまえ」
キスのことを持ち出してくるような相手など一人しかいない。
「十千万堂 巴波単語だな」
耳朶に残る吐息の感触を手で振り払い、ハナミをにらみつけた。しかし、ハナミは満面の笑みを浮かべてアザミの手を取る。
「正解。たとえ異世界に逃げたとしたって、もう二度と逃さないよ、アザミくん」
ひたりと視線を合わせながら告げられたその台詞に、彼と出会ってからの記憶がよみがえった。
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