【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第一章

二話 異質な転校生(2)

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 十千万堂が転校してきて二週間が経った。

 彼の周りにはたくさんの人が集まり、いつもにぎやかだった。薊は初日こそ彼に学校を案内してやったが、今ではクラスメイトというだけで特に接点のない日々を過ごしている――予定だった、が。

(えっと話しかけられるだがな)

 ホームルームが始まるまでの時間とか、放課後とか。

 薊や友人の上田は目立たない部類なので、十千万堂とは別のグループだが、彼がやたらと声をかけてくるおかげで、一日一回は会話している気がする。

 そしてついに今日は、一緒に通学路を歩いていた。



 
 ジリジリジリジリと、セミが鳴いている。

 吸い込まれそうなほど深く鮮やかな青い空。照りつける日差しは痛いほどで、白い玉砂利に反射した光が目を焼く。

「こっちが近うて涼しいけえ」

 そう言って薊が先導した先は、大きな神社の参道だった。この町で一番立派な大隠神社は、長い参道の両端に木々が茂り、日陰ができている。境内には柵がなく、裏に回ればすぐ住宅街に入れる。そのため、薊と十千万堂の家にも近い。

「このへん神社ばっかりあるよね」
「神隠しがようけあったせいだげな……」
「そうなんだ」
「小学生のとき、自分とこの町を調査する授業があったけえ、それで調べただに」
「へえ。最近も神隠しにあった人とかいるのかな」
「まさか」

 こんな会話でいいんだろうか。薊は気が利いたこともおもしろいことも言えないが、十千万堂は楽しそうに見える。こめかみを伝う汗をぬぐいながら、隣に立つ転校生を見上げた。

 気温は三十度をとうに超えている。立っているだけで汗がふき出して、薊のワイシャツはびしょ濡れだ。しかし、十千万堂は涼しげである。暑いと思わないのだろうか。二週間同じクラスで過ごしたが、どうしても別世界の人間に見えてしまう。そんな彼が自分と並んで歩く理由に、薊は一つだけ心当たりがあった。

「な、なあ……今日、大丈夫だったに……?」
「今日? なんかあったっけ」
「ほら、宮崎と……」
「ああ、別にたいしたことないよ」

 終業式の今日、宮崎が十千万堂に言ったのだ。「夏休み中にナンパして彼女こさえるしょい、一緒に海で遊ばいや!」と。それに対し、十千万堂は「興味ないし、俺をダシにしないでくれる?」とすげなく断った。それが気に食わなかった宮崎は「スカしててほんに腹立つけえ!」だの「いつも態度でかいけ気に食わんに!」だの暴言を吐いて帰っていった。彼は十千万堂とつるんでいたグループの代表格だったので、十千万堂と仲良くしていた面々も、宮崎を追って帰ってしまった。

「あ、あの、もしおまえが無視されることがあったら、僕たちのところに来てもええけえ。こんな地味なグループじゃ嫌かもしれんけど……上田も嫌とは言わないと思うけえ。あっ、ほんに、無理には言わんけど、来ても大丈夫だにって……」

 話しているうちに余計なお世話な気がしてきた。薊たちとつるむくらいなら一人のほうがましだと思ったかもしれない。しかし吐いた言葉は消せないので、取り繕うように言葉を重ねて結局詰まる。

 うつむく薊を覗きこんだ十千万堂は、視線が合うなり、ばちっとウィンクを寄越してきた。

「心配してくれてありがとう。こっちは間違ったこと言ってないし、折れるつもりもないけど、何かあったらよろしくね」

 本人はふざけているつもりだろうが、絵になりすぎている。

 友人と喧嘩してもこんなふうに平常心でいられるなんてすごい。自分が正しいという自信がないとできないことだ。感心していると、十千万堂が「あ」と声を漏らした。

「そうだ。鳥居くん、一緒に海に行こうよ」
「え? そっでも宮崎の誘いは断っとっただか……」
「ナンパが面倒なだけ。海は行きたい」
「え、ええけど……」

 ここから歩いて三十分ほどの距離に、遊泳可能な海がある。薊がうなずくと、十千万堂は「やった!」と喜んだ。

「俺と二人きりでいいよね?」
「え、と……」

 一日中二人でいて間を持たせる自信がない。上田を誘うつもりだった薊が思わず口ごもると、

「いいよね?」

 十千万堂がさらなる圧をかけてきたので、薊はうなずくしかなかった。

(大丈夫かいや……?)

 つまらなかったとか思われるのではないだろうか。不安で焦る薊とは対照的に、十千万堂は浮かれた様子である。

「こっちの海は関東の海と比べものにならないくらいきれいだって父さんが言ってたんだよね」
「普通だけえ」

 わざわざ海のために県外に出ようとは思わないので、比べたこともないけれど。薊が首をかしげると、

「田舎の普通と都会の普通は違うんだよ」

 と、十千万堂は言った。

「おい、田舎って言うなって」
「事実じゃん」
「そっでもだに」

 悪気がないのはわかる。が、この男はデリカシーが足りないということに、この二週間で薊は気がついていた。正しければ何を言ってもいいと思っている節があるのだ。

「鳥居くんってすごいひょろひょろだけど泳げるの?」

 ほら。また失礼なことを言っている。

「泳げる」
「意外だあ」

 はははと笑う十千万堂に、絶対見返してやると誓った薊だった。




 夏休みの間中、薊は十千万堂とよく一緒に過ごした。二学期が始まると、何事もなかったように、十千万堂の周りにはまた人が集まってきた。薊はあいかわらず静かに教室の隅で過ごし、十千万堂のグループと積極的に関わることはなかったが、そのころには十千万堂のことを巴波と呼ぶようになっていた。




 季節は巡り、翌年の春。

 二年生になった薊と巴波はクラスが分かれた。薊は上田と同じ二年一組、巴波は二年二組である。

 始業式から数日が経ち、ようやく通常授業が始まった、そんなある日の放課後、美術室。

 校庭から聞こえる野球部の声、時計の秒針が刻む音。それらが耳につくほど静かな時間の中で、薊は画用紙に絵を描いていた。春休みから描き始めた作品で、あともう少し色を加えれば完成だ。しかし。

「集中できない」

 机に肘をつき、こちらをじいっと観察している巴波の視線が気になってしかたない。じろりと巴波をにらんでも、彼はまったく動じなかった。

「俺のことは気にしないでいいよ。薊くんのこと見てるだけで満足だから」
「気にせんといられるかってえ。見過ぎだに」
「だって薊くんが大好きなんだもん」
「はあ」
「信じてよ」
「信じてって……」

 何を言ってもふざけたように返される。薊はこの男に口で勝てた試しがない。あきらめて筆を置くと、巴波は「なんでやめちゃうの」とぶうたれた。「もっと見ていたかったのに」

「誰のせいで中断したと思っとるけえ」
「俺のせいです。ごめんなさい」

 薊がふたたびにらむと、彼は今度こそ殊勝に頭を下げた。

「その絵、締切まで時間ない? 本当に集中しないとやばそうだったら、俺先に帰るけど……」

 眉を八の字にしてそんなふうに言われると、薊は口ごもってしまう。

「……そ、それほど……急ぎではない……けんど……」

 本当は今日中に仕上げてしまいたかったが、締切まで時間はある。普段は傍若無人にも見える巴波がしおれていると、帰れとは言いにくい。

(こいつ、絵ぇ見るん好きだけえ……)

 しょっちゅう美術室に来ては、今日のように薊の絵を見ている。本当に締切が迫っているときは巴波を帰らせることもあるが、今回は薊が折れた。

 巴波を気にしないようにするのは無理なので、いっそ会話しながら作業することにする。

「昨日のシュークリーム、母さんもごっついうまかったって言ってたに。いつも母さんたちのぶんまでだんだんなあ」

 話しかけると、彼はぱっと顔を輝かせた。ないはずの尻尾がぶんぶん左右に揺れているように見える。

「薊くんに合わせてさっぱりしたクリームにしたんだけど、気に入ってもらえてよかった」

 自分の好みに寄せてくれていたのだと知り、薊は驚く。巴波がくれたシュークリームは市販のものではなく、手作りなのだ。

 彼が菓子を作るのは、将来洋菓子店を経営する家を継ぐためだ。「練習のために試食して感想をくれると助かる」と、初めて菓子をプレゼントされたときに言われたので、薊は軽い気持ちでうなずいた。一、二度、おいしい菓子をもらえるくらいだと思っていたのだ。しかし、最近は週に一度の高頻度で餌付けされている。

「練習熱心は偉いけんど、昨日もメッセージしたがん、もらってばっかりで悪いけえ、材料費は受け取ってえや」
「俺も薊くんからたくさんもらってるから」
「……なんもあげとらんに」

 思い当たる節がなくて首を傾げると、巴波は薊の絵を指差した。

「俺、薊くんの絵が大好き。たとえば今描いてるこの海、大胆な波の描きかたとか、派手に黄色を使うところとか、地味で平凡に見えて、心を許したら結構はっきりしてるとこもある内弁慶の薊くんらしくていいよね」
「……おまえ、僕の悪口言うとうるに?」
「なんでそうなるの」

(いや、そう思うだらあが)

 しかし、巴波は本当に褒めているつもりのようで、にこにこと微笑んでいる。

「黄色をたっぷり使ってるけど、ぬりかたが柔らかいところも薊くんらしくて好き。優しくて温かい感じがして、海が好きなんだっていうのが伝わってきて、すごくいい絵だと思う。薊くんの絵を見ているとインスピレーションが湧いてきて、どんどん菓子作りをしたくなってくるんだ。だから、俺はもうたくさんもらってるんだよ」
「なんそれ」

 そう言いながらも、薊は口元が緩みそうになっていた。

 薊が描いたのは、昨年巴波と行った日の海だ。休みの日に初めて一緒に遊んで、とても楽しかったのを覚えている。その日を境に巴波と打ち解けることができたので、薊にとって大切な思い出である。この日の海は、本当は真夏の日差しを浴びてもっとギラギラしていたけれど、思い出の中の水面は巴波の言うとおり優しくて温かい色だったから、心に浮かんだ色彩を優先したのだった。絵にこめた思いが伝わっていたこと、自分の絵で心を動かしてくれる人がいることは、作り手として嬉しい。しかし、それと材料費を受け取ってもらえないのは話が別だ。

「そんなら、またうちでご飯でも食べていいがなや。母さんもお金のこと気にしとるし、何より巴波を気にいってるけえ、来てくれたらだらず喜ぶに」

 家に連れていくたび、巴波のことをイケメンで礼儀正しくてしっかりしている、と大絶賛の嵐なのだ。巴波が普段一人で夕飯を食べていると聞いたときは、大げさなほど同情していた。それなので、今では隙あらば巴波を家に呼びたがる。

「外堀から埋める作戦は大成功だね」
「なんか言ったけえ?」
「ううん、何も」

 巴波がなんと言ったかは聞き取れなかったが、きっとたわいもないことだろう。薊はそう結論づけて、それ以上食い下がらなかった。

 このとき巴波の言葉を掘り下げていたら、何か変わっていたのかもしれない。




 さらに季節は流れ、巴波と出会って二度目の夏。

 鮮烈な青色の空と、もくもく漂う入道雲。古びた電線にまとわりつくチョウセンアサガオ。広くはあるがろくに整備されていない道路のガードレールは、根本から伸びた雑草に覆われてしまっている。その草花のむせかえるほど濃い匂い。セミはジリジリとけたたましく求愛に明け暮れる。梅雨が明けた途端、季節は夏本番の様子を見せていた。

 春に描いた海の絵はコンクールで賞を取ることができず、七月上旬に薊の手元に戻ってきた。

「これ、いるがか……?」

 帰り道。雑談の中でさりげなく尋ねると、巴波は一も二もなく「いる!」と返事した。ただの素人が描いた絵だというのに、想像以上に喜ぶ彼を見ているとむずがゆくなる。

「嬉しい! ありがとう!」

 ファイルケースから取り出した絵を渡すと、巴波はキスせんばかりの勢いで受け取った。薊はにやつく口元をへの字にして、

「おおげさだに」

 と反応するのがやっとだった。

「おおげさじゃないって。薊くんらしくてこの絵が好きだって言ったでしょ。この絵、薊くんだと思って大事にするよ」
「……う、ん……」

 心臓が跳ねたのは、巴波の表情が見たことないほど甘かったからだ。しかし、彼が言っているのはあくまで絵の話。とっさに口ごもるなんて自意識過剰だったと、すぐに自分が恥ずかしくなった。

 暑さでやられてしまったんだな、と口の中で言いわけする。今日の最高気温は三十五度だとニュースで見た。コンクリートの道路からは陽炎が立ち上るほどだし、薊の頭もきっと茹ってしまったのだ。だって変だ。

 夏の鮮やかな色彩全部が妙にまぶしく感じる。その中でもとりわけ巴波がきらきらしていて、まっすぐ見られない。

 友だちのことを直視できないなんてどうかしている。その理由を深く考えたくなくて、薊はそっぽを向きながらふたたび歩きそうとした。

 しかし。

「ねえ、薊くん顔赤いよ。どうしたの?」

 デリカシーとか配慮とか、そういうものが欠落している友人はそう言って、あまつさえわざわざ薊の前に回りこんできた。

「う、うるさい……! 赤くないに!」
「嘘だあ。真っ赤だよ。なんでか教えてよ」
「知らんけえ!」

 自分だってどうしてだかわからないのに、答えられるわけがない。反射的にそう叫んで巴波を見上げると、彼はやけに嬉しそうだった。戸惑う薊を見て笑うなんて悪趣味だ。

 巴波を置いて今度こそ歩きだした薊だったが、腕をつかんで引き止められた。

「何……ッ」

 巴波の手のひらが熱い。そんなことを考えていられたのは一瞬で、すぐに息が止まった。

 巴波の顔面がぶつかった。唇と唇がぶつかった。

(え、……っ?)

 初めての経験だけれど、これがキスだというのはわかる。

 どうして。行為の名前はわかっても、理由がわからない。混乱で目を白黒させる薊に、巴波はふっと笑った。

 その瞬間、薊は「わああ」と叫んで駆けだしていた。

「え、ちょ、薊くんっ!」

 巴波が慌てたように薊の名を呼ぶが、薊は止まらなかった。たとえひょろひょろであろうと、田舎育ちの薊は巴波よりもよほど足が速かったし、体力もあった。

 背中のリュックが大きく跳ねるほどの速さで薊は走った。車通りの少ない国道を越え、田んぼの中の畦道を走り抜ける。

(なんでキスなんかしたが、なんでなんでなんで!)

 巴波と薊は友人なのに。いや、ただの友人ではない。親友だと思っていた。それなのに明日からどんな顔をすればいいのだ。なんでキスしたのかと聞くべきなんだろうか。そしたらどう返ってくるのだろう。

 巴波にとって、キスは特別なものではないのだろうか。

 ふとわいた疑問に、思わず足が止まった。

 そこは大隠神社の本堂の前だった。神様の存在など信じていないが、つい御神体があるであろう扉の奥に目をこらす。

(あいつにとっちゃ、キスなんちゃあたいしたことなかだか?)

 当然、神様から返事が返ってくるわけもなく。薊の脳裏に先ほどの巴波の笑みが浮かぶ。あれはたかだかキスひとつで大袈裟に騒いだ薊を笑っていたのだろうか。いや、そんなことないはずだ。彼はそんな人間ではない。

 でも、薊は巴波の何を知っているのだろう。恋愛話などしたことがなかったから、彼の心の内がわからない。突然キスしてくるようなやつだなんて思いもしなかった。男同士だし、冗談なのだろうか。

 わからない。

 巴波のことがわからない。自分がどうしたいかもわからない。デリカシーはないし態度はでかいけれど、彼と話すのは楽しくて好きだ。でも巴波とキスがしたかっただろうか。

(もう嫌だけえ……明日どうするがか……学校行きたくないに……顔合わせたくないに……)

 頭を抱えてうずくまったそのとき。ピカッと本堂の内側が光った。夏の日差しよりも強いその光が薊を突き刺したその瞬間、ぐいっと大きな手に引き寄せられるような感覚がして――

 気がついたときには、トルバート王国にいたのだった。
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